9/14 越前・日本海ハイ!ウオークツーの二日目。今日は、越前コース。天気は今日も晴れ。
事前では、30kmにエントリーしていましたが、前日の足の疲れがまだとれなく、また、帰りの電車のことを考え、16kmに変更しました。
16kmは、松岡河川公園→(バス移動)→大本山永平寺→越坂峠→鳴鹿大堰→福井県グリーンセンター→松岡河川公園。
松岡駅7:54着。駅から会場の方に歩いていると、お年寄りの方が、ゲームをされています。ゲートボールそれにしては、スティックがない
聞きますと「ペタンコ」だそうです。フランスが発祥の地で、早い話、陸上のカーリングです。
九頭竜川の鉄橋を渡るとたくさんの太公望の方が鮎釣りをされています。その竿が長いこと長いこと・・・・・・
会場は、九頭竜川鉄橋の下の「松岡河川公園」。参加者は、昨日と同じ500人ぐらいかな?
出発式のあと、バスで永平寺駐車場へ。9時20分ウオーキング開始。
永平寺までの道は、狭く車の通行量も多いので、永平寺駅口跡までは、団体歩行です。
曹洞宗大本山永平寺は、今から約750年前の寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創建された出家参禅の道場です。
室町時代には天皇から「曹洞宗第1道場」の勅額を贈られ、日本の禅修行の場として歴史を刻んできました。33万平方メートルにも及ぶ広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司などの
修行の中心となる「七堂伽藍」 など、70余棟の建物が、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれながら 静かにたたずんでいます。150名の雲水たちによって、荘厳な雰囲気の中、
今も750年前に道元によって定められた厳しい作法に従って禅の修行が営まれています。(永平寺町観光ガイドより) 大晦日の「行く年来る年」では、修行の様子がテレビで映されていますね。
永平寺に御参りに行きたかったのですが、団体歩行のため、門前にて拝んできました。また、いつか機会があれば、本堂に御参りしたいです。
永平寺門前町を抜けると「永平寺参ろ~ど」という遊歩道に入ります。ここは、かつて、永平寺鉄道(現京福電鉄)が東古市~永平寺まで永平寺線として営業していました。
しかし、モータリゼーションなどにより、2002年(平成13年)廃止されました。その跡地を、今年(平成26年)春「遊歩道」として完成しました。約6km、鉄路があったころのように砂利敷きや一部レールを残しています。
志比南小学校が第一チェックポイントです。このチェックポイントの案内板は、目立たない所にありますので何人かの方が気づかず通り過していきました。
私も気づかず素通りしていこうとしましたが、家内が気づいて、教えてくれスタンプをもらうことができました。次回は、目立つ所で案内してほしいですね。
「コシヒカリ」でしょうか、田んぼでは、稲刈りが行われています。こういう空気のおいしいところをウオーキングするなんて贅沢な感じがします。
諏訪間の信号から左折。コースは、16km最大の難所「越坂峠(こえさかとうげ)」に向かいます。余談ですが、前方に「羽二重餅(はぶたえもち)」の看板が見えますが、昨日お土産を買いに福井駅構内のお土産屋さんに
行きましたが、この羽二重餅は、いろんなお菓子屋さんが作っているのですね。クルミがはいったり、もなかになったり、どれを選ぶか迷ってしまいました。また、羽二重餅を作っているお菓子屋さんは、
勝山とか、永平寺周辺に多いです。やはり永平寺の関連でしょうか 因みに、『羽二重餅』の由来である「羽二重」とは、撚りのない経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を使った平織りの絹織物のこと。
柔らかな肌触りと上品な光沢が特徴です。福井では明治初期ごろから生産が本格化し、20世紀初頭には全国輸出額の60%を占めるほどの産地になったそうです。
羽二重餅は、羽二重を彷彿させるようにと、考え作られました。150数年の歴史があるそうです。
「越坂峠」は、202mあり、古くは、永平寺の参道としての歴史を持ち、多くの修験者がこの峠を越えて大本山に向かったそうです。
しかし、それにしてもきついです。ここまでは、順調に歩いてきましたが、昨日の疲れでしょうか、足が思うように動きません。後から来た人にどんどん追い越されます
修業、修業と口で唱えながら登っていきます。やっと頂上です。
峠を越えると「松岡」の町に入ります。柴神社を過ぎると、福井の代表的な清酒「黒龍酒造」があります。お店の前の杉玉には、しめ縄がつけられています。こういう光景は、初めてです。創業は、文化元年(1804)だそうです。
