6/10(日)からでっかいどうオホーツクマーチは、会場を北見市に移して行われました。「ハッカの大地北見ツーデーマーチ」
ハッカは全世界で栽培される多品種のハーブで、「Mint ミント」は英語、イタリア/スペインなどラテン語では「Mentha メンタ」、「ハッカ」は日本語です。読み方は違えど中国語でも「薄荷」(ボーフォァ)。
そして、この草の大きな特徴として、シソ科特有の正方形の茎形と、葉をもむだけで感じられるスーッとする独特な清涼感があります。
明治35年頃から生産が始まった北見ハッカは昭和14年に全盛期を迎え、当時世界薄荷市場の約70%を占めるまでに成長し、現在の北見の礎(いしずえ)を形成する重要な産業となりました。
その北見市は、オホーツク海沿岸から石北峠までの東西110kmに広がっており、北海道で一番広い都市です。人口約12万人。
今年の平昌冬季五輪では、北見の女性カーリングチーム「ロコ・ソラーレ北見」が銅メダルを獲得しました。その時の「そだね」とか、「モグモグタイム」は、流行語になりました。
会場は、北見駅南側の多目的広場です。今日は、15:30からのウェルカムパーティに参加しますので30kmコースを歩きます。
7:30 30k、20k同時スタートです。
5km地点常盤公園が給水ポイント。
しばらく行くと20k、30kの分岐点です。20kコースは、橋の下を通って直進、30kコースは橋から左折し、「とん田通り」にを歩きます。
しばらく歩くと右側に「北光八幡神社」があります。
北光八幡神社の横には、「北光社遺跡」があります。説明文を読むと、「坂本龍馬の甥、坂本直寛は、片岡健吉・澤本楠弥・西原清東と共にキリスト教の精神を具現する理想郷(農場)建設の為、
有限会社(後に株式会社)北光社を設立した。社長には、坂本直寛、副社長澤本楠弥が就任した。北光社は、明治29年(1896)、坂本や前田駒次の視察でクンネック原野の常呂川と訓子府川に
挟まれた地域を農場に相応しい土地として払い下げの申請をした。翌明治30年(1897)4月、募集に応じた22戸約650人を乗せた船は、高知浦戸港を出帆、船中に麻疹が流行、罹患して
死者を出したり、オホーツク海の気象不順などで約1か月を要す船旅となった。農場は、常呂川及び訓子府川(くんねっぷがわ)との合流点やや上流から訓子府町日の出迄、訓子府川では、
北見市のうちまでの流域で、片岡・西原・傍士・大脇・由比・武内・小嶋・大谷の8班に分割して開拓させた。翌年には、大水害の不幸にも見舞われ、多くの辛酸をなめたが、澤本・前田の下で
開拓を進め、大正2年(1913)には、黒田農場を経て、現在では、下流域は、市街地に、上流域は、見事な穀倉地帯となっている。」
また、北光社とほぼ同時期に入植したのが北の防備と開拓を目的にした屯田兵でした。 この両者の強じんな開拓魂が、想像を絶する困難にも負けず北の大地を切り開き、
ここに北見の歴史が始まったのです。
この大会の参加者の中に高知県の方がいました。その方が曰く、「北見市と高知市は、姉妹都市」。理由はわかりますね。
北見水田発祥の地石碑 北見地方の米作の始まりは、明治31年、北海道庁が北光社農場に対し、水稲の試作を委嘱した時です。この年から、農業管理人の前田駒次は毎年これを試作、
35年にいたってようやく穂が稔り、これを脱穀、精白して北光社の農家に二合(約三百グラム)ずつの白米を配ることを得ました。石碑は、昭和43年(1968)建立されました。
何か、ウォーカーの人が減っている様な感じがします。私達がアンカーさんを除いて最後尾かもしれません。皆さん20kmコースに行かれたのかな?
北海道糖業は、ビート糖(甜菜)を製造しています。北見でもビート(甜菜)を栽培しています。
マップでは、玉ねぎ畑が広がります。と書いてましたが、道路の両側には、一面の玉ねぎ畑があります。福岡では、今、玉ねぎの収穫期ですが、ここでは、8月末~9月中旬に収穫するそうです。
「銀河ふれあい道路」に来ました。昔、ここには、池田~北見までの約140kmを「ちほく(池北線)高原鉄道(ふるさと銀河線)」が走っていました。
上常呂駅があった「上常呂コミュニティプラザ」がチェックポイントです。ここまで11km。
遠くに雪を被った大雪山系の山が見えます。昨日、一昨日の雨があの辺りは雪だったのでしょうか?
一面の玉ねぎ畑を見ていると、サンプラザ中野さんが歌った「大きな玉ねぎの下で」という歌が浮かんできて口ずさみます。
あの大きな玉ねぎの下で 初めて君と会える 九段下の駅を降りて坂道を 人の流れ追い越して行けば 黄昏時雲は赤く焼け落ちて 屋根の上に光る玉ねぎ~
この歌は、武道館の上にある擬宝珠を玉ねぎに見立てて歌ったのですから、本物の玉ねぎとは違いますが・・・・・
矢旗では、ここから直線で5,5kmあると書かれています。森ではカッコーの鳴き声が聞こえます。前を歩く人も見えないし、ゆっくり歩くことにします。
コンビニから左折すると国道39号線に入ります。先の歩道橋を渡ると「東相内住民コミュニティセンター」です。ここまで19km。時間は11:30.あと10kmぐらいですが、ちょっと休憩します。
休憩後、再び歩きます。
今日は、日曜日、小学校では、運動会が行われていました。北見でも運動会は、春に行うのですね。
双葉公園が20kmのチェックポイント。ここまで24km地点。
ここから石北線の高架を渡ります。渡ってからは、石北線と並行に歩きます。途中、電車が来ました。昨日網走から乗った特急「大雪」です。
石北大通り公園のSL広場では、かつて北見を走っていた機関車が展示されています。
ピアソン記念館は、1914年(大正3年)ウイリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計により建設され、アメリカ人宣教師のピアソン夫妻が15年にわたり生活をされた木造2階建の西洋館です。
その後各種の造作がなされたため、北見市は1970年(昭和45年)復元工事を行い、1971年5月31日、ピアソン記念館として開館し、同年10月1日「ピアソン記念館条例」を制定しました。
また、ピアソン記念館は2001年(平成13年)10月22日、北海道遺産に選定されました。
オホーツクビアファクトリーは、日本で初めて地ビールを造った会社です。一杯試飲でもしたかったのですが、飲んだら歩けなくなりますのでここは、じっと我慢しました。
コースは、北見駅前へ。ゴールはすぐそこです。
14:25 30kmコースゴールしました。
今日のGPSです。
よっくん夫妻の行動力にあっぱれ!!
いいな~と 思いながら一緒に旅しているつもりで
読んでいます。三拍子そろわないとウオーキング大会は参加できないから 一番は元気 あとは時間 経済力 なんといっても夫婦で参加は羨ましい
またご一緒したいねと 何時も夫婦で言っています 本当に素晴らしいです‼
ブラボー ブラボー です
会津の紅葉も行きたい 沖縄も行きたい
思いは募ります
北見では、「赤いサイロ」の本店に行って赤いサイロを探しましたが、売り切れていました。(涙)
今回は、のりちゃん、とほ娘さんにお会いしました。
二人ともお元気でした。