鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

山形・船山、ボランチ起用か

2012年06月23日 | Weblog
山形宮阪&船山ダブルボランチ結成も

紅白戦でダブルボランチを組んだMF宮阪(手前)とMF船山

 J2山形は22日、徳島戦(24日=NDスタ)に向けての紅白戦を天童市内で行った。1本目では新人MF宮阪政樹(22)とMF船山祐二(27)がダブルボランチを結成。FW山崎を累積警告による出場停止で欠くため、今季初めてスタートの布陣を「4-4-2」にする可能性が出てきた。

 中盤の底を2枚にすれば、1枚で支えてきたルーキーの負担も減る。「守備の時間が少なくなって、攻撃に掛かる時間が増える。押し込める回数も増えると思う」と、宮阪の理想像「攻撃のできる中盤」に近い動きも可能。ダブルボランチも明大時代に1年先輩のMF小林(現磐田)と組んでおり「経験があるから」と落ち着き払っていた。

 2本目はMF太田をFWに配置した「4-3-3」を試行した。奥野監督は「形にとらわれる必要はない。4-1-3-2とか、4-2-2-2かもしれない」と不敵な笑み。変幻自在の布陣で「小林徳島」を倒す。【湯浅知彦】
 [2012年6月23日10時49分 紙面から]


ダブルボランチの一角を担う山形の船山である。
山形に於いては攻撃的な中盤を任されてきた船山であるが、チーム事情もありボランチとしての起用も検討されておる模様。
鹿島在籍時はボランチとして練習に励んでおり、特に問題は無かろう。
中盤の底から配球し、攻撃に絡んで欲しい。
山形の勝利に貢献するのだ。
船山の活躍を期待しておる。

オリヴェイラ監督・ジョアン・カルロス監督、プロ選手経験は不問

2012年06月23日 | Weblog
プロ選手経験のないサッカー名監督【まとめ】
プロ選手経験のない、未経験、サッカー経験のないサッカー監督が気になったので、まとめてみました。 更新日: 2012年06月23日RSS

ジョゼ・モウリーニョ (レアル・マドリード)

本人曰く「三流だった」選手生活を切り上げ、23歳でリスボンのスポーツ大学に入学。フィジカルトレーナーの免許を、さらにスコットランドに留学して監督免許を取得。イングランドの名将ボビー・ロブソンがスポルティング・リスボンの監督に就任したときに、29歳で通訳としての職を得る。
一介の通訳でしかなかったモウリーニョは、これに加えて対戦相手の分析するスカウティングの仕事に立候補するなど、積極的に職域の拡大を図る。持ち前の予測力と進言力で監督の全幅の信頼を勝ち得たモウリーニョは、1996年には通訳兼アシスタントコーチとして、ロブソン監督とともにFCバルセロナに移籍。そして2000年にはポルトガルに戻り、念願であったベンフィカの監督に就任。目覚ましい成果を挙げ、その後ウニオン・レイリア(2001)、FCポルト(2002-2004)、チェルシー(2004-2007)、インテル(2008-2010)、レアル・マドリード(2010-)の監督を歴任している。
就任監督として唯一UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに4度選出。また過去に3人しか達成していない、異なる2つのチームをチャンピオンズリーグ優勝に導いた監督のうちの1人。

オズワルド・オリヴェイラ (元鹿島アントラーズ監督)



サッカー選手としての経歴は無く、大学卒業と同時にフィジカルコーチへの道を歩む。49歳で初めて監督を務めるが、母国の名門・コリンチャンスの監督で、しかも当初は40日間の暫定監督であった。
2007年より鹿島アントラーズの監督に就任し、就任1年目でJリーグ優勝、さらに天皇杯も制し、2冠を達成した。翌年、翌々年にもJリーグ優勝を果たし、鹿島にJリーグ史上初となる3連覇をもたらした。2011年時点でJリーグ史上最多の国内タイトル(Jリーグ・天皇杯・Jリーグカップ・ゼロックススーパーカップ)を獲得している監督である。

アリゴ・サッキ (元イタリア代表監督)

プロサッカー選手としてのキャリアが無い。少年時代はサッカーに熱中し、青年期は靴の会社を経営する父親が本人のサッカーに対する意思を拒否し続け、その結果、父親の会社で働きながらアマチュア5部でプレー。その後、独学で指導者になるための勉強を続け、サッカー理論を身につけると、少年チームをコーチしながらコヴァルチャーノの監督コースを修了した。1977年にチェゼーナのユース監督に就任し、5年後の1982年にリミニというクラブで「大人」のチームの監督となった。
90年代にイタリア代表監督を務め、ゾーンプレスの生みの親として知られる。

アンドレ・ビラス・ボアス (チェルシー監督)

