鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

日本代表・内田篤人コメント

2009年06月04日 | Weblog
【アジア最終予選 ウズベキスタン vs 日本】6/3(水)練習後の日本代表各選手コメント (09.06.04)
●内田篤人選手(鹿島):
「今までも相手に合わせてという事はない。相手はでかいから、ちゃんと(やるべき事を)やりたい。
 ミーティングではベルギー戦のビデオを見ました。いいところと、やらなければならないところです。
 誰が出ても、その人のいいところとか特徴を引き出すというのはある。
 ケンゴさんはいいボールが蹴れる。出しどころが増えたという感じがします。
(守備については)無失点で行きたいですね。ディフェンスですので。
(長友との関係については)調子よさそうなので、行ってもらっていいと思います。
(W杯出場を決めるというよりは)ウズベキスタンに勝つという気持ちが強いですね。緊張はないです。この年齢でこういう経験はなかなかできない。30歳くらいになったと気に責任感が出てくるかもしれないですが、今はなかなかできない(経験を楽しんでいる)。
(高さのある最終ラインに対して)オカにしても、玉田さんにしても嘉人さんにしても、一瞬の動きでやれる。俊輔さんがサイドに流れてオレとかオカ(岡崎)とかが絡むところがこの前のベルギー戦では2回くらいあった。縦だけでなく、斜めに動けば、チャンスは増えてくると思う。
 相手は後ろを固めてきますかね。相手は勝たないといけないですからね。鹿島のときも相手は結構引いてくる。そこで焦らずにやれている。自分たちから行く気持ちで相手には合わせたくないですね。
(時間つぶしで)ジョジョの奇妙な冒険を17巻くらい買ったんですが、成田で全部読み終えちゃいました」


ジョジョで暇を潰す篤人である。
しかしながら、タシケントに着くどころか、成田で読み切ったとのこと。
流石はスピードのある篤人である。
スピードワゴンとの関係を重視して欲しいと思う。

回復した篤人

2009年06月04日 | Weblog
大一番へ欠かせぬ戦力 内田、軽快に調整
06/04 08:57

リラックスした表情で練習に取り組む内田=タシケント
 【タシケント(ウズベキスタン)=本社特派員】サッカーのワールドカップ(W杯)最終予選のウズベキスタン戦(6日)に臨む日本代表は3日、タシケントで練習した。約9時間の長距離移動も苦とせず、内田(鹿島、清水東高出)が現地入り後も軽快な動きを披露している。
 一時は過密日程による疲労の蓄積で90分のプレーもままならない状態だったが、「今は大丈夫。若いからね」と笑顔ものぞかせ、6日のウズベキスタン戦へ順調に調整を積んでいる。
 移動の機内では「ほとんど寝ていた」といい、4時間の時差も影響なく、すっきりした表情。「意外と涼しい。暑いよりはいい」と夜は20度を下回る気候も歓迎する。
 5月31日のキリン杯ベルギー戦にフル出場し、21歳65日で国際Aマッチ20試合出場を達成。中田英寿氏の21歳69日の最年少記録を更新した。本人は「周りにも何も言われないし、思うことはない」と受け流すが、岡田ジャパンに欠かせない戦力と信頼されている証しに違いない。
 JリーグとACL、代表戦の過密日程がたたり、今季序盤は体調を崩した。胃炎を発症し、「2カ月ぐらい、吐いたり、マジできつかった」。試合に出ても、10歩も歩けば吐き気をもよおすほどだったという。
 それでも、「もともとたくさん食べる方なんで」と栄養補給を欠かさずに回復に努めた。体重も約4キロ増えて66、67キロを保ち、「今は何ともない」と表情は明るい。本大会出場を懸けた大一番を前にしても重圧はなく、「当日もあまり変わらないと思う」。普段通りのプレーで南アフリカ行きの切符をつかみ取るつもりだ。


よく食べ、よく眠って回復した篤人である。
不調時は本当に苦しかった様子。
よくぞ復活してくれた。
回復した今だからこそ落ち着いてコメント出来るというもの。
篤人の復活で我等は羽ばたくのだ。
次はジュビロ戦。
それまで代表で調子を整えて欲しい。

ユダ、復活の道程

2009年06月04日 | Weblog
帰ってきた中田浩二
右ひざ手術を乗り越えて

2009年6月4日(木)
田中滋

■復帰戦で、チームを勝利に導くゴール

G大阪では、先発復帰戦で決勝ゴールを決めた中田(右)【写真は共同】
 右アウトサイドに内田篤人が大きく開く。本山雅志はパスを出し、続けてインサイドに走り込んだ。内田からタイミング良く折り返しのパスを受け取りルックアップ、クロスを蹴り込む。しかし、ボールはガンバ大阪の選手が伸ばした足に当たり高々と舞い上がった。誰もが鹿島のチャンスはついえたと思った瞬間、放物線を描きながら逆サイドに落ちてきたボールの落下点に1人の選手が走り込む。倒れながら足の裏でゴールに押し込んだ。あまりにも唐突な出来事に、スタジアムが静まりかえる中、審判がゴールを認め、鹿島に歓喜の輪が生まれた。中心にいたのは中田浩二だった。

