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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

伊勢お蔭参りに行ってきました。その2(伊勢神宮外宮~内宮)

2014-06-01 20:19:43 | 旅行

  伊勢はな~、津で持つ  津は、伊勢で持つ  尾張名古屋は、城で持つ・・・・・・・

これは、伊勢音頭の歌いだしの部分です。

3番ぐらいの歌詞に  目出度な~ めでたの若松様よ 枝も栄えて ヤンレ 葉も茂る ヤートコセーノ ヨイヤナ アララ コレワイセ コノヨイトコイセ~ 

私の住んでいる「博多」には、「博多祝いめでた」という歌があります。これは、博多山笠やお祝いの席で歌われています。

 祝いめでたの~ 若松様よ  若松様よ 鶴と亀とが舞い 遊ぶ エーイショウエ エーイショウエ ショウエイ ショウエイ ションガネ アレワイサソ エサソエー ションガネ~ 

歌詞も合いの手も似てますね。この博多祝いめでたの元曲が、この「伊勢音頭」です。

江戸時代、伊勢神宮のお蔭参りは、年間、春だけで500万人の方がお参りに訪れていました。「一生に一度はお伊勢参りに」というのが口癖だったそうです。

然し、伊勢までの旅費は、莫大なものですので、当時集落ごとに「伊勢講」という参宮目的の信仰集団を結成し、くじ引きで代表者を送っていました。

現代ですと博多から伊勢までは、新幹線と近鉄特急を使えば、約5時間で行けます。電車の運賃も片道13000~14000円ほどです。日帰りも可能ですね。(笑)

伊勢参りに来た方は、帰りに遊女屋で遊ぶ方もいたということです。そこで覚えた歌がこの「伊勢音頭」。

伊勢音頭は、荷物にならない伊勢土産といわれ、伝えられた各地でアレンジされ、普及していきました。「博多祝いめでた」もその一つです。

もともと、この伊勢音頭は、伊勢神宮遷宮の用材を運ぶ御木曳(おきひき)の「木遣唄」だったそうです。

◎ 『伊勢神宮外宮』(豊受大神宮)

前置きはこのくらいにして、二見浦夫婦岩からJR二見浦駅に戻りました。快速「みえ号」は、1時間に1本です。駅に着くとちょうど13:15の名古屋行に間に合いました。  

   

書くのを忘れていましたが、大坂鶴橋からの近鉄電車には、「伊勢神宮参拝きっぷ」を購入しました。関西発ですと、6600円で連続3日間使えます。

特典として、近鉄線、松坂~賢島間は、フリー区間、三重交通の松坂、伊勢、鳥羽、志摩エリアのバスが乗り放題、参宮の木札や赤福のお召し上がり「盆」3粒などが付いています。

伊勢市駅から参道を歩いていると、レトロな木造3階建ての旅館が目に入ります。「山田屋旅館」で大正初期の建物です。

  

伊勢神宮外宮は、「豊受大御神」をお祀りされています。

第21代雄略天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波の国から内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今から1500年前のことです。

豊受大御神は、御饌都神(みけつかみ)と呼ばれ、御饌つまり、神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。

  

手水舎で清め、第一の鳥居に礼をして入ります。

   

  

神楽殿を過ぎると「ご正宮」です。伊勢神宮は、昨年20年ぶりに「遷宮」しました。新しい「ご正宮」が古い「ご正宮」の横に建っています。

  

残念ながら、写真撮影は、入口までです。そのあと、「風宮」「土宮」「多賀宮」と外宮の別宮をお参りしました。

   

参拝を終え、「せんぐう休憩所」で休憩します。こちらには、「まがたま池」があります。池には花ショウブの花が咲いていました。

   

外宮を出て、まだお昼を食べていないことに気づきました。見えてきたのが「赤福」です。

早速、「赤福」と「冷やしぜんざい」「赤福氷」を注文。

いや~、やはり本場で食べる「赤福」は格別です。

  

 

◎ 「伊勢神宮内宮」(皇大神宮)

