鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

U-18日本代表候補 大分トリニータ戦

2015年03月27日 | Weblog
U-18日本代表候補 トレーニングキャンプ 大分トリニータとトレーニングマッチを行う
2015年03月27日

U-18日本代表候補 トレーニングキャンプ 大分トリニータとトレーニングマッチを行う

U-18日本代表候補トレーニングキャンプ トレーニングマッチ vs 大分トリニータ
2015年3月26日(木) キックオフ:16:00 試合時間:60分(30分×2)
だいぎんサッカー・ラクビー場B(大分/大分市)

U-18日本代表候補 1-2(前半0-2、後半1-0)大分トリニータ

得点
13分 失点(大分トリニータ)
19分 失点(大分トリニータ)
57分 増山朝陽(U-18日本代表候補)

スターティングメンバー
GK:加藤有輝
DF:藤谷壮、板倉滉、中山雄太、岩田智輝
MF:三好康児、坂井大将、堂安律、長沼洋一
FW:小川航基、邦本宜裕

2本目メンバー
GK:脇野敦至
DF:森下龍矢、岡野洵、町田浩樹、浦田樹
MF:木彰人、久保田和音、佐々木匠、増山朝陽
FW:杉森考起、岸本武流

交代
22分 坂井大将 → 久保田和音
22分 堂安律 → 佐々木匠
40分 佐々木匠 → 瀬古樹
40分 久保田和音 → 末木裕也

選手コメント
坂井大将 選手(大分トリニータ)
チームとしても個人としても良いところや課題が出た試合だったと思います。これからの練習でも、良いところはもっと質を高めることが大事だと思うし、課題の点についてはしっかり分析して改善出来るようにしていきたいです。今年はAFC U-19選手権の一次予選も始まるのでしっかりチームとしてまとまりを持って共有していきたいと思います。

脇野敦至 選手(東福岡高)
今日の午前は、DFラインからパスを繋いで組み立ててフィニッシュまでの練習だったり、ゴール前での連携を高める練習を中心に行いました。昨日のトレーニングマッチでも、ゴール前の連携が上手くいかないことが多かったので、その点を意識して練習しました。午後は大分トリニータとのトレーニングマッチでチームの課題が見つかり、自分の課題も見つかりました。キックの精度がまだまだ低いので、日々の練習から取り組んでいきたいと思います。

瀬古樹 選手(三菱養和SCユース)
今回初めてU-18日本代表候補に選出され、とても嬉しく思います。大分トリニータとの試合前のミーティングで、チームでの共通理解を持った上で試合に入りました。味方との共通理解が出来ている時と出来ていない時があったので、そこを常に出来るようにしていきたいです。試合の結果は負けてしまいましたが、この試合での経験をこれから生かしていかなければならないと思いました。残りのトレーニングを大事にし、たくさんのことを吸収したいと思います。

末木裕也 選手(ヴァンフォーレ甲府U-18)
今回初めて日本代表候補に選出され、とても嬉しく思います。このチームで活動が始まって3日が経ち、チーム全員がこの合宿の目的を理解できてきたと思います。初選出なので最初は不慣れなところもありましたが、コミュニケーションをとるにつれて、戦術などを理解することが少しずつできてきたと思います。このトレーニングキャンプの中では日本代表の試合観戦もあるので良いイメージを持ちたいと思います。

小川航基 選手 (桐光学園高)
大分トリニータとの試合では、1人あたりのプレー時間が30分という中でどれだけ自分を出せるかが重要でした。個人としてはまだまだ連携ミスがあり、得点も決めていないということが課題になりました。その課題を練習から改善できるように、明日と明後日の練習で取り組んでいきたいと思います。明日は日本代表の試合観戦があるので、良いプレーを盗んで自分の成長につなげたいと思います。

スケジュール
3月24日(火) PM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
3月25日(水) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
       4-2 練習試合 vs. ヴェルスパ大分(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
3月26日(木) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場A)
        2-1 練習試合 vs. 大分トリニータ(だいぎんサッカー・ラグビー場A)
3月27日(金) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
       19:30 キリンチャレンジカップ2015観戦(大分スポーツ公園総合競技場)
3月28日(土) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)


大分トリニータとの練習試合に出場したU-18日本代表候補の久保田和音と町田くんである。
町田くんの出場した2本目はプロの大分を完封しておる。
守備の要として奮闘した模様。
このチームが熟成され、アジアを制覇、そしてU-20W杯へと向かうのだ。
楽しみにしておる。

セレッソ・田代、早くみんなの特徴をつかみたい

2015年03月27日 | Weblog
C大阪・新加入FW田代 体力強化メニューで急ピッチ調整
 J2C大阪に新加入したFW田代が26日、大阪市此花区で行われたチーム練習に合流した。前日25日は別メニュー。この日の午前中も1人で体力強化メニューを行う急ピッチ調整だった。

 午後からは紅白戦で控え組のFWに入り、06年に鹿島で指導をあおいだアウトゥオリ監督の前で久々にプレーした。今オフは米国のクラブの練習に参加。3月上旬に契約寸前で破談し、自主トレを続けてきた。選手登録も申請済みで、認められれば29日の横浜FC戦(ヤンマー)で出場が可能となる。空中戦が魅力の元日本代表FWは「早くみんなの特徴をつかみたい。とにかく頑張りたい」と意気込みを口にした。
[ 2015年3月27日 05:30 ]


紅白戦にて控えFWに入ったセレッソの田代である。
アウトゥオリ監督にアピールし、出場機会を狙うのだ。
選手登録が済めば、この週末にも出場可能となる。
この元日本代表の力をセレッソサポに魅せるのだ。
活躍の報を待っておる。

