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趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの郷土史:近江国府と関連、周辺の遺跡、遺産

2012-08-02 15:55:08 | ブロガー:滋賀県の企画

       Kennyの滋賀から情報発信
 コースの最終章(E)、そしてこれまでに
発信
  した全ての情報への目次のページです


       この度滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の企画
                「ブロガーによる歴史探訪情報発信」
           
   に参加させていただきました

              この最終章(E)瀬田橋をめぐる攻防 以外
        に
今までに発信したお話、
現地の案内は
        下記の項目(目次)をご覧ください。

        
 (クリックでそれぞれの章を閲覧いただけます)
                                               
       目次 (最終章以外の記事は以下をクリックの上ご覧ください)

                  平家ゆかりの地を訪ねて そのー1
                 平家ゆかりの地を訪ねて そのー2

                 平家ゆかりの地を訪ねて そのー3
                                 木曽殿最後の地を訪ねて
                                 膳所城ゆかりの地を訪ねて

                          

最終章 「
瀬田橋をめぐる攻防の地を訪ねて」

       「唐橋を制する者は天下を制する」ゆかりの地をご案内
    
     (この日記の掲載期間:8月17日~8月23日)


           塗り替えられた瀬田唐橋: この色を 唐茶 といいます

              瀬田唐橋
瀬田川を車で、JRで渡る時ふと思うことがあります。川や琵琶湖に橋が
なかったら滋賀県は東西にまっ二つで京都側から日本の東に行くには
南は大阪湾まで広い川で分かれているし、ならば北へ遠く塩津港のあっ
た(ある)現在の長浜市西浅井町まで行くしか方法がないことになるんや
なーと。 なんでーな、別に橋がのうてもフェリー、矢橋の渡しがあるやろ
と聞こえてきます

           
  木造の橋、いつの時代か  最初は50m下流に    俵藤太像
                      橋が架けられました
                     (前方の森のところ)
 
                
(上の3点はクリックで拡大します)

唐橋を制するものは・・・
だれが云ったのか「唐橋を制するものは天下を制する」と。この唐橋
は唐橋であったり近江とか琵琶湖であたりもしますがとにかく滋賀は
東西を結ぶ重要な陸路が通る県であることには間違いありません。
やっぱり日本の東西を分断する琵琶湖と瀬田川なんだ。


      川岸にムカデ退治伝説の俵藤太が描かれています

唐茶色に塗り変えました
多くの戦乱の舞台(例:壬申の乱)、「瀬田の夕照」の舞台、また矢橋の
渡しと関係する「急がば回れ」のことわざもこの地から生まれました。
俵藤汰のむかで退治の民話もこの唐橋が舞台です。

橋の欄干の塗り替えが喧々諤々の末、唐茶色に仕上がりました。なに
か変な色やなー、こういうのは朱色が合うんやないの?と私。 そしたら
これは唐茶色と云うんやとブログ仲間が教えてくれました。その途端に
雰囲気のあるいい色だと思いました

日本三古橋(日本三名橋)

 
                                             右:
宇治橋(ウキペデアより。拡大します)

ちなみにこの唐橋は京都宇治川の宇治橋、
かつて淀川にかかっていた
山崎橋(今はない)と並び日本三古橋のひとつに数えられています。
この石碑には日本三大名橋とあります・・、日本橋、錦帯橋、眼鏡橋、
これも日本三大名橋・・、ウキペイデアで調べるのに若干混乱を
。でも
この唐橋は古橋の日本三大名橋です。


               探索の出発点:JR石山駅 (二階コンコース)

アクセス
JR石山駅から唐橋を経由するバスが頻繁に出ています(約10分)。
または石山の町を散策して同駅から25分位です。途中には幻住庵
(松尾芭蕉が滞在したことで知られています)や当地の焼き物・唐橋焼
のお店もあります。橋の袂には龍宮秀郷社・雲住寺(俵藤太・藤原秀
郷が三上山のムカデを退治したという伝説の地)など橋の傍だけでも
多くの見どころがあります。

