会計スキル・USCPA

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中国の権力闘争

2012-03-18 07:57:29 | 政治
前回ご紹介した温家宝首相の記者会見で,実は重慶の問題も批判していてたんですが,この記者会見の翌日に,重慶のトップが解任されてまして、

日本の新聞も書いてますな。

日経には,解任された薄さんについて,日本企業の多くが大連進出時に世話になってて,産業界では彼の解任を懸念している,とかいう記事が出てたり。薄さんは昔,大連にも居て活躍しているんですね。

他にも,この一連の事件,つまり,この解任劇の前に,王副市長が米領事館に逃げ込んだ事件を含めて,太子党と共青団の間の派閥闘争に絡めて解釈している記事が多いですな。

ただ,これが,権力闘争であることは間違いないでしょうが,単なる派閥抗争に過ぎない,と言うのは言いすぎでしょうな。薄さんの毛沢東路線が危険視されたのは,派閥抗争とはちょいと違う次元のハナシなんで。

大連での,日本企業誘致の積極活動をして,日本の産業界ともパイプを持つ薄さんと,毛沢東路線の薄さん,二つの記事を並べて読まされると,混乱してしまうんですが,つまり産業誘致は改革開放路線,毛沢東主義は原理的な昔の共産主義に戻ろう,という路線で,イデオロギー的に正反対ですね。

この点について,すごいレポートが出てまして,

チャイナ・ナインと薄熙来の挟み撃ちに遭った王立軍

薄熙来の行動には節操がない

 薄熙来は、2008年7月あたりから「唱紅(ツァン・ホン)」(毛沢東時代の革命歌を歌おう)及び「打黒」運動を始めた。2008年3月に起きた呉儀国務院副総理の「裸退」(第1回参照)によって道を閉ざされたために、薄熙来が「毛沢東回帰型」キャンペーンを始めたことは明らかであろう。この、時間に関する因果関係は興味深い。

 薄熙来は遼寧省時代、大連市を「北の香港」にしようと「時尚大連(スーサン・ダーリェン)」というキャッチコピーを広めた時期がある。「時尚(スーサン)」は「モダン、流行」のような意味である。ファッションとか外資を積極的に導入する国際化をテーマとしたキャンペーンであった。

 たしかに大連は港町であるため古くから海外との交易が盛んではある。しかし遼寧省の省都である瀋陽市には、1931年9月18日に当時の日本の関東軍が起こした「柳条湖事件」を忘れてはならないという目的で建てた抗日博物館などが数多くある。そういった気骨が遼寧省全体に染み込んでいる。そうでなくとも実直と剛毅で知られる東北一帯の気質に、「時尚」キャンペーンは似合わない。

 まだ香港返還(1997年)が成されていない90年代初期のことだったので、地元の住民たちの中には不快感を示す者もいた。

 それでも薄熙来はキャンペーン実現を強行した。

 今ではそれなりに良い効果をもたらしてはいるものの、その同じ薄熙来が今度は重慶市で、「時尚」と真っ向から対立する「毛沢東回帰型」キャンペーンを展開するとは、ちと理念がなさすぎる。要するに自分が有名になれるのであれば何をしてもいいということなのか。節操がないではないか――と、チャイナ・ナインはじっとこの経緯を見ていたと思われる。「これでは次に何をするか分からない」という「不安定感」が薄熙来には付きまとう。

 このような人物が万が一にもチャイナ・ナイン入りして、とんでもないことを始めたら、中国が改革開放に基づく安定的な発展を遂げることが困難になる危険性がある。


うーん,なるほど。節操がないってことですか。日和見主義ということでもありますがある意味,政治感覚が優れているということでもあるかもですね。このポピュリスト的手法を,チャイナナインが危険視していたということで。

それで,このコラムでは,薄さんの失脚を狙って,北京のチャイナナインがいろいろと動いたのだ,と推測しているんですな。ま,ある意味インネボー説なんですが,これはトンデモ論ではなく,十分許容範囲。

この日経bpの連載は,事件の背景,発端から今に至るまでの出来事を細かく分析していて読ませます。憶測のウエートが大きいので,ちょいと気をつけて読む必要はありますがね。

中国の権力闘争が,どんなものかもよく分かりますね。中国では,汚職で摘発されたら,死刑になっちゃう国なので,権力闘争は命をかけた戦いでもあるんですね。あーコワ。日本の権力闘争など甘っちょろいって感じでしょうか。

このコラムでは,もともと薄さんを追い落とそうとして,王立軍副市長の摘発に動き,それを察知した薄さんも,自分を守るために王氏を摘発しようとした,という流れになっていますが,王さんが,薄さんの家族の摘発に動こうとしたので,というニュースもあるようですね。