5爺の自転車を漕いで
今日は野洲市にある6世紀から7世紀に
かけての古墳群を爺さん5人で訪ねます
天山(あまのやま)古墳群
赤い点線が歩行ルート 二つの尾根にある白い線が古墳のある場所
(写真は三上山山頂から撮影)
5爺がなぜ古墳なんぞに?
野洲市内のお城跡や神社仏閣を訪ね終わった5爺、ならば今度は
市内にある古墳を訪ねてみたいと、5爺は益々好奇心旺盛です。
自転車を漕いで目的地へ向かう爺さん
ところで、なぜこの地にもこんな立派な古墳が
平民ではなくてこの地の有力者(官僚)のお墓と考えられます。棺は
木製です。この天山には30基ほどの古墳があるそうです。6世紀か
ら7世紀にかけてのお墓です。その墓は全てが家族墳(家族の古墳)
との事です。つまり先祖代々とは言わないまでも2,3人はその墓に
埋葬されたそうです。
すべての古墳は今、このような姿で残っています
古墳を見に行く人ってあまりいませんよね 草刈から・・
硬い話はこの辺にし、詳細は末尾に掲載のURLにアクセス頂く
として、今日は 古墳への道は容易ではない、というお話です。
この日も自称歴男(れきお)、Kenny爺が案内役です。前日に念の
の為に下見を。ところが歩く道の草刈と云うか道探しです~。
勿論一人で。 これだけ草が生え放題とは予想せずだったもんで。
こんな感じ・草刈 前・後・・
道はどこだっー!!
↓
なんとか草の上部を鎌で切り払いまして、ここが道だと目印程度に
同じく、どこを登れば・・・
↓
草を刈れば、下は岩がゴロゴロと
結局は全行程の1/5ほどの草刈でした
山中には幾筋もの分かれ道が! リボンも道しるべに付けまして
なんとか道を見つけて、当日を向かえます
数年前に野洲市の研究員さんのご案内で見学していますが、日が経て
ば、覚えておれるものではありませんよね~
今ではこのように石は崩れ、ずれ落ちていますが、元々は土に覆われた
長方形のお墓だったそうです。
花崗岩だそうで、このように平たく加工されています
城址も、古墳も山登りです。 山登りだけは私、Kennyは劣ってはいませんぞ!
もっとも私が最年少! 当然といえば・・・
途中、琵琶湖が見える天山への登山道の展望台で昼食です
正面は沖島です
この古墳は人的になんらかの理由で近年壊したのでしょう 麓の古墳です
約4時間の歴史探索を終えて帰路につきました
過去の私のブログ:天山古墳群の詳細
この上をクリックしてください
今回はこの古墳群の詳細は省略させて頂きます。少し知っておこ
うかな、でしたら上述のブログをご訪問頂ければ嬉しいです。
よろしくお願いします。
上記古墳の情報は:
2015年12月に開催された野洲市にある「山部会」の皆様の里山
登山に参加して、当日解説下さった野洲市の進藤研究員さんのお
話を参考に記載しました。 (当時掲載の許可を頂いております)
今日もご訪問下さいましてありがとうございました
(6月24日、2018 UP)