そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

休日

2015年09月30日 | 日記

こんな夢をみた。

坂道を急ぎ足で下っている。仕事場にたどり着くまで時間は余裕だ。コンビニエンスストアーが目に入いる。なにか足りないものはないかしらと考えた。愕然とする。むこうには車がないではないか!車を取りに帰らなければならない。踵を返し坂道を登って行く。時間を計算すると冷や汗が出てきた。坂の傾斜がきつくなっていく。這いつくばりながら上って行った。これでは、だめだ・・・・・・・。

目が醒める。今日は、非番である。ほっとする。

午前七時起床。塀に伸びたツタをきる。幹が太くなって鋏ではきれない。葉だけを切り落とす。

昼食は、缶チューハイ じゅあがりこ さらだ コロッケパン。

昼寝をした。なんとか頭が、くりあー&らいとになった。

図書館に行った。ちぎれ雲高く、ケヤキが色つき始めた。「若山牧水歌集」を借りた。


とげ

2015年09月29日 | 日記

乾ききった心に刺さった棘をぬくにはどすればいい?それは小さな棘だった。風が吹くだけで、心がうずくのだ。


思い込みによる判断ミスで時間に遅れてしまった。どうしても過去の出来事に引きずられてしまっている。より良い判断をするには、リセットができないといけない。また、判断の結果を悔やむとは責任を逃れようとしているためだ。つまり極めないで行動しているから間違えることがおおくなるのだ。

誰かに迷惑をかけたといっても、実は愚痴に過ぎない。口に出せば周囲がひえるのみ。他者にとってみれば、仕方のない事、どうでもいいこと、些末なことなのだ。なんとか無事に完了したのだから、これでいいのです。なんとかにこだわることなかれ。

 

夜空の雲の切れ間から月光りがのぞく。

一人合点の取りこし苦労に疲れている。おもい通りにならないのがあたりまえ。

せめて月の光よ、わが足元に届いておくれ。

 


九月二十六日

2015年09月26日 | 日記

朝七時に起きた。十時に家を出た。

出勤をすると先輩たちが楽しげにおしゃべりをしている。

今日は晴れるかなと思ったが曇の空がつづいた。

 

黄金の稲穂がひろがっている。信号待ちで何気に眺めていたら突如、数百羽の雀が飛び立ち、旋回を始めた。やがて電線や樹にとまった。

ここの稲穂は大丈夫だろうか?おっと青信号だ。

 

また、ひととの距離がわからなくなる時がある。立ち位置が揺らいでいる。

無理をしないで@やり過ごしてからいれていただきましょう。

 

午後九時頃帰宅した。


九月二十五日

2015年09月25日 | 日記

朝から雨。気温20℃をきった。寒いがきるものがない。どんどん変なおじさんになってゆく。

K叔父さんが線香をあげに来てくれました。78歳というが相変わらずにお元気です。ただ一人暮らしはさびしいようです。

すべての人が車でお出かけになっている。どこも渋滞だ。前進せず気分がなえます。


九月二十四日

2015年09月24日 | 日記

朝より曇の空。昨日より寒し。

なにもせずに、だらだらとした。

夕方より雨が降り出す。

Sさんと呑む。急に体調が悪くなって困ったが、I君と合流。

よもやまはなしにはながさく。

帰宅後、かぜ薬を呑んで就寝した。


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2015年09月23日 | か行

穏やかな晴天。庭をいじる。チューリップ球根を植えた。これで春の楽しみができた。

少し動くと汗が噴き出す。運動不足だ。体内の水分塩分がおおいのだろう?

ひるねをした。

 

幸福とは心に描くイメージが実現したときに味わえる。その喜び、快楽を他者と分かち合えれば、強いものとなる。

されど人生は、そのような結果を出せることは、まれであろう。

ならば我々は幸福になれないのか?

人生とは生きることである。命ある限りの明確な期間である。

どのような時でも、どのような場所でも生きている。

どのような時でも、どのような場所でも生かされている。

ある目的に向かって一歩踏み出す勇気あるものは、幸いの種を蒔くものである。それは、すでに幸福なのだ。

幸福になれない者とは結果をだせなかったことではない。それを求めずに、行動しない者である。

ああ勇気あるものに、なりたい。

 

図書館に行った。連休の最終日の閉館間際は、妙齢の女性が多かった。本を読む人は美しい。

               


九月二十二日

2015年09月22日 | 日記

M君、O君、K君とのみました。

われわれも五十路を過ぎて若いとは言い難い。身体はどこかしらガタがきている。

そのようなところで、元気に活動をしている。その話を聞くことが楽しくあり、はげみになる。

ありがたいことです。


ねがい

2015年09月21日 | な行

今年は敬老の日と秋分の日が重なり五連休の人が多いと思います。

やっと秋らしい穏やかな晴天になりました。親子ずれというよりはおじいちゃん、おばあちゃんをくわえた家族連れが目につきました。

人の幸せは、それぞれでしょうけれど、あたりまえの家族の光景に、これでいいのだと納得いたしました。

皆様に、幸あれと願います。合掌。


九月十九日

2015年09月19日 | 日記

気温が上がる。青空に白い大きな雲が浮かんでいる。今日から5連休の人がいるらしい。行楽地は人が多いだろう。

どこもいく気がうせる。

ただ、それは単なるいいわけであって、ここ数年は、ほとんど、行楽地へいっていない。

生活を切り詰めていった。その挙句が、この様だった。

いや、これもいいわけであって、十代のころから、変わっていない。

なんということだ。

図書館に行った。缶チューハイとラーメンと食パンを買った。

昼からアルコールと炭水化物を摂取して、昼寝をする。爆睡してしまった。

なんら反省もせず、自己啓発をせず、明日は風まかせと、その日その日をやりすごす。

このような独身初老男性の日常は過ぎてゆく。

これが平穏というものであろう?!

 


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2015年09月18日 | 日記

人は希望を抱いていきている。

しかし、今、Sの眼の前に現れたのは、一切の希望をはく奪された暗黒の世界である。

Sに残された道は救われようと求めないことである。

Sにふりかかる悲しみを避けようとはせずに受け入れることである。

この勇気ある生き方がSを救うのである。

Sは情緒的成熟によって救われるのだ。


みぎ

2015年09月16日 | 日記

いまだに右腕がしびれている。いかに何事をやるのも右ということを痛感する。

食べることと眠ることのバランスがうまくいけばなんとかなる。