日本代表・柴崎岳、今までにも増してスピード感のあるサッカーが求められている

2015年03月26日 | Weblog
ダイレクトプレーで輝きたい柴崎「スピード感のあるサッカーが求められている」
15/3/26 21:14



 ボールを使った戦術トレーニングが初めて報道陣に公開された中、「フィールドプレーヤー12人+GK2人」を1組にして行ったミニゲームで、ボランチの一角に入っていたMF柴崎岳(鹿島)だが、ワンタッチパスの多用や縦への意識の高いハリル流戦術の中で、正確な技術はやはり光っていた。

「今日のトレーニングで見られたように、監督は非常にスピーディーなプレーを求めている。自分もスピードやワンツーを生かした攻撃を求められていると思うので、それに応えないといけない」。柴崎は言葉に力を込めた。

「攻守において、今までにも増してスピード感のあるサッカーが求められている」と、指揮官の狙いを説明しながら、「短い時間で練習してきた中で、試合では少しでも監督の要求することをやりたいし、得意なプレーをしっかり出していきたい」と意気込む。

 今合宿ではランニングやフィジカルメニューで常に先頭に立つのが柴崎だった。背番号は堂々の7番。自覚も期待も十分な22歳が、ハリルジャパンの一員として新しい風を吹かせようとしている。
(取材・文 矢内由美子)


ハリル・ホジッチ日本代表監督の戦術について語る岳である。
十二分に理解しておる様子。
チームの軸として躍動するのだ。
活躍を期待しておる。

脩斗・高崎、ランニング

2015年03月26日 | Weblog
2部練習


雲一つない快晴の下、選手たちは2部練習を行いました。9時からは室内でのトレーニングとランニング、15時半からはシュート練習やハーフコートゲームなどを実施しました。


ランニングする山本脩斗と高崎である。
同年代の二人は、戦力として鹿島に欠かせない存在となっておる。
次は修斗のクロスに高崎がヘディングといったシーンを増やしていきたいものである。
頼もしい二人の活躍を楽しみにしておる。

U-18日本代表候補 ヴェルスパ大分戦

2015年03月26日 | Weblog
U-18日本代表候補 トレーニングキャンプ トレーニングマッチレポート vs ヴェルスパ大分
2015年03月26日

U-18日本代表候補 トレーニングキャンプ トレーニングマッチレポート vs ヴェルスパ大分

U-18日本代表候補トレーニングキャンプ トレーニングマッチ vs ヴェルスパ大分
2015年3月25日(水) キックオフ:15:00 試合時間:90分(45分×2)
だいぎんサッカー・ラクビー場B(大分/大分市)

U-18日本代表候補 4-2(前半2-1、後半2-1)ヴェルスパ大分

得点
20分 三好康児(U-18日本代表候補)
26分 三好康児(U-18日本代表候補)
30分 失点(ヴェルスパ大分)
59分 高木彰(U-18日本代表候補)
86分 堂安律(PK)(U-18日本代表候補)
88分 失点(ヴェルスパ大分)

スターティングメンバー
GK: 脇野敦至
DF: 岩田智輝、板倉滉、中山雄太、浦田樹
MF: 三好康児、坂井大将、佐々木匠、久保田和音
FW: 小川航基、邦本宜裕

2本目メンバー
GK: 加藤有輝
DF: 木彰人、岡野洵、町田浩樹、森下龍矢
MF: 増山朝陽、末木裕也、瀬古樹、堂安律
FW: 長沼洋一、岸本武流

サブメンバー(出場なし)
DF: 藤谷壮
FW: 杉森考起



選手コメント
三好康児 選手(川崎フロンターレ)
活動が始まってから2日目で試合ということで、まずは守備の面から狙いを合わせていくことを考えて試合に入りました。結果としてはまず勝つことができ、得点も複数の形でとれたことは良かったと思います。失点に関しては自分のミスもあり、個人としてもチームとしても詰めていかなければいけないので、早く修正してまた明日の試合も勝てるように頑張ります。

邦本宜裕 選手(アビスパ福岡)
午前中は守備の練習をしました。自分は守備が苦手なので少し迷いもありましたが、だいぶわかるようになりました。FWでも前線から守備をしなければいけないので、もう少し意識を高めていきたいです。午後はヴェルスパ大分と試合をしました。この試合で自分が意識してプレーしたのは裏への飛び出しと足元で受けるときのタイミングです。タイミングが良い時もあったので、良い動きができたかと思います。守備の面では、行けたところもあれば行けなかったところもあり、できていない事の方が多かったのでもう少し意識して改善していこうと思います。

増山朝陽 選手(ヴィッセル神戸)
今日は守備を意識して試合や練習に取り組みました。まだまだ絞りが甘い部分や寄せきれなかった部分があったので、改善していこうと思います。試合の中でも監督からももっと絞れと言われたので、自分が思っているよりもっと外を捨てて中にしっかり絞るようにしていこうと思います。良いポジショニングがとれた時は、相手のボールをインターセプトでき、すぐに攻撃に入ることができていました。シュートまで持って行くことができましたが、あの場面でゴールを決めきれなかったのは課題です。少ないチャンスを決められるようにしたいと思います。

森下龍矢 選手(ジュビロ磐田U-18)
昨日の活動で共有した「組立、展開、突破、フィニッシュ」と今日のミーティングで共有した守備の仕方を意識してプレーしました。あと3日間キャンプが残っているので、チームの中で少しでも自分の良さを出してアピールできるようにしたいです。初招集なので、少ない時間の中でもっと積極的にコミュニケーションをとって、より良いキャンプにしたいです。

