吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

月を隠す藤原氏 No266

2011-05-27 12:46:55 | 神霊界考察
昔、奈良の興福寺の南大門に「月輪山」という山号の額を掲げていた。
ところがしばしば魔障が起こり、風も無いのに樹木が倒伏し、
水が突然噴出して大穴を開け石垣を崩壊させた。
山内大いに困惑していると、ある僧の霊夢に
「月の字は水に縁ある為なり」とお告げがあり、
困り果てて額を取り下げると、不思議にその後水害が無くなり事なきを得たという。
額を埋めた所が高さ2mの茶臼山の「額塚」で
以後の法相宗大本山「興福寺」では山号を用いていない。
つまり藤原氏の氏寺である興福寺には
月にまつわることで水の祟りがあるということになる。
『茶臼山の額塚』

これは今は藤原氏の氏神となる奈良春日大社のある三笠山の月を
もともと奉祭していた蘇我氏から奪ったからであろう。
『三輪山と三笠山と物部氏と蘇我氏と藤原氏と No153』


ところで興福寺には「厨子入り木造弥勒菩薩半跏像」や北円堂の本尊の「木造弥勒如来坐像」
興福寺旧蔵(ボストン美術館蔵)の弥勒菩薩立像等 弥勒像が祭られておりミロク信仰が残る。
ミロクといえば数字でいえば369か666であるが
なぜか興福寺の横を国道369号線が通っている。
この369号線の興福寺そばで道路が陥没するというニュースが5/25にあった。
塔頭 ( たっちゅう ) の一乗院の井戸の跡ではないかということだ。

封印された月にまつわる水の封印開封を感じる。
具体的にはこれが表わすものは瓢箪である。
実は筆者が拝読しているうららさまの『天の真名井の水と波せき地蔵さん』の記事に
眞名井神社=匏宮大神宮=瓢箪神社についてのコメントを載せた時から
封印された月にまつわる水の開封=瓢の蓋が開いたことを感じていて
その後にこのニュースを知ったのだ。
久隈守景作の『夕顔棚納涼図屏風』にみる瓢箪開運 No238でも記載したが
「この絵で丸々とした瓢箪がいくつも実り月と共に
家族を静かに守る様に安心感があることに気付いた。
よくよく考えるとこれこそが瓢箪の開運力の表われといってもいい。
瓢箪の開運力の源泉は水と月にあるようである。」と書いている。
そして封印された月にまつわる水の開封=瓢の蓋が開いたということは
瓢箪で鯰を得るということに繫がる。

しかしながら喜んではいられない。
うららさまへのコメント通りである。
以下参照

『この匏の読みは[字音]ホウ(ハウ) 
[字訓]ひさご・ふくべ  だそうです。
この匏は瓜ではなくて瓢箪じゃないときっと駄目です。
匏は水の女神と月と少彦名神がキーワードでしょうね。
ところでここは前記記事の通りに文殊菩薩もキーワードなのです。
若狭湾に面する天橋立南側にある天橋山智恩寺には行かれましたか?
高速増殖炉もんじゅの顛末の和合にはこの2社の参拝祈願が必要でしょう。
とにかく文殊菩薩の功徳が無くなるとしばらく竜神様は暴れるでしょうね。』

この通り竜神さまが暴れる可能性が高いと考えられる。

さて文中に弥勒・文殊と二つの仏が現われたが
コメントにも虹色巫女さまより3が暗示されたが
でやはりあと一柱必要なのだろう。
だとすればたぶん弥勒・文殊・普賢ということになろう。
さてこれが何を意味するのか?

天橋立の悪竜は文殊菩薩の功徳により改心するが
この三柱の仏の中で童子形で出現するのが
文殊菩薩であり文殊菩薩の眷属が八大童子であり
これは匏宮大神宮の眞名井龍神が
八大龍王神となって文殊菩薩に従っていることと繫がる。
文殊とは原子力発電に関して「もんじゅ」の事故に対して
我々に求められているものが智慧ということで納得できる。

弥勒・文殊・普賢から導き出せる道を記載しようとしていたが
集中力が途切れて途中で答えを見失ってしまった。
それで仮の案とさせていただきたい。
後日以下の記事は答えを見つけ出し次第に書き換える予定だ。

普賢は「ふげん」だとすると
プルトニューム炉の廃炉は解体完了が35年も掛り
「普く賢い者」からかけ離れているのであろう。

またこの「ふげん」と同時期に着工した茨城県大洗の「常陽」は
中央構造線上にあり危険極まりない場所にあるが
2007年6月11日以降運転停止中である。
「もんじゅ」の事故を経験して我々の智慧は
どういう解をもたらすのであろうか?

