吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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呉音霊と分霊 No421

2015-12-23 12:54:18 | 神霊界考察
同じ祭神をほかの神社でも祭祀しているが
それは御神霊の分霊という作用による。
要は分身とも言えるしそうでないとも言える。
最近はPCを使う人が多くなったので喩えやすいが
OSのクローンのようなもので
その後は違う存在となっていく。

中国春秋の呉越楚時代に長江の古代文明を築いた呉音霊が
日本に渡来して縄文時代を終わらせ弥生時代を形成しているが
この呉音霊の中国大陸での分霊についても調査している。

中国より渡来したといわれる神霊については
筆者ブログにても以前より取り上げているが、
湯島聖堂や大阪道修町で祀られている神農
穴師坐兵主神社で祭祀されていた蚩尤(蚩尤=兵主=ひょうすべ=河童)
川上村の梓山地域に残る盤古大人伝承
吉備真備が連れ帰った殷の紂王の后の正体の九尾の狐である玉藻前
禅の曹洞宗の寒巌義尹が勧請した荼枳尼天稲荷
入唐八家の慈覚大師円仁が感得し比叡山常行堂に勧請した摩多羅神

いずれもが呉音霊との何らかのかかわりを持っていると推察している。
その中でも摩多羅神については呉音霊を祭祀するにあたって
避けては通れない関門となっている。

 『真如堂に祀られる摩多羅神』

この摩多羅神は音霊であることは察しがついているのだが
呉音霊なのかはまだ分かっていない。
ただ引声念仏を慈覚大師円仁に伝道した神霊が摩多羅神であることは間違いない。
引声は仁寿元年(851)に慈覚大師円仁が建立した比叡山常行堂で初めて行われ、
魚山(京都大原)伯山(鳥取県大山寺)真如堂などに伝えられたという。
現在唱えられているのは昭和5年に真如堂に相伝されていた韻律と
魚山・伯山に伝わるものを相対して校正して譜面化されたものという。
また年中行事として行っているのは真如堂だけだということだ。
この引声の音の意味するところは、
『極楽世界の八功徳水の浪の音に調和する念仏を唱える』ことにあるそうだ。

参考
『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応  No387』
『咤枳尼天の日本仏教への影響  No388』
『追記 咤枳尼天の日本仏教への影響  No390』

真如堂については『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応  No387』でも記載したが
1.安倍晴明の蘇生伝承にまつわる結定往生之秘印
 
2.玉藻前の殺傷石伝承の鎌倉地蔵
3.比叡山常行堂に奉られていた慈覚大師作阿弥陀如来
4.真如堂塔頭の法伝寺にて咤枳尼天祭祀(伝承では日本最初の稲荷大明神)

以上、中国より渡来したといわれる神霊が寄せ集められている不可思議な寺だ。


摩多羅神についてはミトラ信仰と繋がっていることは間違いない。
ミトラ信仰は仏教の中ではマイトレーヤ弥勒菩薩として残っている。
同時にミトラは三虎のトラトラトラとして信貴山の毘沙門天信仰にも繋がっている。
ミトラは水辺の洞窟で、12月23日の冬至の日に生まれたとされるが
偶然にも本日は生誕日の2015年12月23日(冬至は前日)となっている。

このミトラ教のマイトレーヤ弥勒菩薩は
聖徳太子も信仰していたと思うのだが
それ故に信貴山の毘沙門天信仰や四天王寺の牛王堂祭祀
広隆寺の牛祭りでの引声念仏として現代にまで継承されている。
また茨城県桜川市の雨引観音では摩多羅神は摩多羅鬼神とされている。

『広隆寺の牛祭りの鬼』 『雨引観音の摩多羅鬼神』

私から見るとこの摩多羅神の竹は呉竹ということになる。


以下はミトラ神の最も一般的なモチーフで
『牡牛を屠るミトラス神』と呼ばれている。
蛇と犬は血を求めサソリは股間を襲っている。
  

見る限りでは牡牛とは敵対しているとしか思えない。

そういうことで都怒我阿羅斯等を主体とする
呉音霊祭祀において、これ以上の詮索はしないこととする。



コメント (51)
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祭祀に持ちいた都怒我阿羅斯等の神籬とその証 No420

2015-12-12 15:52:38 | 神霊界考察
祭祀においては感応と審神とその祭祀の証が求められる。

とはいうものの御祓いをしていただくときに
どの神との感応なのか?とか審神は出来たか?とか
その祭祀の証は戴けるのか?とか問いただせばまず嫌われる。
それは祭祀者自身の責任において自問的に問われるものであり
他の人に説明するのがそもそも困難である。
しかしそこが要の一厘であることは間違いがない。

