デカルトが「考える」ことを重視したのに対して、たましいは「想像する」ことを重視する。
想像こそは、たましいのはたらきであり、それを端的に体験するのは夢であろう。(中略)
夢創作の主体は自我ではない。
夢を創り出す主体をたましいであると考えてみるのである。
ここで、想像をわれわれが日常的につくり出す願望に色づけられた単純な空想と混同しないことが大切である。
真の想像は何らかの創造につながるものである。
つまり何かしら自我のあずかり知らぬものを提出する。
河合隼雄
考えることの喜びを知らない者は「真の想像」することができない。
日常的に願望を刺激する情報がメディアを通じて伝えられる。肥大した自意識は現実と空想の区別が曖昧となる。
目標を実現するには具体的でなければならない。この具体的な問題を伝えなければならない。伝えることができないものは、対価を払って得たとしても満足ができない。
考えるには、どうすれば良いであろうか?