「長かった」
 G大阪との大一番を制したあとの第一声は、ここに至るまでの道のりを吐露するものだった。242日ぶりとなった先発出場。前回の先発は、2008年9月24日のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)、アデレード・ユナイテッドとのアウエー戦までさかのぼる。この試合は、左サイドバックで出場したものの、失点に絡むなど、とても誉められる内容ではなかった。あの日から、長いリハビリ期間を経てようやくつかんだ先発復帰戦。自らの復帰戦を祝うゴールでチームを勝利に導いた。

「まさか点を取るとは思っていなかった。自分が出て負けなくて良かった」
 満面の笑みというよりは、ホッと一息ついたことで自然と顔がほころんでいた。

■昨年10月に痛めていた右ひざを手術
 昨シーズンの途中、スイスのバーゼルとの契約を満了させ、中田は鹿島に復帰した。名古屋グランパスなど数チームからオファーもあったが、海外にいる間、常に声をかけてくれた古巣の鹿島を選んだ。
 日本に戻ってきた当初は代表候補メンバーにも選出され、鹿島だけでなく日本代表での活躍も期待されていた。しかし、バーゼル時代に痛めた右ひざは悲鳴を上げていた。試合に出場するもパフォーマンスは上がらず、センターバックでもボランチでも周囲の期待を裏切る出来だった。

 アデレード・ユナイテッドとの試合後、ひざの状態を問うと「正直、良くはない」と表情を曇らせた。ただ、それよりも、この試合の直前に大けがを負ってチームを離脱した盟友に、勝利を届けられなかったことを悔やんだ。
「満男(小笠原)がああいう状態なので勝ちたかった。自分のひざは満男に比べれば大したことはないから。日本に帰ってからもまだ試合は続くし、やれる限りはやっていかないといけない」

 だが帰国した後も、中田はチームに貢献することができなかった。ひざの状態も一向に良くなる様子を見せず、プレーをすればすぐに水がたまった。試合での出場も、終盤の守備固めが主な役割となってしまった。そこで10月29日、思い切って再びひざにメスを入れることを決意。リーグ優勝を争っている時期にチームを離れることは、簡単な選択ではなかった。ただ、思うようなプレーができないいま、思い切った判断が必要だった。

 結果的には、これが幸いした。手術で開いたひざは、軟骨が骨に挟まれて押しつぶされ、あともう少し無理をしてプレーを続けていれば、選手生命が絶たれてしまうところだった。

 その後、鹿島は小笠原、中田が離脱した中でもJリーグ2連覇を達成、若い世代の台頭は着実に進んでいた。
 09年の新シーズンに入っても中田の苦しい時期は続いた。シーズン始動を告げる宮崎キャンプは延々と別メニューをこなした。同じ別メニュー組だった小笠原は、シーズン開幕にさえ間に合いそうなハイペースでリハビリメニューをこなしていく中、中田の状態は一進一退。ひざの痛みがなくなったと思いペースを上げると再び痛み出すことの連続だった。

「オレとしてはいつでもやれるんだけど」
 中田本人は、すぐにでもチーム練習に合流したがったがメディカルスタッフは慎重を期した。ようやく全体練習への参加が許されたのは3月24日。手術から5カ月近くを要していた。
 4月19日、サテライトの試合でフル出場したときには、すっかり表情に明るさが戻っていた。というのも、相手はFC東京のサテライトとは名ばかり。出場した選手は、茂庭照幸、ブルーノ・クアドロス、平山相太、赤嶺真吾といったトップの選手たちが大半だった。この試合で、中田は鹿島の全得点となる2ゴールの大活躍。増田誓志の右サイドからのFKをファーサイドで滑り込みながら合わせた1点目、中盤でフリーになったと見るや豪快に左足を振り抜いた2点目、いずれも素晴らしい得点だった。
「いい段階を踏めている。もう少し実戦をこなしたいね」
 確かな手応えをつかんでいた。

■小笠原選手の代わりができるのは彼しかいない

地道な努力で、オリヴェイラ監督の信頼も勝ち取った【Photo:松岡健三郎/アフロ】
 ただ、監督の評価は厳しいものだった。この時期、鹿島は2試合連続でボランチの選手を欠くことが決まっていた。4月22日のACLグループステージ第4戦、シンガポール・アームド・フォーシズとのホームゲームでは、青木剛が出場停止。4月25日のJリーグ第7節のモンテディオ山形戦では、小笠原が出場停止。鹿島にとって、小笠原と青木が組むボランチはチームの生命線であり、特に攻撃のタクトをふるう小笠原の存在は絶対だった。そのためオリヴェイラ監督が誰を代役に指名するのか、注目されていた。

 しかし、両方の試合ともに、中田はベンチメンバーからも外れている。そのことを記者会見で問われたオリヴェイラ監督は「安易な考え方はあってはいけない」と厳しい口調で述べた。
「彼はまだ、競争レベル、特にJリーグとACLの競争レベルには程遠いものであるし、それは技術的な部分ではなく体力的な部分であり、筋力的な部分です。彼はいま、午前中の練習が終わったあとも午後に来て、筋力を高める作業を献身的にやっています。わたしは毎日、彼の状態が気がかりで、どうなっているのかということをほかのスタッフと共に聞いています。いつ戻ってきてほしいというのは、彼自身が示さなくてはいけないのであって、そうでなければこちらも使う自信は出てきません。彼がさらなる努力をし続けることを確信しています」

 両試合とも、パク・チュホがボランチで出場したが、青木と組んだ山形戦ではどちらも攻撃をリードできず小笠原不在ばかりが印象に残ってしまった。

 そして、ほぼ1カ月後、またもや小笠原が出場できない事態となった。5月16日の柏レイソル戦で退場処分を受け、次の24日のG大阪戦で、再び出場停止となってしまったのだ。そこで、この2試合の間で開催されたACLで上海申花との試合後、監督に中田のことを問うたところ、「使えるチャンスがあればできるだけ多く出していきたいと思っている。1日も早く状態を戻さなければいけない」と、そのニュアンスは大きく変わっていた。

 実際、G大阪戦に中田は先発、68分間の出場で1ゴール。フル出場とはいかなかったものの、小笠原の大黒柱の不在を補うだけでなく決勝点も挙げる活躍を見せた。これには監督も称賛を惜しまなかった。
「正直言いますと、まだ回復してる段階です。完全な状態でなかったことは明確にしておきたい。ただ、その中で彼にはお金では換えられない経験があります。その経験でゲームマネジメント、ゲームコントロールができるのは彼しかいないし、小笠原選手の代わりができるのは彼しかいないと思う」

■チームメートからも喜びの声が
「この1、2カ月がいちばん長かった」
 中田にとっても、先発復帰までの長い期間の中で、特に苦しかったのが直近の1、2カ月だったという。ひざの状態は、このときも一進一退を繰り返していた。ただ、サブのメンバーに混じって厳しい練習メニューはすべて消化してきた。
 チームメートはそうした姿を常に見守ってきた。
「だいぶかかったなというのが本音ですけどね」
 同い年の本山は苦笑いを浮かべ、ようやく戻ってきた仲間の復帰を喜んでいた。

 中田の復帰を目の当たりにして、目の色が違ったのがボランチを組んだ青木だった。
「大事な試合で点を取るのはさすが浩二さん。昔からよく点を取っていたけど、あらためてすごいなと思いました」

 今季、大迫勇也、パクという新戦力が加入し、戦力の充実が図られた鹿島。センターバックは岩政大樹、伊野波雅彦に加えて大岩剛、サイドバックに内田とパク、さらに左右をこなせる新井場徹。2列目のMFには本山と野沢拓也に、増田とダニーロ。FWはマルキーニョスと興梠慎三に、大迫。唯一、レギュラーとそん色ないバックアップがいなかったのがボランチだった。そこに中田が加わることで、さらにチーム力はアップし競争は激しくなった。

 まだまだ運動量は少なく、監督が言う通り回復の途中ではある。だが、鹿島は6月8日からJヴィレッジでキャンプを張る。オフ期間に走り込めなかった中田にとって、恵みの中断期間となることは間違いないはずだ。

<了>

ユダ復活についての田中氏のコラムである。
手術後の練習合流までも長かったが、サテでの復活ゴールから先発復帰までも長かった。
我等以上にユダ本人は苦しかったであろう。
それを乗り越え、且つ先発復帰で即結果を残したユダは賞賛に値する。
中断期間には更にトレーニングを積み完全体となって我等の前に戻ってこよう。
既にクラブハウスで自主トレは開始しておる。
地獄を味わった男は強く成長したであろう。
我等に大いなる力が加わったと断言出来る。
ユダ共に今季は三連覇を、そしてアジア征圧を現実のものとしたい。

特訓アーリークロス

2009年06月04日 | Weblog
内田、手応えのアーリークロス特訓
 日本代表DF内田が、5月27日のキリン杯チリ戦後から取り組み始めたアーリークロスの練習で、高精度のクロスを連発した。約15分間行われた特訓で右サイドに入ると、ニアに速いボールを何度も供給。高さのあるウズベキスタンDF陣攻略に自信を見せた。代表宿舎で十分に睡眠をとっているという21歳のDFは「ここで勝てばW杯が決まるし、勝たなきゃいけないと思う」と意欲的だった。
[ 2009年06月04日 ]

篤人が練習で好クロスを連発とのこと。
キリンカップは相手が弱すぎ練習にすらならなかったが、W杯予選のウズベキスタンはそうも行くまい。
篤人の出来で結果が左右されると言っても過言ではない。
勝者のメンタリティで出場を決めて帰っていて欲しい。
残り二試合を消化試合にするのだ。
全ては篤人に掛かっておる。
そして、何事もなかったように鹿島へ還ってくるのである。