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Kennyの歴史探訪:列車壕 滋賀県米原市

2015-06-15 14:06:03 | 戦争遺跡

                   戦争遺跡を歩く 
      岩脇山「列車壕」滋賀県米原市
          地元の皆様が保存管理
          Kennyの滋賀から情報発信
            (この日記の掲載期間:6月19日から6月25日)

岩脇(いおぎ)列車豪 
過日、一人で洞穴の外から見てきました。内部に入るには事前の許可、
連絡
が必要だと伺っています。

 
            岩脇山を貫通している洞穴の一本  向こう側入口まで130mとか


                                    洞穴入口の看板


                           洞穴の内部と向こう側の入口が見えています

戦後はゴミ捨て場として長く放置されていましたが、地元岩脇まちづくり
委員会の皆様が戦争の悲劇を風化させないためにと整備保存に努めら
れ現在に至ります。



岩脇列車壕とは?
列車壕は、太平洋戦争末期に米原駅の蒸気機関車を空襲から守るため
に掘られたものです。米原駅(滋賀県)は、北陸線と東海道線の分岐駅
であり戦時中は兵士、武器、弾薬を輸送する重要拠点でした。
米原市の
岩脇山には2つの未完成の列車壕があり今は見学することが出来ます。



                    手前に一本と奥に見える金網フェンスの所にもう一本


                                     もう一本の その入口


         入口から少し入ったところより撮影      こちらの壕は掘削半ばで終戦に

戦時中の物資不足の中、火薬・スコップ・ツルハシ・トロッコを用い、まさ
に人海戦術で掘られました。


蒸気機関車(避難)壕は2本計画され、1号壕は130mで貫通。2号壕
は山の両面から各52mまで掘り進められましたが、ここで終戦を迎え
ます。 つまり2本とも一度も使われることはありませんでした。



                            上と同じ位置から入口を撮っています


ここを見学しょうと思ったきっかけ、
”戦争遺跡を発掘(見つけて)保存しよう”

約二年前に滋賀県平和祈念館が主催され、県戦争遺跡研究会会員 滋賀
県立大、中井 均教授のご案内で大津市の三井寺、皇子山周辺を歩いた
ことが
あります。 その時、ぜひ今日の話題、岩脇列車豪の見学をと勧めら
れました。戦後遺跡にも目を向け、大事に保存していくべきだと先生方は
動いておられます。  古代、中世、近代の遺跡だけではなくて、現代の遺跡
にも。以後、歩く楽しみが増えました。



                  岩脇公民館前にある案内板  赤いマークは私の記入

列車壕の一方の入口はこの公民館から歩いて2,3分の場所にあります。
私はその公民館側から見学しましたが、現在のJR東海道の線路側(公
館とは反対側)
からも見学できるのではと思います。


                               案内板の壕の部分の拡大図

        
                    現地の詳細な解説              上の写真をクリックして
                                                                               拡大してご覧ください 


                                   車移動での案内図

彦根市から見て国道8号線と21号線の分岐、「西円寺」信号を8号線に
取りJR線を越えてすぐを側道に降りてください。さらに左折して8号線を
くぐり抜け(高架下)、200m位か、岩脇公民館に駐車 (短時間なので無断で
すが止めさせていただきました)





                                  岩脇バス停からみた岩脇山


                                           岩脇公民館


ご参考:
2013年に戦争遺跡を見学、その時の記録です
この時は皇子山、三井寺周辺を中井先生のご案内で歩きました。


                   出発前に趣旨、行動予定をお話になる中井均教授


以下、主な見学場所の写真です

 
              若鷹の碑                                紀念碑 (西南戦争の戦没者)       

 
       日露戦争出征紀念 (百体観音堂)             弾薬庫跡

  当時の私のブログ:    中井均先生のご案内で戦争遺跡をめぐる 
                                       2013年7月にUP


まだ見ていない・・・、いづれは訪ねたい

   
              八日市掩体壕 (えんたいごう) (京都新聞から拝借)


       今日もご覧くださいましてありがとうございました

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