さて今回の吉田一氣の祭祀では、現在のところ祭祀に用いた神籬である
頭に角つきで呉竹を銅にした御幣をとりあえず自宅の床の間に安置している。
祭祀の結果を見極めている最中ということである。



呉音霊を慰撫し呉音神となして国防と技術革新の柱となすには
都怒我阿羅斯等の導きが必要とされていると判断しての祭祀だ。
呉音神そのものはたぶん白山姫神として日本中に遍在することになる。

先月の香春・宇佐・国東・別府の旅から帰宅の折に嫁から
旅行の補てんでお小遣いをもらった。
行きつけの肥後銀行で新札に換金したら面白い番号だったという。
そのナンバー部分の拡大を載せる。



私の場合目の前に現れる車のナンバー5は呉を意味していて
8は八大龍王神を意味している。
その車のナンバーも確認できているのだが
今回の戴いた紙幣のナンバーを見ても
それなりの成果はあったという証として感じ取っている。

がしかし、あれっと思う。
888088Bでなく888888Bであればもっといいはずだ。

そういえばと思って
先月分として渡された紙幣と旅行前に渡された紙幣を見比べてみた。


銀行には1000枚の帯で新札が渡されるのだが
この銀行ではGU888001BからGU889000Bまでの1000枚が帯付きで渡されたことになる。
数が多い番号側から新札希望の客に引き渡されてゆき
約1か月で1000枚の新札が引き渡されたことになる。
つまり最初に気付いて約100枚換金すればゾロ目をGET出来たわけだ。
あいだの一番美味しいところはどこかの誰かさんに持っていかれている。

なんだかそう考えるとこの新札の番号のありがたみが消える。
ただの一枚手に入れたのがこの番号ならともかく
こういう手の込んだことをされるとうーんと思ってしまう。
なんでGU888888Bを得ることが出来なかったのかだが
証ではあっても褒美の要素では無いという事だ。
まだまだ自分の不徳の致すところであろうか。
今後さらに研鑽していきたい。

そういえば八大龍王神の信仰者で
3年間の間に宝くじで2回も一億円を超える
高額当選した人の話を聞いた。
病気と経営者としての財政的困難という
それなりの苦しい状況があって
当選金額だけでは解決できない状況にあったということだが
信仰の証としては十分なものだったようだ。

追記
ネタはいくらでもあるのだが
例えば紙幣番号で440Bという番号を写真にも残したが
googleで440Bを検索すると
『鶴賀電機株式会社 積算プリンタ 440A,440B』が一番にヒットする。
この鶴賀は私にとっては都怒我阿羅斯等を意味する証となる。



香春の神社でみた『つるが』はこう文字だった。
呉人の子孫なのかもしれない。










コメント (42)
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宇佐の呉橋を彷徨う呉音霊は懐かしみ通り抜けるのか? No419

2015-12-05 17:35:59 | 神霊界考察
宇佐神宮には相当数参拝しているのだが
この呉橋に興味が沸いたのは初めてだ。
というのも正面と思っていた大駐車場側から大参道に入ると
呉橋は西の外れに位置するので
あまり足を向けることのない位置になるからだ。
しかしこの呉橋側からの参道が本当は意味を持つのかもしれない。
この西参道が昭和初期までは表参道であり、
朝廷より派遣された宇佐使と呼ばれる勅使が通ったため
勅使街道とも呼ばれていたというようなことも今回初めて知った。


  


屋根の流れを見るとヌメッとしたカーブを描いているが
確かに呉人の象徴トーテムのカタツムリ的だと思った。
是非写真を拡大してその意味を目視で理解してほしい。
宇佐神宮では唯一この橋にのみ呉の名前が残っている。
ちなみに香春では地名の香春町鏡山呉や小呉や
バスの経路の香春(呉)線や呉ダム等
まだ呉という言葉がいくつも残っていた。

さて宇佐神宮周辺の地図を見ると
参道は呉橋側の方が長い事が判る。



どうもこの参道が指し示す先に意味がありそうだ。
現在の本宮は小涼山=亀山という古墳上にあるのだが
指し示す先は大尾山となっている。

『宇佐神宮ガイドマップ』を見た同行の巫覡が
大尾神社に行きたいと言っていたので回ってみることにした。

大尾神社手前には護皇神社がある。
和気清麻呂を祭祀している。
宇佐八幡宮神託事件の現場は
この時代にこの大尾山にあった宇佐神宮で起こったらしい。

参拝時の感想は一言では言い表せない。
審神で自身の霊的感応は取り敢えずはねのけてはいるが
真偽を抜きに記載すると
護皇神社はもともと鉄祭祀の呉王神社であったという。
呉音霊を呉音神として祭祀するには最適な場所なのかもしれない。
どうも呉音霊は吉備で封印されているようだ。
封印には和気清麻呂の一族が絡んでいるように思う。

