吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

記事No252までの記事一覧の読み方

2011-04-18 02:43:24 | 日記
今回左上に文字サイズ切り替えの項目欄を作りましたので
読みにくい方は文字サイズを大きくして読まれてください。

それから古い記事を読まれる方のためにNo001からの一覧リストを
作っておきますので活用されてください。
『No001~No012まで』
『No013~No028まで』
以下アドレスのhttp://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/15
の最後の数字をを14、13,12と変更されて読んでください。
よろしくお願いします。

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菊池竜門の神龍八大龍王神の系譜の謎 No251

2011-04-14 21:23:30 | 日記
このところ熊本霊ラインと八代に関わる八大龍王神についての
記事を続けて書いていたが、
菊池から西原までを支配する龍神についても記載したい。
まず竜門ダムの偉大なる龍王については来歴が謎だ。
もともと菊池の竜門の神龍八大龍王神と西原の龍神は別だと考えていた。
西原はお池さんと呼ばれる揺ヶ池に八大龍王神は祀られている。
ここは縄文時代の石器も見つかっているので
高千穂の龍神と同じく縄文龍神であることは間違いない。

以前、西原の方向に強烈な虹が現れたことがあったので
車を停めて写真を撮影した。

背後に神霊の御神氣を強く感じたのでそちらも撮影したのだが
不思議なフレアが写り込んだ。

たぶん光学的に説明できるものだろうとは思うが
数枚撮った中で一枚だけに現われているしその後同じようなフレアは撮れていない。
太陽を中心として八つの円が菱形に囲んでいる。
太陽の輝線は六方なのになぜか円は八方向となっている。
「あー西原の八大龍王神が遊び心で足跡をつけてくださったのかな」と思った。

その後自宅でパソコンの画面に映し出したときに
これは神紋であると悟った。
ところがこの神紋の系譜がその時には分からなかった。

その後菊池の神龍八大龍王神社に参拝したときにはたと気づいた。

ここの紋が写真の通り酷似していることが分かった。
上限の月の周りを八つの星が横菱形に囲んでいる。


自分が撮影した写真を横にすると似ているのだが
私の場合は太陽であり月では無い。
しかしもともと八大龍王神と繫がるのは日月星の三光だと思っている。
そう考えて自分なりにイメージ出来た八大龍王神三光紋は以下のようになった。

いずれにせよ西原の龍神は菊池に祭祀されている龍神とは同体であると考えられる。
そのことを伝えたかったのであろう。


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万日山の環状列石 No250

2011-04-13 23:35:44 | 日記
万日山は花岡山と地形的には繫がった峰であるが
熊本霊ラインで最も大切な聖地と考えている。

山頂部分は京王電鉄㈱の管理地となっている。
なぜ熊本の万日山の山頂が京王電鉄なのかは謎だ。
この山頂には環状列石がある。※正確にはあったということになるが。
万日山の山頂は独鈷山と並んで重要なパワースポットである。
金峰山の拝ヶ石と同じ時代のものと考えている。
最初ここに来た時にものすごく強い感応を受けたことを昨日のように思い出す。

清正はこの地を荒らすことを恐れたのか、
ここから熊本城用の石材を持ち出すことを止めている。
伝承では花岡山の清藤稲荷の八枚岩を運び出そうとしたところ
清正の夢枕にここに住む狐が出てきて
ここの石材は良くないから石神山から採石しろと伝えられたという。
この狐は清正を守護する兄弟狐で兄は清藤大名神として花岡山に祀られ、
弟は緋依大名神として熊本城稲荷に現在も祀られている。
しかし実際のところ清正はこの霊ラインの役割をこの万日山で感応して理解し
山頂からの採石を中止したと同時に
熊本霊ラインとして熊本城から京への守りの結界として活用したと考えている。
それまではこの霊ラインは夏至のラインだったものを
京都に向かうように造り替えたのも清正公である。

さて万日山の環状列石ストーンサークルであるが
前記のように立ち入り禁止となっているが、今回八大龍王神の警告により
こっそり様子をうかがいに出向いた。
現在の無残な姿 クリックすると拡大します
警告どおり環状列石の中心部分の石はかき集められまとめられていた。
ここまで車で行ける様な道は無いにもかかわらず
なぜ山頂のこの環状列石だけ破壊されているのかは不明だ。