岡野洵 選手(ジェフユナイテッド千葉U-18)
今回、初めてU-18日本代表候補に選出され、とても嬉しく思います。チームの戦術で理解しきれていないところがあるので、ゲーム、練習、ミーティングなどを通じてしっかりと理解していこうと思います。チームのやり方を理解した上で自分の特徴を積極的に出していきたいです。将来プロで活躍するために、この活動では自分がどこまで通用するかを明確にし、多くのものを学んでいきたいです。

スケジュール
3月24日(火) PM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
3月25日(水) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
       4-2 練習試合 vs. ヴェルスパ大分(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
3月26日(木) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場A)
        16:00 練習試合 vs. 大分トリニータ(だいぎんサッカー・ラグビー場A)
3月27日(金) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
        19:30 キリンチャレンジカップ2015観戦(大分スポーツ公園総合競技場)
3月28日(土) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)


ヴェルスパ大分との練習試合に出場したU-18日本代表候補の久保田和音と町田くんである。
和音には中盤の柱として、チームに馴染んで欲しいところ。
二人の成長を楽しみにしておる。

中田浩二CRO、サッカー評論家デビュー

2015年03月26日 | Weblog
中田浩二氏 チュニジア戦から評論家デビュー「選手目線で分析したい」

スポニチ本社社員から花束を渡される中田浩二氏(中央)
Photo By スポニチ


 元日本代表DFで鹿島やスイスのバーゼルなどで活躍した中田浩二氏(35)がスポニチ本紙のサッカー評論家に加わった。

 25日に東京都江東区のスポーツニッポン新聞社を訪れ、就任あいさつ。冷静なプレースタイルと同様に「引退して間もないので、選手目線で試合を分析していきたい」と抱負を語った。ハリルホジッチ監督の初戦となるあす27日の日本代表―チュニジア戦で評論家としてデビューする。
[ 2015年3月26日 08:15 ]


スポニチの評論家陣に加わった中田浩二CROである。
そのデビューは今週末の日本代表のチュニジア戦とのこと。
選手目線にて試合を分析してくれるとのことであるが、どのように解説してくれるであろうか。
スポニチの紙面を楽しみにしたい。

日本代表・柴崎岳、監督の要求に僕たちも応えないといけない

2015年03月26日 | Weblog
柴崎 背番“遠藤7”を継承「監督の要求に応えないと」
キリンチャレンジ杯 日本―チュニジア (3月27日 大銀ドーム)

 日本代表MF柴崎がMF遠藤の“後継者”として再び背番号7をつけることになった。

 「背番号に特にこだわりはない」と話したものの、日本代表デビューを果たした時の縁起の良い番号。「監督の要求に僕たちも応えないといけない。やれることはたくさんある。世界のチームと戦えるレベルまでしっかり持って行きたい」。ハリルホジッチ監督はロシアW杯を目指す上であえて遠藤を代表リストから外したが、その不在を感じさせないゲームメークを見せる。
[ 2015年3月26日 05:30 ]


日本代表について語る柴崎岳である。
「世界のチームと戦えるレベルまでしっかり持って行きたい」と言う。
とても高いモチベーションで合宿に挑んでおることが伝わってくる。
岳が中盤にて試合をコントロールする姿が楽しみである。

セレッソ・田代、ゴールできるチャンスがあれば狙うのは当たり前

2015年03月25日 | Weblog
[C大阪]チームに合流した田代有三、「『19』という背番号は鹿島で1年目の番号。この歳でまた新たな刺激を受けながら頑張りたい」


 24日にC大阪への加入が発表された田代有三が25日、チームに合流。2部練の午後練習ではボールワークにも加わり、汗を流した。

 C大阪での初日の感想について田代は、「ほとんどが知らない選手なので、この歳でまた新たな刺激を受けながら頑張りたい。『19』という背番号は鹿島で1年目の番号。気持ち新たにやります」と話した。「コンディションはもう少し」なため、出場はもうしばらく先にはなりそうだが、「セレッソのJ1昇格のために、試合に出て貢献したい」と抱負を述べた。

 田代は今オフ、自身の夢であった海外挑戦のために神戸を退団、「アメリカのクラブで1ヶ月ほど練習に参加」するも、「最終的に(契約交渉が)うまくいかなかった」という。神戸サポーターに対しては、「神戸を離れる時のお別れの言葉もリリースを通してしかできずにすみませんでした。近くにいますので、また応援して下さったらうれしいです」と言葉を残した。

 また田代と言えば、11年のJ1第19節・C大阪対鹿島戦(1●3)での得点が印象深い。そのことを本人に伝えると、「そうですね」と笑顔を見せた後、「もう一回あの場面があっても、ボールを奪ってゴールしようと思います。ゴールできるチャンスがあれば狙うのは当たり前」とキッパリ。キム・ジンヒョンとも「仲良くやりますよ(笑)」と話した。
(C大阪担当 小田尚史)


チームに合流したセレッソの田代である。
セレッソでの背番号は19とのこと。
鹿島入団時の番号であり縁起物と言えよう。
ちょうど10年前、懐かしい。
また、2011年の面白ゴールについても語られておる。
GKの背後を取り、気配を消してボールを奪ってのゴールは歴史に残る得点であった。
奪われたキム・ジンヒョンともチームメイトとなり、共に勝利を目指すこととなった。
田代の快進撃を楽しみにしたい。