外宮から内宮への移動は、近鉄電車や三重交通のバスがあります。電車ですと「五十鈴川駅」で下り、徒歩20分ぐらいかかります。

バスですと、内宮の入口まで行けます。また、この参拝きっぷを提示するとバス代は無料です。勿論バスで移動しました。

   

皇大神宮(内宮)は、皇室の御祖先である天照大御神がお祀りされています。垂仁天皇の26年(紀元前4年)に神路山、島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座されました。

日本人の総氏神様です。

五十鈴川にかかる「宇治橋」を渡り、神宮内へ。ここ宇治橋では、右側通行です。外宮では、左側通行でしたが・・・・・・

    

玉砂利の参道を進むと、手水舎があります。その先の右側の五十鈴川御手洗場に手をひたして心身を清めた後、お正宮へ向かいます。

  

    

   

残念ながら、この「お正宮」も写真撮影は、この階段までです。

参拝の後、内宮の別宮もお参りしました。

  

御参りを終えて、参集殿の方に行くと、何やら「鶏」が・・・・・・・・近寄っても逃げません。

この鶏、「神鶏(しんけい)」といって、天照大御神の神使です。

伊勢神宮の放し飼いの鶏は神の遣いとされ、遷宮行事の際、「鶏鳴三声(ケイメイサンセイ)」という遷宮を象徴する大切な儀式があるそうです。

日本神話の天の岩戸の場面、天照大神がお隠れになり真っ暗になりました。何とか大神を天の岩戸から出そうと、鶏が鳴き声を上げて、大神を迎えだし、闇を払い、再び光(太陽)を取り戻す役割を担ったことに由来するそうです。

この神鶏、よく見ると尻尾が長いように感じます。

  

内宮で「お守り」を買って、「おはらい町」「おかげ横丁」へ。

歩いていると、何か江戸時代にタイムスリップしたみたいです。コンビニも銀行もよく見ないとわかりません。

  

  

  

  

こういう町並みが私好きなんです。ゆっくり廻っていたら時間も5時近くになりました。バスで宇治山田駅まで戻り、近鉄特急で今夜の宿「賢島」に向かいました。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 


伊勢お蔭参りに行ってきました。その1「二見浦夫婦岩」(三重県伊勢市)

2014-05-31 17:43:41 | 旅行

江戸時代、庶民から親しまれた「お伊勢お蔭参り」。

私もそういう歳になったのか、お伊勢さんに御参りに行ってみたくなり、5/24~25に行われる「伊勢志摩ツーデーウオーク」に合わせ行ってきました。

5/23博多を6:05の新幹線で新大阪へ。環状線で鶴橋駅へ。それから近鉄特急で伊勢市駅。伊勢市駅には、10:55到着。

  

伊勢市駅のJR側を歩いていけば、伊勢神宮外宮に行けますが、昔の参拝方法は、二見浦で禊を受けて外宮、内宮に行くそうですので私もそれに合わせ

先ず、二見浦に行くことにしました。伊勢市駅から二見浦までは、快速「みえ号」で6分ほど。11:22到着。

二見浦駅は「ふたみのうらえき」というのが正式の名称だそうです。ただ、どういうわけか、ICカードは使えませんでした。

  

駅前の夫婦岩表参道を歩いていると、古い歴史あるお土産屋さんや旅館が立ち並んでいます。

街道歩きが好きな私には、とてもたまらない光景です。

   

  

朝日館は、この写真の右側にも旧館がありました。パノラマでも入りきれませんでした。

   

歩いていると、お正月のしめ飾りに「蘇民将来子孫家門」と書かれています。

    

近くのお店に立ち寄りお話を聞かせて頂きました。

 昔、伊勢の地を旅した「須佐之男命」が、夕暮れに泊まる所がなくて困り果て、将来兄弟に宿を頼んだ。富裕な「巨旦(こたん)将来」は、それを断り、

貧しくとも心優しい「蘇民将来」が快く、自分の家に泊めてもてなした。

須佐之男命が大いに喜び、一夜の恩返しに茅の輪を与えた。「後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と茅の輪を以ちて、腰に付けたれば免れなむ」と言い残した。

以来、蘇民家は、疫病が流行っても免れ、代々栄えたという。

この二見では、「蘇民将来子孫家門」の守り札をしめ縄に付けて年中門口に飾り、無病息災を願うそうです。

また、しめ縄の歴史としては、日本書紀では、天岩戸から出てこられた天照大神が再びひきこもることがないように、岩戸の入口に張り巡らした縄がその起源だそうです。

伊勢市の二見以外では、「笑門」「千客万来」などのしめ飾りもあります。因みに「笑門」は、「蘇民将来子孫家門」縮めた「将門」で、さらにこれが、「平将門」に通じるのを嫌って「笑門」になったといわれている。

  

旅館街を出ると、両側に松が植わった参道に出ます。

  

海岸の所に本居宣長の歌碑が建っています。宣長は松坂に住んでいてこの二見浦には、何回も来ているそうです。

歌碑は、「かはらじな 波はこゆとも 二見がた妹背の岩の かたき契りは

「夫婦の契りは、二見浦の夫婦岩のように堅固で変わるものでないと悟した」 という意味です。

右側には、明治時代に建てられ、大正天皇が御幼少の頃、お泊りになられた「賓日館(ひんじつかん)」があります。

現在は、二見町に寄贈され、資料館となっています。

   

二見興玉神社の鳥居にやってきました。ここは、「浜参宮」と呼ばれ、

古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で(沐浴)を行うのが慣わしであった。現代ではそれに代わるものとして、

二見興玉神社で霊草無垢塩草での祓い清めを受ける。これに使う幣は、興玉神石付近で採れる海草(アマモ)である。

現在、神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持行事への参加者は浜参宮を行う。

二見興玉神社の祭神は、猿田彦大神宇迦御魂大神(うかのもたまのおおかみ)です。

猿田彦大神は、天孫降臨の際に高天原豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれています。この神の神使は、蛙とされており、

神社参拝の後に神徳を受けた人々が、神社の境内にカエルの塑像を献納する。このため、境内には無数のカエルの石像が並んでいる。

この神社の授与品もまた「無事カエル」「貸した物がカエル」「お金がカエル」(カエル帰る返る掛詞)と呼ばれるカエルをモチーフにしたものである。

境内の手水場には、蛙の置物があります。

   

   

  

この鳥居から見る夫婦岩が本流だそうです。夏至の時には、夫婦岩の男岩、女岩から日が昇ってきます。また、朝日の下に200kmも離れた富士山が見えることがあります。

夫婦岩の5本のしめ縄が鳥居の役割をしているそうです。

   

  

 我が福岡にも二見ヶ浦・夫婦岩があります。朝日の伊勢二見浦に対し、夕陽の福岡・二見ヶ浦です。

何年か前に伊勢の二見浦の朝日を見て、夕陽の福岡・二見ヶ浦を見に行こうという弾丸ツアーがあったそうです。

因みに福岡の夏至の頃の二見ヶ浦の夕陽は、下記の写真です。(2011.07/05撮影)。尚、福岡の二見ヶ浦がある所の地名も「志摩町」です。何か関係するのでしょうか?

 

    

この日は、夫婦岩の沖の方で「藻刈神事」が行われていました。夫婦岩を過ぎ契橋を渡ると「契りの松」があります。

  

契りの松とは、案内板によると

 「江戸時代末期、お蔭参り、抜け参りと伊勢参詣が最も賑わった頃、阿波国(徳島県)より、若い男女がこの二見浦の浜で身を海水に浴み、塩垢離(みそぎ)をし、

着物を松の木にかけて結び、夫婦の契りと子孫繁栄を祈願した所から、「ちぎりの松」と呼ばれている。

昭和28年9月25日台風13号により流出したままであったが、平成3年5月23日ここにおよそ40年ぶりに昔ながらに再現したものである。」と書かれています。

然し、この二見浦の夫婦岩、何回見ても飽きません。いつの日か、時間に余裕ができたらこの二見の夫婦岩からの朝日を見て、その足で福岡・志摩の夕陽を見てみたいものです。

そんなことを考えながら、次の目的地「伊勢神宮外宮」に向かいました。

 

 

 

 

 