熊本霊ラインの崩壊はひどい波動の乱れとなる。
寛恕と和の精神で勧請された八大龍王神とされる神龍も
ひとたび怒ると恐ろしい破壊力を持つ。

万日山には熊本市水道局の貯水場がある。

怒りの波動が水を通して市民に伝わることが無いように鎮めることが課題となった。

せっかく万日山の中腹に万日山千本桜の公園を作っても
そんなことでこの波動の乱れは収まるまい。

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熊本市の花岡山の仏舎利塔 No249

2011-04-11 01:26:35 | 日記
熊本霊ライン上の花岡山には仏舎利塔がある。
もともと花岡山は祇園山と呼ばれこの仏舎利塔がある山頂には
京都の八坂神社から勧請した北岡神社があったそうである。
現在北岡神社は熊本駅側の麓に移動している。

この仏舎利塔は阿蘇の宮地町の坂梨(今は阿蘇市坂梨)生まれの
藤井日達という方が1954年(昭和29年)に建立したということだ。
それでこの花岡山には日本山妙法寺という寺も同時に建立され
毎日夕方に祈願の太鼓がたたかれている。
表題の写真は先週、谷尾崎の日吉神社に参拝中に
ちょうど太鼓の音が響いてきたので撮った写真だ。
白い塔の上に金色の宝珠が仏舎利塔で右の鳥居は清藤稲荷の鳥居で
戸坂稲荷大鳥居と呼ばれている。

この日本山妙法寺の太鼓の祈りは世界平和を祈願しているらしい。
熊本霊ラインの活性化に役立っていると感じている。

ところで熊本霊ライン上には日吉神社等いくつもの神社仏閣がある。
その来歴等は『日吉神社調査記』を見ていただきたい。
独鈷山や万日山の麓に日吉神社は複数あるが、
それはここに天台宗の池辺寺が以前あり、
滋賀の天台宗比叡山と日吉大社とが繋がるからだと思われる。
そして独鈷山には古くより日吉神社と八王社があったのだが
現在は独鈷山の日吉神社は池上に移設された経緯がある。
現在の熊本霊ラインの延長線は滋賀の天台宗比叡山を通過している。
また独鈷山八王社は八大龍王神がもともと祭祀されていたと考えている。
従ってこの熊本霊ラインは御坊山の阿蘇神社に始まって高橋稲荷神社清藤稲荷神社 聖徳太子堂 
八王社 日吉神社 肥州高野山 大宝山来迎院阿弥陀寺 日本山妙法寺 等々
いろんな宗教といろんな神霊がからんでいる。
筆者はもともと道君首名公が少彦名神・大國主命を祭祀する天社宮での感応より導かれて
この熊本霊ラインの祭祀に関与することになったので天社宮を中心として祈願しているが
最初のころは日吉大社との縁を強く感じた。
ところが現在霊ライン上において一番強く感じるのは八大龍王神の神威である。
さてこの八大龍王神の実態はいくつもの龍神神霊の習合と考える方が判り易い。

もともとこの独鈷山と麓の池辺寺に悪龍伝説が存在するが
加藤清正公が熊本霊ラインを再構築するに当たって
龍神を祭祀したという伝承はなかなか見つけだせないでいる。
詳細は『加藤清正公と八大龍王神考察』を参照していただきたいが
清正公の側室である本覚院の御廟がある六角堂観音では
八大龍王神は法喜大妙神として祀られている。
今回花岡山の仏舎利塔に参詣しようとして
今まで見落としていた石碑を発見した。

よく見ると右側に驚くべきことが記載されていた。
最近、彫った文字に新しく金彩が施されたので判ったのだが
昭和41年に熊本城内から八大龍王神をこの花岡山に勧請したと記載されている。
熊本城内に八大龍王神が祭祀されている話も初めて聞くが
藤井日達という方がわざわざ花岡山に八大龍王神を勧請したのも驚きだ。
どういう経緯があったのかは知らないが
藤井師の熊本霊ライン感応から始まった神霊界経綸によるもののようにも受け取れる。
考えてみると八大龍王神の神籬として仏舎利塔は最適かもしれない。
空海は天長四年(827)の神泉苑の祈雨においてその池に「仏舎利」を納め、
それを神籬として八大龍王神を呼んでいる。
密教において仏舎利は「摩尼宝珠」あるいは「如意宝珠」としての役割を持っている
八大龍王神を降臨させる神籬としては最適である。


さて熊本霊ラインの守護をしている八大龍王神から警告を受けたが
この警告に関しては次章で伝えたい。


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鎮国寺 護摩堂の龍石 No248

2011-04-08 15:16:29 | 日記
福岡の宗像大社神宮寺の弘法大師空海創建の鎮国寺には何度も足を運んでいるのだが
今回初めて護摩堂に龍石なるものが陳列されているのに気づいた。
『撫でてから願掛け』
それでべたべたと触って写真を撮った。
誰かが筆で書いて焼付けしたものかと思っていた。
その時はそれ以降この石のことを忘れていたが
3月25日に熊本市の健軍神社に震災復興祈願に出向いた時に
鎮国寺の神龍が現れ出た。
啓示を受けたのだが、その時に空に龍石の龍の絵と似た雲が現れた。
たぶん私のブログネタとしてのサービス演出だろうと思う。

