韓国宇豆峯神社については『呉の太伯を祀るという鹿児島神宮に参拝 No406』及び
『霧島高千穂峰で呉音神に感応した性空上人 No491』で記載している通り
呉系姫氏の祭祀あるいは呉太伯の祭祀をしている神社である。
しかしながら現在の祭神は韓国より戻ってきたとされる五十猛命を祭っている。
「延喜式神明帳」に大隅五座の一つと記載されていて伝承では
宇佐豊前国からこの地域を教導するために移住してきた200戸5000人が祀った神とされる。
しかしこの韓国の意味は大元の香春神社の由緒より間違いなく辛國(中国China)であろうと判断する。
尤もこの香春の地においても豊前国風土記を根拠に韓国由来とする由緒が多い。
この豊前国風土記は作成したとされる藤原不比等の三男の藤原宇合が
渡来の経緯を韓国由来と書き換えているのは明らかである。
もともと香春より前にこの国分の地域では
呉系姫氏の祭祀あるいは呉太伯の祭祀がされていて
出戻りの宇佐豊前国の人々が八幡神を再祭祀したと考えている。
辛国宇豆といえば宇佐には辛国宇豆高嶋の降臨伝承があり
これは場所的には稲積山になる。
八幡神というものは宇佐氏によれば御許山に比売大神が降臨したといい
辛島氏の伝承では辛国宇豆高嶋の稲積山に降臨したといい
大神氏の伝承では筑紫豊前国宇佐郡小椋山の麓の菱形池に降臨したという。
この大神氏伝承ではもとの神霊は鍛冶の翁と呼ばれる祟り神である。
鍛冶翁が八つの頭を持つところといい塵輪とつながる。
またその出身は「辛国の城」だという。
このブログの読者であればそれが中国長江流域の呉系姫(キ)氏であることが
容易に想像つくと思う。
『神社探訪』様HPによると韓国宇豆峯神社の末社には
韓国之母神・父神として冠輪大明神が祀られているとの記載があるが
これはもしかすると塵輪大明神のことかもしれない。
また末社の荒人は香春の祭祀を考慮して都怒我阿羅斯等と考えてよい。
また門守神の善神王は竹田市の岡神社の伝承では武内宿禰公とされる。
※この記事のさくら様コメント参照の事
さて韓国宇豆峯神社についてであるが
この宇豆門の頂上の山域は京セラ国分工場が所有しているようだ。
山域の西側は京セラ国分工場の駐車場と回収倉庫があり塀が山頂への侵入を阻んでいる。
京セラ国分工場は京セラの中でも最大規模の工場らしいが
この工場の発展には韓国宇豆峯神社の神霊が関与しているようである。
韓国宇豆峯神社の北側3km程度のところに白山神社があり
姫城という地名や春山原シラス台地もある。
この姫城は720年(養老4年)に起きた隼人の反乱において
隼人側が立て籠もった比売之城(ひめのき)から付けられていると思われる。
この隼人は中国との交流があったとされるが
この時代までは中国春秋の呉の記憶もあったに違いない。
宇佐豊前国から移住してきたのには辛島氏が関与しており
5000人のなかには朝鮮半島からの渡来系もかなり居たはずである。
ならば祭祀したのは韓国の神ではないかという疑問を持つのも当然であろうが
朝鮮から渡ってきたという秦氏等とは
時代によりユダヤ教徒と原始キリスト教徒と
もともと倭国から朝鮮に渡ってその後に戻ってきた長江流域の民族で呉太伯や
王子晋の信仰を持ち続けていた民族と
最低でも三系統は居たものと考えられる。
筆者は過去に韓国で古代神霊の探訪を試みたことがあったが
結論として少なくとも朝鮮半島南側では
朝鮮半島オリジナルの御神霊の気配を感じることが出来なかった。
朝鮮半島の太白山も筆者が云う呉音霊の範疇になる。
また日本でいう韓神は少彦名神を含めて素戔嗚尊も五十猛命も
朝鮮半島由来の神ではないと判断している。
従って秦氏の祭祀する神も朝鮮半島の古代神霊ではないといえる。
韓国宇豆峯神社の宇豆が太秦であることは容易に察しが付くが
カメレオンのように擬態の得意な太秦うずまさの秦氏が
直接に春秋長江の姫氏と結びつくかについては用心深くありたいと思っている。
一般的には秦國は紀元前778年-紀元前206年まで存続した黄河文明由来の国で
中国戦国時代の221年に秦王の嬴政が史上初の中国統一を成し遂げ始皇帝となっている。
仮に秦氏の出自が長江由来であったとしても秦の始皇帝以降であれば
太秦うずまさの秦氏と称してもおかしくはないし
徐福の後胤としてカメレオンの秦氏がふるまう可能性もある。
秦氏は物部氏や蘇我氏に中臣氏とも藤原氏にも接近していて裏で動いている。
韓国宇豆峯神社の宇豆は太秦の「太」の意味を持つのかもしれない。
出雲大社の古代建築では心御柱の前後にある2本の太い柱が宇豆柱と呼ばれるが
これも太い柱という意味なのかもしれない。
海部氏勘注系図にも海神綿津見神の後胤に宇豆彦=珍彦=椎根津彦の名がみえるが
この綿津見の宇豆彦もいろんな意味でこの御神霊と繋がりが感じられる。
秦氏の棟梁は秦河勝であろうが大避神社に秘密が隠されているという。
常世の神を打ちのめし摩多羅神とも同一視されている。
現代において秦氏が暗躍しているとは思えないが