弥勒が示す安寧の道が何かは自ずから見えてこよう。
その答えは『夕顔棚納涼図屏風』にみる瓢箪開運にある。
まずしくとも家族が揃い瓢箪と月に護られて涼む様にこそ
人としての幸せが存在する。


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熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265

2011-05-23 22:48:31 | 神霊界考察
中央構造線の西側がどうなっているかの詳細は
添付した図を参照にしていただきたいが
布田川日奈久断層と立田山断層に繋がる阿蘇の中央から北側を通るラインと
阿蘇の南側を通る活断層のラインの二つに分かれる。
阿蘇の南側のラインは国道218号沿いの弊立神宮上を通っていると言われている。
『熊本県の活断層』『活断層と地震震源』

古代の人はそのことを知っていたようで八代や弊立神宮には
活断層を龍のエネルギーとして崇めて八大龍王神を祭祀している。
そういう訳で布田川の活断層龍脈にも八大龍王社が祭られている。
西原と白川水源の八大龍王社については
筆者HPの『熊本に残る八大龍王社』
「白川八王社」と「西原の八王社」の記事等を参考にしていただきたい。

一般には中央構造線は阿蘇の南側のラインと思っている人が多いが
活断層調査からは布田川断層から別府湾に抜ける可能性が高いように思われる。
詳しく知りたい方は『地震調査研究推進本部』の資料や熊本の活断層詳細図
参考になるかと思う。

これらの活断層で地震被害に関して危険なのは
立田山断層と布田川断層ということになる。
2008年の8月8日の8時8分に布田川断層上にある西原村の白山姫神社に参拝した。
そして同日 益城町の少彦名を祭る武内神社にも参拝したが
この二社の感応により布田川断層の龍脈の龍を鎮める必要性を感じた。
それで竜脈竜神の八大龍王神への位上げ祈願を
この二社含めて沼山津神社 妙見神社 惣領神社 安永神社等で行った。
それから西原の八大龍王社を回って御魂鎮め=珠鎮めの神事と奏上文の作成と読上げを
二年間かけて2010年まで実施した。

問題となるのは前回のブログで指摘したが
人口密集地帯の熊本市内を通る立田山断層である。
震源の中央となるのは熊本駅から熊本城あたりの可能性が高い。
『花岡山の仏舎利塔 No249』で報告したが
熊本城に祭られていた八大龍王神を花岡山に日達師が勧請したというので
熊本場内を調べたが八大龍王神祭祀の痕跡を発見出来ていない。

この件に関してどなたか情報を持っていらっしゃる方は是非お教え願いたい。

今回とりあえず自宅の大地の氣の調査をしてみた。
あまり詳細は言えないが
天と大地との調和を図る神事を行ってみたいと考えている。



後記:よく爪痕を残すというが
布田川断層の御魂鎮め祭祀でも大小いくつかの事例があった。
写真は筆者が珠鎮め神事で使うプラチナルチル水晶球であるが
白川水源の白川吉見神社で湧水で清めようとした際に
付けられた爪痕が残っている。
ピシッときたので珠を見たら傷付いていた。
これではもはや神事には持ちいることが出来ない。
今までの神事にも過程に問題があったという事を示している。
こういう時は一度撤退するかやり直すかの決断に迫られる。
自宅に戻ったら出窓に置いてある茶水晶の招き猫が倒れていた。
あらっと思って手に取るとこれにも爪痕が残されていた。
嫁に話したら「ふーん 不思議なこともあるのね。」で終わった。
数日後寝ていたら斜め上の天井あたりにあやしい気配があった。
見ようとした途端にそいつに飛び掛られた。
額をコツンとされて元に戻って消えてしまった。
瞬間は驚いたが意外と小物だったので安心した。
結局のところ実質被害はルチル水晶球の○万円ということになる。
それでも安くは無いし同じレベルのものにはまだ出会っていない。



