吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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三輪の雷神 No524

2019-08-19 13:21:19 | 神霊界考察
少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)の伝承に雄略天皇とのやりとりがある。

「朕は三諸岳の神の形を見たい。
汝は膂力が人より勝れているので、行って捕えて来なさい」と命じた。
蜾蠃は三諸岳に登り、大蛇を捕まえて帝に奉った。
大蛇は雷のような音をたて目からは赫々たる光を放っている。
帝は目を掩い大蛇を見ないようにした。なお、大蛇には雷の名を賜った。

七年秋七月甲戌朔丙子、天皇詔少子部連蜾蠃曰
「朕、欲見三諸岳神之形。
或云「此山之神爲大物主神也。」或云「菟田墨坂神也。」
汝、膂力過人、自行捉來。」蜾蠃答曰「試往捉之。」
乃登三諸岳、捉取大蛇、奉示天皇。
天皇不齋戒、其雷虺々、目精赫々。
天皇畏、蔽目不見、却入殿中、使放於岳、仍改賜名爲雷。

三輪の神が龍蛇神の大物主神で蛇とされるのはともかく
なぜ雷の名を賜ったのかが疑問である。
当然に雷は雷神の事である。
雷のような音というだけであれば雷神はすでに存在しているので
鳴神と呼ぶ方がしっくりくる。
思うに大蛇の出す音が雷に似ていたというより
三輪の神を賀茂氏がらみで雷神とみなす信仰があったのかもしれない。

三輪で鳴る神と関連するものでは三輪の久延彦神社は鳴宮と呼ばれている。


この久延彦神は少彦名神の来歴を大国主命に教えたとされる智慧の神であるが
三輪山全景を見渡せる場所の三輪山祭祀における一等地に
久延彦神を祭っていることについてはとても違和感がある。

仮説ではあるが殷周時代に信仰されていたという夔牛(きぎゅう)が
ここで祭祀されていたのではないかと考えてみた。
夔牛は鳴る神であり龍神でも雷神でもあり稲光がピカッと一本落ちるところから
一本足の神とされている。

この三輪山の隣には蚩尤を祀るともいわれる穴師坐兵主神社がある。
黄帝は夔牛を捕らえてその皮から太鼓をつくり蚩尤と戦ったともいわれる。

夔牛の一本足は案山子の久延彦神と繋がる。
ただ夔牛の話を広めたのは1700年代の荻生徂徠らしく
それ以前の日本での一本足の夔牛の伝承は確固たるものが無い。

ただ日本においても龍神に対する降雨祈願で牛を捧げるのは
中国の一本足の夔牛がもともと龍神に対する犠牲獣であったのではないか
ということと対応しているように思える。

 一本足の夔牛







コメント (20)
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美具久留御魂神社と二上山と檜原神社 No523

2019-08-18 16:47:11 | 神霊界考察
2008年の事だから10年以上も前になるが
私の住む西区の産土神である北岡神社の茅の輪くぐりの案内看板が気になった。

この景色の背景の山は二上山ではないかと推察した。
二上山は北方の雄岳(517m)が少し高く南方の雌岳(474m)が少し低く
二つの山頂がある双耳峰となっている。
この絵では左側の山が高いので二上山の西側から眺めた図になる。
地図でざっと探すと美具久留御魂神社ではないかと推察できた。
この際に過去の記憶に残る檜原神社の事も頭に浮かんだ。


  美具久留御魂神社

檜原神社


今回実際に足を運んでそれぞれの位置から眺めてみたが
この二つの神社には霊的に相関関係があると感じられた。

googleで調べてみると

この檜原神社と美具久留御魂神社を線で結ぶとちょうど二上山の馬の背を通る。
この線の角度は約5.7度となっている。

  

美具久留御魂神社では御神霊の氣が強かった荒魂を祀る別宮の和邇宮(龍神社)を
通過しているが参道の方向も二上山に向かう設計となっているようだ。

しかしこの由緒書によれば大国主命の荒魂は和邇神と称された龍神であったとあるが
この話は初見である。
 とても強力な神氣で守られている和邇宮

出雲大社では龍蛇神を御神体としているし
大国主命の和魂は三輪山に祭られる大物主神で蛇神とされる。
また大国主命の荒魂は狭井神社に祀られている。
『大倭神社註進状 並 率川神社』によると大国主命の荒魂を大国魂大神としている。



私見では狭井神社と率川神社はもともとは塞ノ神ともされるクナトの大神を
祭祀していたと考えているが
大国主命の荒魂とはまさに大国魂大神であり
大国魂大神=縄文の久那戸大神=龍蛇神=和邇神と考えてもいいのかもしれない。

狭井神社と率川神社については『出雲井神社のサイ神 No152』及び
『奈良の三笠山と蘇我氏 No148』を参照していただきたい。

この美具久留御魂神社の別宮の和邇宮がどういう位置付けなのかは
分からないが何か秘密が隠されていそうである。

2011年に美具久留御魂神社の大蛇と白雲宮と二上山に祭られる「神蛇大王」との
関係については『美具久留御魂神社の「白雲宮」と二上山の「深蛇大王」 No291』
まとめているので参考にしていただきたい。

