同じ祭神をほかの神社でも祭祀しているが
それは御神霊の分霊という作用による。
要は分身とも言えるしそうでないとも言える。
最近はPCを使う人が多くなったので喩えやすいが
OSのクローンのようなもので
その後は違う存在となっていく。
中国春秋の呉越楚時代に長江の古代文明を築いた呉音霊が
日本に渡来して縄文時代を終わらせ弥生時代を形成しているが
この呉音霊の中国大陸での分霊についても調査している。
中国より渡来したといわれる神霊については
筆者ブログにても以前より取り上げているが、
湯島聖堂や大阪道修町で祀られている神農
穴師坐兵主神社で祭祀されていた蚩尤(蚩尤=兵主=ひょうすべ=河童)
川上村の梓山地域に残る盤古大人伝承
吉備真備が連れ帰った殷の紂王の后の正体の九尾の狐である玉藻前
禅の曹洞宗の寒巌義尹が勧請した荼枳尼天稲荷
入唐八家の慈覚大師円仁が感得し比叡山常行堂に勧請した摩多羅神
いずれもが呉音霊との何らかのかかわりを持っていると推察している。
その中でも摩多羅神については呉音霊を祭祀するにあたって
避けては通れない関門となっている。
『真如堂に祀られる摩多羅神』
この摩多羅神は音霊であることは察しがついているのだが
呉音霊なのかはまだ分かっていない。
ただ引声念仏を慈覚大師円仁に伝道した神霊が摩多羅神であることは間違いない。
引声は仁寿元年(851)に慈覚大師円仁が建立した比叡山常行堂で初めて行われ、
魚山(京都大原)伯山(鳥取県大山寺)真如堂などに伝えられたという。
現在唱えられているのは昭和5年に真如堂に相伝されていた韻律と
魚山・伯山に伝わるものを相対して校正して譜面化されたものという。
また年中行事として行っているのは真如堂だけだということだ。
この引声の音の意味するところは、
『極楽世界の八功徳水の浪の音に調和する念仏を唱える』ことにあるそうだ。
参考
『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応 No387』
『咤枳尼天の日本仏教への影響 No388』
『追記 咤枳尼天の日本仏教への影響 No390』
真如堂については『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応 No387』でも記載したが
1.安倍晴明の蘇生伝承にまつわる結定往生之秘印
2.玉藻前の殺傷石伝承の鎌倉地蔵
3.比叡山常行堂に奉られていた慈覚大師作阿弥陀如来
4.真如堂塔頭の法伝寺にて咤枳尼天祭祀(伝承では日本最初の稲荷大明神)
以上、中国より渡来したといわれる神霊が寄せ集められている不可思議な寺だ。
摩多羅神についてはミトラ信仰と繋がっていることは間違いない。
ミトラ信仰は仏教の中ではマイトレーヤ弥勒菩薩として残っている。
同時にミトラは三虎のトラトラトラとして信貴山の毘沙門天信仰にも繋がっている。
ミトラは水辺の洞窟で、12月23日の冬至の日に生まれたとされるが
偶然にも本日は生誕日の2015年12月23日(冬至は前日)となっている。
このミトラ教のマイトレーヤ弥勒菩薩は
聖徳太子も信仰していたと思うのだが
それ故に信貴山の毘沙門天信仰や四天王寺の牛王堂祭祀
広隆寺の牛祭りでの引声念仏として現代にまで継承されている。
また茨城県桜川市の雨引観音では摩多羅神は摩多羅鬼神とされている。
『広隆寺の牛祭りの鬼』 『雨引観音の摩多羅鬼神』
私から見るとこの摩多羅神の竹は呉竹ということになる。
以下はミトラ神の最も一般的なモチーフで
『牡牛を屠るミトラス神』と呼ばれている。
蛇と犬は血を求めサソリは股間を襲っている。
見る限りでは牡牛とは敵対しているとしか思えない。
そういうことで都怒我阿羅斯等を主体とする
呉音霊祭祀において、これ以上の詮索はしないこととする。