20160418 追記
2016年4月14日21時26分に益城で震度7
2016年4月16日 1時25分にマグニチュードM7.3で益城は震度6強
2016年4月16日 1時44分に益城は震度6弱
上記地震が発生し最も被害が多いのが益城地方という結果となりました。
震災後に益城の親戚宅に支援に行ってきましたが
道路陥没がひどく橋梁との段差で最大20cm程度になっていました。
被害の甚大さが良く分かります。

気になるのが最初の地震の震源と最大震度7となった益城まで
5km程度離れているという事。

つまり日奈久断層で地震が発生し布田川断層に影響を及ぼしたことになります。
霊的に言えば私が上記記事中で云う
鎮めたはずの布田川断層の龍脈の龍が
再び怒りを現しているということになります。
この原因はいくつかあるでしょうが
その一つに産土神への氏子の敬神の薄れがあります。
地震後どれだけの人が荒ぶる神霊を鎮めるために
この地域の神社に参拝したかということです。
2度目の地震が誘発されたことに深く心を痛めています。
このブログを読まれる方におかれましては
他山の石とせず是非とも産土神への敬神を深めていただきたいと思います。


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熊本霊ラインと熊本大災害 問題提議篇 No264 

2011-05-21 02:15:09 | 神霊界考察
最近になって自宅購入の霊的背景がやっと読めてきた。
自分で5年前に中古住宅を購入しておきながら言うのもなんだが、
変形土地で風水的には路弓(街道反弓)で
北風はいつも台風のように強いし
全く以って風水的に欠点だらけの土地だったけど
それを知りながら結局は購入することになった。
その上に明治22年7月28日に熊本はマグニチュード6.3の地震に襲われたが
今の自宅はその震源のその直下に近い危険地帯だ。
立田山活断層=中央構造線西端の活断層の真上ということになる。
熊本霊ラインの山の北側にその活断層は走っている。
個所人的には天社宮の真下が震源となったと予想している。
そして周期的にはそろそろ起こってもおかしくない時期となっている。

こういうわけでこの凶相地は太上神仙鎮宅七十二霊符尊神の霊験や
開運グッズを試すには持って来いの自宅といえる。

とはいうもののやはり地震は恐い。
直下型地震としてこの熊本の地震は国立科学博物館が調査している。
国立科学博物館地震資料室に残る写真
この中で飽田郡高橋町字川端家屋崩壊之景の写真が天社宮そばの写真で
飽田郡高橋町負傷者船住居之景というのが自宅の目の前の川になる。
もし中央構造線のもう一つの分岐の布田川・日奈久断層帯と同時に
活断層がずれるとM8で震度6強以上の揺れとなることも考えられる。
熊本市によると立田山断層地震の場合だけで建物の全壊は1.5万棟、死者624名と算定している。

1889年(明治22年)の天社宮直下の地震であるが
これは神社裏手の御神木が伐採されたことによるものと考えている。
この天社宮はその当時は天社天神と呼ばれていたが雲仙普賢岳方向に建てられていたようだ。
さらに古い1792年(寛政4年)の今日と同じ日である5月21日に
雲仙岳の眉山で発生した山体崩壊なだれが海に押し寄せ
これによる50m高の津波災害は「島原大変肥後迷惑」と呼ばれており
対岸の肥後国の津波による死者1万人は有史以来日本最大の火山災害となっている。
この津波の被害も当然この自宅の場所におよんでいる。

さて今年天社宮の1200年の楠の御神木が隣の敷地に入っているということで
南側に面するかなりの大枝が伐採されてしまった。
これがどういう結果を意味するかは
このブログの読者であれば理解していただけるものと思う。


万日山の霊場の崩壊とのセットで危機的状況となっている。
この荒ぶる霊氣が今回貫通した万日山のトンネルを抜け
新幹線に注ぎ込まれてしまったような気がする。
(これはシンボリック的イメージではあるが)
興味のある方は現地を視察していただければ理解できると思う。
中央構造線上の阿蘇山の噴火も象徴的である。