呉音神祭祀においては注意を要する系統であることは間違いない。
『霧島高千穂峰で呉音神に感応した性空上人 No491』で記載している通り
呉系姫氏の祭祀あるいは呉太伯の祭祀をしている神社である。
しかしながら現在の祭神は韓国より戻ってきたとされる五十猛命を祭っている。
「延喜式神明帳」に大隅五座の一つと記載されていて伝承では
宇佐豊前国からこの地域を教導するために移住してきた200戸5000人が祀った神とされる。
しかしこの韓国の意味は大元の香春神社の由緒より間違いなく辛國(中国China)であろうと判断する。
尤もこの香春の地においても豊前国風土記を根拠に韓国由来とする由緒が多い。
この豊前国風土記は作成したとされる藤原不比等の三男の藤原宇合が
渡来の経緯を韓国由来と書き換えているのは明らかである。
もともと香春より前にこの国分の地域では
呉系姫氏の祭祀あるいは呉太伯の祭祀がされていて
出戻りの宇佐豊前国の人々が八幡神を再祭祀したと考えている。
辛国宇豆といえば宇佐には辛国宇豆高嶋の降臨伝承があり
これは場所的には稲積山になる。
八幡神というものは宇佐氏によれば御許山に比売大神が降臨したといい
辛島氏の伝承では辛国宇豆高嶋の稲積山に降臨したといい
大神氏の伝承では筑紫豊前国宇佐郡小椋山の麓の菱形池に降臨したという。
この大神氏伝承ではもとの神霊は鍛冶の翁と呼ばれる祟り神である。
鍛冶翁が八つの頭を持つところといい塵輪とつながる。
またその出身は「辛国の城」だという。
このブログの読者であればそれが中国長江流域の呉系姫(キ)氏であることが
容易に想像つくと思う。
『神社探訪』様HPによると韓国宇豆峯神社の末社には
韓国之母神・父神として冠輪大明神が祀られているとの記載があるが
これはもしかすると塵輪大明神のことかもしれない。
また末社の荒人は香春の祭祀を考慮して都怒我阿羅斯等と考えてよい。
また門守神の善神王は竹田市の岡神社の伝承では武内宿禰公とされる。
※この記事のさくら様コメント参照の事
さて韓国宇豆峯神社についてであるが
この宇豆門の頂上の山域は京セラ国分工場が所有しているようだ。
山域の西側は京セラ国分工場の駐車場と回収倉庫があり塀が山頂への侵入を阻んでいる。
京セラ国分工場は京セラの中でも最大規模の工場らしいが
この工場の発展には韓国宇豆峯神社の神霊が関与しているようである。
韓国宇豆峯神社の北側3km程度のところに白山神社があり
姫城という地名や春山原シラス台地もある。
この姫城は720年(養老4年)に起きた隼人の反乱において
隼人側が立て籠もった比売之城(ひめのき)から付けられていると思われる。
この隼人は中国との交流があったとされるが
この時代までは中国春秋の呉の記憶もあったに違いない。
宇佐豊前国から移住してきたのには辛島氏が関与しており
5000人のなかには朝鮮半島からの渡来系もかなり居たはずである。
ならば祭祀したのは韓国の神ではないかという疑問を持つのも当然であろうが
朝鮮から渡ってきたという秦氏等とは
時代によりユダヤ教徒と原始キリスト教徒と
もともと倭国から朝鮮に渡ってその後に戻ってきた長江流域の民族で呉太伯や
王子晋の信仰を持ち続けていた民族と
最低でも三系統は居たものと考えられる。
筆者は過去に韓国で古代神霊の探訪を試みたことがあったが
結論として少なくとも朝鮮半島南側では
朝鮮半島オリジナルの御神霊の気配を感じることが出来なかった。
朝鮮半島の太白山も筆者が云う呉音霊の範疇になる。
また日本でいう韓神は少彦名神を含めて素戔嗚尊も五十猛命も
朝鮮半島由来の神ではないと判断している。
従って秦氏の祭祀する神も朝鮮半島の古代神霊ではないといえる。
韓国宇豆峯神社の宇豆が太秦であることは容易に察しが付くが
カメレオンのように擬態の得意な太秦うずまさの秦氏が
直接に春秋長江の姫氏と結びつくかについては用心深くありたいと思っている。
一般的には秦國は紀元前778年-紀元前206年まで存続した黄河文明由来の国で
中国戦国時代の221年に秦王の嬴政が史上初の中国統一を成し遂げ始皇帝となっている。
仮に秦氏の出自が長江由来であったとしても秦の始皇帝以降であれば
太秦うずまさの秦氏と称してもおかしくはないし
徐福の後胤としてカメレオンの秦氏がふるまう可能性もある。
秦氏は物部氏や蘇我氏に中臣氏とも藤原氏にも接近していて裏で動いている。
韓国宇豆峯神社の宇豆は太秦の「太」の意味を持つのかもしれない。
出雲大社の古代建築では心御柱の前後にある2本の太い柱が宇豆柱と呼ばれるが
これも太い柱という意味なのかもしれない。
海部氏勘注系図にも海神綿津見神の後胤に宇豆彦=珍彦=椎根津彦の名がみえるが
この綿津見の宇豆彦もいろんな意味でこの御神霊と繋がりが感じられる。
秦氏の棟梁は秦河勝であろうが大避神社に秘密が隠されているという。
常世の神を打ちのめし摩多羅神とも同一視されている。
現代において秦氏が暗躍しているとは思えないが
呉音神祭祀においては注意を要する系統であることは間違いない。