昔、奈良の興福寺の南大門に「月輪山」という山号の額を掲げていた。
ところがしばしば魔障が起こり、風も無いのに樹木が倒伏し、
水が突然噴出して大穴を開け石垣を崩壊させた。
山内大いに困惑していると、ある僧の霊夢に
「月の字は水に縁ある為なり」とお告げがあり、
困り果てて額を取り下げると、不思議にその後水害が無くなり事なきを得たという。
額を埋めた所が高さ2mの茶臼山の「額塚」で
以後の法相宗大本山「興福寺」では山号を用いていない。
つまり藤原氏の氏寺である興福寺には
月にまつわることで水の祟りがあるということになる。
『茶臼山の額塚』
これは今は藤原氏の氏神となる奈良春日大社のある三笠山の月を
もともと奉祭していた蘇我氏から奪ったからであろう。
『三輪山と三笠山と物部氏と蘇我氏と藤原氏と No153』
ところで興福寺には「厨子入り木造弥勒菩薩半跏像」や北円堂の本尊の「木造弥勒如来坐像」
興福寺旧蔵(ボストン美術館蔵)の弥勒菩薩立像等 弥勒像が祭られておりミロク信仰が残る。
ミロクといえば数字でいえば369か666であるが
なぜか興福寺の横を国道369号線が通っている。
この369号線の興福寺そばで道路が陥没するというニュースが5/25にあった。
塔頭 ( たっちゅう ) の一乗院の井戸の跡ではないかということだ。


封印された月にまつわる水の封印開封を感じる。
具体的にはこれが表わすものは瓢箪である。
実は筆者が拝読しているうららさまの『天の真名井の水と波せき地蔵さん』の記事に
眞名井神社=匏宮大神宮=瓢箪神社についてのコメントを載せた時から
封印された月にまつわる水の開封=瓢の蓋が開いたことを感じていて
その後にこのニュースを知ったのだ。
久隈守景作の『夕顔棚納涼図屏風』にみる瓢箪開運 No238でも記載したが
「この絵で丸々とした瓢箪がいくつも実り月と共に
家族を静かに守る様に安心感があることに気付いた。
よくよく考えるとこれこそが瓢箪の開運力の表われといってもいい。
瓢箪の開運力の源泉は水と月にあるようである。」と書いている。
そして封印された月にまつわる水の開封=瓢の蓋が開いたということは
瓢箪で鯰を得るということに繫がる。
しかしながら喜んではいられない。
うららさまへのコメント通りである。
以下参照
『この匏の読みは[字音]ホウ(ハウ)
[字訓]ひさご・ふくべ だそうです。
この匏は瓜ではなくて瓢箪じゃないときっと駄目です。
匏は水の女神と月と少彦名神がキーワードでしょうね。
ところでここは前記記事の通りに文殊菩薩もキーワードなのです。
若狭湾に面する天橋立南側にある天橋山智恩寺には行かれましたか?
高速増殖炉もんじゅの顛末の和合にはこの2社の参拝祈願が必要でしょう。
とにかく文殊菩薩の功徳が無くなるとしばらく竜神様は暴れるでしょうね。』
この通り竜神さまが暴れる可能性が高いと考えられる。
さて文中に弥勒・文殊と二つの仏が現われたが
コメントにも虹色巫女さまより3が暗示されたが
でやはりあと一柱必要なのだろう。
だとすればたぶん弥勒・文殊・普賢ということになろう。
さてこれが何を意味するのか?
天橋立の悪竜は文殊菩薩の功徳により改心するが
この三柱の仏の中で童子形で出現するのが
文殊菩薩であり文殊菩薩の眷属が八大童子であり
これは匏宮大神宮の眞名井龍神が
八大龍王神となって文殊菩薩に従っていることと繫がる。
文殊とは原子力発電に関して「もんじゅ」の事故に対して
我々に求められているものが智慧ということで納得できる。
弥勒・文殊・普賢から導き出せる道を記載しようとしていたが
集中力が途切れて途中で答えを見失ってしまった。
それで仮の案とさせていただきたい。
後日以下の記事は答えを見つけ出し次第に書き換える予定だ。
普賢は「ふげん」だとすると
プルトニューム炉の廃炉は解体完了が35年も掛り
「普く賢い者」からかけ離れているのであろう。
またこの「ふげん」と同時期に着工した茨城県大洗の「常陽」は
中央構造線上にあり危険極まりない場所にあるが
2007年6月11日以降運転停止中である。
「もんじゅ」の事故を経験して我々の智慧は
どういう解をもたらすのであろうか?
弥勒が示す安寧の道が何かは自ずから見えてこよう。
その答えは『夕顔棚納涼図屏風』にみる瓢箪開運にある。
まずしくとも家族が揃い瓢箪と月に護られて涼む様にこそ
人としての幸せが存在する。
応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。


ところがしばしば魔障が起こり、風も無いのに樹木が倒伏し、
水が突然噴出して大穴を開け石垣を崩壊させた。
山内大いに困惑していると、ある僧の霊夢に
「月の字は水に縁ある為なり」とお告げがあり、
困り果てて額を取り下げると、不思議にその後水害が無くなり事なきを得たという。
額を埋めた所が高さ2mの茶臼山の「額塚」で
以後の法相宗大本山「興福寺」では山号を用いていない。
つまり藤原氏の氏寺である興福寺には
月にまつわることで水の祟りがあるということになる。

これは今は藤原氏の氏神となる奈良春日大社のある三笠山の月を
もともと奉祭していた蘇我氏から奪ったからであろう。
『三輪山と三笠山と物部氏と蘇我氏と藤原氏と No153』
ところで興福寺には「厨子入り木造弥勒菩薩半跏像」や北円堂の本尊の「木造弥勒如来坐像」
興福寺旧蔵(ボストン美術館蔵)の弥勒菩薩立像等 弥勒像が祭られておりミロク信仰が残る。
ミロクといえば数字でいえば369か666であるが
なぜか興福寺の横を国道369号線が通っている。
この369号線の興福寺そばで道路が陥没するというニュースが5/25にあった。
塔頭 ( たっちゅう ) の一乗院の井戸の跡ではないかということだ。


封印された月にまつわる水の封印開封を感じる。
具体的にはこれが表わすものは瓢箪である。
実は筆者が拝読しているうららさまの『天の真名井の水と波せき地蔵さん』の記事に
眞名井神社=匏宮大神宮=瓢箪神社についてのコメントを載せた時から
封印された月にまつわる水の開封=瓢の蓋が開いたことを感じていて
その後にこのニュースを知ったのだ。
久隈守景作の『夕顔棚納涼図屏風』にみる瓢箪開運 No238でも記載したが
「この絵で丸々とした瓢箪がいくつも実り月と共に
家族を静かに守る様に安心感があることに気付いた。
よくよく考えるとこれこそが瓢箪の開運力の表われといってもいい。
瓢箪の開運力の源泉は水と月にあるようである。」と書いている。
そして封印された月にまつわる水の開封=瓢の蓋が開いたということは
瓢箪で鯰を得るということに繫がる。
しかしながら喜んではいられない。
うららさまへのコメント通りである。
以下参照
『この匏の読みは[字音]ホウ(ハウ)
[字訓]ひさご・ふくべ だそうです。
この匏は瓜ではなくて瓢箪じゃないときっと駄目です。
匏は水の女神と月と少彦名神がキーワードでしょうね。
ところでここは前記記事の通りに文殊菩薩もキーワードなのです。
若狭湾に面する天橋立南側にある天橋山智恩寺には行かれましたか?
高速増殖炉もんじゅの顛末の和合にはこの2社の参拝祈願が必要でしょう。
とにかく文殊菩薩の功徳が無くなるとしばらく竜神様は暴れるでしょうね。』
この通り竜神さまが暴れる可能性が高いと考えられる。
さて文中に弥勒・文殊と二つの仏が現われたが
コメントにも虹色巫女さまより3が暗示されたが
でやはりあと一柱必要なのだろう。
だとすればたぶん弥勒・文殊・普賢ということになろう。
さてこれが何を意味するのか?
天橋立の悪竜は文殊菩薩の功徳により改心するが
この三柱の仏の中で童子形で出現するのが
文殊菩薩であり文殊菩薩の眷属が八大童子であり
これは匏宮大神宮の眞名井龍神が
八大龍王神となって文殊菩薩に従っていることと繫がる。
文殊とは原子力発電に関して「もんじゅ」の事故に対して
我々に求められているものが智慧ということで納得できる。
弥勒・文殊・普賢から導き出せる道を記載しようとしていたが
集中力が途切れて途中で答えを見失ってしまった。
それで仮の案とさせていただきたい。
後日以下の記事は答えを見つけ出し次第に書き換える予定だ。
普賢は「ふげん」だとすると
プルトニューム炉の廃炉は解体完了が35年も掛り
「普く賢い者」からかけ離れているのであろう。
またこの「ふげん」と同時期に着工した茨城県大洗の「常陽」は
中央構造線上にあり危険極まりない場所にあるが
2007年6月11日以降運転停止中である。
「もんじゅ」の事故を経験して我々の智慧は
どういう解をもたらすのであろうか?
弥勒が示す安寧の道が何かは自ずから見えてこよう。
その答えは『夕顔棚納涼図屏風』にみる瓢箪開運にある。
まずしくとも家族が揃い瓢箪と月に護られて涼む様にこそ
人としての幸せが存在する。
応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。