ところで2008年のジュセリーノの予言は
自分の感応とも通じるところがあったので記憶に残っているのだが
日本ではいくつかの宗教団体が活動して予言を弭化しているという話を聞く。
予言のひとつに 2011年6月26日 熊本県でM6.8の地震となっている。
最近は彼の予言はほとんど当たっていないらしいので
今年初めまでこの予言が外れることに自信があった。
しかし今はそれなりの対策を打つ必要性を感じている。



20160418 追記

2016年4月16日 1時25分にマグニチュードM7.3で熊本市は震度6
この地震で回送中で時速80km/hで走行していた新幹線が脱線し
熊本駅を1km程度過ぎた坪井川の橋あたりで停止する事故が発生しました。

上記記事中の
『万日山の霊場の崩壊とのセットで危機的状況となっている。
この荒ぶる霊氣が今回貫通した万日山のトンネルを抜け
新幹線に注ぎ込まれてしまったような気がする。』
(これはシンボリック的イメージではあるが)
この脱線の話はまさにこの記事の中身とかぶる警告です。
時速80kmで走っていて急停止したとすると
脱線は熊本駅あたりだろうと考えられます。
もしかしたら万日山トンネルと線路の交差部分かもしれません。

もし立田山断層が動いて
その時に乗客が乗っている新幹線がここを通過して
脱線し橋梁から落下していたら大災害となることは
中国の例を見るまでもなく明らかです。
万日山頂上がこれ以上荒らされることなく聖地として
管理されることを切に願っています。


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物部氏の三輪での祭祀の背景考察 No263

2011-05-16 22:35:50 | 神霊界考察
九州には物部氏の足跡が多く残るが
物部氏はネット上でも十分情報が得られるので
吉田一氣のブログでは記事としてあまり取り上げていなかった。
今回いくつかの経緯があり三輪の祭祀で
物部氏と蘇我氏の和合の祭祀を再度執り行いたいと考えている。
この両氏族は出雲からの因縁で三輪の神霊封印にからむ。

近年になって籠神社の海部氏のリーク等により
物部氏が古代ユダヤの教義や原始キリスト教に繫がるとの
認識を持つ人たちが増えている。
物部氏と秦氏を同属と考えるような説もある。
面白い説として物部の物とは牛にナカレで、
「牛を拝んではならない」というモーセの意見が語源
となるなどという説もあった。
しかしこれなどはスサノヲが龍蛇族に敵対する牡牛族=鬼で
あったことにちなむものであり勿れの語源は四足という事である。
もっとも牡牛族の足跡を辿って古代オリエントに住むヘブライの民は
もともとユダヤ教などと食い下がられれば万教同根で話が変わるが。

筆者が自分の氏神以外の神社に興味を持つようになったのが
秦氏が建てたという伝承がある三柱鳥居がある蚕の社で
糺すべしとの感応があったのが最初だ。
後で知ったのだがここは『元糺の池』と呼ばれているらしい。
それで神霊背景一刀両断というHPを立ち上げて大本を糺すべく
『祭神及び神名乗っ取り研究会』を1998年頃だかに開いた。
ここ蚕の社にはもともと物部氏の祖神が祀られていたのだが
秦氏に乗っ取られている社だ。
しかし物部氏の祭祀よりも古い祭祀があることに気づいた。
霊的背景は複雑怪奇で挫折したまま今に至っている。

物部氏が古代ユダヤの教義や原始キリスト教に繫がるとの話は
たぶん江戸期か明治期に日ユ同祖論が提唱された時に
籠神社の先代宮司が感応しそれが継承されたものと感じている。
霊的感応として籠神社の宮司がそう感じられたとしても不思議は無い。
ただそれが本当に物部氏オリジナルの血筋そのものが
ユダヤに繫がるのかという点が問題である。
全国の式内社の宮司には秦氏と婚姻関係で繫がる賀茂氏の血が流れる。
秦氏がユダヤと繫がることには特に異論は無い。
(秦氏・賀茂氏・八咫烏連合については別途機会があれば述べたい。)

籠神社の海部氏は系図によると先祖を珍彦=椎根津彦=倭宿禰とする見方と
物部氏系とする見方が出来るような作りらしい。
珍彦は海神族の綿津見系で海部氏系図では三世孫倭宿禰となっているようだ。

