北ノ庄城跡見学のあと、デパートに立ち寄りました。トマトの「越のルビー」や「鯖のへしこ」、「小鯛の笹漬け」などどれも福井を代表する食べ物ですね。
「一乗谷朝倉氏遺跡」は、今から500年以上前の戦国時代、朝倉氏が5代103年間にわたって越前を支配した城下町跡です。
最盛期には、1万を超える人口を有し、雄大な城下町とみやびやかな文化の華を咲かせましたが、1573年織田信長によって跡形もなく焼き払われ滅ぼされました。
遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ昭和46年には国の特別史跡に指定され、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、義景館跡庭園、南陽寺跡庭園が特別名勝に指定されました。
平成19年、朝倉氏遺跡出土品のうち、2343点が重要文化財指定を受け、全国でも5例目となる(特別史跡、特別名勝、重要文化財)となりました。
復原町並みでは、塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路を挟んで武家屋敷や庶民の町家が形成されていた様子がリアルに再現されています。(大会誌より)
500年前の城下町を見事に復元されていました。各コーナーには、ガイドさんも待機され詳しく説明されています。
ただ、欲を言うなら、道路が黒のアスファルト舗装というのは、どうもしっくりいきません。昔の道だと車いすが動けないとか、ハイヒールの方が歩きにくいという難がありますが、
今はカラー舗装もありますのでその点をもう少し考えて欲しかった。
一乗谷川を渡ると「朝倉氏館跡」があります。
朝倉氏館は、朝倉家当主が居住した館である。東側後背に山城があり、西、南、北の三方を高さ1.2メートルないし3メートルほどの土塁で、その外側を幅約8メートル、深さ約3メートルの堀で囲んでいる。
三方の土塁にはそれぞれ隅櫓や門があった。西方にある門が正門(御門)であり、現在は唐門が建てられている。平坦部の面積は約6,400平方メートルあり、内部には17棟の建築物があった。
館内最大の常御殿(東西約21.4メートル、南北約14.2メートル)を中心に、南側には主殿や会所・数寄屋・庭園・花壇など接客用の施設群が、北側には台所や持仏堂・湯殿・蔵・厩など日常生活のための施設群が存在した。
建物はすべて礎石に角柱を立てて建てられており、屋根はこけら板等を葺いていたと考えられているが、鬼瓦や棟石等も発掘されている。舞良戸や明障子などの引き戸を多用し、畳を敷きつめた部屋も多かったとされる。(ウィキペディアより)
一乗谷城は、この山頂にあったそうです。この朝倉氏の遺跡、本当に見事でした。
朝倉氏遺跡を後にし、次は、私の福井で行ってみたい所№2「芦原温泉(あわら)」に向かいました。
福井ICから北陸道を通り、丸岡で降りて15分ぐらいでつきました。入った温泉は、「セントピアあわら」。入浴料を払おうとするとJAF会員には割引があるそうです。
500円→400円でした。
芦原温泉は、1883年明治16年)開湯。一帯はこれといった作物も育たない湿地帯であり、農地の灌漑工事を行っている最中に噴出した。しかし、風景が平凡であるために、
各旅館はこぞって京都から職人を招き、庭園美を競うようになった。また、それに見合った建築、露天風呂などを設え、風情のあるものに仕立て上げた。その後は、落ち着いたたたずまいが人気を呼び、
また永平寺の精進落としの湯、はたまた関西地方の奥座敷として発展を遂げていくが、1956年(昭和31年)に大火に見舞われ、温泉街は烏有に帰す。
その後、新たな都市計画の元に碁盤目上に区画された温泉街が作られた。(ウィキペディアより)
お湯もよく、ゆったりした気分になれました。芦原(あわら)は、金津町と合併し、現在「あわら市」になっています。
さて、今晩の夕食は、「越前おろしそば」です。福井県は、そばの生産量が全国5位です。そばに大根おろしをのせて出汁をかけたり、大根おろしに出汁を加えてつけツユにして食べるなど
大根おろしを利用することから「おろしそば」と呼ばれています。
先ずは、ビールで。
焼きサバ寿司も厚みのある鯖を使ってあり、大変おいしくいただきました。
福井は、2018年国体が開催されるそうです。通りには、国体の垂れ幕がありました。
福井市のマンホール。空襲や地震、水害などから不死鳥のごとく復興したことから福井市のマンホールには、不死鳥が使われています。