yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

shiozyの介護生活をご紹介します

2008-08-22 23:49:21 | yaasan随想
 この献身的な介護があったから今がある!! 

親友・shiozyのブログと中国新聞の記事の一部を紹介しておきます。

実は彼の奥様・秀子さんが倒れられたと聞いた数日後私は広島近くに出張することになっていました。直ぐに病院へ飛んでいきました。とても今の奥様は想像だにできませんでした。それくらい彼は献身的に介護しました。その姿が実に豊かに語られています。

  『これがオヤジの生きる道』

  No01:はじめまして

  (2006年6月18日付、中国新聞Dの頁掲載)


  ↓↓紙面はこんな雰囲気ね。

  



 はじめまして、塩爺(しおじい)ともうします。

 こう書くと「なんやジジイかい」と

 お若い方からはつっこまれそうですが、

 やっと五十七歳です。

 田舎へ行けばまだまだ立派な青年団。

 とはいえ若い人の多い街場では

 やはりジジイには違いありません。

 ジジイであり青年団でもある。

 そんな中途半端な世代が

 われわれ団塊の世代なのかもしれませんね。


 さて、この欄のエッセーを担当するにあたって、

 気分はまさに「公園デビュー」の若ママさん。

 私の書いたものがすんなりみんなに溶け込めるかしらん。

 仲間はずれにされるんじゃないかしらん。

 しばらく公園の隅で小さくなっていようかしらん。

 いろいろ気をもむ心理状態でございます。


 デビューに際しては

 自己紹介から始めるのが世の習わしですが、

 そこでハタと考え込みました。

 これからつづっていこうと思う内容は

 「団塊おやじ、五十七年の来し方行く末を語る」

 といったようなエッセーになります。

 これってけっきょく自己紹介?

 なんだ、自己紹介のエッセーを書こうとしてるのか。

 初めて気づいたしだいです。


 ま、かっこよくいえば

 「団塊世代の生きざまを検証する」

 みたいになるのでしょうが、

 はたしてそんな格調高い文章が書けますかどうか、

 請うご期待。

 温かい眼差しで見守ってやってください。


 もともと私がこのエッセーを書くきっかけになったのは、

 ブログ(日記風サイト)に脳梗塞で倒れた妻の介護生活を

 書いていたからです。

 一般的に「介護」というと親の介護が直面する問題でしょう。

 それが私の場合、妻だった。

 ここから私の人生観・価値観がごろりと変わりました。

 仕事人間から家庭人間へ。

 「殴る夫」から介護する夫へ。

 百八十度の大転換でしたね。


 そんな経験が少しでもお役に立てればとの思いで、

 団塊おやじとしてのそれなりに波乱に富んだ人生模様と、

 青年団としてのこれからの生き方。

 つまり、過去と将来の話を

 「団塊・ブログ・介護」

 という切り口で語ってまいります。


     ●


 【読者につっこまれる前の自己採点:いいわけが多いぞっ】

 (団塊ブログおやじ・塩崎周司 廿日市市)



そしてこれが最終回です。

『これがオヤジの生きる道』 NO54 最終回


  ご愛読感謝

  妻ら主婦への贖罪込め


 (2007年6月24日付、中国新聞Dの頁掲載)



↓↓紙面はこんな雰囲気ね。







二十歳のころからずっと、

「おれの人生ナナメだなあ」と思いつつ生きてきた。

学生運動で逮捕され、大学も中退。

まともな会社に就職できるはずもなく、

それでも何とかもぐりこんだ会社では、

ストライキを起こした若い人たちに独立を迫られた。

以来、足かけ三十年、徒手空拳で事業をやってきた。


こんな「ナナメな生き方」が、

果たして「これがオヤジの生きる道」と言えるのか。

そのどこに普遍性があるというのか。

そんな不安を抱きつつ、このエッセーを書いてきた。


一方で、ちゃんと学校を卒業し、

それなりの就職を果たし、定年まで無事勤め上げた、

一見「順風満帆な生き方」にも、

長い人生、山もあれば、谷もある。

人はいや応なしに「ジグザグ」に

生きざるを得ないのではないか。


そう考えると、ナナメもジグザグも、似たようなものだ。

そんな開き直りの気持ちもあった。

つまり、不安と開き直り、

この両てんびんを行ったり来たりしながら

書いてきたように思う。


このエッセーが掲載されている紙面は、

団塊スクエア「Dのページ」と名づけられている。

今年から始まった「団塊世代の大量退職」に向けて、

同世代の男性陣にメッセージを送りたいと思ったが、

読者さんは圧倒的に女性だった。


妻の秀子は「未届けの妻」である。

婚姻届は出していない。

それはお互い覚悟の上の選択であったが、

それならもう少しねぎらってやればいいものを、

「仕事一筋」という口実のもと、

家庭を顧みない亭主だった。


妻の介護で主夫となった私には、

主婦の気持ちが良くわかるようになった。

それは、「家庭から社会を見る」視点ができたからであろう。

妻の秀子への贖罪(しょくざい)の気持ちを込めて、

主婦読者さんたちに何がしかのことを伝えたいと思った。


何がしかのこと、

それは「ありがとう」という気持ちかもしれない。

このエッセーが、ナナメやジグザグに生きた団塊世代諸氏の

「ありがとう」の代弁になったのならうれしいのだが。

評価は読者さんにお任せしよう。


最後に、イラストを描いていただいた野坂健三郎さんに感謝です。

妻の秀子のお気に入りでした。

読んでいただいた皆さま、一年間のご愛読ありがとうございました。


おわり


     ●


【秀子もひと言…は、はずかしかったけど、ありがとう】

(ブログ「Shiozyの介護生活」運営者=廿日市市)


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