もともとの籠神社の海部氏が同格と競うのは尾張氏の熱田神宮であろう。
熱田神宮は天叢雲剣を神体としている神社であるが
明治4年に旧社格では官幣大社に列格している。
籠神社は丹後国一宮で旧社格は国幣中社である。

宇摩志麻遅の弟の天香山命の系譜に
海部氏や尾張氏が繫がるというのが一般的な見方である。
従って海部氏が物部系であるというのは問題が無い。
しかし海部氏が物部氏の中の物部氏というのには違和感がある。
所詮は傍系の戯言と取られても仕方が無い。
今回は倭宿禰の系統を持ち出さずに物部氏としての優位性を
言い出してユダヤと繫がるとしたところに無理がある。

確かに秦氏系に古代ユダヤの教義をもたらした一族がいることは認めるが、
石上神宮に伝わる物部系祭神の
フツ=渡来人といわれる物部氏系初代
フツシ=布都斯魂大神=スサノヲ フツの子
フル=布留御魂大神=ニギハヤヒ フツシの子
宇摩志麻治命 ニギハヤヒの子 物部氏の祖
にユダヤや原始キリスト教の流れは感じられない。
石上神宮に伝わる十種神宝も同じである。
籠神社と石上神宮を比べた場合に神霊界の奥行きの違いは明確である。

問題は籠神社の上にある奥宮の真名井神社である。
ここには水の女神が鎮まっておられる。
籠の字で分かるように籠神社は封印するカゴの意である。
カゴメでかこまれているのはこの水の女神である龍である。
この水の女神こそがこの地に鎮まる神霊ということになる。
それゆえか天橋立神社に祀られる悪龍神が文殊菩薩によって改心し
善龍となったという伝承がこの地に伝わる。
また八大龍王神につながる八乙女伝承も残っている。
そしてこの神霊の系統はもともとは縄文神のクナトノ大神及びアラハバキ神に繫がる。

蘇我氏の縄文神祭祀というものは
真名井の水で清めた勾玉を使って行なっているように感じていたが、
この奥宮の真名井神社はまさにその初代蘇我氏系の祭祀に思える。
このような縄文神祭祀に使う勾玉を清める真名井のある神社は
出雲井神社や丹波の出雲大神宮や三輪の狭井神社等である。
初代蘇我氏系とは出雲の稲田宮主須賀之八耳神から続く家系となる。
海部氏は物部氏の中の物部氏というよりも
蘇我氏の中の物部氏あるいは物部氏の中の蘇我氏
ではなかろうかと感じている。
この二氏を神事的に結びつけるのが忌部氏と思われる。
今回の物部氏と蘇我氏の和合の三輪祭祀では
忌部氏由来の麻の葉紋と翡翠勾玉を活用したい。


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貴船姫さまから投稿された写真 No262

2011-05-12 14:19:00 | 神霊界考察
以前記載した『菊池竜門の神龍八大龍王神の系譜の謎 No251』
読まれた貴船姫さまという方からコメントがあり4月29日に淡路島の「伊勢久留麻神社」で
太陽を中心として八つの円が菱形に囲んでいる写真が撮れたという。
その写真を送っていただいたので貴船姫さまの了承を得たので公開したい。