      
      龍宮秀郷社         雲住寺          唐橋焼
              
(上の3点はクリックで拡大します) 

    

               近江国庁跡


                            近江国庁跡

画期的な大発見なんですって!
瀬田川東岸の大津市瀬田地区には古代の近江国の行政を統括する
国府が置かれておりその中心となる行政施設が国庁です。昭和38年
に発掘調査され、地方行政組織研究のさきがけとなった遺構で国の
史跡として指定を受けています。

         
             近江国庁跡       国庁跡説明版
             
(上の2点はクリックで拡大します)

現在の県庁、府庁等は元の姿に戻ったと云うこと?
鎌倉時代以降政治の実権が武士に移り行政の仕組みがすっかり変貌
してしいます。以来約680年の後江戸幕府の終焉で明治に入り廃藩置
県が行われて滋賀県は大津市に県庁が置かれました。

つまり平安時代の中央集権化の姿に戻った訳です。ただ県庁の場所は
JR大津駅近くの現在の位置で仮に元の国庁跡地に置かれたとすると県
の職員さんは鉄道にやや遠いと云う意味で通勤にはちょっと不便だった
でしょうね

             建部神社(たべじんじゃ)
船幸祭
毎年8月17日の午後に行われる神輿の船渡御(ふなとぎょ)が当神社で
有名なお祭りです。


                   船幸祭で使われる神輿

女神像
神宝として重要文化財の木造女神坐像が伝えられています。木造で垂髪、
そして右袖で口元を覆う特異なしぐさをとっています。 


                           女神像 (重文) 
               
アクセス
その他境内には重文を含む多くの文化遺産で一杯です。流石は延喜式
にも記載がある貴重なお宮さんです。場所は瀬田の唐橋から歩いても
10分位です。

         
        幻の千円札         建部神社本殿       石灯篭 (重文)
               
(上の3点はクリックで拡大します)

          今回探索のその他の文化遺産


                 明治天皇御小休憩所  冠木門

明治天皇が北陸や東海道ご巡幸の際、小休憩された所です。東海道
に残る明治天皇が小休息された屋敷の冠木門かぶきもん:偉人が通る
屋根がない門)が見どころです。 唐橋のすぐ近くにあります。


              堂ノ上遺跡 (滋賀県教育委員会発行パンフレットより)

堂ノ上遺跡は国府を形成していた頃の古代代官の遺跡の一つです。
つまりこの地が古代近江の政治経済の中枢をなしていたとする証です。
先述の国司跡の近くにあります。

 
                  木造狛犬 (若松神社)                  解説 (拡大します)
  (これは複製品で、本物は大津市歴史博物館で保管)            

    お礼:県認定ブロガーとしての発信を終えて 
この情報(瀬田橋をめぐる攻防)で今回の探索シリーズは終わりです。
私は今までこの情報を含め6件(6週間)にわたり情報発信をして参
りました。大変多くの皆様にご訪問いただきありがとうございました。

滋賀県教育委員会では滋賀県民だけではなく出来る限り多くの皆様
にもっと滋賀県を知っていただきたいし、滋賀県各地の文化遺産、名
産などにも触れていただきたいとの思いからその一つの方法として私
達一般のブロガーの媒体を利用してのアピールを考案されました。
私もその賛同者の一人として探索に歩き懸命に情報を集めましてブログ
にしてきました。

    滋賀のこんなところを、ぜひ滋賀にお越し下さい
訪問者の皆様におかれましてはどうか一度今回案内致しました各名所
をお尋ねください。またお出かけの節には ”おいしが、うれしが”、
賀県の食文化他いろんな素晴らしい滋賀にぜひ触れてみてください。

その節の何らかのご参考になれば私としてはこの上ない喜びです。

   今日もご訪問くださいましてありがとうございました。 

                  (次週は三上山仲間の二回目です)

             当ブログ管理者; Kenny

 


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7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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楽しみが増えました (茲愉有人)
2012-08-17 22:35:48
瀬田の唐橋は、ほんとに要衝だったのですね。
橋の板を剥がして渡れないようにしたり、橋を焼いてしまったり、いろいろな攻防があった場所ですね。