指宿菜の花ウオーク番外編

2014-01-31 05:31:45 | 旅行

いぶすき菜の花マーチ第一日目をゴールした後、「Bちゃん&A」さんたちと車で25kmコースに入っていなかった日本最南端の駅「西大山駅」に行ってきました。

ここから見る開聞岳は旅行パンフにも載っている絶景ポイントです。

スマートフォンで時刻表を確かめると西大山駅に着く列車(枕崎行)が13:36です。現在13:15 約20分ぐらい待てば列車が来ます。(西大山駅は一日に上下線16本(上り8本、下り8本)しかありません)

私は、あまり使ったことのない動画を試みました。(スマホやタブレットでは時々映すのですが、デジカメでは初めてです)

列車が着くまで駅周辺を探索するとA・T・Rの看板があります。AKBだったら知っていますが、ATRとは???

Aは大河ドラマの「篤姫」 、Tは江戸時代海運業で名を挙げた「浜崎太平次」、Rは日本に初めてサツマイモ(唐芋)を持ってきた「前田利右衛門」。

略して「ATR」キャッチコピーは『あったまる指宿温泉』だそうです。

    

13:36踏切の警報機が鳴り列車が入ってきました。すぐデジカメで動画撮影開始します。

うまく撮れていたらここでアップする予定でしたが、ハイスピード動画にしていましたので場面がボケて失敗しました。

    

列車を見送った後、「枕崎」に向かいました。

枕崎方面から見た「開聞岳」です。ここもビューポイントです。

    

西大山駅から約1時間で枕崎に到着しました。ナビで枕崎駅を探しますが、普通駅というと駅前のロータリーなどのイメージですが、ここ枕崎駅は細い路地の右側に四阿みたいな建物が駅です。

駅に着くと西大山駅で見送った列車が終点「枕崎」に到着しました。

かつて枕崎には大正年間に開業した民間の南薩鉄道が走っていて昭和6年には枕崎まで開通しました。昭和38年には旧国鉄の指宿枕崎線が開通。

これで枕崎から伊集院まで行くことができました。旧国鉄の枕崎駅は南薩鉄道の枕崎駅を使わせてもらっていました。

然し昭和58年6月加世田豪雨により南薩鉄道は大きな打撃を受け、翌昭和59年廃線となりました。

土地や駅舎は民間に売却され、JR枕崎駅はホームとゲートだけの駅になりました。

そうして平成25年(2013)4月28日民間の寄付による枕崎の駅舎が完成し今日に至っています。

駅には、「本土最南端の始発駅、終着駅」の看板が立てられています。

因みに本土最北端の始発、終着駅は「稚内」です。乗り換え案内で枕崎から稚内まで検索すると、距離3138km、新幹線を使っての乗車時間は約25時間です。(乗り換え時間を入れると約30時間)

運賃は新幹線指定席で片道約53000円。往復でしたら10万円を超えますね。

   

枕崎といえば「カツオ」ですね。枕崎駅から港の方に移動します。

港には「枕崎お魚センター」があります。中では鰹節の実演販売など行われています。

2階のレストランでは、「カツオ丼」と言ってカツオの刺身をご飯の上に置いた丼が有名です。(840円)

福岡にいるとカツオというと「カツオのたたき」ぐらいしかお目にかかりません。カツオは新鮮さが勝負。ここでは生で食べさせてくれます。

山芋も付いていますので好みに応じて上にのせてもOKです。

  

お腹いっぱいになった所でまた約一時間かけ指宿へ。

16:30ホテルに到着。昨年はホテルの寒緋桜は満開でしたが、今年はまだ2分咲きという所でしょうか?満開になると綺麗でしょうね。

    

ホテルの部屋からは魚見岳と知林ヶ島が見えました。

  

 

 

 

 


円通院の紅葉(宮城県松島町)

2013-11-15 17:04:40 | 旅行

円通院は瑞巌寺の西隣にあり伊達正宗公の孫光宗の霊廟です。

光宗は文武両道に優れていましたが正保2年(1645)19歳の若さで亡くなりました。

ここの三慧殿には支倉常長がヨーロッパから伝えた西洋文化の影響が強く厨子の右側の内部には日本最古といわれる

西洋バラが描かれています。通称「バラ寺」とも呼ばれています。

さて、この円通院は紅葉の名所としても知られています。こちらに来るときネットで調べましたら「見ごろ」ということでした。

     