見とれているうちに奥の方に流されていき
龍の口と角がつぶれてきてなんだか龍に締りがなくなってはきたが、
最初は胴体のうねりかたが龍石そっくりだった。

帰ってから鎮国寺の写真を調べてみた。
あの龍石はどうも自然に出来た模様ではないかと思う。
もともと龍王の神籬としての役割を果たすようだ。
従って見世物や人が手で触っていいものではない。
しかし珍しいものなので鎮国寺に行かれた方は是非拝観してもらいたい。

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自動車のナンバー88の警告 No247

2011-04-06 14:07:07 | 日記
昨日 ブログ執筆中お昼に外に出たが
15分程度の運転中に88のナンバー2回と123のナンバーを1回見た。
私の場合123は神霊からの警告やメッセージなのだが
888は八大龍王神からの警告メッセージとして受け取っている。
さてこれがどういうメッセージなのかというと
『地震災害復興祈願 志賀海神社にて』のコメントで記載したことをきちんと伝えよということだった。
コメントを読んでいただけるとそれで済むのだが
地元の産土神をきちんと祭祀して欲しいということが趣旨となっている。
もちろん防災は大切でありそれを否定してはいません。
ただ災害にいくら備えてもそれ以上のものが襲うことがあることが今回のことで分かったと思います。
結局のところ原子力爆弾や水爆を使った国際テロには対抗できません。
国防と防災祈願は地元の鎮守様のネットワークで護らねば防げないということです。
宜しければこれを読まれた方は鎮守様への防災祈願を宜しくお願いします。

ちなみに今回の地震では88のメッセージが複数現われています。
『東日本大震災 M8.8世界最大級』
『88ヶ国からの救援』
『加入電話の不通拡大=88万回線』
『児童88人を救った運命の避難階段』
『エレベーター88台で救出完了』
『地震発生時に停止した新幹線は全部で88本』



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被災者の意思と気力と日本人の震災復興の決意は輝いている No246

2011-04-04 22:32:30 | 日記
天災を呪って天に唾しても自分にふりかかるだけだが
復興の強い意思と震災復興の気力が
天界・神霊界にも日本人の倫理的意思として刻みこまれると思っている。
これはとても重要なことであり、これが人類の進む方向を大きく変える
きっかけとなるような気がする。

人類は宗教や信仰を超えて人類の最終意思としての倫理を
天界・神霊界に刻み込むという最終目標をまだ全く成し遂げていない。
地球世界は科学の進歩により情報上や移動時間として小さくなり
その中で生き続けるための制約をどう受け止めどう解決するかが試されている。
例えば人類の生活形態においては、
貧富の差が個人の能力とは別に相続で継承されている。
これは最終的に使う側と使われる側という2極化を生み出し固定されていくように見えるが、
それが思索する人類の最終意思としての倫理であろうか?
狭い地球で人口は60億を超えて無数に増えていくことは不可能であるが
誰がどうやって世界人口をコントロールするのか?
文明は衝突するが、その解決に倫理力は働くか?
イスラム教とキリスト教は十字軍時代より常に衝突しているが
宗教は和して交じり合うことが出来ないものなのか?
つまり生命が持つ本能はものごとの決定において遺伝的な答えをもたらすが
人類はその本能を超えた進化を成し遂げられるかが問われている。
上記のことは人類が倫理的に解決すべき問題であり
それを逃れて運命の流れや場当たり的に解決することを許されていない。
この答えの先にも環境コントロールやエネルギーコントロール 資源コントロールという
有限資源の分配方法を技術力と倫理的思考を調和させながら解決できるかという課題と
開発と自然との調和という課題が残されている。

そういう無数の困難を人類は解決して
天界・神霊界にその倫理を刻み込むということが人類の最終的目標といえる。

人類は信仰に始まり道徳と倫理を学んできたが
それが人類の困難を解決することが出来れば
最終真理として天界・神霊界に刻み込まれ全宇宙に鳴り響くことになる。
それが我々と別の生命の新しい進化形態となる。
人類はここ数千年間その過程にある。
同時に歴史を学びやり方を修正し別の道を歩んでゆくことが出来るかが問われている。
最近よくアセンションということが喧伝されるが
厳密にいうと神霊界から読み取られた話ではない。

