趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの旅日記:沖縄ーその2:ひめゆり平和祈念資料館

2015-07-23 14:12:36 | 

             沖縄の旅(そのー2) 
            戦後70年の節目に     
   「ひめゆり平和祈念資料館」 を訪ねました

                 (この日記の掲載期間:8月7日~8月13日)
ひめゆり平和祈念資料館を訪ねて
ひめゆり学徒隊とは
1944年12月に沖縄県で日本軍が中心となって行った看護訓練によっ
て作られた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校
女子部と沖縄県立第一高
等女学校の教師・生徒で構成されたものの名前(ウイキペディアより)


                     MBS毎日放送のTV報道画面より


                         MBS毎日放送のTV報道画面より




                                ひめゆりの塔


                                   資料館配置図

ひめゆり学徒隊にはこんな悲惨な事があったのですね・・・
1945年3月23日「動員」された当学徒隊は、敗色濃厚となった1945年
6月18日に突然「解散命令」が出され、翌日の6月19日をはじめとする約
1週間の間に多数の犠牲を出した。死亡者のうち実に80%がこの間に集中。
そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決
している(ウィキペディアより)
  

    
                     動員命令  撤退開始  解散命令




                        荒崎海岸 (毎日新聞紙面より)


              沖縄陸軍病院職員やひめゆり学徒隊が避難していた壕

ひめゆり平和祈念資料館のパンフレットから (部分概要)
ひめゆり学徒隊はこのように・・・
米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年3月23日深夜、沖縄師範学校
女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人は那覇市
の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に配属された。

米軍の3月26日の慶良間列島進攻、4月1日の沖縄本島中部西海岸上
陸、その後の南下に伴い当学徒隊は負傷兵の看護、他、死体埋葬までも
担い、仮眠を取る間もなくなっていきます。

5月下旬、米軍が迫る中、日本軍とともに学徒は陸軍病院を出て本島南
端部向かいます。

しかし激しい砲撃戦の中、6月18日、絶望の「解散命令」が下され戦場を
逃げ惑うことになります。砲弾、ガス弾で命を、また手榴弾で命をと・・・・、
ひめゆり学徒隊の教師・生徒240人の中、136人が。また在地部隊その
他で91人が亡くなりました。

当資料館を見学して
私がここに感想を書くことすら空しいのですが、戦争の悲惨さ、その歴史を
修整することは出来ない。だから二度と戦争をしないという誓いが今必要
なんだ、と資料館を見学し、そして新しく知ったことも含めて思いを新たに
した次第です。上述の「歴史を修整できない、戦争を二度としない・・」 の
言葉は、淡海の城友の会(滋賀県)の友人、Mさんが私のブログに下さった
コメントです。 非常に重い言葉で、全く同感、そう言うことなんだと、ここに
使わせて
頂きました。

当資料館では米軍が記録した映像だそうですが、じっとは見ていられない
資料も置かれています。

         ひめゆり平和祈念資料館の詳細は ここを  

      今日もご覧くださいましてありがとうございました
          
   次週は「米軍嘉手納基地」の様子を掲載します。 ご訪問いただければ幸いです

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Kennyの沖縄旅日記:戦後70年ーその1 平和祈念公園

2015-07-23 09:06:02 | 

              沖縄の旅
           戦後70年の節目に
   終戦の一年前に生まれた私は戦争の記憶は全くなくて
     この機会に少しはこの目で見て聞いてと現地へ 
             (この日記の掲載期間:7月31日~8月7日
            7日(金)までちょこっと出かけおりまして8日に更新します m(_ _)m

平和祈念公園を訪ねて



  毎日新聞(6月23日より)「平和の礎」に刻銘された弟の名前に語りかけるお姉様

沖縄慰霊の日:平和祈念公園 (糸満市字摩文仁)
1945年6月23日、旧日本軍の組織的戦闘が終結して今年で70年。
毎年この日を沖縄戦の終結した日として 慰霊の日に制定して
います。
一般住民およそ9万4000人を含む、両軍合わせて20万人以上の犠牲
者をはじめ、
海上、海外で亡くなった戦没者の冥福を祈り毎年全戦没
追悼式がここ平和祈念公園で行われます
(毎日新聞、琉球新報より抜粋引用)


       

                      上下の写真は沖縄慰霊の日の式典の様子です
                  (毎日新聞社の写真を拝借しました)
 


       

                平和祈念公園についての詳細は  ここを


                                  沖縄平和祈念堂



                               平和の礎(いしじ)
                   私もお花を手向け、永遠の平和を祈ってきました

                       平和の礎についての詳細は ここを



                                        刻銘碑

「平和の礎」は世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、
沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑です。





            「沖縄県平和祈念資料館」 最上階から見た平和祈念公園、平和の礎
                    


                                  平和祈念公園案内図           


                                     沖縄県平和祈念資料館

                           当資料館の詳細は ここを

平和の広場は、断崖絶壁から海岸線、波打ち際を眺望できる位置に設置
されています。
広場の中央には「平和の火」が灯されています。この「平和
の火」は、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した
火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けてい
ただいた火を合火し、1991年から灯しつづけた火を、1995年6月23日の
「慰霊の日」にここに移し、灯したものです。(沖縄県平和祈念財団のHPより引用)


                                          平和の火


     平和の広場は、断崖絶壁から海岸線、波打ち際を眺望できる位置に設置
    
        次週は「ひめゆり平和祈念資料館」 訪問日記です

      今日もご覧くださいましてありがとうございます

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする