そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

めまい

2017年12月21日 | ま行

はたのひとにはよくわかるのに、自分にはちっともわからないのである。自分が死にかけたなんて。

 なんのことはない。半世紀近く生きておれば疲れるということである。まったく気力がないのだ。朝起きても何をしたいという事がない。仕事は非番であるというのに、ただただ身体を横たえ、うまくもなんともない食べものを喰らい液体を流し込み、大小便を垂れ流している。習慣というものは恐ろしいものである。これで生きていけるのだから。
目が覚める。寝床でぐだぐだする。アラームの音で起床する。体重を量り、血圧を測定する。昨日ではない今日の自分を確かめる。体重が増える。血圧が高い。だからとどうすることはない。

 できることをやらず、できないことをやれないとなげく。
 当たり前のことを感謝ぜず、まわりを羨む。

自由とは哀しみや恐れ・・・生きること死ぬことの対立の超克にある。それは行動による昇華の果てにあるかのように思う。この確信なくして自由への飛翔はない。
自分と他者、私とものとの対立から逃げてしまう。自由の獲得より現状の維持に安心を求める。

 

滅びる。自滅する甘美のエロス。

 

恰幅のよい男がいった。君は生きる意欲がないね。

才能がないのだから・・・程々に生活しようと思った。

雪が降る日。街は静かだった。

 

Sは吝嗇である。買い物ができない。やむ得ず買うときは安い物を選ぶ。品質はお構いなし、安いということが大事なのだ。

Sが感じている喜びは独りよがりの優越感に過ぎない。知識そのものに意味はない(たとえば何時に行けば惣菜が割引になる)安いことだけに意味があるのだ。

ある物を買いたいと思っても正札であるとやめてしまう。だが何かの間違えで安くなっても誰もが殺到するようになるとさっさと逃げ出してしまう。

 

髪の長い男が言った。Sさんは、いつも急いでいる。ここではないどこかへすぐに行こうとしている。だから危険に突っ込んでいくんだね。

 

なぜ逃げるのか・・・これはSにとって永遠の課題だ。追いかけられるものがあるから逃げるのだろう。逃げることに人生の大半を費やした人間として、とことん逃げ続けていくしかない。

  そうすけは、最初には希望に燃えているが、最後は後悔をする。

  前進しようとすると気持ちが高揚し、失速すると精神的に落ち込む。

 

男は絶望しているが、それを表に出したりはしない。
そんなことをすれば世間は一斉に嫌悪の矢を向けてくることを百も承知していて、控えめに常識的に生きようとしている。

「毎日キチンと予定通りに生きること」に気遣い、「自分を失うまい」としている。

しかし、内面はそんなに平穏ではいられない。
この世界への憤怒、怒り、敵意が消しがたく埋め込まれている。

この地雷源を男は自覚していない。 

大人は自分の不遇を訴えているのに「正義」の言葉を使う。子供はその正義にひきつけられる。
しかし、大人は自分の不遇が解消されると正義を忘れてしまう。子供はとり残され、美しすぎる正義の言葉に殉じようとして自分を壊してしまう。

 

 
何もできない自分」でも「幸せ」はつかめるのだと信じたとき、やさしさが生まれる。

自分にかけているところを認めることで、やさしさが生まれる。

満足すると、人はやさしくなる。

やさしい人には相手を認めることができる心のゆとりがある

 
やさしい人は、「相手を認めることができる」思考に満足をする。けして相手を愛してはいない。偽善だとはわからない。

 

あなたのやさしさは・・・酷だわ。

 

愚図は善行を大いに悩む。

前進しようとすると未だに何もしていないのに気持ちが高揚する。
その気持ちが何もしていないうちに失速すると落ち込む。

愚図はたいてい希望に満ちている。

「今度ははうまくいきそうだ」と思っている。
「いつかはじめられる」と思い込んでいる。

すぐに取り掛かろいうとしない。
そのうちに自分が愚図なことをネタにする。

愚図は他人の面倒を見ることによって自分の人生を有意義なものにしようとする。

だから希望に落ち込む。

 

なにもしないうちに挫折を繰り返しては非現実的な思い込みにしがみつく。

「自分は完璧でなければならない」

「その他?」

 

 

口を開けば、己のことばかり。

銭湯帰りの父子が横断歩道を渡った。

浴衣姿の娘は早足で歩く。

 

人生は何事をも為ぬには余りに長いが、何事かを成すには余りに短い。

Sの人生はあまりにも長かった。ひたひたと押し寄せる慢性的な空虚感が首を絞める。この変わらない息苦しい日常から逃れられないとあきらめたときに風景が反転した。

地震台風火事親父。親父の意見と冷や酒は後から効く。
人生いろいろ、仕事ぼろぼろ、酒と反省の日々。

 

あるきっかけで暗転する。

普段自信がないので、いざ何かを始めようとしても、じぶんにできるかなと、不安になってしまう。

ぽかりとあいた胸の向こう側から何度も声が聴こえてくる。

「そんなへまをやらかさないうちにやめとけ、でしゃばるな」

 

 


空しさ

2015年12月13日 | ま行

渋滞にはまった。体の芯からしびれてくる。知らず知らずにペースが速くなってて来ていた。そこに意外な状況が起きると冷や汗が出る。

自分の言葉で語り、書かぬ限り、空しさはついてまわります。

自覚された自分の意志で、自分の人生を歩むことが、いかに難しいか、またいかに大切であるかを悩みもせずに行動するから、すべてが空しくなるのです。

しかも、この空しさを正しく充たそうともせずに本能のままに刹那的な衝動心につきあげられて無目的に行動するから自分でも収拾不能になるのです。

松原泰道「般若心経入門」


自らの言葉で語れない。先人の言葉を唱えても自覚できない。いつも痛い目にあって自分の腑に落ちていかない。

わが人生には・・・吐き気がついてまわる。

 

自分のペースを保持しましょう。


もの

2015年11月12日 | ま行

無意識の力=心のもの的側面

いざ頭に浮かぶことを何でもそのまま話そうとしても、一向に頭に浮かんだことをそのまま話すことができない。

自分の自由な意思の働き、意識的な心の働きをいかに奮い起こし、何とか思うとおりにやろうとしても、そのとおりにいかない。

自分の心の中にこの無意識の働きがあって、その無意識の働きに自分が圧倒されてしまう。

もの的な心、あるいは心の物性というのは自分の思うとおりにならない心が自分の心の中に存在している実感をいう。

自分を見つめるとは、もの的な心を見つめる点にある。

 

 


2015年04月07日 | ま行

道はひとつではない。

無限なる選択肢の中から自由に歩いてきた。

振り返れば、道は一本に見える。だが、それは結果であり、過ぎたることなのだ。

再び目の前には無限なる選択肢がひろがっている。


妄想

2014年12月15日 | ま行

 妄想の原因となるのは、自我(エゴ)が発する欲望です。

自分が肥大してゆく快感を追い求め、その果てに、あるものを得られず、またあることを失う。

ぽっかりと空いた胸の穴に風が通りぬけてゆく。

(それでも人生はつづく)


明確であること

2013年01月08日 | ま行

明確であるのに不確かな生活を送っている。

この世の生を受けた過去といづれ必ず死ぬという未来は明確である。

だが、現在がはっきりしていない。未来と過去が明確であるのに、現在が得られないのは、おかしい。

Sの人生は、目的もなくその日の気分と仲間に左右されて、あっちへふらふら、こっちにふらふらしている。

これじゃ人生に良いことはない。わかっちゃいるけどやめられない。

 

現在という只今に生かされている命を一体何に使うか。

 

何に、この命を燃やすか。

Sの使命とは、一体、何に命を使っていますか!?ということです。

Sは常に問いかけられている。

その見ざる聞かざる言わざるところから観じ命を使って答えなければいけない。

 

美しく、善く、真に行うことは気持ちの良いものである。

そうなりたい。


もっともっと

2009年09月03日 | ま行

 運命とギリギリに生きて、それを絶対的に正直に書き表すことは身をけずる。
 それを逃げて怠惰な生活があると言えないではない。
 いつか書くべきときがくるかもしれない。怠けているという後ろめたさが書きたい気持ちを抑えている必要はないのだ。
 もっともっと正直に大胆に物を考え、たえず表すことだ。


 日々の労働に大部分の気力、体力を使ってしまう。 帰宅しても何もやる気が起きない。
 精神的にも身体的にも鍛錬が足りない人間であるために、どれだけの愛を受けてきたか・・・わからなかった。


 時に、愛のない生活だ思い込み、あなたに傲慢になる。時に、愛を求め、あなたに独りよがりになる。自分は何と耐えることが足りないのか。あなたと向き合うことができなかった。あなたの後ろ姿だけしか思い出せない。
 
 どうか、もっとじっと耐えることができるようになりたい。
 どうか、もっとみんなに対して感謝深くあり得たい。


 大宇宙に毎日お祈りをしよう。
 健康である身体を大事につかいたいと願うのだ。


 もっともっと低くなれ、もっともっと努めよ。
 そのためには、もっともっと信頼せよ。
 すべてを包み切ってしまうほど大きく、広く、深くなりたい。