よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

初めての福井(その1)

2014-09-15 17:04:46 | 旅行

「越前、日本海ハイウオーク」に参加するため、初めて福井市に行きました 博多発6:05発ののぞみで新大阪へ。新大阪からは、サンダーバードに乗り換えて福井へ。約5時間の旅でした。

  

 

福井駅でレンタカーを借り福井市内散策です。

福井は、初めてで知らないことばかり。福井に来る前に少し勉強してきました。 昔は、若狭から山形・荘内地方の一部までを「越(こし)の国」と呼んでいました。

福井が、「越前」石川、富山が「越中」、新潟が「越後」。のちに越中が、「能登」と「加賀」に分かれます。

その越前「福井」は、北陸街道の難所である「木の芽峠」「栃ノ木峠」(北陸トンネルの所)を境に「嶺南」「嶺北」の分かれます。これは、木の芽峠が通称「木嶺」と呼ばれたことに起因します。

京に近い方が「嶺南」(敦賀、若狭方面)、「嶺北」は、越前、鯖江、福井、坂井などを指します。

「福井市」は、人口約263000人(福井県総人口約79万人)。戦国時代には、朝倉氏、柴田氏が支配し、江戸初期には、結城秀康(徳川家康の二男)を中心に68万石の城下町でした。

お城は、もうありませんが、福井駅から5分ぐらいの所に「福井城址」があります。

  

福井城址には、現在福井県庁がありますが、ところどころにお城の面影が残っています。天守閣跡の近くには、「福井」の地名の由来になった「福の井」があります。

案内板によれば、井戸の底部まで5,7m、水深1,9m。

  

お城址を散策していると、2018年福井国体のキャラクター「はぴりゅう」に会いました。「はぴ」は、ハピネス、「りゅう」は、福井の恐竜を意味しています。

福井城址の横の公園には、1936年の2・26事件で負傷した福井出身の元首相「岡田啓介」の銅像が建っています。

    

さて、お腹もすいてきましたので、昼食にしようと思います。これも事前に調べましたヨーロッパ軒の「ソースかつ丼」。地元の方に聞いてやっとたどり着いたヨーロッパ軒。

お昼時で多いかな?と思いましたが、すぐ座られました。

   

普通「かつ丼」というと揚げたとんかつに卵をとじているのですが、ここのかつ丼は、揚げたとんかつに独特のソースをかけたものです。

とんかつも一般的には、脂身の入った1cmぐらいの肉ですが、このソースかつ丼は、脂身をとったやや薄いお肉です。御飯にソースをかけるなんて、辛いのでは?と思いますが、なんのなんの決して辛くありません。

隣の席では、日本テレビ系の「けんみんショー」の録画が行われていました。隣に座っていたので少しぐらい映っていたかもしれません。放映は、10/16だそうです。

   

お腹もいっぱいになり、北ノ庄公園に行きます。

この北ノ庄城址は、柴田勝家が、福井を治めた時、北ノ庄城というお城があった所です。案内パンフを見ると、北ノ庄城は、天正3年(1575)に築城が始まり、織田信長の安土城天守(7層)をしのぐ、9層の天守閣を持つ

日本最大級の城だったそうです。天正11年(1583)羽柴秀吉に攻められ落城。城もわずか8年で「幻の名城」となりました。現在は、勝家とお市(信長の妹)を祀る「柴田神社」、茶々、初、江を祀る「三姉妹神社」があります。

  

 信長亡き後、天正11年(1583)4月、賤ヶ岳(しずがだけ)の戦いで羽柴秀吉に敗れた勝家は、妻の お市の方(織田信長の妹で絶世の美人と言われ、政略的婚姻により近江の小谷城主浅井長政に嫁ぎ1男3女をもうけた。

天正10年(1582)10月3人の娘を連れて柴田勝家の許に嫁ぐ)に3人の娘と共に城を出るように諭したが、お市は、3人の娘を秀吉の陣におくったのち、勝家と共に城内で自害した。

残された3人の娘の長女「茶々(淀姫)」は、秀吉の側室となり寵愛を受け秀頼をもうけたが、慶長19年(1615)家康軍と交戦することになり、翌元和元年5月、秀頼と共に大阪城中で自害した。

次女「お初」は、従兄弟の京極高次に嫁ぎ忠高をもうける。高次は、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いののち若狭国小浜城主となる。

三女「お江」は、豊富秀勝などと再婚を重ねた後、徳川二代将軍秀忠の正室になる。

 

   

北ノ庄城址からしばらく市内を歩きます。大手町の所には、大きな神社があります。

これは、「佐佳枝廼社(さかえのやしろ)」といって、徳川家康、松平秀康(結城秀康)、松平慶永(春嶽)をお祭りしています。別称「越前東照宮」ともよばれています。

大手町の道路を見ると路面電車が走っています。これは、福井鉄道といって、福井から武生(たけふ)までの約21kmを走っています。

  

このあと、レンタカーで一乗谷に行きました。(続く)