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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

尾道ラーメン

2012-10-15 10:47:18 | 旅行
尾道には過去3回ほど行っていますが、
まだ尾道ラーメンは食べたことがありません。
行った時にラーメン屋さんの前を通るのですが
いつも行列でした。(尤も行く日は日曜日が主でしたが)
今回しまなみ海道ウオークの前日に尾道に泊まりましたので
また行ってきました。
夕方6時ぐらいでしたが店の前は行列もなくすぐ座れました。


尾道ラーメンを注文しようと思ったのですがメニューには
尾道ラーメンとは書いてありません。「中華ソバ」です。
でもこの中華ソバ・・・・名前が何かいいですね。

餃子もありましたので餃子も注文しました。

5分ほど待つと来ました。「中華ソバ」が・・・・・
醤油味なんですね。

日頃とんこつラーメンを食べなれているせいか、何か新鮮な味が
しました。

そのあと夕暮れの尾道市内を散策。
寝る前のビールのお供に「桂馬」の天ぷらを。
モミジ模様の天ぷらもあるんですね。

   


桂馬をあとにホテルまで歩き出すと「出雲街道標石」というのが
ありました。
石見銀山の銀を瀬戸内海を通って運ぶ為の道だったそうです。
島根の温泉津まで続いているそうです。

駅前には林芙美子の碑が。

短時間ですが夕暮れの尾道の町を散策しました。

台湾旅行(その10 )故宮博物院

2011-12-20 05:00:00 | 旅行
台湾最後に日は、故宮博物院見学です。
世界四大美術館の一つで中国式宮殿を模した建物です。





中国の紫禁城や中央博物院から持ち出した文物60万点に独自に収集した5万点を加え
収蔵品の総額は65万点。全部見るには10年かかるといわれています。
館内には外国人サービスとして日本語を含む4カ国の音声ガイドが準備されています。

展示品は5000年前の彫り物、4000年前の陶器、3000年前の青銅器、象形文字などが
あり、それぞれ目を釘付けにしてみて回りました。

この展示品の中に「翠玉白菜」があります。
大きさは20cmぐらいでしょうか、白菜の上にキリギリス、バッタなどが止まっています。
凄く精密に作られています。
館内は写真禁止ですのでホテルの売店で売っていたレプリカを写しました。



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台北でのホテルは圓山大飯店でした。
父のアルバムを見てみますと台湾神社というのがあります。
実はこのホテル台湾神社の跡に建てられています。
旅の最後に父の足跡を追うことが出来ました。





                                         (台湾旅行記 完)      

台湾旅行(その9)忠列祠の衛兵交代

2011-12-19 11:13:22 | 旅行
九份から観光バスで台北に戻りました。
先ず行ったのが行天宮(シンティエイコン)。
ここは台湾でも商売繁盛の神様です。

祀られているのは関羽(關雲長)、呂洞賓、張単(張單)、王善、岳飛の「五恩主」です。
境内に入っていくと希望があればボランティアの方が線香を手にして一緒にお祈りをしてくれます。







忠列祠の衛兵交代





忠列祠は辛亥革命から現代まで国家の為殉死した英霊33万人を祭る政府管轄の祭祀場です。
日本でいうならば靖国神社みたいなところです。
ここでの見所は毎時丁度に行われる衛兵の交代式です。
衛兵は陸、空、海軍の20歳前後の成績優秀で背の高い兵から選抜されます。

瞬き一つもしないで立っています。

4時になりました。
衛兵の交代式です。




控え室からリーダーのもと交代衛兵が出てきます。
靴音もきちんとそろって見事な交代式です。






この交代式の間、日本から修学旅行で来ている女子高校生がまるで芸能人にするような
奇声を浴びせていました。
同行の先生もそれには注意するどころか黙ってみているだけでした。
思わず、じろっとにらみつけてやると私のほうを見て「何様と思っているの」との声。
こんな厳かな儀式では静かに見学すべきです。
台湾の方も沢山こられているのに大変失礼で申し訳なく
同じ日本人として恥ずかしかったです。





台湾旅行(その8)九フン;(きゅうふん)

2011-12-18 19:34:29 | 旅行
12/9早朝ホテルを出発し花蓮駅へ。
約2時間余りで端芳駅に着きました。

この旅行中、雨にはあまり会いませんでしたが、今日は朝から雨が降っています。
今から行く九份(きゅうふん)は、一年の内200日雨が降ると
言われています。やはりここでは雨とは切っても切れないですね。

