無知の知

ほたるぶくろの日記

お迎え体験

2012-06-22 10:37:33 | 日記
昨日、touriさんもまた他界されていたことを知りました。ご冥福をお祈り申し上げます。

この新聞記事が目を引きました。
「自宅でみとられた患者の約4割が、亡くなる前、すでにいない親の姿を見たと語るなど、いわゆる「お迎え」体験を持ち、それが穏やかなみとりにつながっているとの調査研究を、宮城県などで在宅医療を行っている医師らのグループがまとめた。
 在宅診療を行う医師や大学研究者らが2011年、宮城県5か所と福島県1か所の診療所による訪問診療などで家族をみとった遺族1191人にアンケートした。
 「患者が、他人には見えない人の存在や風景について語った。あるいは、見えている、聞こえている、感じているようだった」かを尋ねた。回答者541人のうち、226人(42%)が「経験した」と答えた。
 患者が見聞きしたと語った内容は、親など「すでに死去していた人物」(51%)が最も多かった。その場にいないはずの人や仏、光などの答えもあった。
 「お迎え」を体験した後、患者は死に対する不安が和らぐように見える場合が多く、本人にとって「良かった」との肯定的評価が47%と、否定的評価19%を上回った。
 調査は、文部科学省の研究助成金を得て実施。「お迎え」体験は経験的にはよく語られるが、学術的な報告はきわめて珍しい。
(2012年6月21日15時57分 読売新聞)」

いよいよ、このような研究がされるようになってきたということですね。

生前母から聞いた話しですが、40代半ばにがんで他界した母親(私の祖母)を最後に自宅で看病していたとき、昏睡状態の祖母がふと目を覚まして「今、どこそこまで行ってきたんだよ」とはっきりと話したということです。そのとき母は「夢を見ているのかな、と思ったけど、今考えると魂だけで行っていたのかもね。」と話しておりました。もう半分自由な魂になっていたのでしょう。苦労の多い人生だったですが、一生懸命生きた方だと思っております。私が生まれる前に亡くなっていたのですが、なぜか子供の頃から気にかかっていた祖母です。なにかとお世話になっているのだと今は確信しています。本当に感謝しています。

今朝思っていたのは、お世話になっているそのときにはわからないようにご先祖様はそっとお世話をしてくださっているということです。私は車のナンバーが祖母の命日であったということに、その車を手放したあとで気づいたものです。どうしてこんなことに気づかなかったのかしら、と不思議でした。しかし、最近思うのは、無くしたり、無くしそうだったりするときに感謝するべきありがたい「こと」に気づくということです。
対象がわからないけれど感謝する、ということは本当に正しく、有り難いことなのだと思います。

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