柳沢敦が語るキャリアと未来

2015年03月25日 | Weblog
W杯で得た喜び、クロアチア戦の悔恨
柳沢敦が語るキャリアと未来<前編>

元川悦子
2015年3月24日 12:10


19年間のプロ生活を駆け抜け引退


19年間のプロ生活を駆け抜けた柳沢敦に現役時代を振り返ってもらった【元川悦子】

 2014シーズン限りで19年間のプロ生活にピリオドを打った名ストライカーがいる。鹿島アントラーズの黄金時代を築き、京都サンガF.C.、ベガルタ仙台の成長の礎を作り、02年日韓、06年ドイツと2度のワールドカップ(W杯)に出場した柳沢敦である。

 富山第一高校時代から「超高校級」と言われた若きFWは1996年に鹿島入り。2年目の97年から徐々にレギュラーに定着し、98年元日の天皇杯決勝では増田忠俊、マジーニョと彼のゴールで3−0と横浜フリューゲルスを撃破。初めて自身が原動力となってタイトルを獲ることに成功する。この活躍を買われ、直後には岡田武史監督(現FC今治代表)率いる98年フランスW杯本大会に向けた代表候補に抜てき。98年2月のオーストラリア戦(3−0/アデレード)で国際Aマッチデビューを果たし、一気にスターダムにのし上がる。

 残念ながら98年フランスW杯の出場はかなわなかったが、その後のフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表では完全なる主力と位置づけられ、00年シドニー五輪、02年日韓W杯を経験。ロシア戦(1−0/横浜)で稲本潤一(現コンサドーレ札幌)の決勝点をアシストするプレーは柳沢の真骨頂である「オフ・ザ・ボールの動き」の鋭さが如実に出ていた。

 02年までに鹿島で9冠獲得に貢献した彼は03年夏、イタリア・セリエAへの挑戦を決断。サンプドリアで1年、メッシーナで2年と計3シーズンを過ごす。そして06年初めに古巣・鹿島へ復帰し、06年ドイツW杯に挑んだが、勝負の懸かったクロアチア戦(0−0/ニュルンベルク)で決定機を外し、それが代表ラストゲームとなってしまう。

 その後はクラブでの復活を目指したが、07年の鹿島の逆転優勝時には出場機会が激減。本人も去就を考えたという。それでも翌年に加入した京都で華々しい復活を果たす(リーグ戦14ゴール)。さらに11年に赴いた仙台では移籍直後に東日本大震災を経験することになったが、彼は前向きにプレーし続けることを決して忘れなかった。

 まさに華麗かつ怒涛のキャリアを歩んできた男に今、現役生活を振り返ってもらった。

鹿島時代あってのその先


鹿島では多くのタイトルを獲得。それと同時にプロとしての基礎をしっかり築けたことが、その後の選手生活に生きた【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――19年間は早かったけれど、本当にいろんなことがありました。その中の節目だった出来事をいくつか挙げてもらえますか?

 まず一番は、(鹿島に)加入直後のなかなか出場機会を得られなかった時期ですね。そこで良い下積みができた。日本代表選手が何人もいて、ブラジル代表もいて、そこでの下積みですよ。僕にとっては本当に貴重な時期でしたね。それを経て、97年末〜98年正月の天皇杯くらいから徐々に先発で使ってもらえるようになった。プロとしての基礎をしっかり重ねられたことが、その先のいろんな経験を積めた要因だと思うんです。

――90年代後半は日本サッカー界全体に勢いがありましたね。ジーコやジョルジーニョ、レオナルド、ストイコビッチといったスター選手が続々と来日し、日本代表も世界の扉をこじ開けようとしていました。

 本当にそうですよね。2つ目はイタリアでの経験です。結果としては決して満足いくものではないんですけれど、今、選手生活を終えて考えると、人間として非常に良い経験だったなと痛感します。

――その後、Jリーグに復帰しましたが、鹿島が劇的な逆転優勝を収めた07年には出番が減り、本当に苦しみましたね。

 出られない悔しさ、そして自分自身の体の変化というか、思うようなプレーができなくなった自分に対していら立ちがありました。移籍と言うより、辞めることも少しは考えました。最初に引退を考えた時期でもあります。僕はもともと得点で評価される選手じゃなかったし、動き出しやキレといった自分のストロングポイントが薄れてきたのは事実でした。そこで鹿島を離れる決断をしたのが、1つの重要なポイントでした。

――京都へ行くことを決断しました。

 京都の久さん(加藤久=現ジュビロ磐田GM)に声をかけてもらって、「もう一度、サッカー人生に花咲かせろよ」って言葉がすごく心に響きました。そういう強い信頼関係のもとでサッカーができた京都の1年目(08年)は2桁ゴール(14得点)を取って、久々にベストイレブンにも入れてもらいました。それは本当に大きな出来事だったかなと。その歳になってまた新しいサッカーを感じられたし、楽しいサッカーができた。非常に良いシーズンだったのは記憶に残ってます。

――30代になってまた違う自分になれました?