小瀬甫庵著『太閤記』(岩波文庫)を読むと、「明知左馬介安土山殿守を令焼亡事」の項に、「山岡美作守瀬田の橋を焼おとしければ」と記述されていますね。

また、
早稲田大学図書館の「古典籍総合データベース」にアクセスすると、

歌川国貞筆「瀬田の夕照」の錦絵を見ることができます。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_b0169/bunko30_b0169_p0001.jpg

そして、「絵本草源氏:近江八景 香之図」
粟津晴嵐と瀬田夕照が見開きページになっています。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_a0233/bunko30_a0233_p0021.jpg

拝見した、俵藤太像と「川岸にムカデ退治伝説の俵藤太」というのは、まだ見たことがありません。面白そう・・・・


同データベースには、
「近江国庁宣」という文書が10点公開されています。
例えば、天治2年8月のもので、叢書名 : 尊勝寺領香庄文書 近江国
http://www.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko12/b12_0009_1_3/b12_0009_1_3.jpg

建部大社について、わたしはずっと、「たてべ」と思い込んでいました。
「たけべ」だったのですね。ブログを拝見して、あ!そうなのか。
あの近くには何度も行きながら、まだ訪れたことがありません。

これを機会に、初めて建部大社の公式ホームページにアクセスしてみました。なかなか力の入ったサイトになっていますねえ。このHPを見て、いくつか実際に見てみたいものが出てきました。

行きたい所リストの項目が増える一方です。
参考になりました。感謝。

追記

「唐茶」の色調を辞書はどう説明しているのだろう・・・・。
ふと、興味を抱き手許の辞書を引きました。

広辞苑・初版 [からちゃ] 項目あり。色説明なし。
  [とうちゃ] 木の説明、中国渡来の茶、酒の隠語、という三意義の説明として。
日本語大辞典(1989年1刷)[からちゃ」項目なし。
  [とうちゃ] 項目あり。中国渡来の木としての説明として。
大辞林(1989年3刷)[からちゃ] 染色の名。黄みを帯びた茶色。
  [とうちゃ] 木の説明、中国渡来の茶、酒の隠語、という三意義の説明として。

ネット検索では、
デジタル大辞泉 色の名。赤みがかった茶色。

それじゃ・・・他には・・・・ありました!
「色相順05」というページ
http://www.studio-mana.com/ippuku/dentousyoku/shikisou05.html
からちゃ(唐茶)
黄みの灰色がかった赤。暗い黄赤。室町時代。名前を見ると唐から伝わった茶色のようだが、実際は「いかにも新しく外国からやってきたような美しい茶色」という意味のようである。

「Japanese Color」のページ「唐茶」
http://beacongunite.com/tag/%E5%94%90%E8%8C%B6/

ここらの説明が一番専門的な印象ですねえ。

う~~~ん。色って複雑! 

追記が長くなってしまいました。スミマセン。
(お陰で新しい学びにつながりました。)
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瀬田の唐橋と近江国庁 (八幡遊人)
2012-08-17 23:52:41
Kennyさん、またまた滋賀の情報発信、ありがとうございます。先日、滋賀県文化財保護協会の平井さんが、近江国庁の説明を「モノ知り学」の講座でされていました。
旧瀬田の唐橋の遺構(水中の橋げた)から、古代東山道の位置、近江国庁遺跡と周辺の遺跡(瀬田の馬屋、瀬田廃寺、倉庫群遺跡など)につながる発掘成果を詳細に説明してくださいました。するとここにKennyさんの紹介記事も。大国近江の国庁跡は、瓦積み基壇など他の国庁跡とは違った特徴もあるようです。本当に滋賀県は歴史と自然にあふれたおもしろいところです。これからもいろいろと発信していただくことを期待しております。
返信する
お礼 (kenny )
2012-08-18 07:39:16
茲愉有人さん、八幡遊人さん、これから信州です。20日にじっくり読ませて頂きます。ありがとうございます。 Kenny
返信する
瀬田の景色に・・・ (ポエム)
2012-08-18 20:58:28
懐かしい所の写真ばかりです。
唐橋は前の古い橋は学生時代によく渡りました。
弓道をしていたので、遠征試合では建部神社の境内で凛々しく(?)矢を射っていました。
唐茶の橋、風情があっていいと思います。

