三大偉人プラス ワン
こんな有難い歴史探訪がありました
=滋賀県犬上郡甲良町=
この町の出身、またはゆかりの・・
藤堂高虎、甲良豊後守宗廣 & 佐々木道誉
プラス尼子氏
Kennyの滋賀から情報発信
この日記の掲載期間:10月31日から11月6日
甲良三大偉人 プラス一偉人、そして 高野道 のお話です
犬上郡甲良町 ええー、そうなんや・・この方々がこの地から!
滋賀県生まれ育ちの私、Kennyは甲良町、聞いたような、知らない
ような・・、いや正直なところ最近まで知りませんでした。犬上郡は
勿論知っていますが、平成の大合併で、滋賀県も昔の郡、町名は
消えている場合が多くそこが今はどんな名前になっているのかやっ
かいな事になっています。ところがこの犬上郡甲良町は合併はなく
そのまま継続なんだそうです。
この甲良町から三大偉人を輩出です!!
その名は 藤堂高虎、佐々木道誉 そして甲良豊後守宗廣 です。
更にもうお一人(プラスワン)、尼子氏を忘れるわけにはいきません。
そこで4人 ゆかりの地をボランテアさんのご案内で歩いてきました。
甲良町で生まれ育ち、または甲良町と何らかの繋がりを持ってい
ます。
この甲良町にこんな歴史が、そうか・・
せせらぎの遊園の町、観光ボランテアの皆様のご案内で
今日の探索コース 右の地図をクリックし拡大してご覧ください
藤堂高虎
高虎公園
藤堂高虎、現在の甲良町在士生まれで浅井長政、羽柴秀長、豊臣秀吉
に仕え、そして関ヶ原の合戦では徳川家康率いる東軍で戦功を立て、そ
の後も徳川家の重臣として仕えます。 背丈191cmの巨漢とも。
高虎生誕の地 藤堂家 家紋入り灯籠
藤堂高虎に関するウィキペディアの情報は ここを
佐々木道誉
佐々木道誉、近江国の佐々木京極家に生まれ、鎌倉幕府打倒の兵を
挙げた足利尊氏に従い活躍した。婆娑羅大名の典型としても知られて
います。現在の甲良町 正楽寺に居を移し、勝楽寺城を築いた。
今回は訪問しておません 入手のパンフレットから
佐々木道誉に関するウィキペディアの情報は ここを
甲良豊後守宗廣
甲良町の有力な名工、甲良家に生まれます。30歳の時、初めて幕府
工事の棟梁に召されて以来、業績が評価されて日光東照宮「寛永の
大造替」の大棟梁となる。この東照宮は元和3年(1617)、同郷の藤
堂高虎が作業奉行として造営され、寛永13年(1636)に甲良豊後
守宗廣が上述の偉業を成し遂げました。
甲良豊後守宗廣像 100mほど離れた探索の道中から撮影
甲良豊後守宗廣記念館 館内にある日光東照宮関連の資料
甲良豊後守宗廣に関するウィキペディアの情報は ここを
プラスワン、尼子氏
戦国の武将 尼子氏発祥の地
尼子氏、この甲良町の偉人には取り上げられていないんですね。と云
うのも、尼子氏は2代氏宗のころ戦乱で落城し当地の広大な尼子城と
共に歴史の上から消え、幻の尼子氏と云われています。つまり京極氏
の衰退と共に近江尼子氏は四散、特に出雲尼子氏を頼って近江を去っ
ていったようです。
尼子氏の創始は佐々木(京極)道誉の孫 京極高秀の4男 高久で、高
久の嫡男 詮久は近江尼子氏に、次男 持久は出雲国の守護代として
出雲尼子氏の粗となっています。やがて持久は勢力を拡大し京極氏か
ら独立していき、出雲国の戦国大名として名を馳せています。
(以上、現地、尼子城の案内板を主に私の言葉で)
尼子城跡 現地案内板 クリックで拡大してご覧ください
甲良町の偉人に入っていないのはこのような背景なのでしょか。甲良
町の地元にも尼子と云う性も残っていないとか・・。一方、藤堂という
性はあります。今回の探索の道中でも藤堂と書かれた表札を見つけ
ましたよ!
ある藤堂さん家の表札です お名前の部分は見えないよう加工しました
尼子城土塁と堀跡
昭和63年、滋賀県教育委員会は 当時の竹藪から土塁と堀跡を発見。
室町時代のこの地の領主、尼子氏の居城(館)の一部と確認されまし
た。今は土塁公園として解放されています。
尼子城の今も残る堀の一部 解説板(拡大します)
尼子氏に関するウィキペディアの情報は ここを
高野道: 今日のは出来るだけこの高野道に沿って歩く探索
彦根藩主が高野の永源寺へ参拝したときに通った道だといわれている。
中山道高宮宿から甲良町・豊郷町・旧の秦荘町・湖東町・愛東町を経て
永源寺に行く古い道です。今では今日訪問した甲良町内でも途切れた
所や今は道が拡張されて当時の面影が残っていないところが殆どです。
今も残る道標 右永源寺 と読めます。これが高野道です
残る高野道の一部 集落内を走る現在の高野道 (今は拡張されています)
せせらぎの遊園の町、観光ボランテアの皆様
待ちにまった企画、探索でした。ガイドさんはとってもわかりやすい
解説をして下さいました。私自信、半年前にパンフレット片手に一人
で歩き(車で)ましたが、公園や館、記念館などはその場に行きつけ
ても、尼子城跡、家紋入りの灯籠、堀跡、そして高野道は初めて知り
ました。 ボランテアガイドの皆さま、ありがとうございました。
甲良町ってこんな歴史が一杯詰まった素敵なところでした。それと、
これこそ近江平野なんですね、東側の遠くに鈴鹿山系がありますが、
北海道を彷彿させる 山も近くにはなく ひろーい所、甲良町でした。
近江鉄道 尼子駅 に集合 解説されるボランテアガイドさん
今日もご覧くださいましてありがとうございました
いやいやまだまだ若いゾー、昨日は超快晴の伊吹山に下から登り、穂高・槍ヶ岳を山頂から見てきました。過日のリベンジです。一方、煙りの立つ山容に変わった御嶽山もはっきりと見えていました。 Kenny
そうなんですか、近江発祥なんですね。
甲良町には、城趾の堀と土塁が残っているのですね。
尼子氏の名前の人がいなくても、駅名で残っているだけでもいいですね。