 基本、メンタルの部分だけですが。自分から仕掛けた新しいチャレンジが良い方向に行ったんだと思います。

 京都へ行ってからは本当に「やるんだ」という気持ちでした。鹿島のような常勝チームと、まずJ1に残留しながらクラブとして力をつけていく状況にいる京都のようなチームは、やっぱり求めるものが違う。常勝クラブに長年いて、そこから来た者として、伝えられるものがあるんじゃないかっていう思いは自分の中にありました。それを表現することでまた1つ、ベテランの存在感を発揮できたのかなと感じましたね。

仙台で得た特別な想い


仙台では移籍直後に東日本大震災を経験。「普通にサッカーができる幸せを改めて感じた」と話す【Getty Images】

――その京都が在籍3年目の10年にJ2降格となり、柳沢選手自身も契約満了を迎え、次なるチャレンジの場に仙台を選びました。

 その時は誠さん(手倉森=現U−22日本代表監督)に拾ってもらいました。誠さんとは共通の知り合いがいて何度か面識がありました。代表戦の後に食事をさせてもらったり。そういう縁というか、巡り合わせというか、助けてくれる人がありがたいことに僕にはたくさんいた。そのおかげで現役を続行できたのはあります。

――J1定着への確固たる基盤がほしかった仙台にとっては、柳沢選手のような精神的支柱が必要だと監督は考えたんでしょうね。でも仙台へ行った途端に震災が起きた。選手たちもプレーどころではなくなり、避難所での手伝いに駆り出される日々を過ごしました。

 普通にこうやってサッカーができる幸せを改めて感じますし、多くの被災者の人たちがそこで負った傷というのは計り知れないものがある。プロサッカーに関わる以上、自分はそういう人たちに元気になってもらえるような仕事を常にしなければいけないと思うようになりましたね。

――仙台ではけがもあってスタメンでピッチに立てる機会が少なかったけれど、震災の経験も自分を強く支えていたのでは?

 ベンチにいながらチームを支えることと、震災は特別にリンクはしていなかったです。「立場立場でできることを100%でやる」ということは常に言われてきたし、それをやるのは当たり前。ただ、自分が多くの経験をしてきた中で、震災は非常に大きな出来事でしたし、あの時の気持ちを忘れないことはすごく大事だという思いは常にあります。

――選手時代を通して、クラブレベルで一番うれしかったことを1つだけ挙げるとすれば?

 さっきも言いましたけれど、プロになって(試合に)出始めて最初に優勝した98年正月の天皇杯です。事実上、僕の初タイトル。自分が原動力となった優勝。その充実感はいまだに残っている感じがします。

忘れられない代表での経験


ロシア戦では決勝点をアシスト。日本に歴史的なW杯初勝利をもたらした【写真:ロイター/アフロ】

――柳沢選手には代表というもう1つの大きな柱がありました。97年ワールドユース(マレーシア)、00年シドニー五輪と年代別世界大会を経て、02年日韓、06年ドイツと2度のW杯に出場しましたね。

 やっぱり02年は大きな出来事。すごい経験だと思います。W杯といっても、ただのW杯じゃなくて自国開催ですからね。これから日本がW杯出場という歴史を積み重ねていくとしても、自国開催の大会に出場した日本人というのはそうそう出てこないと思うので。そういう意味では、本当に良い時期にW杯を経験できたと思います。

――ロシア戦のアシストは永遠に残ります。

 できれば点を取りたかったですけどね(笑)。

――「自分が点を取らなくても周りに取らせることが大事」だと口癖のように言っていた柳沢選手の1つの象徴的なシーンだったのでは?

 結果として勝利につながったり、勝ち点につながっていれば、そういう評価をしてもらえる場合もあるんですけれど、FWというのは難しいもの。チームが勝たなければそういうプレーは評価されないポジションですよね。

――柳沢選手は「FWは点を取るのが仕事じゃないか」とメディアに詰め寄られることも多かったですよね。自分の中では考えや信念が揺れ動いたこともあったのでは?

 グラウンドの中では揺れ動いてはいなかったですよ。ただ、「何て言えば、納得してもらえるのかな」というのは、よく考えました。だけど、結局は理解してもらえないのかなと……。自分の持論は、良い時は評価してもらえるんですけれど、そうじゃない時に納得させるのが難しかった(苦笑)。それでも僕の中では、常に変わらず自分の考えを持ってプレーしていました。

――柳沢選手はメディアから注目され続けてきた選手。周囲との戦いも大変だったのでは?

 自分自身がしっかりとした考えを持っていればそれを貫き通すべきだし、考えが変われば変わったでいい話。そこに強い意志があるかないかが非常に重要なのかなと。周囲によって考えを変えさせられていたら、強い気持ちをサッカーに持って臨めないし、不安や違和感を覚えながらやっても良い結果は出ない。自分が突き進むためにも、しっかりした確信が心の中にあることが重要なのかなと思います。

――ドイツW杯のクロアチア戦で加地(亮=現ファジアーノ岡山)が折り返したクロスを決められずに決定機を逃した件でも、「急にボールが来たから」というコメントが「QBK」とやゆされる事態になりました。柳沢選手自身も驚いたのでは?

 あのプレーに対しての一番の反省は、クロスに対してアウトサイドで足を出してしまったこと。あの時の監督はジーコでしたけれど、鹿島に入ってから常に言われてきたのが「インサイドで確実にやれ」ということだった。それを積み重ねてきたにも関わらず、ああいう大きな舞台で、しかもジーコが監督をしているところで、ああいうプレーをしてしまった。そのことは本当に悔しいというか、残念。積み重ねてきたものがあるだけに悔しさは表面上だけじゃない。なおさら辛いシーンではありますね。

――ドイツW杯は自分自身、チームも含めて悔しさしか残らないのでは?