人類の発展や人類が生きる目的は伏せられてあくまで人類の意思で
人類が到達した最終倫理が非常によく完成されたものであれば、
どこかの次元の生命遺伝の新デザインとして加えられることになろう。
これはその達成が波動として広がり共鳴する生命の核となるものが
その倫理を内部に取り込むのであるが
このシステムはアカシックレコードと呼ばれている。
我々が成功すればそれを織り込んだものとして次のどこかのパラレルな宇宙の生命は
進化していくのでより苦痛の少ない経路となる。
あるいはそれが我々人類の過去に持ち込まれ我々人類そのものの過去の歴史が
塗り替えられる神業を見ることが出来るのかもしれない。

この地球の現在の次元では、
人類数万年の苦痛の負のエネルギーが神霊界の(たぶん闇の部分の)
発展エネルギーとして使われてきた。
強いものが力で勝ち取ると弱いものは苦痛と恨みの念を発するが
このとんでもないエネルギーはある神霊界を作り上げている。

アセンションでは肉体を脱ぐようなことが喧伝されているが、
アストラル霊は逆に人類が倫理という答えを導き出せれば
それを遺伝子に組み込んで新生命を誕生することになるので
そこに肉を持った存在として生まれかわろうとしている。

もちろん過去には人類として生まれ出て指導した霊もいるのだが
その困難で苦痛が伴う生まれ変わりはリスクが高く
継続的なシステムとして確立しなかったようである。
肉を持つ喜びは欲しいが人類としてのいらぬ苦痛と苦悩を恐れているのである。
その苦痛と苦悩を取り払った世界になら肉を持って降臨したいと願っているようである。

アダムとイブは知恵の実を食べたが故に今の人類文化が生成されたとされるが
知恵の無い状態での楽園生活がアストラル霊の希望という訳ではないらしい。
高度な統制された倫理観を欲している。
肉の無い状態では欲求が薄いために倫理観の構築も容易いが
リアルな我々の(喜怒哀楽と拷問や病気による痛みのある)世界で
アストラル世界と同じ倫理は通用しない。
アストラル霊の時間軸は我々の世界のような構成ではなく
我々が言う時間の方向が同じように流れていないので
その次元にとって無限に続く苦痛を受け入れることは出来ないようにみえる。
それ故に人類として生まれ出たアストラル霊が強力に人類を
指導していくということはまれである。

アセンションは人類が答えを誤った場合の
彼らにとってのコンティンジェンシープランであったようだ。
しかしながら人類が到達する最終倫理に干渉しようとする存在がある。
それが善意なのかどうかは分からない。
準備しろというが何を準備するのか理解できない。
個人レベルの達成度であれば太古のある時代の方がはるかにレベルが高い。
いずれにせよ一般的輪廻(地球上での輪廻)の途上にある人類類魂種にとっては
アセンションなどというものはあまり意味を成さない。
地球に大隕石がぶつかって津波で全人類が死滅するのと同じだ。
では地球はどうなるのかというと
もともと緑の地球・青い地球は動植物の生産活動により
大気を固定してきたのであって
生命との相互作用によりお互いに生かされているのであって
惑星のみの次元上昇では意味を成さない。

私としては人類が寛恕と和と犠牲の精神と感謝の心を倫理観念として
困難に立ち向かい答えを出していく存在となって欲しい。
その可能性を示すことが出来れば
人類に天災は訪れても滅亡の危機は遠のくことになる。

地球・ガイアは人類のゆりかごとして当然に機能することになる。

補足
上記でのべた倫理的意思を刻み込むということについては
説明が必要だが、どう説明しても完全には説明できそうにもない。
例えて言えば
意思を持つ大型コンピューターが全てを決める科学の進化した世界において
そのベースとなるプログラムをどう作るかといった時に
強いもの勝ちで弱いものは淘汰されるという世界とするか
弱者保護の観念を導入するかといった議論で
何が最終的に理想的な世界を構築するプログラムかは一概にいえない。
完全平等で競争が全くない世界が理想という訳ではないわけである。
さらに人類も遺伝情報に左右されるが
再び別の世界で人類が繁栄するとしても同じ道をたどる訳ではない。
もしかするとどの人類でも最後は世界戦争で滅びることになるかもしれない。
しかし文化や科学を発展させながら調和した社会を作り上げることに
成功する事例もあるだろうと思う。
そういう可能性を確率的に秘めている。
その複数のプログラムの中で成功したコンピュータープログラムは非常に価値がある。
そのノウハウともいえるものを抽出して
遺伝情報を操作していけば別の地球で滅びる道を選択する別の人類は減る。
そういう世界であればそこに生まれ変わろうとするアストラル霊は増えて
輪廻は同じ類魂系の輪廻から大きく変わっていく。

