同窓会で久しぶりに故郷ふくいを訪問した機会に、自然と歴史の街を時間の許す限り知人や歴史の名所を訪れたいと、寸暇を惜しんで観光ガイドの案内に従い走り回ってきました。
今回は、滞在していたホテル近くの福井城址(現福井県庁)から足羽川を経て、福井のランドマークである「足羽山公園」から江守の里、日野川、運動公園などを巡ってみました。
福井城址のお濠端には、今月末に忘れもしない64回目の記念日を迎えるあの福井大震災の記念碑が建っていますが、当時を偲びながら記念碑前をスタートして足羽川の「さくらの小径」へと向かう。
足羽川の桜は、全国でも有名な桜の名所ですが、その北側堤防にある「さくらの小径」も情緒ある浜町の風情が残っており、古木となった桜の枝をくくりながら懐かしい光景を味わっていた。
桜橋を渡り対岸の桜並木トンネルを九十九橋へと走ってみたが、まさに日本一の桜並木と思えるほど風格を感じるが、残念ながら満開の開花状況は未だ見たことがありません。
足羽川から足羽山に取りつく愛宕坂へ回り、長い階段坂を登るが、昔は愛宕山と呼ばれていたようで夜には過っての参道がライトアップされて風情ある散歩道となっているそうです。
登りきると展望台からは、朝の静かな橋南エリアの街並みが一望されました。
さらに、継体天皇を祀る越前租神の足羽神社に参拝して、銘木「足羽のしだれざくら」や「タカオモミジ」の神秘的な姿に感動していた。
この後、足羽山の頂きの三段広場にある山頂古墳に鎮座する継体天皇像に参拝していたが、越前平野を見下ろすその姿は、いつ見ても威風堂々の言葉がぴったりのお姿です。
天皇像の一段下の広場には、過って豊臣秀吉が柴田勝家の北ノ庄城を攻めた時に、本陣を置いた場所と言われる「天魔が池」が、ひっそりと木立に覆われていました。
足羽山公園を縦走して、おさごえ民家園のある兎越峠へ出て、故郷の実家のあった江守の街へと向かうと、一面に黄金色の麦畑が拡がり、田植えの終わった田圃もありパッチワークの世界のようでした。
収穫時期を控えて麦の穂が重たく垂れており、余りの美しさに惚れ惚れして周辺の路を一回りしてみたが、過っては秋のコメの収穫で賑わっていた筈ですが、今は減反政策で麦の生産に変わってしまったようです。
原風景に酔いしれていたが、引き返して懐かしい日野川の堤防を走り、河川敷の緑の風景を眺めながら運動公園へ向かった。
運動公園に着くと、福井が発祥の地と言われるマレットゴルフ大会が行われており、約50名の愛好者の皆さんと しばし語り合っていたが、毎週公園周囲のコースでプレーするのが、楽しくてしようがないそうで、健康長寿の福井の顔を見た感じでした。
この後、西部緑道を経て再び足羽山に戻り、弘法大師堂や西墓地をへて足羽山招魂社へと向かうと、緑豊かな足羽の山道にはパワーが漲っているようで、朝の空気も実に美味しく感じ、朝の散歩を楽しむ人達と笑顔の挨拶が実に爽やかでした。
再び足羽神社境内を通り、過って通いなれた「百坂(百段坂)」を数えながら下ってみたところ185段でした・・・何かクイズになりそうですね
さらに、幕末の志士である故郷の名士の橋本左内が眠る左内公園に着き、左内像や啓発録石碑を眺めていたが、現世代に一番求められるような人材ではないだろうかと思いつつ歴史の重さを感じてホテルに戻ってきた。
もう一度書かせていただきます。
故郷の風景とても懐かしいです。一つだけ私が自慢できるのは
前回の福井での同窓会の時、足羽川の桜のトンネルしっかりと
見てきたことです。丁度満開でラッキーでした。でも北側の堤防にこんなに美しいところがあるとは知りませんでした。日野川は父と鮎ツリに
行った懐かしい思い出の場所です。