小笠原 まず、チームのため
2010年1月16日
笑顔で自主トレをこなす小笠原
3年7カ月ぶりの日本代表復帰が発表され、一夜明けた14日。寒風がほおを刺す鹿島の練習場で、小笠原満男(30)は合同自主トレの先頭に立っていた。インターバル走を繰り返した後、同僚に声をかける。「ミニゲーム、やろうか」。5対5で激しく体をぶつけて球を奪い合った。
例年と変わらないオフの風景。唯一違うのは、普段はあまり表情を崩さない小笠原に笑顔が絶えなかったこと。「代表メンバー発表のたび、呼ばれない現実があったから。うれしいですね」
2大会連続ワールドカップ(W杯)出場。鹿島のJリーグ3連覇の立役者。実力は申し分ないのに代表から遠ざかっていた。ジーコ元監督時代は、欧州組重視の起用法に不満を隠さなかった。以来、我の強い性分は、控えに置くとチームにマイナスに作用するととらえられてきた。
25日に始まる鹿児島合宿は「多くの選手を呼べる最後の機会」と岡田監督。3度目のW杯出場の望みが、ぎりぎりでつながった。
代表復帰へ思いを強めたのは2008年3月だった。日本が敵地でバーレーンに敗れたW杯予選を、自宅でテレビ観戦した。日本時間の深夜にあり、「子供にチャンネル権を譲る必要がなく、久々に見た」という代表戦。ふがいない戦いぶりに気持ちが動いた。「代表を外れたら外れたで適度に休養を取れるからいいかなと割り切ってきたけど、もう一度、あの舞台に立って力になりたい。代表と鹿島を行き来する同僚を見ると、やっぱり寂しいし」
ただ、願いのかなわぬ日々が続いても、心はとがらせなかった。06~07年のイタリア移籍で控え暮らしの苦しみを知った。鹿島に復帰し、気がつけば年長者になっていた。鈴木強化部長は「勝っても『僕の理想はこうだ』などと自己主張していた満男が、チームを優先するようになった」。08年のホーム最終戦。負傷離脱していた小笠原は試合前、ベンチ外の選手全員をユニホーム姿で控室に引き連れ、主力と一緒に円陣を組んで雰囲気を高めた。置かれた立場で何をすればチームに貢献できるか。まず、そう考えるようになった。
鹿島ではボランチだが、岡田監督には攻撃的MFとして期待される。「求められる役割をこなしたい。チームのため、必要なことを」。一体感を共有できず、1勝もできず終わったW杯ドイツ大会を、今も「いい思い出がない」と後悔する。
合宿を経て臨む2月2日のベネズエラ戦。どのポジションだろうと、たとえベンチでキックオフを迎えようと、勝利だけを目指して振る舞う。(中川文如)
満男の人間的成長を報じる朝日である。
伊太利亜漫遊はサッカー選手としては不満の残る移籍ではあったが、人間としての小笠原満男が辛酸を嘗め大きく成長させたと言って良かろう。
結果的に小笠原満男復帰後に鹿島は三連覇を達成しており、我等にとっても良かったと今ならば言える。
人間的に成長した満男に日本代表を背負って立って欲しいと願うのは我等だけでは無かろう。
南アフリカの地では三敗が既定路線であるように誰もが思っておる。
この閉塞感を打ち破るには、起爆剤が必要である。
それには、苦労に苦労を重ね、更に勝利の味も知っておる本物が必要なのである。
適任者は自ずと見えておる。
小笠原満男に日本代表の救世主となって欲しいと願うのは誰もが同じである。