鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

源、トニーニョ・セレーゾへ電話越しに挨拶

2015年08月08日 | Weblog
[鹿島]トニーニョ・セレーゾ前監督が離日。そのとき昌子源は
 途中解任となったトニーニョ・セレーゾが離日する日、昌子源は練習後の昼食中に恩師を見送りに行くことを思い立ったという。すぐに、主務に電話をかけて確認したところ、すでに空港で飛行機を待っている状況だったため、見送りについては断念。電話越しに最後の挨拶をした。

 電話口には「オオ、ゲン!」と喜ぶ前監督。あいにく通訳が側におらず、ポルトガル語でまくしたてる言葉の中身のほとんどはわからなかったが「海外を目指してがんばれ」「お前ならもっとやれる」という言葉をかけられたという。

 最初はテンションの高かった陽気な髭の監督も、次第に声は震えて小さくなり、最後はほとんど喋れなくなっていたそうだ。

 「プロに入ってまだ5年ですけど、スタメンとして我慢して使ってくれた。僕にとっては恩師みたいな存在。特別な監督だと思っています」

 セレーゾの涙に報いるためにも、結果を残すことを誓っていた。
(鹿島担当 田中滋)


トニーニョ・セレーゾ前監督の離日に対して電話にて話した源である。
「海外を目指してがんばれ」「お前ならもっとやれる」と言葉をかけられたとのこと。
これには源も発憤することであろう。
そして、前指揮官は声を詰まらせ泣いている様子が電話越しにも伝わって来た様子。
トニーニョ・セレーゾの指導により源は大きく成長した。
その恩を更なる成長にて返すのだ。
期待しておる。

タイトルと縁遠くなった鹿島は浮沈の踊り場に立っている

2015年08月08日 | Weblog
復活なるか!? 監督交代の新生鹿島が2連勝 「常勝」遺伝子の継承が喫緊の課題

J1鹿島の石井新監督は7月25日の第2ステージ、FC東京戦から指揮を執った

 J1鹿島は7月21日、16年ぶりとなるシーズン途中での監督交代に踏み切った。セレーゾ監督を解任、後任に石井正忠コーチを昇格させた。新生チームはその後、リーグで2連勝。指揮官交代によって、「常勝」チーム復活への足がかりをつかみつつある。現在の主力の多くは、タイトル獲得の主役を演じた経験を持たない「非常勝」選手たち。石井新監督は1993年のJリーグ草創期から鹿島でピッチに立っていた。「非常勝」の選手が「常勝」へと変貌できるのか、正念場だ。

 セレーゾ監督解任は、7月21日朝の緊急役員会の議題となって話し合われ、決まった。2ステージ制に移行した今季の第1ステージは負け越しての8位に終わり、巻き返しを期した第2ステージも、そこまでで11位と低迷していた。

 石井新監督は1993年のJリーグ草創期から鹿島でピッチに立ち、1年だけ福岡でプレー。引退後は鹿島の育成組織で指導者を始めたまさに生え抜きの人材だ。国内で16冠を獲得してきた「常勝」チームの遺伝子を持っている。

 新体制での船出となった7月25日のFC東京戦では、柴崎の先制点から追いつかれたものの、最後は昌子が柴崎のCKを頭で押し込んで勝ちきった。柴崎は「とにかく勝ちが欲しかった」と、新生チームが抱いていた危機感を隠さなかった。

 続く7月29日の鳥栖戦は敵地に乗り込んだ。後半42分から立て続けに3点を奪い圧勝。均衡した展開から勝ちきる、かつて鹿島が誇っていた勝負強さを感じさせた。酷暑の中、体力的に厳しい終了間際にゴールを積み上げた成果は大きい。

 短期間で結果を残せた一因は、石井新監督が練習で選手に求めた姿勢にある。「練習から勝負しよう」と呼びかけ、公式戦さながらの緊張感を選手にもたらした。チームのある幹部は「激しく削り合う場面が増えた」と明かしてもいる。

 セレーゾ前監督は練習でスライディングをしないよう選手に指示したこともあったという。かつての鹿島は、公式戦さながらの激しいぶつかり合いが多い練習で選手同士が定位置を争った。濃密な練習こそが、強さを支える源泉だった。

 ポジショニングや動き方にもセレーゾ前監督は細かい指示を出した。選手は指揮官の要求に応えようとするあまり、局面局面で臨機応変にプレーを選ぶ感覚失った。少しずつ硬直化した戦術が監督交代の引き金になったことは否定できない。

 石井新監督は対照的。選手と綿密に話して課題を抽出し、切り替えと球際の意識を強調した。FC東京戦後、遠藤は「細かいところは変わりました。話し合っていたのが良い形で出た」と、監督と共通意識が持てていることを歓迎した。

 全員がボールと仲間の動きを意識し、好機には前線へ一気に飛び出し、ピンチでは1人が相手のボールを奪いに行き、もう1人がこぼれ球を狙った。1対1での勝負を攻守でいとわず、激しく体を張ってプレーした。強さは戻りつつある。

 ただ、22歳の昌子の言葉には選手の本音が垣間見える。「チームは常勝と言われますけど、僕たち選手は決して常勝ではないんです。監督が替わっても、選手が変わらなければ仕方ない。(勝つという)これを続けていかないといけない」

 鹿島は2012年のヤマザキナビスコ・カップを最後にタイトルから遠ざかっている。J1、天皇杯、カップ戦の3冠を達成した00年を肌で知る選手は、いまや小笠原、本山、曽ケ端らしか残っていない。遺伝子の継承は喫緊の課題といえる。

 「先輩方からいろいろと学んで、勝てるようにしたい」と昌子は言う。小笠原は最近、「おれらが先輩たちに教えてもらったことを伝えていかないといけない」と、各所で発言している。先輩後輩の思いは同一線上にあると考えられる。

 16年ぶりにシーズン途中で起きた鹿島の監督交代劇は、チーム史上2人目の日本人を新監督に据えるという決断だった。「非常勝」の選手が「常勝」に遺伝子を継いでいけるのか。タイトルと縁遠くなった鹿島は浮沈の踊り場に立っている。


監督交代について報じる産経新聞である。
「細かいところは変わりました。話し合っていたのが良い形で出た」と言うヤスのコメントに変化の兆しが見て取れる。
そして、カンフル剤が効き、二連勝を飾ったことは喜ばしい。
ただ、中断期間を挟んだ次節の広島戦こそが石井新監督の真価が問われるところであろう。
首位との直接対戦に対して、充分な準備の時間が与えられておる。
アウェイの戦いではあるが、勝ち点を奪い取って帰ってくるのだ。
鹿島を信じておる。