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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探索:妙見堂:三上山中腹:野洲市

2025-03-23 11:38:53 | 妙見堂跡:野洲市

 妙見堂
2019年3月投稿の私のblogに追加です
この度 新しく得た関連情報の備忘録として
ここに追記しておきたく

新しく知った関連情報源は
3月22日、2025に開催の
第20回市史 郷土史学習会(野洲市)
関係者の皆様に感謝します

三上山中腹にそのお堂跡があります
現在は本堂など、建物は取り除かれ跡地には
灯篭や玉垣等が残るのみ
閉眼供養も行われて今はその歴史を終えています

先ずは現在の妙見堂跡と過去の姿

現在の跡地
(写真、私の撮影:以下注釈無しは同様)
建物は残っておりません


撮影:2013年12月

左に水屋がかろうじて残っている
灯篭の本数はまだこれだけ有った


水屋に 同2013年


玉垣 現在


本堂の有った跡 現在


往時の本堂の姿
野洲市史より




移転した本堂 三上山山麓
平成7年(1995)3月19日中腹からここに移転
今は、この妙見堂の歴史は終了しています(後述)

茶屋

2000年3月の撮影


2019年3月の撮影


2025年3月の現状




文化十年の文字が


宿、茶屋跡には今もごろごろと


新しく学んだ知識
開眼と閉眼供養
建立・開眼

上下:勉強会当日の資料、展示室の現物


閉眼供養:当妙見堂(宮)
令和6年(2024)3月24日に閉眼供養が行われて
その歴史に幕を閉じた

妙見堂と妙見宮

宮から堂に改称の理由
神仏分離を目的とした神仏判然令が発令された明治元年(1868)
以降に名称を妙見宮から妙見堂に改称

妙見菩薩とは
仏教では北極星または北斗七星を妙見菩薩という仏とみなした

なお、三上山とは特別の関係、関連はないそうです


三上藩
(ご参考)
元禄11年(1698)三上藩成立
藩主:遠藤氏 千葉氏の系譜をひく
吉見藩の誕生:明治3年4月
遠藤氏が領地支配の拠点である陣屋を当地三上村から
和泉国、吉見村へ移転
妙見堂を管理することが出来なくなった為と考えれえる
(この項、勉強会の資料から)
吉見藩の廃止:明治4年、廃藩置県が実施される


(ここまでのブログ:2025年3月26日 UP)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2019年投稿の私のブログ
妙見堂

私が興味をもってこのお堂に何度も通い
記録したのが2019年のことでした

その時のブログが以下の通りです

いのししが遺跡を掘り起こして
  
妙見堂
        滋賀県野洲市

    三上山の麓、建立はいつかな
   実は猪がきっかけを作ってくれました

三上山(近江富士)432m 滋賀県野洲市 
この山に運動を兼ねて日課として登り始めてもう10年。 間もなく
概算ながら登山回数1000回を数えます。ところが同じ山に毎日
のように登っても飽きないのは登山を愛する人の共通点ではない
でしょうか。 

そこで知り合った友との山談義、情報交換等々と。 私も幾つもの
楽しみを持って登山の日々です。で、実はこんな事もありました。           


  三上山  (近江湖南アルプスより撮影)

建立は元号「文化」、
江戸後期 1800年代
過日、猪にこんな機会を貰いました。 忘れていまして
この妙見堂いつ建立されたんやろう、一度調べないと、と・・。
しかしそのまま忘れておりました。この山の住人いのししが教
えてくれました。


   石段の側石が土の中から現れました
  その石には「文化十年」(1813年です)の文字が(個人名はボカシ)


      妙見堂に辿る石段     登山で通ります  
普段は草木に、そして、確か(ですが・・)側石もその殆どが土に埋まっ

ていたと思います。今回だけでなく毎年こうやって掘り起こして食べ
物をあさっております。たまには肉を(ミミズや幼虫)食いたのでしょう
が、しかしその力って重機なみですよ!!             


       この通りです・・・・・


                  比較: 2013年撮影の石段    


               妙見堂跡 三上山の麓      


     三上山、その周辺にはこの看板が
猪の功罪は、今回の日記ではロマンとして、目をつぶって頂ければ

幸いです(ブログ監理者:Kenny)

そうか、そう言えば
灯籠や石碑に有るはあるは、刻みこまれた元号、「文化」の文字。



      上下はお堂跡です  文化二年(1805年です)



         上下 水屋  文化四年 (1807年)

        
                   灯籠 文化五年 (1808年)

建立は元号「文化」、江戸後期 1800年代なんでしょうね
下総国の豪族、千葉氏は「妙見」を守護神として崇拝しており、一族
で近江湖南の三上藩主遠藤氏によってこの地に妙見菩薩が祀られ
たと教わった記憶があります。

私の撮った写真記録から、こんな資料が出てきました。文化4年
(1807年)に妙見堂を三上山に勧進した、とあります。
             (2019年3月12日、追記)

         

         ご参考:詳しいブログにヒットしました
                   URL: http://kida.shiga-saku.net/e379963.html

ついでながら、気になっていた家
通称、表登山道の石段脇に一軒の家(廃虚)があります。今回の日記

を編集していた時に古絵図の存在を思い出し照らし合わせてみました。
この廃虚、絵図にある茶屋?


       石段脇にはこの一軒しか見えないですね~
        いや、もう一軒有ったか、今度調べて来ます(3月6日追記)




ありました、建物跡が (3月7日追記)
一例を、


                古絵図にある 宿ヤ 跡かな・・・?

そこには瓦や食器が散乱

 
                  
   

他にも古絵図にはもう一つ茶屋、そして
稲荷も
別の機会にまた・・・    

お断り: ブログに記載情報はあくまでも素人の興味と備忘録としてUPして
       おります。
 全て私の想像です。もし間違いがあればどうかお許し
     ください。
      


  今日もご覧くださいましてありがとうございました
                                                                    (2019年3月3日UP)