九份は9世帯しか家がなかった。当時は交通も発達してなく人々はいつも9世帯の物資をまとめて
調達していたそうです。こうして九份(9つ分)と名付けられたそうです。
ところが19世紀末金鉱が発見されたことで町が発展し、人口も3万から4万人増えました。
ですが、金鉱はだんだん枯渇。1971年にはとうとう閉山し町はもとの静けさに戻りました。
80年代この九份を扱った台湾映画「悲情城市」がベネチュア映画祭で金賞をとると、風光明媚な
この町を見ようと人々が集まるようになり、また再び町が脚光をあびるようになりました。
日本では宮崎監督の「千と千尋の神隠し」のモデルになった場所でもあります。



九份の中を歩いて見ますと狭い通路に食べ物屋さん、お土産屋さんがたくさんならんでいます。
中には日本語で書かれた店もあります。








何か、映画のセットのような感じです。
雨が降ってなければ見て廻りたいところもありましたが、濡れたのか少し寒くなってきました。
「九戸茶語」で昼食の後1時間ほど散策し、バスで台北に移動しました。(続く)

台湾旅行(その7)花蓮太魯閣渓谷へ

2011-12-17 20:35:53 | 旅行
台湾と日本は時差が1時間あって日本が5時の場合台湾は4時。
然し、この歳になると体内時計が覚えているのか、日本時間5時には目が覚めます。
朝食は7時(台湾時間)だし、また、この旅行中あまり歩いていないのでちょっとホテル周辺を
歩くことにします。

今日(12/8)は少し靄が出て見通しが悪いのか高雄一のビルが霞んで見えます。
河畔ではスロージョギングしている人もいました。



今日の旅程は特急で花蓮に行き太魯閣渓谷(タロコ渓谷)に行きます。
台鉄(台湾の国営鉄道)高雄駅8:45の強羅号(日本の特急)で一路花蓮へ。


台湾の特急電車は、外見は普通の電車と変わりませんが、乗っていて揺れがあまり感じません。


車内では、車内販売もありますが、日本と違ってゆっくり行くのではなく急いで廻っていきます。
ですから買いたいときにはもう他の車両に行っていました。

約4時間ほどで花蓮駅に到着。
駅から観光バスで太魯閣渓谷へ。

花蓮県を流れる立霧渓が永年に渡り太魯閣の大理石を侵食し断崖や滝などを作りました。
ここのトンネルは殆ど手掘りです。工事の最中に犠牲になった人を忌うため長春祠が建っています。
説明はこのくらいにして、写真をご覧下さい。
     
       
     
          
       

バスを降りて歩いていきます。
     
     
     
     
      
     
     
     
     
台湾といってもここは3000mクラスの山の中、雨も降っていますし寒くなってきました。
然しこの太魯閣渓谷雄大です。
この景色も一刻一刻変わっているそうですので次回行った時は変わっているでしょうね。

今晩のホテルは美倫大飯店です。
夕食はホテルの和式レストランにて「しゃぶしゃぶ」でした。






台湾旅行(その6)高雄へ

2011-12-16 10:50:54 | 旅行
高雄は、人口277万人の台湾第二の都市です。
高雄という地名は、昔、打狗(ターカウ)と呼ばれていたそうですが、日本統治時代、発音が京都の
高雄に似ているということで「高雄」になりました。
高雄港は、世界第三の港です。

高雄というとやはり、蓮池潭(リエンツータン)ですね。

観光雑誌によくでてくるのが龍虎塔です。

龍と虎の二つの入口があり龍の方から入り虎の方から出てきます。

台湾では龍は縁起のいい動物で虎は悪い動物。
10元ほど支払えば、搭の上に登ることができます。

上から見るとかすかに蓮がありますね。


龍虎塔の前には色んなお店が並んでいます。
その中に高雄のフルーツを売っている店があります。
買って食べてみると、甘さ控えめでさっぱりしています。

龍虎塔の向えには、りっぱな(超派手)な慈済宮が建っています。
ここは、医術の神様の保全大亭を祀っています。


日も暮れてきました。
これから高雄港を一望できる「寿山」に行きます。
寿山は、高雄の夜景が美しい所でデートスポットにもなっています。
暗くて高雄港の方は確認できませんでしたが、高雄の夜景は見事です。


寿山には、「忠烈祠」があります。
ここには、日本統治時代「高雄神社」がありました。

今晩の夕食は、港町高雄ということで海鮮料理です。




刺身を期待していたのですが、出ませんでした。

夕食のあとは、六合二路の夜市見学です。
いろんなお店が並んでします。
ドラえもんのドラ焼きもありますね。
立ち止まって何か食べてみようかとも思いますが、先ほど海鮮料理をたらふく食べてきましたので
もう何も入りません。注)1元は、2.7円ぐらいです。安いでしょう?