その倫理プログラムとして残るものを作り上げることは
人類にとって非常に栄誉なことといえる。

そういう大プロジェクトに人類は関与しているのであって
いよいよ試される時が近づいている。
それゆえに干渉してくる存在がいることも事実である。



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宝髻弥勒菩薩半跏思惟像の源流 No245

2011-03-28 16:44:08 | 日記
前回『宝冠弥勒と宝髻弥勒菩薩半跏思惟像 No189』
宝髻弥勒菩薩半跏思惟像には聖徳太子への思慕がにじみ出ていると記載しているが
この像の原形がどこに由来しているのか気になっていた。

上記写真は北魏時代の石像である。
半跏像で右手は失われているが思惟像であったと考えられる。
この像は現在『九州新幹線全線開業記念 細川コレクション 永青文庫の至宝展』で展示されている。
これを見たときに宝髻弥勒菩薩半跏思惟像の源流はここにあったと理解した。
この石像は西安の宝慶寺にあったものだそうだ。
東京国立博物館の東洋館には西安の宝慶寺にあったとされる
「如来三尊・阿弥陀三尊仏龕」等が展示されているが、それとは全然意匠が違う。
北魏といえば雲崗石窟や龍門洞窟が出来た時代である。
そちらのほうに似た意匠のものがあるのだろうか?
今後もさらに調査していきたい。

『宝髻弥勒菩薩半跏思惟像』




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茨城県ひたちなか沖の藻塩 No244

2011-03-28 16:00:35 | 日記
今年の1月に酒列磯前神社に電話して
ご好意でこの神社で頒布している藻塩を郵送していただいた事を記事にした。
『酒列磯前神社で戴いた藻塩 No206』
嫁が何を思い立ったか欲しいと言い出したと記載しているが、
この藻塩は御福塩ということでまとめて頼んだので
いくつかを知人に配ったりしている。
先日「海の放射性物質汚染」が新たな課題にと題された記事を読んでいて
酒列磯前神社で戴いた藻塩も警告となっていることを感じた。
天災が人災を呼んだが、これがさらに日本人全員に対する神災とならぬように
警告を真摯に受け止めたい。
ひたちなか沖の海は神域であるがここが汚染されることが無いように願っている。

嫁がなぜこの藻塩を欲しいと思ったのかには
今回の地震とも繋がるメッセージが隠されていたのだが
そのことについては間接的に伝えていきたいと思っている。


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地震災害復興祈願 志賀海神社にて No243

2011-03-21 23:38:42 | 日記
ちょうど6年前の1985年3月20日に福岡市の玄界灘でM7.0の大地震が起きている。
福岡市内でも震度6弱を記録している。
ところが被害はそれほど大きくは無かったので福岡以外では忘れている方も多いかもしれない。
その地震からちょうど1ヵ月後の4月20日に再びM5.8の地震が志賀島を震源として起こっている。
最大震度は5強となっている。
志賀島では志賀海神社の石垣に大きな被害が生じている。
この福岡は地震がもともと少ない地域であり
M7.0の地震は有史以来初めての規模の地震と云われている。
これは福岡市沖の玄界灘から同県筑紫野市までの
長さ約55kmの活断層である警固断層(けごだんそう)によるものだった。
志賀海神社が被害を受けたことはどういうことかと当時考えたことを思い出す。

今回東北地方太平洋沖地震では震災の前の3月9日にM7.3の地震が発生している。
この時は最大震度は5弱となっていた。
昼前に地震が起こりニュースを見ていよいよ東海地震が起こるのではないかと危惧した。
そして3月11日に同じ地域で東北地方太平洋沖地震が発生した。

この地震をTVで見て一番に理解したのは、
6年前の福岡の地震では志賀海神社の神霊が被害を縮小してくださっているという事だった。
津波は起こっていないが、これは北西と南東の方向への横ズレだったために
海底を震源地としながらも起こらなかった。
また震度6弱という揺れに関しても波長が短くて1秒未満の短周期だったために被害が少なかったらしい。
周期が2秒近ければ阪神大震災のような大規模な被害が出ていたかもしれない。
また津波が発生していれば大規模な被害となった可能性がある。
それを理解して、今回志賀島の志賀海神社にその時の神御感謝と
今後の地震災害復興祈願のために参拝してきた。

