よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

日田街道(宰府往還・朝倉街道)を歩いています(その2)太宰府市都府楼跡~朝倉市甘木

2021-04-19 17:58:41 | 日田街道(宰府道・朝倉街道)

4/11(日)日田街道2日目。9:30前回ゴール西鉄都府楼前駅からスタート。

 

西鉄の踏切を越えると「東蓮寺公園」です。東蓮寺は神武天皇に仕えたという伝説を持つ田中熊別の霊を祀るために建てられた寺と伝えられています。現在寺に関する遺構は見つかっていません。

  

【王城神社】主祭神は、大国主命の子で恵比寿様としてあがめ親しまれている事代主命をお祀りしています。王城神社の名称は、王城山(四王子山)の神として王城大明神と崇め奉られて

いたことによります。

 

白川(鷺田川)は、18世紀に二日市と福岡を結ぶ水運にも利用されていました。

 

筑紫野市に入ってきました。迎田橋の信号を渡ると二日市宿東構口です。東構口といっても遺構は残っていません。

  

江戸時代、筑紫野市には、江戸と長崎を結ぶ長崎街道(本宿通)には、山家宿と原田宿ができ、福岡と日田を結ぶ日田街道(内宿通)には、二日市宿ができました。

二日市は昔から市と湯の町二日市(二日市温泉)として歴史的にも古く、二日市という地名の由来は鎌倉時代から毎月「二」の付く日に開かれた三斎市にあるといわれています。

正行寺は、戦国時代に創建された浄土真宗東本願寺派の寺院です。ゑびす醤油、大賀酒造は、JR九州ウォーキングで何回も来ています。

  

二日市商店街をJR二日市駅に向け進みます。栄町信号手前より左折します。左折した所辺りに西搆口があったそうですが、ここにも遺構はありません。

  

六地蔵】昔、六地蔵の御尊体は木造であったが天正年間(1580年頃)四王子山岩屋城の大友氏と島津氏との合戦で兵火の為堂字と共に焼失、その後元禄十年(1697)に至り

石像に切りたてられたそうです。

  

正面に二日市東小学校が見えてきました。本来ならば、日田街道は、この小学校の中を通って行くのですが、小学校が建ったため右側に迂回していきます。

正門には、案内板が立っていました。

 

小学校の正門から右折します。国道から離れているせいか、古い家が立ち並んでいます。然し、旧道であるため道が狭いし、おまけに今日は福岡県知事選挙の日。

石崎には、松尾神社があります。御祭神は、大山咋神。境内の入り口には、庚申様がありました。

  

踏切を渡ると「針摺」という校区に入ります。

 

前から「針摺(はりすり)」という地名が気になっていましたが、それが解けました。

案内板によると、「その昔、太宰権師として左遷されていた菅原道真公が、天拝山頂で身の潔白を訴えられた帰り、この地をお通りになりました。

そして老人が斧を石に当てて一心に摺っているところを目にされました。「何をするのだ」と問うと、老人は「針にするのです」と答えたそうです。その言葉に菅公は、強く心をうたれ、

何事も不断の努力がなければ成就しないものと、再び天拝山に引き返し、天に向かって訴えを続けられたと伝えられています。」

筑前国続風土記」(1703年)によると、この石は、もとは山の麓にありましたが、近年、この場所に移されたとあります。

 

日田街道は、本来、この道を真っすぐに走っているのですが、ショッピングセンターや道路の新設などにより、失われています。

ですから、突き当りを右折し県道31号線のショッピングセンターの方に出ていきます。この道、道路が新しいせいか、歩道が広く取られ大変歩きやすいです。

 

永岡の信号から斜め左に進みます。

  

幹線道路から離れているせいか、長閑で鳥の声を聴きながらのウォーキングです。

 

宝満川に架かる橋が工事中の為、県道の方に迂回します。宝満橋を渡りまた旧道に戻ります。この辺りは天山(あまやま)校区になります。

天山地区は、商家が並び、油屋、饅頭屋、飴屋などの呼び名が近年まで残っていたそうです。

  

 

しばらく歩くと、「郡境石(二境界石)」があります。案内板によれば、江戸時代山家下宿(しもしゅく)として賑わった夜須郡(現在の筑前町)二(ふた)と御笠郡(現在の筑紫野市)天山との

間に立てられた境石です。この境石のすぐ先の右側が長崎街道です。

   

敬止義塾跡】 福岡藩士であっ杉山灌園が明治10年(1877)頃に自宅の離れで塾を開いていました。近隣から30人ほどの塾生があり、寄宿しているの者もいました。

明治23年(1890)灌園が死去したため閉塾されました。

  

筑紫野市、夜須町には、ホントゑびす像が多いです。佐賀市内も多いのですが、ここも多いですね。いつか、このゑびす像のウォーキングを計画してもいいかもしれません。

山家宿追分石・山家宿番所跡】200号線と交わる間片交差点には、長崎街道・日田街道(薩摩街道)との追分です。日田街道は、ここから石櫃まで薩摩街道を同じコースを辿ります。

