伊吹山
この山のこんなお話
そのー3
伊吹山は元々このような山容だった
山頂に日本武尊の石像が
伊吹山の山容はこうして変化した
2012年の講座(後述)での資料写真を拝借:感謝
上下:石灰石採掘前の元の山容
冊子:写真でふりかえる伊吹山物語より拝借:感謝
撮影:2011年7月
現在の山容 ほぼ同じ位置から撮影
赤い線が元の山頂部の形
セメントの原料として山頂部が削り取られた
撮影:2019年5月
今はその後の緑化対応でこのように
伊吹山は石灰岩が豊富な地質
山頂部のその石灰石が削り取られた
1952年(昭和27年)7月 某セメント会社が伊吹工場新設、
伊吹山の石灰石大規模採掘が進められ、南西の稜線は
このように山容が変貌するまでに大きく削り取られた
セメントの原料は主に石灰石です。実は伊吹山は石灰岩が
豊富な地質であり、セメントを生産する工場には最適の
場所だった
伊吹山の石灰岩については先の私のブログ
「伊吹山誕生の秘密」に詳細があります
2003年(平成15年)3月に当工場は閉鎖されて上部採石部
は既に停止しており、山頂部の浸食はその後はありあません
日本武尊の石像が何故この山に
日本武尊石像 (大正元年建立)
撮影:2010年10月
撮影日:2011年11月
同講座、資料写真より
ここになぜこの像が
日本武尊(やまとたける)が東の国征伐から帰る途中
伊吹山に荒神がいることを聞きその荒神を征伐する
ために伊吹山に登ります
山頂近くに達すると大きな白いイノシシが現れたため
弓矢で威嚇しさらに進んだところ急に熱を出し
気を失います
このイノシシは山の神の化身で怒りにふれたからです
怪我をして退散、醒ヶ井に流れる地蔵川の湧水、居醒
の清水で傷を癒すがその時の怪我が元で
能褒野(三重県亀山市)亡くなりました
石像は亡くなった三重県の方を向いています
私のブログ:伊吹山の「こんなお話シリーズ」
そのー1:伊吹山の生い立ち
併せて:生息する
カタツムリ
ヒメボタル
そのー2:積雪記録世界一、測候所
お断り
当ブログの編集にあたり、2012年に滋賀県主催の講座
「伊吹山の文化的景観」でのお話、資料を当時、私のブログ
での掲載許可を頂いており、今回も使わせて頂きました
また
ブログ「伊吹山もりびと会」
冊子「写真でふりかえる伊吹山物語」
その他ウキペディア等
から部分引用させて頂きました
感謝します
(2023年1月28日、UP)
いなかった事」を纏めて、そして知り、記録しております。どうやら今暫くはこう
して使える時間もありいいのかなと思っております。
昔スキーで行きましたが、こうして残されているお話がある事を覚えておきます。