それは御神霊の分霊という作用による。
要は分身とも言えるしそうでないとも言える。
最近はPCを使う人が多くなったので喩えやすいが
OSのクローンのようなもので
その後は違う存在となっていく。
中国春秋の呉越楚時代に長江の古代文明を築いた呉音霊が
日本に渡来して縄文時代を終わらせ弥生時代を形成しているが
この呉音霊の中国大陸での分霊についても調査している。
中国より渡来したといわれる神霊については
筆者ブログにても以前より取り上げているが、
湯島聖堂や大阪道修町で祀られている神農
穴師坐兵主神社で祭祀されていた蚩尤(蚩尤=兵主=ひょうすべ=河童)
川上村の梓山地域に残る盤古大人伝承
吉備真備が連れ帰った殷の紂王の后の正体の九尾の狐である玉藻前
禅の曹洞宗の寒巌義尹が勧請した荼枳尼天稲荷
入唐八家の慈覚大師円仁が感得し比叡山常行堂に勧請した摩多羅神
いずれもが呉音霊との何らかのかかわりを持っていると推察している。
その中でも摩多羅神については呉音霊を祭祀するにあたって
避けては通れない関門となっている。
『真如堂に祀られる摩多羅神』
この摩多羅神は音霊であることは察しがついているのだが
呉音霊なのかはまだ分かっていない。
ただ引声念仏を慈覚大師円仁に伝道した神霊が摩多羅神であることは間違いない。
引声は仁寿元年(851)に慈覚大師円仁が建立した比叡山常行堂で初めて行われ、
魚山(京都大原)伯山(鳥取県大山寺)真如堂などに伝えられたという。
現在唱えられているのは昭和5年に真如堂に相伝されていた韻律と
魚山・伯山に伝わるものを相対して校正して譜面化されたものという。
また年中行事として行っているのは真如堂だけだということだ。
この引声の音の意味するところは、
『極楽世界の八功徳水の浪の音に調和する念仏を唱える』ことにあるそうだ。
参考
『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応 No387』
『咤枳尼天の日本仏教への影響 No388』
『追記 咤枳尼天の日本仏教への影響 No390』
真如堂については『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応 No387』でも記載したが
1.安倍晴明の蘇生伝承にまつわる結定往生之秘印
2.玉藻前の殺傷石伝承の鎌倉地蔵
3.比叡山常行堂に奉られていた慈覚大師作阿弥陀如来
4.真如堂塔頭の法伝寺にて咤枳尼天祭祀(伝承では日本最初の稲荷大明神)
以上、中国より渡来したといわれる神霊が寄せ集められている不可思議な寺だ。
摩多羅神についてはミトラ信仰と繋がっていることは間違いない。
ミトラ信仰は仏教の中ではマイトレーヤ弥勒菩薩として残っている。
同時にミトラは三虎のトラトラトラとして信貴山の毘沙門天信仰にも繋がっている。
ミトラは水辺の洞窟で、12月23日の冬至の日に生まれたとされるが
偶然にも本日は生誕日の2015年12月23日(冬至は前日)となっている。
このミトラ教のマイトレーヤ弥勒菩薩は
聖徳太子も信仰していたと思うのだが
それ故に信貴山の毘沙門天信仰や四天王寺の牛王堂祭祀
広隆寺の牛祭りでの引声念仏として現代にまで継承されている。
また茨城県桜川市の雨引観音では摩多羅神は摩多羅鬼神とされている。
『広隆寺の牛祭りの鬼』 『雨引観音の摩多羅鬼神』
私から見るとこの摩多羅神の竹は呉竹ということになる。
以下はミトラ神の最も一般的なモチーフで
『牡牛を屠るミトラス神』と呼ばれている。
蛇と犬は血を求めサソリは股間を襲っている。
見る限りでは牡牛とは敵対しているとしか思えない。
そういうことで都怒我阿羅斯等を主体とする
呉音霊祭祀において、これ以上の詮索はしないこととする。