さて、今夜のホテルは、国實大飯店(アンバサダー)です。
ホテルの横には、川があります。
明日の早朝川べりを散歩してみましょう。








台湾旅行(その5)台南市

2011-12-15 15:14:25 | 旅行
日月潬をあとにしてバスは台南市へ向かいます。

台南市は、台湾では早くから世界に開かれた街でした。
17世紀初頭オランダがこの地を統治し、ゼーランディア城やブロビデンシャ城を築きました。
そのビロビデンシャ城跡が赤崁楼(せきかんろう)です。


中には鄭成功(ていせいこう)がオランダとの交渉している像が建ててある。


亀の上に碑が乗ってる。何か意味があるのかな?

石馬は、足がとれており、あとでセメントで補修してあります。

石馬には、こんな伝説があります。

もとは鄭成功の墓前を守っていたのですが、鄭成功の墓が福建省に移された後、この場所は荒廃し、民兵の首長が鄭成功の墓穴だった場所に埋葬されました。石馬は、その墓を守ることを拒み、夜になると付近の田んぼを踏み潰すという災いを起こすようになり、怒った農民に脚を鋸で切られてしまい今の姿になったのです。



別の建物の文昌閣にいきますと
学問の神様「魁星爺」の像が建っています。

右手に筆、左手ペン、右足で伝説の魚を踏み、左足で星を蹴っています。

台湾では、入試の前には受験生がお参りにきて希望の学校の名前を書きお祈りします。
福岡で言えば、太宰府天満宮みたいなところでしょうか?
また、神様の前においてある鉛筆は神様の許可が得られれば持ってかえることができます。
これで試験を受ければ合格間違いなしですね。




バスは次に延平郡王祠に向かいます。


台湾を占領していたオランダ人を駆逐した鄭成功の功績を賛え、鄭が死去した1662年に
彼を慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられた。
1875年には、清朝の大臣・沈葆禎によって福州式建築の新しい祠が建てられた。

日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格した。日本式の拝殿は作られたが、中国風の祠はそのまま残され、本殿とされた。第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟に建て替えられた。建物が全て新しいものであることから、延平郡王祠は古蹟に認定されておらず、史跡のみである。

中央には鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母「翁太妃」(田川松)の位牌が安置されている。


鄭成功は、中国人の父と日本長崎平戸の田川松との間に生まれ7歳まで平戸で過ごしました。


参拝の後、ツアーの同行者からここのマンゴアイスが美味しいと聞き、神社の前のベンチで
食べました。マンゴの香りがしてとても美味しかったです。100元だったかな?


途中、お土産屋さんに立ち寄るとカラスミが売られていました。
カラスミは、日本では長崎の名物ですが台湾ではこの台南の名物なんです。
台湾では、「鳥魚子」と呼ばれています。値段は900元(日本円約2500円)、安いですね。

バスは今日の宿泊地「高雄」に向かいました。   (続く)


台湾旅行(その4)日月潭、文武廟

2011-12-14 20:10:22 | 旅行
12/7
今日は、日月潭(ニチゲツタン)~台南~高雄まで。
今度の旅行で一番距離が長いコースです。
朝7時50分にホテルを出発。

台湾は九州ぐらいの広さですが、真ん中に3000mクラスの山脈が通っています。
最初の目的地日月潭もこの山の中にあります。
一時間ほどで日月潭に到着。

ここは、湖の半分が太陽の形、半分が月の形をしていることからそう呼ばれています。



ここには、原住民のサオ族が住んでいたのですが、日本統治下、ここに水力発電を造ろうということに
なり、周囲を掘り、台湾最大の湖になりました。
父のアルバムには、昭和15年ごろの日月潭のパンフみたいなものが貼られています。