この写真の考察については以下の会話を参照にして欲しい。
A師:「これが送られてきた写真か。なるほど確かに菱形8個のレンズフレアが映っているな。」
B郎:「このカメラがfujifilmのFinePixJ30シリーズですから
レンズ構成が吉田一氣のfujifilmのFinePixF200EXRと似ているのでしょうね。」
C子:「写真のオーブの氣が女性的で柔らかいですね。
それにこの写真には太陽の輝線も映っていませんね。」
B郎:「絞り値が少ないので絞り羽根によるハレーションの六角と太陽の六本の輝線が
消えたみたいですね。」
C子:「この写真も八大龍王神のメッセージなのでしょうか?」
A師:「さあ、そこは何とも言えないが、この写真が吉田一氣宛に届いたことには意味がある。」
B郎:「でもこの写真には主題がありませんよね。何を撮ろうとしたのでしょうかね。」
C子:「この伊勢久留麻神社って西のお伊勢さんですからお日様を主題にしてもいいんじゃない。」
A師:「確かにこの写真は主題が薄い分メッセージも薄いが、意味は感じられる気がする。
吉田一氣の写真のように八と六の和合の意味を表現したりしてはいない。
日月星のイメージも無い。その代わり鬼瓦とオーブの合体と右三つ巴紋が気になる。」
B郎:「送り主の貴船姫から検索すると貴船神社は水を表わす紋として巴紋を併用しているそうです。」
C子:「ということは『宮崎の祇園神社 No255』で出てくる京都鞍馬山の貴船神社奥宮に祀られる
謎の冠八面大明神と繫がるの?」
A師:「さあ貴船神社の御神霊とこの写真が持つメッセージとの関係は撮影者にしかわからんじゃろな。」
B郎:「ところで鬼瓦はどう結び付けられるのでしょうか?」
A師:「淡路の伊勢久留麻神社はNHK『知られざる古代~謎の北緯三四度三二分を行く』で
紹介された神社だ。西のお伊勢さんとも呼ばれるという古社だ。
三輪山、室生寺、長谷寺、石上神社などとともに『太陽の道』とされる北緯34度32分上とある。
しかし実際に線を引いてみると伊勢久留麻神社の2kmくらい北側に『太陽の道』はあることがわかる。
この線上では淡路島山中に二社の石上神社があって、
伊勢久留麻神社の2km北には2社の大歳神社がある。
これらは物部系の神社だ。物部氏は鬼部氏とも呼ばれる。
大歳は天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊の幼名だ。
つまりこの『太陽の道』が写真に写る太陽と鬼瓦が指し示すように
物部氏の道であることを示しているといえよう。」
B郎:「この鬼瓦がオーブと重なることが物部氏の神霊のなせるものであるということですか。」
A師:「しかり。今年は三輪の神業に出向いていないがこの『太陽の道』を次回の三輪神業の
祈願の主題にせよということを『大いなる物部の主』は伝えておるのじゃろう。
それから羽根で思い出したがこの『太陽の道』上の斎宮跡のそばに竹神社がある。
祭神は長白羽神で、岩戸開きで麻を育てて青和幣を織った神じゃ。
次回の三輪山の和合の祭祀には麻の弊が必要ということを言ってきておる。」


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不思議な一致 No261

2011-05-08 22:37:25 | 神霊界考察
前回記載した『日本的六芒星の麻マーク No258』 で参照した図形は
麻の葉紋は手ぬぐいの写真でその下の立体図はgoogle画像検索で
「六芒星 立体」で検索して出てきた『五芒星立体図』
『2011年03月13日の記事』から勝手に引いてきた図だった。
図形検索で引いたのでこの時には内容については知らなかったのだが、
その後このブログ作者の記事を読んでみて驚かされた。
『真理探求と歴史探訪』の作者は、ニックネームが「たまのを」様となっているが
身体と魂を結ぶという玉の緒は
石上神宮の秘伝では勾玉に染色されていない無垢の麻を紐として結んでいる。
麻というヒントから興味を持ってさらに検索してみるとなんと筆者が記載したばかりの
東寺の八雲図についての記事や
この立体図が「フラワー・オブ・ライフ」の原型 という記事が2005年07月07日に出ていた。
この「フラワー・オブ・ライフ」という図形についての知識は全く無かったのだが
google図形検索で確認してみると過去に見たことがある図であった。
日本的六芒星が人類の潜在的ネットワークシステムなら
この「フラワー・オブ・ライフ」は人体のフィールドエネルギーの潜在的繫がりを表わしていて
表裏の関係にあるように感じる。
『フラワー・オブ・ライフ』

なんとなく人の褌で相撲を取っている様な気持ちと
陳腐化した話題をしているような気持ちになってしまった。

このブログ作成者のたまのを様の2011年05月08日の記事は「八大・・・・・」 となっている。
筆者としてはオリジナルな記事である『八大龍王神の根源 追記 No171』を捧げたい。
また精神性と表裏を為す図形については『菊池竜門の神龍八大龍王神の系譜の謎 No251』
読んでいただきたいと思う。
ついでに北極星と南極星の陰陽の関係は八代の妙見宮と鎮宅霊符神社に残る。
もっとも南十字星ではなく南極星カノープスであるが、南極星と南十字星は繋がりがある。
『八代妙見祭での玄武神、霊符神、龍王神考察』
福禄寿は合併三神 No038