以前から記載しているが景行朝に
吉備津彦命の子三井根子命が葦北国造に任じられて
その子供が刑部靱負阿利斯登で
孫が日羅=将軍地蔵となっている。
吉田一氣は八代の八大龍王神の信仰で繋がりがあるのだが
呉音霊の祭祀はそれとは別に葦北の矢城山祭祀で
出てきた古い龍神に導かれている。
そもそもなぜ矢城山祭祀を執り行ったのかというと
健軍神社の御神霊に導かれてその摂社の祭祀をすることを約束したからなのだが
健軍神社の矢城神社はその神業途中に摂社として創られた謎の神社である。

一度この辺りの神霊背景を整理しないといけないのだが
今回の神業は健軍神社の御神霊に機は熟したと
背中を押されていることは間違いない。

この吉備の件については
禮月さまが『角を奪われた河童?』
2015-07-30 16:10:13
で以下のようなコメントを残されている。

奪われた河童の角は、製鉄技術技術と製鉄に必要なインフラの事かな?と思います。
また「角」は武器も連想させるので、武力も削がれたのでしょうか?
その武力を削いだのは誰でしょう・・・
私は、もう一つの製鉄王国である吉備と、
鬼から財宝を奪った桃太郎(吉備津彦)の存在を思い出しました。
吉備津彦が闘った鬼のモデルは百済からやって来た高度な製鉄技術を持つ
「温羅(ウラ・オヌラ)」と言われています。
温羅も頭に角があり、蚩尤との外見的な共通点があります。
只ここで一つ問題が生じます。
河童(呉人)から角(製鉄技術とインフラ)を奪ったのが、
吉備津彦と温羅のどちらなのか?という事です。
前者の場合は、河童=温羅となり、辛国息長大姫の一族が吉備津彦に打ち負かされた事になります。
ところが後者の場合は、呉人と百済人との間に戦争が起きて
百済が呉から製鉄技術や設備を奪います。
吉備津彦は百済から製鉄技術を奪う訳ですから吉備と呉人との関係が複雑になります。

以上

この件に関して
吉備津彦は百済から製鉄技術を奪ったのではなく
呉人から奪ったものと思います。




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香春の白と国東の黒 No418

2015-12-05 10:00:15 | 神霊界考察
香春の銅がどういう原石で採掘されていたのかは
情報が無く良く知らない。
しかし香春の一ノ岳二ノ岳から産出する石灰石である寒水石については
香春神社の山王石中に観ることが出来た。

この石灰石が結晶化して透明になると方解石と呼ばれる。
そして香春岳寒水石は全国各地に広がっている石灰岩の中でも、
もっとも優れた品質を保有し
茨城県久慈郡真弓山の白さを超える寒水石として
最高峰に到達した製品とのことだ。
ここの寒水石は全国の神社の手水舎や敷石等で相当数使われている。


『香春寒水石』

『山王石のなかにちりばめられている方解石』

同行した巫覡が香春岳は身を削って全国の神社を
清めているといっていいものかどうかと云うが
香春岳においての呉音霊復活の影響を
全国へ広める布石にはなるかもしれない。

こんなサイトもある 『今なら香春寒水石お安く手に入ります』
これも同行巫覡曰く 「買っていいものやら悪いものやら。」


さて香春の白に対して国東は黒だった。
国東半島に向かう途中の会話で鉄がどのように採取されるのかについて
同行巫覡によると鎌倉の玉鋼は砂鉄からですということだった。
国東半島の奈多八幡宮の近くの重藤海岸に重藤製鉄遺跡があるのだが
ここの海岸は砂鉄で黒い浜となっていた。

ところで車の中で同行巫覡がシートベルトが閉まらないと言いながら
金具を見たら丸い部品が貼りついていた。
なんだろうと思ったらなぜか磁石だった。
この降って湧いた磁石が以下の写真のように役立った。


砂鉄は真っくろくろすけだった。

さて国東の鉄と香春の銅のどちらが古いのか?
自分としては薩摩川内上陸からスタートし左回りと考えている。




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