またこの神社の由緒として以下の伝承がある。
祟神天皇(人皇第十代)時代に丹波の国の氷香戸辺の子に、
『玉藻鎮石。出雲人祭、真種之甘美鏡。押羽振、甘美御神、
底宝御宝主。山河之水泳御魂。静挂甘美御神、底宝御宝主也。』
という神様のお告げがあり、天皇はそれをお聞きになって、
活目入彦命(垂仁天皇)を河内国支子(きし)に遣わし当社を祀らせ、
山河之水泳御魂=美具久留御魂神社と御名を称えなさった。
(日本書紀第五巻崇神紀六十年條・出雲国風土記)

これは出雲の神宝である玉藻鎮石 真種之甘美鏡 底珠が祭祀
されていないことによる出雲神の呪詛のことを言っている。

この氷香戸辺の子の歌であるがネット情報のホツマツタヱでは
『玉藻垂つ 出雲祭らば まくさまじ』とも歌っている。

どうでもいいことかもしれないが
山河之水泳御魂から付けられた神社名であれば
「みくぐるみたま」であって「みぐくるみたま」ではない。

今回三輪の檜原神社との相関もあると筆者は判断したので
水泳御魂と三輪の三重に巻く意にも相関があると判断する。
つまり御諸山が三輪とされたのは
「水泳御魂」を由来としている可能性が高い。


※コメントは検索でヒットしなくなりましたので
私の備忘録として自分のコメントを検索用に添付させていただきます。
吉田一氣 (ulalaさまへの返信) 2019-08-22 02:20:09
コメントありがとうございます。
2011年の8月にこの神社についてのulalaさまブログを
読ませていただいてからちょうど8年が経過しましたが
やっと遅ればせながら参拝出来ました。
以前の記事では丹後の真名井神社との類似性について
指摘させていただきましたが、
今回は檜原神社との相関について記載しています。
これは全く別のアプローチからたどり着きましたが
檜原神社も真名井神社も天照大神を祭祀する
元伊勢という関係にあります。
私にとっては今回やっと美具久留御魂神社の記事を
書かせていただいてそこのulalaさまのコメントから
瓢箪から駒を得た思いです。
夢に見たという「わたしはみくる、ワカヒルメとして
和歌山の山中深くに祀られる」
という話を私が聞くのは初めてでしょうか?
当時の私には分かり得ないのですが、
このワカヒルメが今自分がテーマとしている呉音神と
大きく繋がっていると考えていて
ずっと調べているところなのです。
ワカヒルメは天照大神と最も近い存在ですが
機織りの神霊であるところから
呉系の姬氏がもたらしたと私が信じるところの
養蚕と機織りを司る神霊ではないかと思っています。
たぶん呉系姬氏の巫女なんだろうと判断しています。
紀の國の紀はもともと姬氏の國という話も信憑性があり
この紀の國は素戔嗚尊と五十猛神に征服されてしまい
姬の国は木の國になり五十猛神は木の神様となりますが
呉系の姬氏の巫女のワカヒルメは姬の国紀伊半島に
封印されているのではないかと感じていました。
その候補が玉置神社とか
あるいは八大龍王姫松明神あたりです。
ulalaさまの夢通りに「みくる」であるなら
やはり河川が必須のようにも思われます。
とにかく私にとって有難く興味深い話です。


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英彦山の鬼神社 No522

2019-08-08 13:19:41 | 神霊界考察
『彦山流記』に甲寅歳震旦国天台山王子晋旧跡東漸という記載があり
このブログでもたびたび取り上げている。
『香春の呉音霊 No403』
『香春神社の相克 No416』
『呉氏骨=おしほねの行方 No436』

いったいなぜこのような伝承が生まれたのか?
とても気になるので現地調査に出向いた。
英彦山は熊本から遠いというだけでなく九州の中でも奥まったところにあり
一番近い添田の農協のガソリンスタンドまででも17kmあるし
夜間であれば40km以上離れた日田か中津まで行かないとガソリンスタンドが開いていない。
基本的にセルフ以外のガソリンスタンドを使わないので結構面倒な思いをした。
到着時点でガソリンが少なくガソリンを入れに出かけようとしたのだが
往復80km掛かることを知って挫折した。
次の日の英彦山登山後にも近くのガソリンスタンドは閉まっていたので
求菩提山に向かう前に中津まで行ってガソリンを入れて再び戻ってきた。


英彦山の鬼神社は玉屋神社と並んでいるのだが
メインの参拝ルートからは外れているので
英彦山神宮奉幣殿を出発して山頂の英彦山神社から高住神社参拝して
折り返して大南神社と玉屋神社と回って奉幣殿に戻るのは
健脚でないとかなりつらい道のりとなる。
車で行っているのなら車で高住神社参拝は済ませて
山頂の英彦山神社からすぐに大南神社に向かう方がおすすめとなる。

 

 大南神社

  玉屋神社般若窟

  鬼神社

  玉屋神社般若窟横の石清水


英彦山にも求菩提山にも鬼神社が祀られているのだが
英彦山ではどういう由来があるのかは分からなかった。

  求菩提山の鬼の石段

   鬼神社と鬼の石碑

 迦陵頻迦 (飛天)
コメント (5)
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