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Kennyのそうだったんだ:伊吹山:元の山容、日本武尊石像

2023-01-27 18:17:46 | 伊吹山

伊吹山
この山のこんなお話 
そのー3

伊吹山は元々このような山容だった
山頂に日本武尊の石像が

伊吹山の山容はこうして変化した

2012年の講座(後述)での資料写真を拝借:感謝

  上下:石灰石採掘前の元の山容


冊子:写真でふりかえる伊吹山物語より拝借:感謝


撮影:2011年7
現在の山容 ほぼ同じ位置から撮影
赤い線が元の山頂部の形
セメントの原料として山頂部が削り取られた




撮影:2019年5月
今はその後の緑化対応でこのように


伊吹山は石灰岩が豊富な地質
山頂部のその石灰石が削り取られた
1952年(昭和27年)7月 某セメント会社が伊吹工場新設、
伊吹山の石灰石大規模採掘が進められ、南西の稜線は
このように山容が変貌するまでに大きく削り取られた

セメントの原料は主に石灰石です。実は伊吹山は石灰岩が
豊富な地質であり、
セメントを生産する工場には最適の
場所だった 

伊吹山の石灰岩については先の私のブログ
「伊吹山誕生の秘密」に詳細があります

2003年(平成15年)3月に当工場は閉鎖されて上部採石部
は既に停止しており、山頂部
の浸食はその後はありあません

日本武尊の石像が何故この山に

  日本武尊石像 (大正元年建立)
撮影:2010年10月

撮影日:2011年11月


同講座、資料写真より

ここになぜこの像が
日本武尊(やまとたける)が東の国征伐から帰る途中
伊吹山に荒神
がいることを聞きその荒神を征伐する
ために伊吹山に登ります

山頂近くに達すると大きな白いイノシシが現れたため
弓矢で威嚇し
さらに進んだところ急に熱を出し
気を失います

このイノシシは山の
神の化身で怒りにふれたからです
怪我をして退散、醒ヶ井に流れ
る地蔵川の湧水、居醒
の清水で傷を癒すがその時の怪我が元で
褒野三重県亀山市)亡くなりました

石像は亡くなった三重県の方を向
いています

私のブログ:伊吹山の「こんなお話シリーズ」
そのー1:伊吹山の生い立ち
          併せて:生息する
                                          カタツムリ
                   ヒメボタル

そのー2:積雪記録世界一、測候所

お断り

当ブログの編集にあたり、2012年に滋賀県主催の講座
「伊吹山の文化的景観」でのお話、資料を当時、私のブログ
での掲載許可を頂いており、今回も使わせて頂きました

また
ブログ「伊吹山もりびと会」
冊子「写真でふりかえる伊吹山物語」
その他ウキペディア等
から部分引用させて頂きました
感謝します


(2023年1月28日、UP)

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Kenny)
2023-01-31 10:04:36
まだまだ安心しての外出はままならずで、出来た時間を自身の「しっかりと把握して
いなかった事」を纏めて、そして知り、記録しております。どうやら今暫くはこう
して使える時間もありいいのかなと思っております。
返信する
Kennyさま (1948of)
2023-01-30 17:48:33
伊吹山の稜線の変貌を知ることができました。
昔スキーで行きましたが、こうして残されているお話がある事を覚えておきます。
返信する

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