 そうですね。チームの雰囲気がどうこうとは言われましたけれど、みんなが違う方向を向いてたわけでは決してなかったと思いますし、目標にしてるところも違ったとは思わない。ただ、悔しかったですね。

指導者として追求する自分の考え
柳沢敦が語るキャリアと未来<後編>

元川悦子
2015年3月25日 11:00


約8年ぶりに鹿島へ復帰


コーチとして約8年ぶりに鹿島へ復帰した柳沢(左)。現在はどのような生活を送っているのか【元川悦子】

 2014年シーズン終了2日前の12月4日、現役引退が発表された時点で、柳沢敦の今後の身の振り方は一切決まっていなかった。彼自身は「いったんリセットする意味でも頭の中も体も休ませたい」という気持ちが強く、年内は取材活動もほとんど受けずにいた。

 その柳沢が古巣・鹿島アントラーズのトップチームのコーチに就任するという情報が流れたのが1月5日。「まずは約8年ぶりに鹿島アントラーズの一員になれたことに大きな喜びを感じています。19年の選手キャリアを経て、プロとして第一歩を踏み出したクラブに戻り、指導者として新たなキャリアをスタートできることを大変光栄に思います。立場や役割は大きく変わりますが、チームに貢献したいという気持ちは何一つ変わりません。今までの経験を生かし、コーチとして全力でチームをサポートしていきたいと考えていますので、よろしくお願いします」というコメントが鹿島の公式HPで発表されたが、同じタイミングで引退したかつての盟友・中田浩二(現鹿島CRO、クラブ・リレーションズ・オフィサー)とともに恩のあるクラブを支えていけることに新たなエネルギーを感じたことだろう。

 コーチ就任から2カ月半。トニーニョ・セレーゾ監督の下で指導者としての一歩を踏み出した柳沢は、練習中にボールを出したり、メモを取ったり、選手を盛り上げたりと日夜格闘している。そんな現状を本人に聞いた。
自分の時間はほとんどない状態


慣れるのに少し時間がかかったという柳沢。勉強することも多く、自分の時間はほとんどない状態だ【元川悦子】

――コーチ就任後、生活はどう変わりましたか?

 生活面は練習があって、休みがあってという部分は選手と変わらないんですけれど、役割が変わったところは大きな変化。終わった後も少し自分の作業をする感じで、自分の時間は選手の時に比べるとほとんどない状態ですね。慣れるのに少し時間がかかったかなという感じ。いろんなことに気付いていかないといけないし、まだ勉強が始まったところだと思っています。

――選手のデータ管理もしているんですか?

 それはまだです。チームとして管理しているので。コーチにはそれぞれの担当、役割があるんですけれど、僕自身は今は見習いというか、見て勉強する立場ですね。まだスカウティングにも参加していません。スカウティング担当がいるので、話を聞いて、自分の中で整理するくらいです。

――長年、一緒にプレーしていた小笠原満男選手や本山雅志選手らとの距離感は難しいのでは?

 距離感はちゃんと保ちながらやっています。もちろんコーチになったからといって、突然、人間関係がガラッと変わるわけではないし、今までのつき合いとか人間関係もありますから。ただ、選手とコーチの立場というのはお互いに理解しているつもりです。

自分の考えを作っていかないといけない


セレーゾ監督からは、選手時代に聞けなかった話も聞いているという【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

――今シーズンの鹿島はAFCチャンピオンズリーグ序盤で連敗し、J1も開幕2連敗と苦境が続いています(編注:取材当時)。柳沢コーチはどんな声をかけるのですか?

 具体的な声はかけてないんですけれど、こういう時こそ前向きにしないとどうしようもない。試合が詰まっていて、リセットする時間もない状況で次から次へと試合が来てしまう。本当に難しいと思うんですけれど、終わったことはどうしようもない。次の試合に向けて前向きな気持ちでいけるようにすることはコーチとして大事かなと思います。

――セレーゾ監督はチームが厳しい時、どんなチームマネジメントをするのですか?

 普段と変わらずですね。セレーゾ監督は良い時も悪い時も求めるものが変わらない。勝ってないから何かするってことじゃないのかなと見ていて思います。そのスタンスは自分の選手時代から変わらないですね。

――セレーゾ監督から学ぶことは多いと思いますが?

 セレーゾがどういうことを求めているのかは見ていて一番考えるところかな。選手時代には聞けなかった部分をコーチになってから聞けるようになったのは大きいです。例えば、「選手にはこれはわざと言わなくていい」とか、言っていいこととよくないことの判断がセレーゾの中にあるみたいなので、そこは選手時代は聞けなかった部分。指導者によってその部分は違うと思うので、見ていて勉強になりますね。

――柳沢コーチは今まで富山第一高校の長峰俊之監督や(ヘスス・)ロドリゲスコーチ、鹿島加入当時の監督だったジョアン・カルロス、日本代表の(フィリップ・)トルシエやジーコなど、さまざまな指揮官の下でプレーしました。自分の理想の指導者像をこれからどう追求していくのでしょうか?

 やっぱり選手の時もそうですけれど、まねごとじゃダメなのかなと。自分のしっかりとした考えというのを作っていかないといけないと思いますね。これまで指導を受けた監督はみんなインパクトありましたよ(笑)。選手時代には分からない部分もあったけれど、それぞれに良さがあった。そういう経験を踏まえたうえで、自分っていうものを作っていかなければいけない。指導者として追求していかなければいけない部分があるのかなと思います。

「もう2度と戻れないのかな」と思った


鹿島を離れた際に2度と戻れないかもという思いがあっただけに、「お帰り」という声がうれしかったと目を細める【写真:アフロスポーツ】
――引退前から指導者になろうと考えていたんですか?

 いや。思ってなかったです。

――引退発表直後は「とにかく休もう」と思っていたんですよね?