円通院の山門は切妻造茅葺の薬医門です。本堂とともに松島町の文化財に指定されています。

先ずは石庭へ

 

    

     

三慧殿(さんけいでん)

三慧殿は、技術の粋をつくした伊達家屈指の建築物で国の重要文化財に指定されています。その厨子には支倉常長が西洋から持ち帰ったと伝わるバラの絵が描かれており、円通院はこのバラを題材にした庭のある「バラ寺」として知られております。(円通院HPより)

  

        

心地池 本堂大悲し亭の前にある 池でお寺の方がライトアップに備え池の掃除をされていました。

本堂大悲亭は光宗君の江戸納涼の亭で愛息の早逝を悼んだ忠宗公が解体移築したものです。

           

                     

時間も4時半近くになりました。ライトアップ期間中は昼の拝観は4時半までです。ここで私達はいったん外に出ました。

ライトアップは5時半からです。その間、お菓子屋さんで一休みしました。

              

 東北の夕暮れは早いですね。まだ4時半だというのにあたりが暗くなってきました。福岡はまだ明るいですが 1時間以上違うみたいです。

円通院の紅葉のライトアップは5時半からということで5時10分になりましたのでお菓子屋さんを出てゆっくり円通院に向かいました。

開園前だというのに円通院の前は長い行列ができています。ライトアップは別に入場券(500円)が要り隣の食堂で購入しました。

     

 

円通院ライトアップの写真があまりにも多いので下記のデジブックに投稿しました。

クリックしてご覧ください。

タイトル「円通院のライトアップ」

http://www.digibook.net/d/83c4cdb3901daa9033eb4d04a6ab5a5e/?viewerMode=fullWindow

円通院を出たのが6時10分前。仙石線の時刻表を調べると6:04があります。

急いで駅に戻りどうにかこの電車に間に合いました。

仙台駅に着くともう夕食の時間です。

仙台というとすぐ「牛タン」が浮かんできます。

仙台駅構内の牛タン屋さんへ。5~6人ぐらい並ばれていましたが5分ぐらいの待ち時間で入りました。

明日は仙台市内を35km歩きます。ちょっと贅沢に「牛たん焼極定食」を注文しました。

           

明日は、杜の都せんだいツーデーウオークです。頑張るぞ  エイエイオー

 

 

 

 


瑞巌寺(宮城県松島町)

2013-11-14 05:07:57 | 旅行

松島・五大堂のあと「瑞巌寺」(ずいがんじ)に向かいました。ここは16:00で閉門になりますので少し急ぎました。

宮城県民謡の斎太郎節(さいたらぶし)には、松島のサーヨー瑞巌寺ほどの(ハ・コリャコリャ)寺もないとエー・・・・・・・・

瑞巌寺の名前が出てきます。

        

門を潜り歩いていくと両側に杉並木が続いています。

             

瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といいます。現在臨済宗妙心寺派に属しております。
開創は平安の初めにさかのぼります。天長5年(828年)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立しました。この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けました。
藤原氏滅亡の後は鎌倉幕府が替わって大檀越となりました。北条政子は当時学徳一世に高かった見仏上人に仏舎利を寄進し、夫の菩提を弔わせています。その仏舎利・寄進状は今に伝わっております。

この天台宗延福寺は鎌倉時代中期、開創以来28代約400年の歴史をもって滅しました。
法身禅師が開山とされ、天台宗延福寺にとって替わった寺は円福寺と命名されましたが、正確な開創年はわかっておりません。
歴代住持の経営努力によってその勢力を岩手県南部にまで伸長してき、寺格も五山十刹に次ぐ諸山の高位にありました。しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、妙心寺派に属するようになりました。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが終了した後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、
塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させました。
当寺の造営は特に心血を注いだ事業でした。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、海上を筏に組んで運びました。大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら名工130名を招き寄せております。工事は慶長9年(1604年)、政宗自ら縄張りを行って始まりました。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609年に)完成しております。

伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は90余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになりました。瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力によりようやく維持されていたのですが、明治9年、天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となりました。
現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されております。(瑞巌寺HPより)

杉並木を抜けると洞くつに仏像があります。これは「瑞巌寺洞窟群」といって

元来納骨や供養の為の施設で造営は鎌倉時代に遡り江戸時代まで続いた。松島は古来「奥州の高野」と呼ばれ浄土往生を祈念する

神聖な霊場でした。

      

        

本殿近くに来ると工事中の看板が・・・・・・・

    

現在瑞巌寺では平成の大修理と言って

素屋根(覆屋)を建設して建物の保護を行い、各作業に必要な足場を建設。
解体に際し事前に彩色部分の剥落止め工事を行う。
素屋根建設後、屋根瓦、瓦下地、床組、建具、土壁、敷居や長押等、飾金具、諸設備を解体。
御成玄関部分については屋根瓦、土壁、建具、本堂取り合いの柱間装置を解体。
基本的に柱や小屋梁は解体しない。
予定範囲部分の解体後に発掘調査を予定、終了後に本堂全体を持ち上げ基礎工事と柱の破損した修理を行う。完了後本堂を下ろして解体した部材を修理しつつもしくは取替を行いながら組立工事を行う予定。(瑞巌寺パンフより)

工事は平成30年まで行われる予定でその間、庫裡(くり)(寺院の台所)、大書院(仮本殿)、陽徳院御霊屋(寶華殿)などが特別に公開されています

庫裡は、正面13.78m、奥行き23.64m。
大屋根の上にさらに煙出しが載っています。
他にない巨大さで、本来実用本位の建物に唐草や花肘木の彫刻が施されたことに、政宗公の美意識をうかがえます。

                  

大書院では伊達家代々のお位牌が置かれています。このお位牌70~80cmぐらいあるでしょうか?凄く大きいです。

         

    

次は外に出て今回特別公開された「陽徳院御霊屋」に行きます。

岩を削ったトンネルを超えると小高い丘には紅葉が紅く染まっています。

      

陽徳院御霊屋(寶華殿)は、伊達正宗公の正室陽徳院田村氏愛姫(1568~1653)の墓室で万治3年(1660)孫の綱宗によって造営されました。

平成18年から3年をかけ創建当時の豪華絇欄な姿に復元されました。

    

時間も4時近くなりました。もう閉門時間です。このあと私たちは松島の紅葉の名所「円通院」に向かいました。        (続く)

  

 


松島へ②(宮城県松島町)

2013-11-13 15:49:05 | 旅行

松島やああ松島や松島や

一度は行ってみたかった日本三景の一つの「松島」。(あと二つは京都天橋立、広島・宮島)

もう何十年も前になりますが、当時山本譲二さんの「みちのく一人旅」という歌が流行っていたころ

この歌を歌って家内を口説き落としゴールインしました。

月の松島 日暮れの白河・・・・・・・俺にはお前が最後のおんな ・・・・・・

それはさておき、2011年の大震災ではここ松島でも津波が押し寄せました。

                 

 幸い松島の島々のおかげで大惨事にはならなくて済んだそうですが45号線などは冠水や陥没の被害があったそうです。

         

   

 松島のシンボルが「五大堂

     

五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、

「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、

五大堂と呼ばれるようになりました。

ここに行くには、透かし橋を渡らなければいけません。

「透かし橋」は身も心も乱れがないように足下をよく照顧して気を引き締めさせるためだそうで道板の下には海面が見えます。

      

松島は260個の島々から形成されており、日の出と月の名所として知られています。

                    

 

この島々をじっと見ていると時の経つのも忘れてしまいそうです。

然し、私たちはこのあと瑞巌寺、円通寺などの見学を予定していますので重い腰を上げながら次の瑞巌寺へ向かいました。

 

 

 

 

 


松島へ①(宮城県松島町)

2013-11-11 18:57:07 | 旅行

11/08(金)

11/09~11/10に仙台で行われる「第一回杜の都せんだいツーデーウオーク」に参加のため仙台に行ってきました。

10:20福岡空港発ANAで仙台には12:00丁度に到着。

    

