よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。





瑞巌寺(宮城県松島町)

2013-11-14 05:07:57 | 旅行

松島・五大堂のあと「瑞巌寺」(ずいがんじ)に向かいました。ここは16:00で閉門になりますので少し急ぎました。

宮城県民謡の斎太郎節(さいたらぶし)には、松島のサーヨー瑞巌寺ほどの(ハ・コリャコリャ)寺もないとエー・・・・・・・・

瑞巌寺の名前が出てきます。

        

門を潜り歩いていくと両側に杉並木が続いています。

             

瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といいます。現在臨済宗妙心寺派に属しております。
開創は平安の初めにさかのぼります。天長5年(828年)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立しました。この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けました。
藤原氏滅亡の後は鎌倉幕府が替わって大檀越となりました。北条政子は当時学徳一世に高かった見仏上人に仏舎利を寄進し、夫の菩提を弔わせています。その仏舎利・寄進状は今に伝わっております。

この天台宗延福寺は鎌倉時代中期、開創以来28代約400年の歴史をもって滅しました。
法身禅師が開山とされ、天台宗延福寺にとって替わった寺は円福寺と命名されましたが、正確な開創年はわかっておりません。
歴代住持の経営努力によってその勢力を岩手県南部にまで伸長してき、寺格も五山十刹に次ぐ諸山の高位にありました。しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、妙心寺派に属するようになりました。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが終了した後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、
塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させました。
当寺の造営は特に心血を注いだ事業でした。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、海上を筏に組んで運びました。大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら名工130名を招き寄せております。工事は慶長9年(1604年)、政宗自ら縄張りを行って始まりました。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609年に)完成しております。

伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は90余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになりました。瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力によりようやく維持されていたのですが、明治9年、天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となりました。
現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されております。(瑞巌寺HPより)

杉並木を抜けると洞くつに仏像があります。これは「瑞巌寺洞窟群」といって

元来納骨や供養の為の施設で造営は鎌倉時代に遡り江戸時代まで続いた。松島は古来「奥州の高野」と呼ばれ浄土往生を祈念する

神聖な霊場でした。

      

        

本殿近くに来ると工事中の看板が・・・・・・・

    

現在瑞巌寺では平成の大修理と言って

素屋根(覆屋)を建設して建物の保護を行い、各作業に必要な足場を建設。
解体に際し事前に彩色部分の剥落止め工事を行う。
素屋根建設後、屋根瓦、瓦下地、床組、建具、土壁、敷居や長押等、飾金具、諸設備を解体。
御成玄関部分については屋根瓦、土壁、建具、本堂取り合いの柱間装置を解体。
基本的に柱や小屋梁は解体しない。
予定範囲部分の解体後に発掘調査を予定、終了後に本堂全体を持ち上げ基礎工事と柱の破損した修理を行う。完了後本堂を下ろして解体した部材を修理しつつもしくは取替を行いながら組立工事を行う予定。(瑞巌寺パンフより)

工事は平成30年まで行われる予定でその間、庫裡(くり)(寺院の台所)、大書院(仮本殿)、陽徳院御霊屋(寶華殿)などが特別に公開されています

庫裡は、正面13.78m、奥行き23.64m。
大屋根の上にさらに煙出しが載っています。
他にない巨大さで、本来実用本位の建物に唐草や花肘木の彫刻が施されたことに、政宗公の美意識をうかがえます。

                  

大書院では伊達家代々のお位牌が置かれています。このお位牌70~80cmぐらいあるでしょうか?凄く大きいです。

         

    

次は外に出て今回特別公開された「陽徳院御霊屋」に行きます。

岩を削ったトンネルを超えると小高い丘には紅葉が紅く染まっています。

      

陽徳院御霊屋(寶華殿)は、伊達正宗公の正室陽徳院田村氏愛姫(1568~1653)の墓室で万治3年(1660)孫の綱宗によって造営されました。

平成18年から3年をかけ創建当時の豪華絇欄な姿に復元されました。

    

時間も4時近くなりました。もう閉門時間です。このあと私たちは松島の紅葉の名所「円通院」に向かいました。        (続く)

  

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント (6)   この記事についてブログを書く
« 松島へ②(宮城県松島町) | トップ | 円通院の紅葉(宮城県松島町) »
最近の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
流石に! (kumasan)
2013-11-14 13:16:48
瑞巌寺の洞窟群や御霊屋は初めて知りました。
流石によっくんさんの目線は素晴らしいですね。
円通院も行った事がありませんので、よっくんさんの次のブログが楽しみです。
Unknown (あすか)
2013-11-14 14:12:02
本当ですよね kumasanさんのおっしゃるとおり
私も瑞巌寺は知っていても
洞窟までは・・・(笑)
kumasan (よっくん)
2013-11-14 19:19:52
瑞巌寺の山門をくぐると大きな杉並木そして
洞窟群がありました。
何でも奥州の高野と呼ばれているそうでいろんな観音様がありました。
洞窟の中にもありましたね。
何か神秘的なものを感じました。
あすかさん (よっくん)
2013-11-14 19:22:05
斎太郎節はメロディは知っていましたがこの中に「瑞巌寺」が入っていたのですね。
洞窟にも感激しました。
ただ本殿が工事中のため拝観できませんでした。
Unknown (ぼくちゃん 相棒)
2013-11-14 20:20:28
こんばんわ!
大修理は少し残念でしたね 
”平成30年に、修理が終わったら また、違う季節に訪れて下さい”と瑞巌寺や松島がよっくんさんご夫妻に言っているのかもしれなかったですね  
でも、写真に写っている方の服装は、冬ですね  
寒そう・・・・
ぼくちゃん&相棒さん (よっくん)
2013-11-15 08:15:22
同じ日本でもやはり東北は寒いですね。
私も一枚多く着て歩きました。
大修理は残念でしたが普段公開されていない所を特別に公開していただきました。

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事