最初の地震が起こった後に
福岡のように次の地震が小さくなるのかあるいは次の地震が大きくなるかで
これだけの被害の違いが生じるという訳だ。
そこに太古からの祈りの力の確固たる存在というものを
志賀海神社に参拝して感じてきた。
志賀海神社は元寇の際に国防の要となったと
『龍神信仰 2 No159』で記載しているが、
今後も日本の国防と震災復興祈願の地として大切にしていきたい。


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脱 原子力発電の道のりについて No242

2011-03-19 08:15:04 | 日記
日本人は聖徳太子の時代より
寛恕と和を基調として相手を思いやることを第一として
全体の調和を第一として生きることを理想としてきた。
自分より家族 家族より家
家より主君とその全体を護る思想は拡大し
その集大成として天皇に対する尊王思想が完成した。
それは例えば水戸学としてまとめられ
西郷隆盛は「敬天愛人」を座右とするし
吉田松陰は「大和魂」と呼んだ。
しかしこの思想は拡大し最終的には敗戦により解体された。
戦後教育として平和民主主義が理想とされてきたが
これも戦後60年を経て日本人にほぼ根付いたように思える。
しかしそれが新たな問題となってきている。
神霊界からの警告とは結局のところその問題の核心を突いてきている。

理想は常に現実に裏切られる運命にあるかのごとく
いろんな理想が現実の前に敗れてきたが
今我々の前に存在するのは恐ろしいリアルである。

今回、地震と津波による福島原発事故が発生した。
今まで地元の人間には潜在的危険を背負わせて
その利益を関東圏の人間が享受してきたことが浮き彫りとなった。
そして関東圏の利益はめぐって日本全体に寄与している。
この福島の原発が承認されたのは50年前である。
老朽施設であったことは間違いない。
しかしそれを隠しながら使うしかなかった事実が存在する。
今後日本の電力はどうまかなうのか?
日本原子力産業協会JAIF作成ホームページの
『日本で建設中、計画中の原子力発電所』は現在封鎖されている。
たぶん福島原発の再開は困難だと思うが、
だからといって関東圏に代替地も見つからないだろうと思う。
当面は火力発電に戻り休眠中の火力発電所を含めフル稼働で発電することになるだろうが
それは将来設計としては継続不可能な話である。
CO2削減も含めるとガス発電という選択肢等でどれだけのロードマップを描けるのだろうか?
原子力先進国のフランスでは原発反対デモ行進が勃発している。
フランスでは第三世代原子炉のラマンヴィル(2012年稼働予定)と
パンリー(2017年稼働予定)が現在建設中である。
今回の事故の世界に対する影響は大きい。
原子力推進派のノーベル賞受賞者のアル・ゴア氏にとっても
『最も不都合な真実』となってしまった。

公共の福祉のために人権が制約されることは憲法にも述べられているが
公共の福祉のために生命の安全が脅かされることが許されるのかが問われている。
民主主義の世界では当然許されないはずである。

あと20年後の世界では世界の全ての電力を太陽光発電でまかなうことも可能である。
砂漠地帯に超大型の太陽光発電を設け高温超伝導ケーブルで世界を繋ぐ
『GENESIS計画』がある。
これは現実的な技術の範囲にある。

しかし我々工業立国の日本人はそれまで待てない。
すぐにでも大きな決断に迫られている。
ここしばらくの関東圏の電力計画停止はしかたないにしても
24H電力を必要とするような例えば半導体工場にとっては致命的である。
茨城県ひたちなか市にあるルネサスエレクトロニクス那珂事業所などは
永久に操業不能となってしまう。
急激に日本の工業が衰退する可能性が目の前にある。

今の政権にこの試練を乗り切ることは困難だと思うが
だとすると何も決められずに、
だらだらと国債を発行し続けた後に国家破綻する。
かといって民主主義的手法で原子力発電の継続は出来ない。

神霊界から突きつけられた試練である。
生命の安全を含めた人権相互の矛盾衝突を調整するための
(お金に頼らない)システム構築は
今の日本人には受け入れることが出来ないであろう。

しかし日本の歴史を見るとアポトーシス的思想を受け入れていた
時代が存在している。
しかしそれは全体主義体制に繋がってしまった。
これ以上書くことが辛くなってきたが、
世の中というものは少なからず犠牲の上に成り立ってきているし
さらに思いやりと感謝と全体のために犠牲となる勇気が求められている。