サッカー経験はあるが、ジャーナリストになるという夢を抱いていたビラス・ボアスは、16際のとき当時ファンだったFCポルトを率いていた故ボビー・ロブソン監督に、ストライカーだったパシエンシアの出場機会が少ないことを訴える手紙を送った。それが監督の目にとまり、スタッフとしてスカウトされ、スカウティングや統計部門の担当者としてロブソンの下で働き、当時チーフ・アシスタントだったモウリーニョからもかわいがられた。
モウリーニョとは、ともにポルトガル人で、プロサッカー選手としての経験がなく、短期間でポルト(ポルトガル)に複数のタイトルをもたらし、欧州チャンピオンズリーグや欧州リーグといった欧州カップ戦で優勝した直後にチェルシーの指揮官に就任した、英語を流暢に話す知性派、といった共通点から比較されることが多い。
プレミア史上最年少の33歳でチェルシーの監督に就任。

マノ・メネーゼス (ブラジル代表監督)

プロ選手としての経験はなく、大学でサッカー選手する傍らで体育学を学んだ。1990年代後半から2000年代前半はブラジルの小クラブで指揮を執り、その後ブラジルで絶大な人気を誇るグレミオとコリンチャンスをいずれも1部再昇格に導くなど実績を残した。
2010年、ドゥンガの後任としてブラジル代表監督に就任。

ジョアン・カルロス (元鹿島アントラーズ、名古屋グランパスなど)



サッカー選手としての経験は全く無く、指導者としてのキャリアの最初はフィジカルコーチだった。
鹿島アントラーズ、名古屋グランパスエイト、セレッソ大阪、コンサドーレ札幌、ジャマイカ代表監督などを歴任し、Jリーグでは通算で4冠を獲得している。

山本佳司 (県立野洲高等学校サッカー部監督)

小学校の時に少年団でサッカー経験はあるが、本人曰く「いろいろなスポーツをやったうちのひとつという感じ」であり、日本体育大学時代にはレスリングの選手だった。大学4年生の時に交換留学で西ドイツのケルン体育大学へ行ったところ、大学の目の前に1.FCケルンのスタジアムと練習場があり、メキシコワールドカップ前であったためリトバルスキーやマテウスらドイツ代表が普通に練習しているという環境の中、本場の欧州サッカーに触れ、当時スタジアムで出会った風間八宏、足達勇輔、田嶋幸三氏らを車に乗せてフランクフルトまで一緒に観戦しに行くなど、サッカーにのめりこむ。
帰国後、水口東高校を経て、1996年より野洲高校に赴任。「国立」を目指す高校サッカーに違和感を持ち、「世界」を目指すサッカーを提唱し、就任当時、無名で部員数16名しかいなかったサッカー部を2003年の高校選手権に初出場でベスト8に導く。また、同年にはU-17日本代表コーチも務めた。
2006年の高校選手権において、2回目の出場で選手権初優勝を達成。クリエイティブなサッカーで「セクシーフットボール」旋風を巻き起こした。

佐倉ヒトシ (モンテビア山形監督) 【漫画・GIANT KILLING】

主人公・達海猛のファンを自称する、愛称「サックラー」。小学生時代からサッカー少年であったが運動音痴で試合に出ることができず、自分に才能がない事を自覚し高校時代半ばで自ら退部。以後はサッカー観戦が趣味となりフォーメーションや戦術を独自に研究してきた。大学時代に進路を模索していたころ、当時ルーキーだった達海の視野の広いプレイに衝撃を受け、達海と自らのサッカー観が似ていることに気づき、指導者を目指すことになる。仙台のチームでの事務のアルバイトから育成年代のコーチになり、その実績から山形のユースチームのコーチに招かれ、トップチームのコーチを経て監督に昇格。就任当初は、選手としての実績がないことから反発されていたが、結果を出すことによってチームをまとめ上げ、1部昇格を果たす。


プロ選手経験のないサッカー名監督に挙げられるオリヴェイラ監督とジョアン・カルロス監督である。
名だたる名将たちと同列に語られる二人は鹿島を栄冠に導いた紛れもない名将である。
プロサッカー選手経験が采配と無関係かと問われれば、この結果を考慮しても、無関係とは答えられぬものである。
しかしながら、ここに列挙された人々は、ただならぬ努力の末、そのハンディを乗り越えた偉人と言って良かろう。
オリヴェイラ監督とジョアン・カルロス監督の指導を受けたことを誇りに思いたい。

神戸・伊野波、CB起用

2012年06月23日 | Weblog
J1神戸、23日新潟戦 伊野波が連勝に意欲

センターバックでの起用が濃厚な神戸の伊野波。「与えられたポジションでやるだけ」=5月26日、ホームズスタジアム神戸(撮影・飯室逸平)

 J1第15節は23日に行われ、12位の神戸は16位新潟をホームで迎え撃つ。前節磐田戦で西野体制初勝利を挙げたが、「一喜一憂している暇はない」と西野監督。降格圏に沈む相手からしっかりと勝ち点3をつかみ、1桁順位に浮上したい。