ホテルのチェックインまでの時間があり一度は行ってみたかった日本三景の一つ「松島」に行ってきました。

仙台空港アクセス線で仙台駅へ。仙台駅からは仙石線に乗り換え14:00松島海岸駅に到着。

(仙石線は、震災の影響から松島海岸の次の高城駅~陸前小野駅間が不通でバスで代行運転中です)

       

仙石線には、石巻にゆかりのある石ノ森章太郎さんの「まんが列車」が走っています。

        

松島の町の中を歩くと「焼きカキ」の看板が目に入ります。お腹も減りましたので近くのカキ料理店に入りました。

              

注文したのは「カキ御膳」でカキフライ、焼きガキ、煮たカキ?がついて2100円。

さすが松島のカキです。粒も大きくてとてもおいしかったです。                                   (続く)

 


富士山五合目へ(10/21)

2013-10-26 05:31:43 | 旅行
せっかく山梨にきたのですから21日は有給をとって甲府駅前でレンタカーを借り「富士山五合目」までドライブすることにしました。
午前8時スタート。初めて運転する町ですのでナビが頼りです。
事前に調べましたら五合目までは一般道で河口湖まで行きそれから富士スバルラインを通るコースがあるそうですが
ナビはすぐ高速道の方に案内します。五合目まで約90km。
甲府南インターから中央道へ。
中央フリーウエーイ調布基地を追いこし山に向かっていけば
好きなユーミンの歌を口ずさみながら運転します。
河口湖ICで下り富士スバルラインに向かいます。
ここは昨日富士河口湖もみじマーチで歩いたコースです。

料金所で通行料2000円を支払い、五合目へ。
今日は平日ですので一般の車は少なく出会うのは観光バスばかりです。ただ富士山は曇っています。
  
富士山も少し紅葉してきました。
  


  


富士山五合目に到着。

この青い空!  ただ頂上には雲がかかっています。



 
  

五合目で楽しみにしていたのは、五合目で焼く「富士山メロンパン
  
溶岩石はココアパウダー、卯頂上にはパウダーシュガーがつけられています。
食べてみると暖かくてとてもおいしいです。日持ちがしないのが欠点ですができればお土産に買っていきたいくらいです。

  

小御嶽(こみたけ)神社

富士山吉田口五合目(小御岳)に鎮座。磐長姫命(木花咲耶姫の姉)を祭っている。小御岳は現在の富士山が形成される以前の山であり、
山岳信仰の霊地として今より千年以前の承平七年に創建されたものと伝わる。また、五合目にあるお宮は、以前は鳴沢村にある魔王天神社にあった古太郎坊(こたろうぼう)
という小祠(しょうし)を、遷座し小御岳権現と称したものが元になっている。
  
 

できればもう少しゆっくりしていたかったのですが、今日(21日)の夕方の便で帰らなくてはいけませんので10:30に元来た道を下りていきます。
帰りには、富士スバルラインには霧が発生していました。


雨にもあいましたが、本当に楽しい4日間でした。できればまた行ってみたい所です。












    


金沢へ「滝の白糸の碑」を訪ねて

2013-06-03 21:00:15 | 旅行

6月1日〜2日に行われる『加賀百万石ツーデーウオーク』に参加するため金沢に行ってきました。
私の何十年の歴史の中で初めての金沢です。
5/3113時の新幹線で新大阪へ。
新大阪から特急「サンダーバード」に乗って金沢へ。東海道線、湖西線、北陸線を通り
金沢には18:20ごろ到着しました。


  

  ※前のSNSでは鯖江に海の子さんがおられました。お元気でしょうか?