私が感じているこの神霊界の試練を回避して
科学的知恵と工夫で最大限に犠牲と被害を最小にして
乗り越えることが出来ることを切に願いそして祈っている。

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茨城の大洗港で大渦「ナルト」 No241

2011-03-16 00:44:50 | 日記
前回の『天災である地震と天罰である地震』の記事で
少彦名神 大國主命の神氣が強い茨城の大洗港で大渦「ナルト」が発生したが
『弓梓弓と水の女神 断片集④ No175』でも記載しているように
この渦はメッセージとなっていると記載した。
もしこれにコメントがあったらもう少しこの件について書こうと考えていた。
コメントを戴けたのでそれに感謝して追記したい。

まず下の図を見ていただきたい。
東北地震断層と水平移動
今回地震となった断層1と断層2のおおよその範囲と日本に及ぼした土地の水平移動という影響図である。
次に下の図は中央構造線を表わしている。
中央構造線
この西の端は九州で二つに別れ本線と考えられる断層は八代から海に抜けている。
そして上の細い線は熊本の立田山断層と呼ばれる断層から熊本霊ライン
繋がった末端となっている。
この熊本霊ラインは阿蘇の大神と少彦名神と大國主命の御神氣が強いところである。
そして東端は鹿島と大洗に抜けている。
ここには鹿島神宮と大洗磯前神社が設置されている。
ご存知とは思うが鹿島神宮では要石が地震を抑えている。
そして大洗磯前神社は少彦名神・大國主命が祭祀されている。
この中央構造線は霊的国防の要の線だと認識しているが、
この両端での少彦名神・大國主命の祭祀と八大龍王神祭祀が霊的結界を作り上げている。
中央構造線の結界が東北地震の影響を封印している。
筆者はこの大洗の大渦「ナルト」を見たときに
東西に繋がる中央構造線の龍の霊流を感じた。
東海地震の警告は継続しているが、
連続した大惨事となると首都東京は東西を分断されて未曾有の被害となるので
ひとまずは回避されたのかもしれない。
コメント (9)
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天災である地震と天罰である地震 No240

2011-03-14 23:47:03 | 日記
犠牲者のご冥福と一日も早い復興を祈っています。

さて石原都知事が東日本大震災について
「津波は天罰」と表現したそうだ。
まあ取り方次第で被災者を逆なでする言葉にも聞こえるが
限定した被災者のみを対象とした表現としてではなく
日本国民は今回の地震を厳粛に我が事として受け止めるべきであろう。
国家としてみたときの神霊的天罰は旧約聖書を参考にしても
被災者個人の善悪を超えて起こる。
ソドムとゴモラという2つの町の住民たちは、
モラルを逸脱する悪徳行為を繰り返したため神の逆鱗に触れてしまったが
その子供には罪は無いはずである。
神学的には潜在的因果の継承により民族としての原罪も背負っていると
説明出来るのかもしれないが、報われない話ではある。
私は「津波は天罰」と考える時に
これが東北でなく関東東海大震災であったらと考えることも必要だと思う。
たぶん石原都知事は東京が地震にあったとしても
やはり自分たちに対する天罰だと厳粛に考えるのだろう。
厳粛に考え厳粛に反省し
自らの被災と同じ思いで持って全力の救済支援の努力を行うことに
結びつくなら「津波は天罰」という表現も理解できる。
まあ被災者でない人間に言われるのは筋違いとしても
我が事として天災を天罰と考え真摯に向き合う姿勢であれば
被災者で無い私であれば納得出来る。
しかしこれは部外者としては決して口にしてはいけない言葉でもある。

今回の地震は未曾有の大惨事であるが
やはりそれでも警告であるといえるかもしれない。
鳥インフルエンザのパンデミックや東海大震災規模となると
数百万人規模の被災となってしまう。

少彦名神 大國主命の神氣が強い茨城の大洗港で大渦「ナルト」が発生したが
『弓梓弓と水の女神 断片集④ No175』でも記載しているように
この渦はメッセージとなっている。





地震・津波に救援と原子力発電の是非を含めいったい何を我々は教訓とするのか?

追記20110420 
石原都知事の天罰発言いついてブログでなるほどなと感心する記事を見つけたので紹介したい。
さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」の
「天罰」と「心の復興」 という記事だ。
全てを的確に言いえているといえよう。



コメント (8)
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西の国宝 瓢鮎図 No239

2011-03-07 00:20:09 | 日記
前回 東京国立博物館の国宝の瓢箪図を紹介したが
西の京都国立博物館にも国宝の瓢箪図である瓢鮎図というものがある。