この吉田一氣からの神霊的メッセージはたぶん届くであろうと感じている。


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七の封印について 空海の東寺 No260

2011-05-07 13:35:43 | 神霊界考察
前回より七の封印について論じてきているが
『七の封印について フレンチ・ブルーダイヤモンドの封印 No236』 
『ナーガの七頭から八頭への変遷への疑問 No254』

数字の7には特別な力があると考えられてきているのは間違いない。
キリスト教的には悪魔を封印する力というような意味合いでいいのかもしれない。
ヨハネの黙示録では七つの教会へのメッセージと七つの封印の開封と
七人の天使と七つのラッパと七つの鉢による七つの災いと七つの至福が描かれている。
日本でも北斗七星の陣形に封印の力を感じ北の守護の毘沙門天や
三面大黒天の封印の秘術が為されている。
しかしこの封印は使い方次第で増強の効果と減衰の効果をもたらす二面性を持つように感じられる。

星空の北極星と北斗七星との関係でも北極星の位置は北斗七星から割り出すことをしている。
北斗七星が北極星を護るように北極星の周りを周回している。
そして北極星自身はこぐま座という小柄杓グループに属している。
北斗七星の大柄杓に対して小柄杓という入れ子構造がここにもある。
北斗七星は輔星(アルコル)が描かれれば北斗八星となる。
北極星の力を増強するのか弱めるのか
その北極星において七の力を強めるのかあるいは八の力を強めるのか等
封印技法にはいろんな展開がある。

筆者は三輪山に毎年赴いて経験を積み重ねているが
この三輪山は出雲の神霊と繋がることは周知の事実であり
出雲縄文由来の狭井大神と出雲神の『大巳貴神』
新しい神である日向神である天照神と少彦名神などが祀られているが、
出雲神と協力関係にある少彦名神が後年に厄神封印のために
祭祀されているという複雑な構造にある。
その上に空海が三面大黒の封印をなしている。
大國主命を神名乗っ取り封印法によりの大黒(マハカーラ)で封印している。
この神法により大國主命は大黒さまと混交したと思える。
ところが最澄はこの三輪の三輪明神を三輪の真北に設けられた日吉大社に勧請している。
これは理解に苦しむところであるが
日吉大社には素戔嗚尊と繋がる牛尾宮の八王子山があるが
山王七社権現や山王祭りでの七本柳からの出発や七基の山王神輿等で七の数字に彩られている。
ちなみに神戸山王まつりでも大神輿七基に小神輿七基なのでこの七は故意のようである。
ここで封印されているのは牛尾神である素戔嗚尊と八王子神である。
『熊本霊ラインと�壓がる日吉大社の謎』
最澄というよりも天武天皇が素戔嗚尊に繋がる朝鮮系という話に従い
天智天皇が素戔嗚尊を封印したと考える方が素直かもしれない。

空海が出雲のあるものを封印したのは京都の東寺でも感じられる。
東寺は教王護国寺と呼ばれ平安遷都後の鎮守を担っている。
この遷都も天武系からの切り離しの意味合いや出雲からの呪を避ける
意味合いががある可能性がある。
これは当時の蝦夷アテルイ征伐と出雲の関係をもう少し学んでから再度報告したい。
ただ東寺の寺紋である八雲東寺紋は中心の雲を七つの雲で封印している。
さきほど述べた北極星とその周りを巡る北斗七星を思い出していただきたい。
周囲の雲の配置が七なのか八なのかで意味合いは全く変わることになる。
これは三輪山での封印を思い起こさせる図形となっている。
ただ七角形はルーローの定幅図形足りえるのでイギリスのコインにもそういうデザインがある。
イギリス50ペンス
なんでもかんでも封印に結びつけるのは愚であろう。

ちなみに七の封印をしない北斗七星図というものは
『加藤清正公と鎮宅靈符神 No039』に記載している。
この図を見ていただければ分かるように北極星を除いても北斗八星図となる。
これはキトラ古墳等で知っている人も多いとは思うが輔星(アルコル)を含めて北斗八星図となっている。
ミザールと輔星アルコル