昨晩、ホテル近くの居酒屋でこの「黒龍」の大吟醸をいただきました。お値段は、一合@1300円だったかな?一口飲んでみますと、甘くてとても飲みやすいです。
あっという間に一合飲んでしまいました。お代わりをしたかったのですが、ここは、家内に止められました。
黒龍酒造の先には、「浜田醸造」という醤油、お味噌屋さんがあります。こちらは、大正14年の創業。永平寺町は、歴史あるお酒屋さんや醸造屋さんなどがあります。やはり水がいいのでしょうね。
チェックポイントは、「鳴鹿大堰(なるかおおぜき)」です。
説明文には、水の便が悪かったもの土地の人々にとって、稲を作ることは、昔からの悲願でした。寛弘8年(1011年)、春日明神のお告げにより、黒龍川の上流を辿っていくと、一頭の鹿が幣を咥えて現れました。
鹿のあとを追うと、川の中で三声鳴いて幣を振って、春日社のあたりで姿を消したと言われています。これが「鳴鹿」の地名伝説です。
鹿の通った通りに堰を設け、水路を開削して十郷用水が生まれ、旧堰は、鳴鹿堰堤と呼ばれました。旧堰の下流に築造された新堰は、この伝説に因んで「鳴鹿大堰」と命名されました。
本堰の堰柱は、「鹿」の姿を表し、また堰全体は、かつてこの地の両岸をつないでいた「鳴鹿の舟橋」を連想できるように設計されています。2003年完成しました。
この大堰の下には、九頭竜川(くずりゅうがわ)が流れています。
九頭竜川流域は、本州日本海側のほぼ中央にあり、福井県嶺北部に位置しています。流域内には、福井市を始め7市4町と岐阜県郡上市の一部が含まれています。
九頭竜川は、流域を代表する「母なる川」で幹線流路延長が116kmもあります。その流れの源は、福井・岐阜県境の油坂峠(717m)に発し、九頭竜峡谷を経て、大野盆地を南北に流れ、
勝山市で真名川と合流し、永平寺町鳴鹿にて福井平野に入りに西流します。そして福井市高屋において、南越前夜叉が池(1099m)より流下する日野川と合流し、坂井市三国町で日本海に注ぎます。
川では、太公望が鮎釣りをしていました。
九頭竜川を渡り、しばらく歩くと「福井県総合グリーンセンター」があります。
福井県総合グリーンセンターは、都市緑化植物園とグリーンパークからできています。都市緑化植物園には、熱帯植物や季節の草花の温室、緑の相談室、噴水、芝生広場、盆栽展示、
林業試験研究室などの施設があります。グリーンパークには展示室や展望台があるウッドリームフクイ、北前船やからくり時計があるウッドハウス九頭龍、水上ステージと芝生のふれあい広場、
ミニボート池、いろいろな遊具などの施設があります。
グリーンセンターの木々は、紅葉し始めたのもありました。 グリーンセンターを出ると福井大学病院が前方に見えてきます。
やはり、福井大学は、「福大」でしょうか?、また福井銀行は、「福銀」でしょうか?福岡にも「福大」、「福銀」があります。(笑)
ゴールの松岡河川公園が近づいてきました。時間は12時20分ぐらい。当初の予想では、13時ぐらいでしたけど、だいぶん早く着きそうです。
12時24分、16kmゴールしました。約3時間の歩行でした。ゴールすると、精進カレー汁が振る舞われました。
カレー汁を食べ終わると地元のテレビ局のカメラが近づいてきました。私にインタビューをするそうです。Dバックの後ろに「風車」を付けていたからでしょうか?
何か、あがっちゃって、何を言ったか忘れてしまいました。(笑) 福井では、もう放映されたでしょうか?
今日のコースマップです。
昨夜は、ホテルの近くの居酒屋さんで福井の「油揚げ」「サバのへしこ」をいただきました。
「福井の油揚げ」は、とにかく厚いです。厚揚げ?と思いましたが、いや、油揚げなんです。なんでも福井県は、油揚げの消費が全国一だそうです。
そういえば、永平寺などでは、精進料理に「油揚げ」を使いますね。
「サバのへしこ」は、はじめていただきましたが、店の主人から少しずつ食べた方がいいと言われ、少しずついただきましたが、兎に角辛いです。これだったらどんどんお酒が入ります。
しかし、よく麹の味がしてとてもおいしかったです。
帰りに電車の中で食べようと、福井駅構内で「焼サバ寿司」を買いました。@1100 身が厚くとてもおいしかったです。
福井は、「御食(みけつ)国」(若狭地方)と言われます。この3日間、福井のおいしいものを満喫しました。まだまだ食べていないものもたくさんあるみたいです。
やはり、3日間では、全部食べようとは、無理ですね。またいつの日か、福井の町を訪れたいと思います。
次回は、嶺南地方のおいしいものがいいかな?
以上で私の「初めての福井」の旅報告を終わります。