 そうですね。だけど、改めて鹿島から話をもらって、そういう気持ちが湧いてきた。コーチをやりたいという気持ちがね。

――強化本部長の鈴木満さんも昨季最終節(12月6日)・サガン鳥栖戦の後に「いずれヤナギ(柳沢)も戻さなきゃいけない」と言っていました。鹿島に帰ることは頭の中で思い描いていましたか?

 いや。出ていく時には「もう2度と戻れないのかな」っていう思いがありました。そのくらいの覚悟を持って自分自身、ここを離れた。そんな自分がこういう形でもう1回、チャンスをもらうことができた。もちろん選手として呼ばれるのが理想でした。それがかなわなかったのは残念なんですけれど、新たなスタートを切るにあたっては、ここ(鹿島)でプロサッカー人生を始めて、良いサッカー人生を送らせてもらったので、次の人生もまたここからスタートできれば最高かなと。それで決めましたね。

――みんな喜んで迎えてくれたのでは?

 そうならいいんですけどね(笑)。でも、戻って来た時には「お帰り」ってみんなが声をかけてくれて、本当にうれしかった。「本当に戻ってきたんだな」って気持ちになりましたね。

指導者として力をつけることが大事


指導者という第2の人生で、「まずは力をつけることが大事」と語る。自身のような代表クラスのFWを育てることができるか【写真:ロイター/アフロ】

――コーチとしての新たな人生を踏み出したわけですが、この先の自分が目指すところは?

 まず自分自身が第2の人生でしっかりと成長して力をつけることが大事。自分の今までの経験を伝えていけるような存在になれればと思います。

――最終的には監督として勝負したい?

 今はそこまではいかないですけど(苦笑)。とにかく指導する場を与えてもらって自分がどう感じるか……。そういうふうに思えば、監督という方向を目指していくだろうし。鹿島の先輩たちも監督になっている人が多いけれど、まず監督になれたこと自体が僕からしたらすごいなと思う。それだけの能力を持った人たちだというのも間違いない。なおかつ結果を出すことがより一層、大変なことなんだろうなと想像できますね。

――いつか「宮本恒靖監督、柳沢敦ヘッドコーチ」といった02年日韓ワールドカップ経験者がけん引する日本代表チームが見られるんですかね?

 ……(笑)。とにかくしっかり努力して力をつけないと。僕の指導者としての力はまだ初心者レベル。JFAの公認指導者ライセンスは今まだB級で、これからA級、S級とより高いものを取っていかないといけない。今、ここでいろいろ経験して、そこからですね。上のライセンスを取る準備はしていかなければいけないと思っています。

――FWとして紆余(うよ)曲折を経験し、世界レベルを体感してきた人として、優れたFWを育てることが柳沢コーチの重要な仕事になるのでは? 岡崎慎司(マインツ05/ドイツ)選手みたいなFWは1つの完成形ですか?

 彼はオフ・ザ・ボールも素晴らしい。それとゴール前の泥臭さも兼ね備えた素晴らしいFWだと思います。そういう選手を育てられるように僕も頑張ります。


柳沢敦について記す元川女史である。
鹿島での現役時代、日本代表とW杯、そしてコーチについて語っておる。
悪しき記憶として頭に残ってしまったクロアチア戦のシュートについても口を開いた。
あそこをインサイドで確実に当てておれば歴史に残るゴールとなっただけに口惜しい。
しかしながら、あの瞬間にあのポジションにいたことことが柳沢敦その人であることも我らは知っておる。
また、指導者としての道を歩み始めたことについても語っておる。
柳沢の指導によって多くの選手が花開いていくことであろう。
楽しみである。

U-18日本代表候補・町田くんコメント

2015年03月25日 | Weblog
U-18日本代表候補 トレーニングキャンプ活動レポート(3/24)
2015年03月25日

U-18日本代表候補 トレーニングキャンプ活動レポート(3/24)

2017年に行われるFIFA U-20ワールドカップ仁川2017の出場を目指すU-18日本代表が大分県でトレーニングキャンプを開始しました。
選手は1997年1月1日以降生まれの選手で構成され、今年からプロサッカー選手になった選手も数名います。
チームは夕方から約2時間トレーニングを実施。小粥コンディショニングコーチの指導の下、ウォーミングアップから始まり、ボールを使ってパス&コントロール、3vs2を行いました。その後はペナルティエリアの幅でゲーム形式のトレーニングを行い、最後はシュート練習で一日のメニューを終えました。

28日までのトレーニングキャンプの期間中、25日はヴェルスパ大分、26日は大分トリニータとトレーニングマッチを行います。そして27日は、キリンチャレンジカップ2015 SAMURAI BLUE(日本代表)vsチュニジア代表の試合を選手・スタッフ全員で観戦・視察する予定です。



選手コメント
岩田智輝 選手(大分トリニータU-18)
今回、久しぶりの招集で楽しみでした。今日の練習では、自分の良さを出しつつチームでやろうとしている事を理解しながらプレーしようと思いました。自分の良さは随所に出せたかと思いますが、もっとやれると思うので遠慮せずに自分を出していきたいです。また、練習前のミーティングで全部は理解できませんでしたが、チームで目指すサッカーを自分なりに考えてプレーができたかと思います。今回のキャンプでチーム戦術を理解してサッカーを出来るようにしたいです。自分の良さを最大限に出し、チームメイトのみんなと共通理解を持って頑張っていきたいと思います。