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佐藤愛子女史の著書の『私の遺言』の紹介 No259

2011-05-07 10:15:43 | 神霊界考察
最近パワースポットブームでイヤシロチや神社等に出向く人が増えている。
観光でそういうところに遊びがてら出向いてくるのは楽しいものだ。
熊本でも阿蘇山上や押戸石や弊立神宮や国造神社などが雑誌などで紹介されている。
こういう場所は古代からの歴史を持つ場所でもある場合が多い。
観光で出向く分にはかまわないが
一歩踏み込んで太古の古代霊などに祈りや祭祀等で接触するのは
十分な知識と経験を持ってからにしていただきたい。
難しいことは分からないけどそこがいい氣かどうかは分かると
いうような発言をするヒーラーさんとかスピリチュアルカウンセラーさんも
もう少し歴史とか神霊界の奥深さを学んでから神業に励んでいただきたい。
神主巫女が常駐する神社ではほとんど問題ないと思えるが
そうでないところも多々ある。

今回紹介する佐藤愛子女史の著書の『私の遺言』はそういう知識を学べる良書である。
嫁の行きつけのマッサージ店のオーナーが私にと言って嫁に渡してくれたのが最初だ。
オーナーは私のHPとブログの読者とのことで、その縁でこの本が舞い込んできた。
どうもこの文庫本は渡り歩くようでその方も母から戴いたものらしい。
読後に私の手元からも離れていった。
内容は、作者の佐藤愛子女史は北海道のある場所に行った際に
どうしてもそこに住みたくなり
電気も無い場所に電柱を立ててまでしてそこに別荘を建てることになる。
ところがそこはアイヌのある一族の聖地で
それからというもの不思議な心霊現象に悩まされることになる。
さらにその心霊現象は東京の自宅でも起こることになる。
佐藤愛子女史は彼女曰く放蕩な佐藤紅緑の娘であり
これまた放蕩な詩人サトウハチローを異母兄に持つ。
それだけに顔が広く霊能者の宜保愛子さんや美輪明宏さんや江原啓之さん等
たくさんの方に相談しいろんなアドバイスをされた話が出てくる。
密教の御札を戴いて封印したこともあるらしい。
しかしどれも一時しのぎで根本的な解決には至らない。
ありとあらゆる処にお願いして最後に出てきた真打が相曾誠治師である。
彼が封印解除とアイヌの霊の昇華の道をつくり
佐藤愛子女史の研鑽により事態は解決する。
佐藤愛子女史はアイヌの歴史を紹介するところから始まり
最後には佐藤家一族の因縁の昇華の道を知る。
それが一族の暴露懺悔本ともいえる「血脈」という著作である。
土地の因縁というものがそう簡単には浄化や昇華できないということが分かる。





今回は記事を書き終わって投稿しようとしたら
データーが消えてしまって再び振り出しに戻ってしまった。
このブログ作成ではこの現象が良く起こるのだが
今回は途中保存していなかったのでショックが大きい。


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日本的六芒星の麻マーク No258

2011-05-01 22:15:04 | 神霊界考察
前回の記事である『麻の六芒星の復活』 は
今までの自分の神業の総括的な記事でもあったが
もう少し考察を深める必要性を感じている。
まず麻の六芒星などと簡易な考えで記載したが
これは単体的六芒星ではなくてネットワークである。
そのことをその日のアクセス数の666で感じ取った。
6ではなくて無限に続く66666・・・・ということである。
また訪問者数の184という数字は吉田一氣のアクセスコード番号にしている数字。
非常に意味深い。
本日ブロ友のうらら様にコメントをいただいて
うらら様のブログを見させていただいたら
『666★六道・六波羅蜜・六角堂』 という記事であった。
666のネットワークが機能していることの証しだと思われる。

この日本的六芒星は誰が考えたか知らないがとにかくすごい。

もちろん六芒星もドットの4つを結んでいくと現われるが
この日本的六芒星は立体的に脳裏に映る。
どうにかすると球形になるのだろう。
課題では有るがその形こそ本当の姿に近いと思える。

一時間ネットのを中彷徨い歩いてイメージに近い立体図を見つけた。

この立体構造が成り立つとしてこの立体の交点は6本だが、
これを12本にすれば日本的六芒星麻マークの完成となる。


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