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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

令和元年の巨大台風19号 No530

2019-10-29 12:25:23 | 神霊界考察
熊本大地震は2016年の4月の事になるが
1回目の地震で命が助かった神恩感謝が神霊界に届かずに
2回目の地震がさらに大規模で広範囲のものとなったと
猛烈に反省している。

そのことは『地震災害復興祈願 志賀海神社にて No243』
『空知川龍神の怒り No444』に記載している。

祈願についての例は以下などが参考になろう。
『二十一日祈願と忌服 No272』
『21日祈願と平行して行なった写経について No275』
『巨大台風18号の軌跡 No473』

地震以降3年間は特別な配慮により台風被害を免れることが出来て神恩感謝している。
従って今年はそう甘くはないと覚悟はしていた。
しかしながら令和元年の巨大台風19号の発生時に体に震えが来た。





間違いなく九州を直撃する予感がした。
我が家は雨戸が無いので窓ガラスが割れたらとんでもないことになる。
それで台風直撃対策としてホームセンターで板やネジ釘やテープを買った後に
急遽台風19号除けの祈願を行った。



しかしながら夜になっても台風がそれた気がしない状況。
日頃の行いを反省しながら龍神さんの祈願に変更して再祈願した。
このことが何を意味するのかは皆様の判断に任せるが
『命が助かった神恩感謝の祈り』が第一であり祈願力に欠ける地域が
再び被害を被るという事である。

自分も出来ていないのに何を偉そうなことを言っているのだという
指摘には恥じ入る次第である。
衣食住を荒らされた塗炭の苦しみの真っただ中では”祈り”
それどころでないというのが経験上良く分かる。
住宅ローンも終わっていないのに被害を受けた家を前にして
目の前が真っ暗になるのは至極当然であろう。
しかしながらそれがさらに繰り返されることもあるということを
理解する必要がある。

普段生かされていることを理解する人たちがいる。
その方たちはこういう時こそ何が足りないのかを探求すべきである。
その答えではないが御神霊は不足しているものを警告している。






『命が助かった神恩感謝の祈り』が第一であり祈願力に欠ける地域が
再び被害を被るということを伝えるという誓約をここに完了する。

********************************************************************
20200907 追記
令和二年の台風の9号と10号はかなり似通った経路を辿った。
台風9号(メイサーク)は9月2日(水)21頃に大型で非常に強い勢力で熊本長崎に最接近した。



この2020年台風9号は無事やり過ごすことが出来たのだが
同時進行の台風10号は30年に一度の「特別警報級」の勢力であり
瞬間最大風速は85mと連日今までにないような報道のされ方だった。
九州上陸の可能性も3割越えであり鉄筋の建物でさえ壊れる可能性がある
特別警報級の勢力といわれた。
思い起こせば関西空港をめちゃくちゃにした2018年台風21号は
最大瞬間風速関空で58.1メートルで大阪市中央区で47.4メートルだったらしい。
この時の上陸時の中心気圧は950ヘクトパスカルとなっている。
それに対して今回の予測では鹿児島上陸時で915~920ヘクトパスカルの可能性があった。

  

熊本大地震以降の毎回の台風祈願で御神霊より熊本地方は3年間の猶予をいただいた。
この意味はそれ以降は覚悟を決めよという宣告でもある。
それ故に2019年令和元年のこの記事の通り大神霊に対しての台風祈願の効果が無くなった。
それは当然といえば当然で自分の地域の被害を他の地域に背負わせることになるからである。

今回の台風10号の報道では覚悟を決めて出来る防災はすべてやって
「人事を尽くして天命を待つ」覚悟で臨んでいたが
風速70m越えでは物が当たらなくても窓が破れ家が倒壊するレベルという事で
人事を尽くしても対応できない範囲と悟り急に不安が襲った。
もちろん命を取られるほどの話ではないのだが
罹災すれば今の自分の状況では心が折れる。

台風の名前はHaishen=海神を意味するので自分の主祭祀の範疇なので
特別な祈願を執り行わせていただいた。
有難いことに強力な後方支援としてさくら様にも協力していただいた。
その結果御神霊から今回については酌量により9号と10号に分散してあるから
被害は最小限に限定されると伝えられた。

実際の9月6日からの台風通過時も夕方18時頃には強風で深夜の激風を予感させられたが
深夜の1時から4時まで何度も外に出て天を仰いだのだが
天空にドーム状にシールドの様なものが張られている感じで
恐るべきことに風はほとんど吹かず雨もほとんど降らなかった。
庭に空の2Lペットボトルと半分水の入ったペットボトルと満タンのペットボトルを
置いていたが飛ばされるどころか空のボトル以外は倒れることが無かった。
ありがたいことだ。
本日は晴れ晴れとした神恩感謝の気持ちでいる。

興味深いことに韓国に史上初めて今年5つの台風が上陸したそうである。



※さくら様コメントの伊勢近鉄百貨店の記事

 神意を汲み取るべし
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龍神の御幣神籬 作り方 No529

2019-10-29 11:50:50 | 神霊界考察
日本列島は台風や洪水の被害に弱いことは
皆さんご存知であろうかと思う。
河川に堤防やダムをつくることも大切であろうけど
命を救われたなら神恩感謝することが
一番大切なことであるということを伝えたい。
以前『呉音神祭祀の神籬 No43六』で一番下方に
龍神の御幣神籬の写真を載せているが
その作成方法をもう少し詳しく説明したい。
ちなみに著作権上の許諾をいただいていないので
この記事は削除する可能性がある。
その点をご理解いただきたい。


