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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

世界遺産【首里城】へ(沖縄県那覇市)

2016-12-22 15:26:02 | ウォーキング

12/13(金)沖縄旅行最終日。那覇地方では雨の予報。ちょっと蒸し暑くいつ雨が降ってもおかしくないくらいです。

ホテルで朝食をいただき、近くにある「牧志公設市場」までミニ散歩。

国際通りに隣接する公設市場は戦後のヤミ市から続いており、市場内は新鮮で色鮮やかな魚や、豚の足(テビチ)やバラ肉(三枚肉)豚の顔の皮(チラガー)まで売られています。

2階には、食堂があり、市場で買ったものをここで調理して食べさせてくれます。営業時間は8時からですが、開いている店舗は、まばら。

この市場は、沖縄の台所と言われるくらいですので年末に向けお客さんで賑わうでしょうね。

  

ホテルに戻り荷物をまとめチェックアウト。これからこの沖縄旅行最後の訪問地「首里城」に向かいます。

首里城は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群として2000年に世界遺産に登録されました。

  

琉球王国は、1429年(日本では室町時代)~1829年(江戸時代文政年間)までの450年間にわたり存在した王政の国です。

中国や日本、東南アジアとの盛んな交易により琉球独自の文化が育まれました。その王国の政治・外交・文化の中心として栄華を誇ったのが首里城です。(首里城案内文から抜粋)

首里城は小高い丘の上に立地し、曲線を描く城壁で取り囲まれ、その中に多くの施設が建てられています。いくつもの広場を持ち、また信仰上の聖地も存在する。これらの特徴は、首里城に限られたものではなく、

グスクと呼ばれる沖縄の城に共通する特徴でした。他のグスクは首里城との競争に敗れ滅んでしまったが、首里城はグスクの特徴を保持しながら新たな発展を遂げました。

首里城は内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成しています。

正殿をはじめとする城内の各施設は東西の軸線に沿って配置されており、西を正面としている。西を正面とする点は首里城の持つ特徴の一つです。

中国や日本との長い交流の歴史があったため、首里城は随所に中国や日本の建築文化の影響を受けている。正殿や南殿、北殿はその代表的な例です。

首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもありました。また、各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて、

王国祭祀(さいし)を運営する宗教上のネットワークの拠点でもありました。さらに、首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍していました。

首里城は文化芸術の中心でもあったのです。(首里城案内文より抜粋)

先ず、守礼門から入ります。この守礼門は、二千円札のデザインにも使用されています。

今日は、修学旅行の生徒が多く、いくつもの学校の生徒さんがここを訪れています。

守礼門の守礼とは、礼節を守るという意味です。真中には、「守礼之那」と書かれており、琉球は礼節を重んじる国という意味です。

これから正殿に行くには、いくつもの門を通らなくてはいけません。

  

園比屋武御嶽(そのひやんうたき)石門】  (世界遺産)

石門とその奥の森を園比屋武御嶽石門といい、王府の祈願所でした。石門は神社でいう拝殿にあたりますが、本殿に相当する建物はなく、石門の後に広がる森がこれに当たります。

石門は竹富島の西塘の作。石材は主に琉球石灰岩を用いました。

歓会門

歓会(かんかい)門は、首里城の城郭内に入る第一の正門。中国の使者「冊封使」などを歓迎するという意味です。又、「あまの御門」とも言われます。

門の両側には、一対のシーサーが飾られています

   

【龍樋】

龍の口から湧水が湧き出ていることから名づけられました。王宮の飲料水として使われていました

【瑞泉門】

瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味です。

門の手前右側にある湧水が「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれ、それにちなんでこのように名付けられました。

 

 

【漏刻門】

漏刻(ろうこく)」とは中国語で「水時計」という意味。ここは第三の門で、別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいう。

当時、身分の高い役人は駕籠(かご)にのって首里城へ登城したが、高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということからそのように呼ばれています。創建は15世紀頃です。

門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれています。時刻を測定すると係の役人がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が東(あがり)のアザナと西(いり)のアザナ

および右掖門(うえきもん)で同時に大鐘(おおがね)を打ち鳴らし、城内および城外に時刻を知らせました

【廣福門】

広福(こうふく)」とは、「福を行き渡らせる」という意味です。「広福門(こうふくもん)」は別名「長御門(ながうじょう)」といい、第四の門です。建物そのものが門の機能をもっており、

この形式も首里城の城門の特徴です。

ここからの眺めは、いいのですが、今日は曇っていて遠くの山をみることができません。中央の建物は、沖縄芸術大学です。

【奉神門】

「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前。

奉神門を潜るとようやく「正殿」です。

   

正殿】

正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物でした。

正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式といってよいでしょう。

首里城正殿の壁等の彩色塗装には、桐油が塗られています。なお、下地の一部は漆です

正殿の中に入ります。正殿の中は、撮影禁止(一部例外を除き)です。

鎖之間に来ると有料で琉球王朝時代のお茶とお茶菓子が味わえます。310円を払い中へ。

【鎖之間】

鎖之間は琉球王朝時代、王子の控所であり諸役の者たちを招き懇談する施設と言われておりました

   

お茶とお茶菓子をいただきながら鎖之間の説明をしていただきました。さんぴん茶とは、ジャスミン茶のことです。ちんすこうは、今でも沖縄を代表するお菓子です。ここでは、写真撮影OKでした。

    

正殿を出て、首里城公園を少し散策しました。

  

  

  

日本の道百選に選ばれている所に来ました。ここは、石畳の道です。先ほど少し雨が降りましたので滑らないようゆっくり歩きます。

ふと、道の端にハブに注意!」      沖縄には、猪もいないから住むにはいい所・・・と思っていましたが、ハブは、いますね。

   

  

  

  

時間も11時半近くになりました。Mさんご夫妻も今日の便で下関に帰られるそうでここでお別れをします。

僕等の飛行機は、15:10.まだ少し時間があるので那覇市内をゆっくりドライブしてから帰ろうと思います。

福岡空港には、17:00ごろ到着。福岡は雨が降っていて少し寒いです。

あっという間の5日間の沖縄の旅でした。初めての沖縄で食べ物に少し不安がありましたが、沖縄料理もおいしかったし、大満足の旅でした。

ウオーキングの沖縄マーティングリーグは、名護、久米島、浦添の3大会がありますが、いつか、この3大会を制覇したいです。また沖縄に来ます!