「意識の漏電」という言葉は笑い出すほど状況にぴったりで、何度みても感動します。
私の場合とりあえずできることをやっているのですが、最近ぎょっとしたことがあります。何の拍子かPCのカメラを起動してしまい、モニタに眉根にしわを寄せた怖いヒトが映っていました。あ~びっくり。子供にもたびたび「怖い顔をしてるよ~。もっとにっこりして」と言われ、はっとします。
一生懸命やっているのですが、なぜか暗くやっているらしい。明るく感謝の気に満ちて、おこなうようでありたいですね。表情に気をつけていますと、まわりの方も少し安心されて雰囲気が明るくなります。そうか、灯火になれるのかもしれませんね。
あ~・・「お母さん、なんか怖い顔してしかも暗いよ~」と私も子どもによく言われます~・・
PCに向ってるときに、真剣に見てるとか不具合が起きたときの原因究明にのりだしてるときとか~
でも、同じくPCに向ってても読んでる内容によっては、どうやら一人でニヤけれたり、むふふと笑ってたりもするようです~
それだけ、内面丸わかり???
>「着飾らずに笑みをたたえた布袋さんの姿に成って、「街へ」出て」「子供と遊ぶ姿」。。。
これって本当!すごく難しいと思います~。。
つい、ご指導しちゃったりするとその時点で「指導してる者とされてる者」に分かれちゃいますから~・・
と言うか。。指導されてる方はそういう意識はないとしても、してる側に何かそう意図するところがあったりすると「指導しようと思ってる時点」で、遊んでなくなるんですよね~・・
だから、、こうしてやろうとかいろんな「もくろみ」すら意識せずにただ単純に「真剣に遊ぶ」ということなんだろうなぁ。。と、私は本家記事を読んで思ったのでした・・。
仕事柄、年齢の小さい子ども達と触れ合う機会が多かったのですが、やっぱりこちらがなんらかの「誘導」や「もくろみ」なく ただ単純に遊ぶことはすごく純粋なことなんだなぁ、、と 「無心」に遊びに徹することのできる子ども達に教えてもらうことばかりの私でした。。
「真剣に遊ぶ」のは、なかなか難しい???
でも、心に灯火を~は、意識して練習いけば 真剣な灯火になれそうですね
私も頑張ります~
そうすると、子供たちは一生懸命に演奏しながら「にっこり」とするのでした。かなり不気味でした。
しかし、その「表情管理」と言う言葉がずっと胸に残っています。そうか、表情は管理するものなのか、と思ったのです。
大人になってもそのあたりのことわかっていなかったりするのですが、実はとても大事なことなのかもしれないですね。上記の例は異様な風景なわけですが、それはそもそも大人の世界での「あらまほしきこと」を子供にやらせているからでしょう。
裏返せば大人にとっては当たり前のことなんですよね~ ^^;