不思議なことに単語の混同は東は夕顔が瓢箪で
西は鮎が鯰である。
このことがずっと引っかかっている。
たぶん一般的にはどうでもいいことであろうが
これが何かのヒントだと思って探求することから
知の好奇心は花開く。
江戸時代に瓢箪は夕顔と呼ばれていたのは事実としても
足利室町時代には瓢箪は瓢箪とも呼ばれていたということだろうか?
西の「瓢鮎図」は「夕顔鮎図」では様にならない。
東も「瓢箪棚納涼図屏風」よりも「夕顔棚納涼図屏風」のほうが聞こえがいい。
また鯰が鮎という字なのは鯰が国字だからだそうだ。
しかし検索すると「鯰」は『倭名抄』で漢籍『食経』を引いているそうで
本当は国字ではないらしい。
中国ではアユのことを一般に香魚と呼ぶ。
日本でもアユは香魚とも呼ぶがなぜアユが「鮎」という漢字を持つに至ったのかというと
アユを神功皇后が占いに使ったからという説がある。
実際のところアユはウロコがなくてヌルヌル粘る魚のために
魚偏に「粘」のつくりの「占」をあてたというのが正解ではなかろうか。
中国では鮎という字はぬるぬるのナマズもアユも意味している。
では漢籍『食経』に云う「鯰」は何を表わすのであろうか? 疑問である。
ちなみにネット検索では現代の中国人は「鯰」という字を見てアユというそうである。

30年前にこの絵を見るために退蔵院を訪ねたことがある。
そして8年ほど前に再度訪ねたときに退蔵院の瓢鮎図は模写であることを知った。
本物は京都国立博物館に寄託されている。
ところが京都国立博物館の検索では瓢鮎図は出てこない。
さらに調べてみるとgoogle検索では
不思議な絵 ―如拙筆「瓢鮎図」と京都国立博物館の
子供向けのガイドには瓢鮎図が出ている。
もともと京都国立博物館のガイドは写真が見にくくて役立たないので
期待はしていないのだが、いつもながらガッカリする。
※例えば風神雷神図もせこくなかなか見せない。
NATIONAL MUSEUMの在り方はイギリスで勉強し直したほうがいい。

さて東の瓢箪は開運図であるが西の瓢箪は開運図足りえるかが今回の議題である。

この禅問答確かに奇天烈である。
しかし瓢箪の中には宇宙があるのである。
鯰は瓢箪の中に入るし世界観も変わる。
開運図というより真理を現しているのであろう。
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久隈守景作の『夕顔棚納涼図屏風』にみる瓢箪開運 No238

2011-03-06 13:19:46 | 日記
日本画の題材に開運図というものがある。
開運となる吉祥題は南天木であったり
赤富士、松、梅、鶴、亀に虎、茄子、五鯉躍、九頭馬などや
七福神、五岳、四神や昇り龍などが有名である。
前回『開運ひょうたんを育てる』で瓢箪の開運効果について述べたが
久隈守景作の『夕顔棚納涼図屏風』を紹介したい。
この絵は国宝であり東京国立博物館の館蔵品なのでご存知の方も多いかと思う。
クリックして拡大
なぜ夕顔が瓢箪なのかという疑問が湧くが
江戸時代以前は夕顔とは瓢箪のことだったらしい。

さて国宝のこの図の家族の表情に感化された人間は多い。
そこには江戸の裕福ではない家族の一場面が描写されている。
ゴザに質素な服にあばら家という有様だ。
にも関わらず庶民生活の中での満ち足りた幸せを感じさせる不思議な
何かがその空間にはある。
最初それはこの家族の父親のひょうひょうとした表情かと考えた。

しかしそれは丸々とした瓢箪がいくつも実り月と共に
家族を静かに守る様に安心感があることに気付いた。
よくよく考えるとこれこそが瓢箪の開運力の表われといってもいい。
瓢箪の開運力の源泉は水と月にあるようである。

この作品が開運図となるかならないかの紙一重は
夕顔棚の左から二番目の瓢箪ひとつに掛かっている。
これが冬瓜であれば開運図たり得ないからである。
作者の久隈守景がこの絵の他の瓢箪部分は
くびれのあるかないか分からない描き方をしているが
このひとつだけを瓢箪として描いたので全体が瓢箪として輝いている。
冬瓜はクビレが無い

開運図の効果のなんたるものかを知りたい方は
この図を研究なされると宜しいかと思う。
ただの図にそんな力があるとは信じられないという方であっても
この絵が数千万円でも買えない国宝であることはあっさり受け入れる。
そこに考え方の妙がある。
たかだか紙の一枚の絵の目に見える金勘定は納得出来ても
見えない霊的な力の源泉は信じることが難しい。

この絵はその壁を越えさせることが出来るちょっとばかり不思議な名画である。
開運の源泉は幸せの源流を知ることから始まる。

嘘だと思われない方はこの絵を印刷して飾ってみられると
宜しいかと思う。

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