  

筑豊本線(原田線)の踏切を越え、山家川にかかる間片橋を渡ります。民家の庭先にも猿田彦、えびす様の石像があります。

日田街道を今まで歩いてきて案内板らしいものはあまりありませんが、この猿田彦の石像で道が間違っているかどうか判断しています。

  

古市彦太夫の墓】案内板によれば

中牟田は朝日村から分かれた村で、 村の形成と発展は用水確保の歴史でもありました。 室町時代の応永11年(1401)、この地にやって来た税田小四郎さいたこしろうは上流の御笠郡山家村に

若宮井手わかみやいでを築き、山家川から水を引いたと云います。 その後、天正年間(1573~1592)「井手」は改修されています。 また、豊臣秀吉は朝鮮出兵のため、この村に「御蔵屋敷みくらやしき」を建て、

兵糧米の備蓄をさせています。江戸時代になって、村は福岡の黒田藩に属し、 宮崎藤右衛門(織部)という人が治めていました。 寛永18年(1641)、秋月藩でお家騒動が起こり、

福岡の黒田藩から藤右衛門を家老として迎え入れました。 その時藤右衛門の領地を動かさずに入国させたため、 中牟田村は秋月藩に編入(内証換え)されることになりました。

この宮崎家に古市彦太夫という家臣がいました。 彦太夫は村人たちが農業用水に苦労していることを知り、「若宮井手わかみやいで」をかさ上げして水量を増やし、下流の中牟田の下原しもばるまで水が届くよう

大改修を計画しました。 彦太夫は「島原の乱」(1637~1638)で足を負傷していましたが、 輿こしに乗って工事を指揮し、無事完成させました。

万治2年(1659)、彦太夫は亡くなり、 水の配分をめぐってたびたび争いが繰り返されました。 そこで、水は「明六ツ(朝6時)から暮六ツ(夕方6時)までは山家村」、 「暮六ツ(夕方6時)から明六ツ(朝6時)までは中牟田村」が取水することを文書で改めて取り交わしました。(以下略)

 

石櫃(いしびつ)の追分石】江戸時代の初め頃の道標で、「右 肥後 薩摩道」(天下道)、「左 豊後 秋月 日田 甘木道」としるされています。
石櫃は、当時山家宿の下宿として賑わい、道標は山家宿の問屋、武作が世話人となって建てました。

  

隣を走る国道は、交通量も多いですが、一本脇にそれると長閑な風景です。然し、コンビニもなければ公衆トイレもありません。

 

篠隈川を渡ると右側に筑前町役場とコスモスプラザが見えてきました。ここで休憩します。

 

梨子木遺跡】砥上岳山麓から南西方向へ伸びた台地に立地する古墳時代後期(6世紀)を中心とした大規模な集落跡です。竪穴住居跡189軒、掘立柱建物跡189軒、土坑98基、溝59条などの

遺跡が発見されました。また、縄文時代に猪や鹿を捕獲するために掘られたという「落とし穴」が40基出土しています。

大木遺跡】曾根田川の左岸段丘上に分布し、縄文時代(約12000年前)~古墳時代(1300年前)の集落跡と弥生時代中期の甕棺墓の遺跡です。竪穴住居跡11軒、掘立柱建物跡3棟、溝跡17条などが

発見されています。

  

松延池は、筑前八大大堤の一つにあげられています。

長者町大神宮は、主神が天照大神、大行事、猿田彦、えびす観音などが併設されています。

 

熊野神社(当所宮)へ行こうと思いましたが、入口にチェーンがかかっており、見ることができませんでした。

当所村は秋月より2里、甘木より1里半。街道に面した絶好の休憩の場でありました。 村内には鍛冶屋・桶屋・笠屋・飴屋・うどん屋・豆腐屋などがあり、 集落全体で一つの経済圏を確立した

活気に満ちた村であったそうです。 また、当神社は「宝くじ祈願」の神社としても良く知られています。

  

多田家住宅】歩いていると、左側に大きな家が見えます。これが「多田家住宅」です。

江戸末期から昭和初期の旧家。母屋の他、隠居部屋、納屋、弓道場、石塀などが2012年(平成24)国の文化財に指定されました。

なんでも山を持たれていたから林業をされていたのかな?

  

  

  

 

三輪の町に別れを告げ甘木宿にやってきました。以前は、甘木市でしたが、2012年(平成24)3月朝倉町、杷木町と合併し「朝倉市」になりました。

小石原川の自歩道用橋を渡ります。渡るとすぐ先に道祖伸があります。

  

3:40 朝倉市甘木二日町にゴール。今日は、ここまでとします。 ゴール後西鉄甘木線で帰宅しました。

歩いていて感じたのですが、日田街道は九州では主要道ではないので、案内板も少なく、自宅に帰ってきていろいろ調べなければいけません。

まあ、それも楽しみかもしれませんが・・・・(笑)

 

この日のGPS. 20,7kmでした。

この日の交通費  西鉄福岡~都府楼前 @360 西鉄甘木~西鉄福岡 @800