加藤有輝 選手(大宮アルディージャユース)
今回このトレーニングキャンプに参加することができ、とても嬉しく思います。キャンプ初のトレーニングでは、仲間とのコミュニケーションをしっかり取り、一人一人の特徴を把握していくことを意識しました。とても良い雰囲気でトレーニングが出来たと思います。明日には試合も入ってくるので、良い準備をして自分のプレーをし、チームのために戦っていきたいと思います。

町田浩樹 選手(鹿島アントラーズユース)
合宿初日でしたが、ピッチ内外でチームメイトとしっかりコミュニケーションをとることができました。トレーニングでは、組み立て→展開→突破→フィニッシュのイメージを仲間と共有することを心がけました。今回の合宿は短期間ですが、10月のAFC U-19選手権の予選に向けてしっかりと自分をアピールし、明日、明後日の試合ではチームとして勝利を追求しこの合宿で少しでも多くのことを学べるように一日一日を大切にしたいと思います。


木彰人 選手(ガンバ大阪ユース)
今回この代表合宿のメンバーに選出されたことをたいへん嬉しく思います。プロでやっている選手もいれば初招集された選手もたくさんいるので、積極的にコミュニケーションをとっていきたいです。今日は練習前にミーティングを行い、みんなでチーム戦術を共有してから練習を始めました。自分もそのことを意識し、しっかり練習に取り組むことができました。明日にはもう試合が始まるのでチームの勝利のために今出せる最高のパフォーマンスを出し頑張りたいと思います。

スケジュール
3月24日(火) PM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
3月25日(水) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
       15:00 練習試合 vs. ヴェルスパ大分(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
3月26日(木) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場A)
       16:00 練習試合 vs. 大分トリニータ(だいぎんサッカー・ラグビー場A)
3月27日(金) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B)
       19:30 キリンチャレンジカップ2015観戦(大分スポーツ公園総合競技場)
3月28日(土) AM トレーニング(だいぎんサッカー・ラグビー場B


U-18日本代表候補トレーニングキャンプの様子である。
町田くんはチームメイトとコミュニケーションを取ることが出来たと述べており、チームの主軸推しての自覚を感じさせる。
DFラインの統率を含めCBとしてチームをまとめていくのだ。
成長を期待しておる。

佐藤昭大・赤、ランニング

2015年03月24日 | Weblog
2部練習


名古屋戦後のオフを終え、選手たちはトレーニングを再開しました。9時からは室内でのトレーニングとランニング、15時半からはシュート練習などを実施しました。


ランニングする佐藤昭大と赤である。
赤の負傷は癒えた様子。
4月からの攻勢に赤の力は重要と言えよう。
ここは、裏に抜け出すスピードでゴールを量産するのだ。
楽しみである。

田代、セレッソ加入

2015年03月24日 | Weblog
【15/03/24】田代有三選手 新加入のお知らせ
このたび、田代有三選手が2015年度新加入することが決定しましたので、お知らせいたします。
田代選手のプロフィール、コメントは以下のとおりです。

【田代 有三(たしろ ゆうぞう)選手】
■生年月日 : 1982年7月22日(32歳)
■出身地 : 福岡県
■身長/体重 : 181cm/79kg
■ポジション : FW
■背番号:19
■経歴 :石丸FC→下山門中学校→福岡大学附属大濠高校→福岡大学→大分トリニータ(03’)※特別指定選手→サガン鳥栖(04’)※特別指定選手
      →鹿島アントラーズ(05’)→モンテディオ山形(10’)※期限付き移籍→鹿島アントラーズ(11’)→ヴィッセル神戸(12’)
■出場記録 :
◇J1通算 リーグ戦 175試合出場(48得点) / カップ戦 37試合出場(10得点)
◇J2通算 リーグ戦 45試合出場(9得点)
◇天皇杯通算 22試合出場(9得点)
◇ACL 14試合出場(6得点)
■田代 有三選手コメント
「はじめまして田代有三です。セレッソ大阪でプレーする機会を与えていただき感謝しています。J1昇格のために精一杯プレーしていきますので、宜しくお願いします」


セレッソに加入した田代である。
田代を大きく開花させたアウトゥオリ監督の下、新たなキャリアをリスタートすることとなった。
是非ともセレッソをJ1昇格に導き、来季は対戦したい。
活躍を楽しみにしておる。

宮内、大学進学へ

2015年03月24日 | Weblog
移籍リスト
下記選手は、移籍リストから抹消しました。

宮内 龍汰 1994/03/02 鹿島アントラーズ 2015/01/31 2014/12/09 大学へ進学


大学へ進学することとなった宮内である。
新たなる人生を歩むこととなった。
プロサッカー選手として過ごした日々は、必ずや役に立つ。
宮内のセカンドキャリアを応援しておる。

笠井健太、アグレミーナ浜松退団

2015年03月24日 | Weblog
退団選手のお知らせ
プレスリリース |  2015年3月24日

この度、下記選手が2015年3月31日をもってアグレミーナ浜松を退団することが決定しましたのでお知らせいたします。

背番号:5
氏名:笠井 健太 (かさい けんた)
生年月日:1985年12月25日
ポジション:FP

【笠井選手コメント】
このたび浜松を離れることになりました。僕のフットサル人生の始まりであるこのチームに、何の恩返しもできずに去るのは非常に心苦しいです。また三年間温かく、そして根気よくチームを応援してくれたファンの方々に心から感謝しています。
どこにいても浜松の飛躍を願っています。自分の成長を見せるのも、浜松に対しての恩返しになると思っていますので、これからも手を抜くことなく、全力でフットサルに取り組みます。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。


アグレミーナ浜松を退団する笠井健太である。
コメントからはフットサルは続けていく模様。
笠井健太の活躍を応援しておる。