こんな丸太舟を使っていたのですね。
今では湖面を遊覧船が行き交っています。

島の中央の島(ラルー島)がサヤ族の祖霊が宿る聖地とされています。
ここでは、湖畔を一周する為にレンタサイクルや年に一度湖畔を走るマラソン大会も行われています。

日月潭の向かい側には、文武廟があります。



※8mの獅子
文武廟は、前殿、中殿、後殿に分かれていて前殿は、文の神「孔子」、中殿は、武廟で武の神の
「岳飛」や「関羽」が祀られています。
中に入ってみますと








この廟は、いたるところに龍の彫刻があります。
手彫りだそうで細かい表現に感嘆しました。     
今日は写真整理で疲れました。この続きはまた明日にします。

【台湾一口メモ】
台湾との為替ですが、10000円で3690元。
1円が2.7元ぐらいです。
タクシーが日本で1200円ぐらいの区間が600円ぐらいです。









台湾旅行(その3)台中へ

2011-12-13 11:17:20 | 旅行
台湾新幹線で台中に到着後観光バスで市内を観光しました。


台中市は人口260万人で台湾第三の都市です。
父のアルバムを見ていますと徒歩訓練と称して台北から台中まで約160kmを重装備で
一日平均12里(48km)歩いています。
台中での写真が台中郵便局前です。

※今の台中郵便局

※向こうの建物が台中郵便局
写真を見比べてみても昔の面影が全くありません。



バスは宝覚寺へ。
このお寺は1928年の創建です。

中を見てみますと古い日本式のお寺があります。

ガイドさんの話では、1999年に台湾に地震があったあと、移動して保護する為にお寺の周りを
コンクリートで囲んだそうです。
ここでは、高さ30mの布袋様(弥勒大仏)が有名です。

全体が金色で目立ちます。
この布袋様は高くて触ることが出来ませんのでそのために小さな布袋様もあります。

お腹とか頭を触れるとご利益があるそうです。
私も触ってきました。どんなご利益があるでしょうか?

この寺の端の方には、日本人遺骨慰霊碑が建てられています。
戦争中戦死した日本人や志願して日本兵になった台湾人の方の遺骨が納められています。
若し私の父が戦死していたらここに祀られていたかもしれません。
尤もそうなれば私はこの世には存在していなかったでしょう。



ここでは、お線香の上にタバコが供えられています。
あの世でもタバコが自由に吸えるようにということでしょうか?


バスの中でもらった「太陽餅」


台湾滞在最初のホテルは、台中の「福華大飯店(ハワードプリンスH)」です。

夕食前、時間がありましたのでホテル周辺を散策しました。


今日の料理は台湾客家(ハッカ)料理です。
先ずは台湾ビール

味は?というと、ポップの効いた日本のビールばかり飲んでいる者には何か物足らなさを感じます。

料理です。


デザートは、スイカでしたが、とても甘く美味しかったです。


こうして台湾での第一日目が過ぎました。    (続く)

【台湾一口メモ】
台湾のトイレは、管が小さくてペーパーは流せません。
トイレには、汚物入れがありそこに使用したペーパーを捨てます。
日本のトイレの習慣からペーパーを流そうとしますが、管が詰まりますので
決して流さないで下さい。



台湾旅行(その2)台湾新幹線

2011-12-12 12:46:32 | 旅行
福岡空港を10:25に出て台湾台北桃園空港に付いたのが12時少し前。
それから新幹線桃園駅に行き台湾新幹線初乗車です。

台湾の新幹線は、民営で高鉄、在来線は国営で台鉄と呼ばれています。


台湾新幹線は2007年1月に開業し台北~左営(高雄)までの345kmを1時間半で結びます。
この新幹線には日本の車両が導入され、700系の改良版です。







この13:57で台中に行きます。
台湾の新幹線はキップを裏向きにして機械に差し込み奥で取るのではなく、手前で受け取ります。

日本の新幹線ではホームに落ちないよう柵がつけられていますが、台湾では台北駅以外では
まだ付けられてなく駅員さんが入らないよう監視しています。


私たちが乗車したのはビジネス車両でこの車両には、車内サービスがあります。
乗車すると車内販売みたいなワゴンがやってきてお客様に飲み物、スイーツなどを配ります。
私は、コーヒーを頂きました。


約40分で台中に到着しました。 
           
(続く)
【台湾一口メモ】
台湾では、建物内、交通機関内はすべて禁煙となっています。
外で灰皿が置いてあるところでは喫煙が可能です。