 

 

 








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おさらい 中国天台-阿蘇火口-高野山四所明神ライン No528

2019-10-17 22:40:55 | 神霊界考察
筆者がHPを作成したのは2004年の事となるが
その目的は太古の構造と思われる御坊山を起点とした
夏至に向く熊本のレイラインの紹介と
近代それに関わった道君首名公と加藤清正公の
それぞれの目的についての考察であった。
この熊本の夏至のレイラインは作り変えられているが
それを作り変えたのは加藤清正公の可能性が高い。
この作り変えられた構造の目的を理解したので
この構造を『熊本霊ライン』と表現した。

 

その10年後に地図による発見ではなく
吉田一氣の神霊祭祀とその後の熊本大地震の分析により知ることとなったこの
『中国天台-阿蘇火口-高野山四所明神ライン』も強力な霊ラインであることは間違いない。

最初の熊本霊ラインは道君首名公の導きにより理解するのが早かったが
この『中国天台-阿蘇火口-高野山四所明神ライン』の方は
考えてみると気づくのに30年も掛かってしまったことになる。



PCのみ対応 参考用google地図へのリンク

この御坊山基点の京都に向かう霊ラインは
最終的に天台宗の比叡山を通過するし
独鈷山・万日山の麓の道君首名公造営の味生の池を
見渡す地に建立されたという池辺寺は長らく天台宗によって守られてきたので
この霊ラインを祭祀してきたのは天台宗系統といってよい。

にもかかわらず霊ラインの一角を成す独鈷山の名前の由来は弘法大師空海が
明州の港から日本に向かって投げた3つの金剛杵の内の一つの独鈷杵が
落ちたところから独鈷山と付けられたと言われている。
また道君首名公が造成した味生の池に住む悪龍を退治したのも
空海との伝承がある。

空海が投げた独鈷杵の落ちた場所は候補が3か所あり
四国第36番札所 独鈷山伊舎那院青龍寺
佐渡市の小比叡山蓮華峰寺
熊本市の独鈷山 となっている。

ちなみに三鈷杵は高野山に飛来し
五鈷杵は東寺に飛来したという伝承が残っている。

空海が大宰府に留め置かれた3年間の間に熊本に来た可能性は十分に考えられる。
中央構造線の熊本から大分にかけては辰砂(水銀鉱)≒丹の産地となっているが
中央構造線の西端の調査を目的として来た可能性もありそうだ。

今回『中国天台-阿蘇火口-高野山四所明神ライン』の存在が明らかになり
高野山四所明神に委奴の狩場明神と丹生都比売命が祀られていることを考えると
熊本来訪の信憑性がさらに高くなったと感じられる。

いずれにせよこの熊本市西区に比叡山ラインと高野山ラインの
二本のラインが通っていることは重要な意味があるといえよう。

熊本霊ラインの祭祀に関しては主催者であると自認してきたが
『中国天台-阿蘇火口-高野山四所明神ライン』の方もつい最近まで
それとは知らずに祭祀していたことになる。


『中国天台-阿蘇火口-高野山四所明神ライン』の存在を前提に考えると
疑問がいくつか生じる。

その一つが震旦国・天台山・王子晋旧跡東漸の最初の場所は
上記の経緯を考慮する限り阿蘇山火口のはずと思える。
しかしながら縁起では英彦山⇒石槌山⇒諭鶴羽山⇒熊野となっていて
阿蘇山は登場しない。

また性空が背振山に勧請した乙護法童子及びその親である徳善大王と弁財天であるが
この乙護法童子が阿蘇山でも祭祀されていたことが判っている。
参考『阿蘇の山岳仏教 古坊中 麓坊中 No495』

乙護法堂記載古文書阿蘇に祀られていた乙護法童子


王子晋旧跡東漸の伝承が乙護法童子旧跡東漸の伝承によって消された可能性も
考えざる得ない。


追記 20191021
過去に玉名の蓮華院と皇円大菩薩と威奴の御神霊との関係や
玉名に残る乙護法童子祭祀のことを記載している。

『玉名の山田日吉神社内の乙護法童子 No490』
『皇円大菩薩の心願 No517』

昨日のgoogle検索で今まで目にしていない蓮華院サイドの記事を見つけ出した。
「蓮華院 大日の光 2016年12月28日大日乃光第2163号」
これによると
①本院の境内の西北の角にある「乙宮社」に祀られている神様が、
当山の昔からの鎮守の神様であったに違いないと確信しているとの事。
②そして乙宮に祀られている神霊は「乙護法善神」であるという事。※証不明。
③背振山の北側の真言宗の雷山千如寺でもこの乙護法善神が祀られているという事。
④皇円大菩薩様の師である皇覚上人やそのまた師であった
皇慶上人がこの乙護法善神を祭祀していたという事。

以上抜粋

吉田一氣は蓮華院本院の「乙宮社」に参拝したことは無いが
玉名周辺にはいくつかの「乙宮神社」が存在しており
以前に豊玉姫神を祭祀しているのではないかと思って調査したことがある。
阿蘇神社の影響下では「乙宮社」は阿蘇神社の第六社としての
若比咩神(乙姫様)とされるのだが
佐賀県までの有明海沿岸に複数存在する「乙宮社」はそれとは違うようである。
今回本院の「乙宮社」については知見なくなんとも言えないのだが
玉名の山田日吉神社内に乙護法童子像が現存している以上簡単には否定できない。



















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