 新潟には4月のナビスコ杯で敗れているが、その後に両チームとも監督を替えた。前節、新監督が初勝利を挙げた点も共通する。磐田戦で3得点と活躍した小川は「最初からどんどん裏を狙っていきたい」と先制ゴールへ意欲を燃やす。

       ◇   ◇   ◇

 現役日本代表DF伊野波が、最終ラインに安定感を与える。16日の磐田戦では開幕4戦目以来のセンターバック(CB)で先発。代表戦からチームに合流したばかりと厳しい状況で快勝に貢献したが、「ゼロで抑えないかぎり、満足はできない」と慢心はない。

 スピードを生かして走り回ったボランチとは違い、CBは1つのミスが命取りとなるだけに、「より集中力を高めないといけない」と気合を入れる。ワールドカップ(W杯)最終予選を経験し、「出場時間は少なかったが、みんなと同じ気持ちでやれたことはいい経験。今度はチームで結果を出したい」と気持ちを切り替えた。(山本哲志)


CBで起用される神戸の伊野波である。
最終ラインに入ることによってより集中力を高めることとなる様子。
単に走り回っていたボランチとは異なり、ミスを犯さぬようプレイする必要があるとのこと。
これまで集中力を高めてこなかったような言いぶりではあるが、それもまた伊野波らしいところ。
新潟戦で完封を目指し努力して欲しい。

大迫、先発復帰へ

2012年06月23日 | Weblog
五輪FWサバイバル!鹿島の大迫「結果出す」
J1第15節 鹿島―柏 (6月23日 柏)
 ロンドン五輪予備登録35人に選出されている鹿島のFW大迫が柏戦で5月19日の札幌戦以来、リーグ戦3試合ぶりに先発復帰する。

 5月のトゥーロン国際大会でチームを離れている間に定位置を失ったが、柏戦に向けた練習で興梠と主力組の2トップでプレー。今季はFW登録でチームトップの1036分(13試合)に出場しながら3得点に終わっており「結果を出さないといけない。得点します」とゴールを誓った。

 五輪代表入りへ楽観視できる状況ではない。トゥーロン国際大会で宇佐美、指宿ら新戦力が台頭。既にA代表入りしている宮市も予備登録入りしており、攻撃陣の層は厚い。自身はトゥーロン国際大会で3試合無得点。前節16日の名古屋戦ではサバイバルレースのライバル・永井に目の前でハットトリックを決められた。7月2日の五輪代表発表まで残された公式戦は3試合しかなく、悲壮な決意でピッチに立つ。

[ 2012年6月23日 06:00 ]

先発に復帰する大迫である。
大迫はU-23日本代表でキャンプ合流も遅れ、負傷もありPSM水戸戦横河武蔵野FC戦の二試合も欠場した。
にもかかわらず、開幕戦にてレギュラーとしてピッチに立っておったのは大迫その人である。
ジョルジーニョ監督は大迫の才能を高く評価し、常に信頼を置いておることを強く感じる。
今日の柏戦では、その期待に応え、ゴールという結果を残して欲しいところ。
有言実行である。
ところで、スポニチよ、前節の永井は2得点であり、Hat Trickは達成しておらぬ。
当然のことであるが、大迫も平常心で試合に臨んでおり、悲壮な決意など皆無と言えよう。
想像で物を書くのはいい加減にして欲しい。

岳、がむしゃらにやりたい

2012年06月23日 | Weblog
新井場出場停止…鹿島・柴崎、プロ入り後初左SBか
J1第15節 鹿島―柏 (6月23日 柏)
 鹿島のMF柴崎が左サイドバックで先発する可能性が出てきた。柏戦に向けた戦術練習で出場停止の新井場に代わり、青木と交互に最終ラインの左でテストされた。

 昨季ナビスコ杯などで右サイドバックでプレーした経験はあるが、左となればプロ入り後初。昨季、柏戦には出場しておらず「柏は外国人が凄いイメージ。がむしゃらにやりたい」と意気込んだ。

[ 2012年6月23日 06:00 ]

左SBは未経験者の青木か柴崎…鹿島
 柏戦(23日)での鹿島の左サイドが未経験者に託される。不動の左サイドバック、DF新井場が出場停止。控えのDFアレックスは起用されず、ともにボランチが本職のMF青木かMF柴崎が務めることが濃厚だ。青木は「センターバックでも左に入っているし、違和感なくできる」、柴崎も「がむしゃらにやりたい」と意気込んだ。
(2012年6月23日06時01分 スポーツ報知)

新井場の代役をテストされた青木と岳である。
大方の予想は青木で決まりとされておったが、岳の運動量と攻撃力を買って、岳が左SBとして起用される可能性もある様子。
昨季の柏戦には出場出来ずに悔しい思いをしておるので、今季の初対戦での躍動を誓っておる。
柏の外国人選手を抑え、鹿島を勝利に導いて欲しい。
若き岳のがむしゃらなプレイに期待したい。
楽しみである。