金沢は2年後新幹線が金沢〜長野間が開通するためか駅前には「もてなしドーム」という
大屋根が作られています。これは金沢を訪れた人が雨や雪に濡れないようそっと傘を差しだす
金沢人の「もてなしの心」「思いやりの心」を表しており、大屋根の入り口の「鼓門」は
能や素囃子に用いられる「鼓」をイメージしています
 

金沢では5/31〜6/02まで「加賀百万石まつり」が開催されており、今日31日は浅野川で
加賀友禅灯篭流しが行われていますのでホテルチェックインのあと会場の天神橋まで移動しました。

灯籠流しは19時から約1200個の燈籠が流されその中には「がんばろう東北」「加賀友禅」などが
書かれていました。




 




  


この浅野川河畔には、主計(かずえ)町茶屋街があり昔ながらの茶屋が現存しており幽玄の世界に引き込まれそうです。



この河畔には「滝の白糸の碑」があります。
滝の白糸は石川さゆりさんの歌にもありますが、金沢生まれの泉鏡花の戯曲「義血侠血」です。
あらすじは
女水芸人「瀧の白糸(本名:水島友)」は、乗合馬車の御者を働く村越欣弥と知り合う。欣弥が金のために学問を断念したことを知った白糸は、
自分が仕送りをすることを約束し欣弥を支援する。欣弥への仕送りはしばらくつづくが、やがてそれもままならなくなり、
また芸人仲間の若い連れを駆け落ちさせるなどして旅座仲間の南京出刃打の恨みを買う。白糸は一座のために高利貸しの岩淵から
金を借りたが南京にそれを強奪され、岩淵と南京がグルであることを責めようと白糸が岩淵を訪れた折、誤って岩淵を刺し殺してしまう。
白糸は勉学に励む欣弥の元を訪れるがあえなく逮捕、取調べに立った検事は欣弥であった。拘置所を訪れる欣弥に白糸は正直に裁いて欲しいと懇願し、
法廷で欣弥は白糸に包み隠さず正直に証言するよう諭す。白糸は言われるままに正直に殺人の経緯を告白。そのまま法廷内で自殺を遂げるのであった。


 
 


燈籠流しを見学するとお腹がすいてきました。
この旅行の前にガイドブックで探していた「近江町」に行ってみます。
時間も9時近くになりましたので開いているお店は少なかったのですが、北陸と言えばやはり「カニ」ですね。
安く食べさせてくれるお店がありましたのでそこに入りました。
焼ガニ、カニ刺し、・・・・・・
焼カニなどこの香ばしい匂いはたまりませんね。金沢の地酒もおいしいですね。



 


ただカニはシーズンオフなんでしょうか身があまり入っていませんでした。

こうして金沢の一日が過ぎていきました。


青春18きっぷで宮島・厳島神社へ初詣

2013-01-04 21:18:20 | 旅行
1月2日青春18きっぷで宮島・厳島神社へ初詣に行きました。
我が家を5時半に出て
 博多発  6:00門司港行き 門司着  7:40
 門司発  7:44下関行き  下関着  7:51
 下関発  7:52新山口行き 新山口着 8:59
 新山口発 9:01岩国行き  岩国着  11:03
 岩国発  11:10広島行き 宮島口着 11:33
計6回乗り換え約6時間で宮島口到着です。
  
着くや否や駅前のアナゴ飯屋さんにアナゴ弁当を予約。
  
それから連絡船乗り場へ。
約10分で宮島へ。
お正月だからでしょうか、また昨年の大河ドラマが平清盛だったせいでしょうか、
宮島には観光客の方でいっぱいです。

  
宮島では「宮島おもてなし隊」の御嬢さんがお迎えてくれました。
  
宮島は世界遺産に登録されています。

本殿では人が多いので入場制限が行われていました。
  

厳島神社の海岸側には「清盛神社」があります。
  

宮島と言ったらやはりこれですね。
  

宮島口に戻り、行くときに頼んでいた「アナゴ飯」を受け取ります。
帰りは宮島口発14:42の岩国行。

乗客が多いので岩国まで立っていました。
岩国からは座れましたので早速買ってきたアナゴ飯をいただきます。
その前にやはりこれですね。

アナゴ飯の包装紙は明治時代に使っていた包装です。これって右から読むんですね。

そのアナゴ飯です。


新山口駅で下関行に乗り換えるとなんとウオーキング仲間のBさんが乗ってこられました。
Bさんご夫婦も青春18きっぷで出雲大社、津和野、湯田温泉に行かれたとのこと。
Bさんからは津和野のお土産をいただきました。

こいつは春から縁起がいいですね。