道は多い
されど汝の歩む道は
ひつとつなり
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり
朝には紅顔ありて夕べには白骨になれる身なり
蓮如上人 白骨の御文
人の一生は、はかなくて速い。老いたとおもった時には、遅いのです。
自分で手段を講じても楽にすることができないほど
辛い人生というものはない。
エレン・グラスゴー
ちらっと見ただけではねつけてしまったことが、過去にどれほどたくさんあっただろうか?
ものごとが単に自分の期待していた通りでなかったからというだけで、それを美しくする機会を逃してしまうことは多い。
どんなものにも隠れた美しさがある。それはわたしたち自身にもいえることである。
人であれ、物であれ、自分が失望しているものも時間をかけてよく見れば、その美しさを発見できるはずだ。
今日、何かあふれたものに美しさを発見できるだろうか?
時間とチャンスは誰にでも訪れる。
人生という喜劇の演出家は、いつも、ものごとをすこし手におえなくさせる。
だから、最善の計画がすべてうまくいかなくても、そんなことはけっきゃくそれほど重要ではない。
希望に満ちた顔に、パイが投げられたとしても、その贈り物を受け入れ、それ天の恵みとし、舌なめずりするのが良いかもしれない。
喜んですることに厄介なことはない。
トマス・ジェファーソン
私たちがやらなければいけないことの中には、うんざりすることもあれば、いらいらすろこともある。
ただ、どう思おうと、やらなければならないことに変わりはない。
毎日皿を洗うのはうんざりすることに違いないが、どんなに嫌でも結局はやらなければならないのだ。
それに、うまくやれば、たいへんそうにみえても、嫌な仕事を楽しい仕事に変える方法もわかってくる。
ひょっとしたら皿洗いの時間は歌をいっしょに歌う時間かもしれない。あるいは、家族に手伝ってもらえば団らんの時間になるかもしれない。
退屈と思える仕事に、隠れた宝、を探すことができれば、必ずその見返りがあるだろう。
今の退屈な仕事をなんのチャンスに変えられるだろうか?
「今日一日」のヒント ヘーぜルデン著
いつでも自分がやらなければならないことは簡単だと考えなさい。
するとそうなります。
エミール・コリー
自分の目の前にある仕事をどのように考えるかは重要なことである。
もし車庫を掃除するのはつらくて汚くて楽しいことなど何もないと考えたら、はじめもしないうちから疲れてしまうだろう。
しかし、長いこと忘れていた宝物を再発見するつもりで取りかかれば、仕事を楽しむことができるだろう。つまりゲーム気分になれるということだ。
考え方ひとつで、自分の仕事が楽しくなるかどうか決まる。そういった考えをできることは、何と幸運なことだろう。
自分はできると信じて学業や仕事に取りかかれば、簡単に終わらせることができるだろう。
自分の考え方で成功することができるかどうかは決まる。つまり自分の人生は自分が握っているのだ。
今日、自分の人生をどのくらいよくできるだろうか?
あきらめるのは屈服することではない。失敗することでもない。思いどうりの結果にならなくてもかまわないということである。
作者不詳
たぶんなんでもないのだ。挨拶しても返してくれないのは!?
疲れているのだ。あなたもSも。
幸福は旅行の目的地ではない。そこに着くための方法だ。
作者不詳
山に登るには頂上到達することに喜びを感じる。しかし途中に楽しめるものがなければ、登山にはそれほどの意味はなくなるだろう。もし道中でもがき苦しみ、泣きごとをいうようであれば、頂上で喜びを感じるのは難しいかもしれない。しかし、わたしたちが一つのひとつの道程を楽しむことができれば、すべては変わるだろう。雑用を一つひとつ片づける中で、わたしたちは周囲にあるかけがえのない美しいものに気づくことができる。
人生は毎日が同じではない。幸福はもがき苦しんだ末にたどりつくゴールではない。今日、自分に贈ることができる贈り物だ。もしわたしたちが一歩一歩踏みしめて一日を楽しめば、頂上でも喜びを感じることだろう。
今日、幸福の贈り物はどんな形をしているだろうか?