Kennyさん、信州ですか! 夏山を楽しまれて益々健康的な日焼け顔でお帰りになられることと思います。 
お元気で色々楽しまれて、日々充実されていいですね。
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情報ありがとうございます (kenny)
2012-08-20 08:18:51
茲愉有人さん貴重な資料ほかありがとうございます。 現地探索などの企画に参加してとは云え一人で出来る分量は限られます。茲愉有人さんからも特に京阪間での情報などを頂き楽しく読ませて、勉強させて頂いてます。たけべ、勿論私も初めて知りました。ブログ編集中、県の資料にあれ、タイプミス?でもそんなはずはないと神社の案内書を、たけべと。 とうちゃと仰る方もいましたが、研究員さんのからちゃを使いました。確かに私はさっとですが調べてもお茶の説明が画面にでます(電子広辞苑、ウエキペデア)。

八幡遊人さんのお話しにありますように「水中の橋げた」だったそうです。太い柱で組み立てて底辺部は大きな石で浮かばないように沈める工法で大陸(要確認:笑)からの技法とのお話でした。

「香之図」を紹介頂きましたが、何をいうのよ、でもありますが、確かに今に残るこの形の橋が、こんな風景が実在したんだと改めて歴史の面白さを実感しています。

また信長が現在の所に架け替えたとも(要確認です)説明がありました。 実は耳は先生に、目はカメラにで聞き漏らしが相当あります。その点特に女性郷土史フアンの方々はメモを取り、ブログ内容もすごいです。

雨飾山は1963m、山頂まで4時間弱ですが急登続きでかなりきつい登山となりました。幸い好天で日本海が綺麗でした。 コメントありがとうございます。Kenny
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いつもありがとうございます (kenny)
2012-08-20 08:43:17
八幡遊人さん、いつも嬉しいコメントを頂きやりがいを感じております。研究員さん、現地案内人の皆様のお話はもっと内容があり、また話題もまだまだあるのですが茲愉有人さんへのコメントにも書きましたが聞き取れていない、もう一つ自信が持てないで書けていません。 しかし平井さんのご講義の内容を拝読し、かなり意味が理解できたのがこれも嬉しかったです。 

ちょっと自転車で走れば文化遺産、それも貴重なというかどこにでもあるというものではなくて。過日は三上山の山頂で仲間と雑談中、篠原近くの国宝、大笹原神社本殿を見てきました。 本当に滋賀は我々にとっては有難い県ですね。 ありがとうございます。
返信する
Unknown (Unknown)
2012-08-20 09:15:24
ポエムさん、なっなんですって!弓道をしていたと、遠征試合で建部神社で矢を射っていたと、古い橋は学生時代によく歩いたと・・・、膳所も勉強の場所だった。すごいなー、今冠句、♪(複数)、どれもこれも継続、忍耐ガンバリ物です。なーるほど、今ギターでご一緒させて頂いてますが、わかるわかる、Kennyも頑張らんとと反省です。

唐茶、本当に落ち着いたいい色です。宇治橋もそうなんですね。

雨飾山に友人ご夫妻、妻と4人で登ってきました。今シーズンの高峰夏山の一回目です。今年は出足がうまくいかずで・・、去年はこの時期もう5座楽しんでいますのに。 前の日から登山口キャンプ場でテン泊とバーベキュ、夜は満点の星でした。 では一句と行きたいところですがまた後日写真でUPします。きつい山ですが難なく往復(7時間)してきました。私が一番元気、遂に妻を体力では追い越しました。 熟した山の数、日常を含む口数ではとってもかないません。 いつもコメントありがとうございます。
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