今日は定期診察の日でした。
大体1ヶ月に一回の間隔で薬の効き具合や病状の変化をチェックしてもらっています。
ま、直ぐに治るものでもなく、かといって直ぐに悪化してどうなるものでもなく、寿命が先か、病が先かという病気です。きっと前者でしょう。この病が原因で死ぬことは先ずありませんので。
でも病名が固定できるまではそれなりに不安でした。何せ病院を三軒ははしごしましたから。1軒目の先生は京都でもそれなりの権威のようですが、ほとんど何も説明してくれなくて、この薬を飲めばいい!とただそれだけでした。二軒目は専門医がいないところなので別の医院を紹介して頂くために行ったのですが、これが予想外に親切で、あらゆる可能性を検討してその結果、この病院がいいのではないかと言うことで紹介頂きました。
ただ、その病院は大病院で、先生がたくさんおられて、私の関係の免疫関係だけで15人くらいおられる。どの先生がいいのかはさっぱり判らない。そんな中で受診するのです.クジみたいなものですね。
先生曰く、
「あんたの病気の原因なんかわかるわけがない!!」世の中の病気なんて原因がはっきり判るものはないんだ」と断言する。
「そもそも病気のほとんどは原因なんかわからないから、いろいろ薬を試して手探りでやるんだ。」という。
それを聞いて、なんぼこの分野では最先端の病院と言ってもこの先生じゃダメだ!と思ってしまった。余り医者の梯子はしたくなかったので、最初から、以前免疫不全で罹った京都の病院を訪ねたのだが、どうも、最初からボタンの掛け違いだったようだ。少し分野が違うと医者も様々。その結果3軒も訪ねて、これで症状が出てから半年が経った。
「どうしよう?」と悩んでいる時、いつも行く病院に免疫の専門の先生が臨時できているという、ダメ元で一回行ってみようと言うことで伺った。
この先生がとっても変わった先生で、いろいろ話を聞いてこられるのです。
「なんでこんなに病院を代わったんや?」
「病院は代われば代わるほどそのデータが引き継がれないからまた一から検査することになり患者にとっては損なんじゃ。」
「だいたいなんでこの病院とこの病院へ行ったんじゃ?先生は誰じゃ?わしは関西のこの関係の医者なら全部しっとるから言うてみー。」
最初からこんな調子なのです。
(久しぶりに会話のできるお医者さんに会ったな!これだけ説明してくれる医者はこの間全くいなかった!!これは受診してみる価値が大いにあるな!・・・こんな印象だった。)
診察が終わってドアーを開けようとすると、
「あんなー、あんたインターネットするやろう?帰ったらな、わしの名前検索に打ってみ!直ぐに一杯記事が出てくるわ。それ見てから次来るかどうか決めや」
何とも変わった最後の言葉だった。
(決めた!!このお医者さんに賭けよう!)
内心ワクワクしながらネットの画面を眺めた。予想通り、とても素敵な気骨ものだった《失礼!!》
何でも勤務している大学の理事長と馬が合わないらしく、懲戒免職になり、その裁判中だというのである。何とマー予想以上の気骨ものですなー!(ウフッツ、ついほくそ笑んでしまった。)さらにいろいろ見ていくとこの先生を支援する患者さんやお医者さんの会があって、そのHPには山ほどの先生の患者さんに対する思いやりのある、そして治療効果のある診察の姿が紹介されていた。
大正解!!
以来3ヶ月、少しずつ症状が改善されてきている。
今日も、診察の合間に、
『あなたは考古学やっていると言うが、何時代の専門?』と聞かれる。
『奈良、平安時代の都で、平城、長岡、平安京の研究をしてます』と答えると
『長岡京なんてホンマにあるの?』という。
『23年間掘ってましたからありますよ』(何なら案内しましょうか?と言おうと思ったところで話題が変わった。残念)
こんなに医師と考古学の話しをするのは15年ぶりだった。
ちょうどその頃、私は以前から罹っていた職場に近いところにあった味田医院を家庭医としてお世話になっていた。家族中、いや、周辺の知り合いみんなが尊敬する先生だった。だから日頃から、診察の合間に、今何してる?この前のあれはどうだった?等とたわいのない世間話を一杯していたのです。そんなある日、ある遺跡の保存運動をやることになり、あちこちに署名をお願いしていた。「ひょっとして味田先生に頼んだら協力してくれるかも?」そんな期待の下、話題を振ってみると直ぐに快諾して頂き、署名用紙を手渡すと次週にはあっと言う間に数百名の署名を集めて下さった。それどころか、医院の受付に置いておいて。私が患者さんに署名を頼むから、と仰って下さったのです。次週にはまた数百名の署名を渡して下さいました。本当にあの時は嬉しかったのです。
そんなある日、噂で悲しい話を聞きました。
「先生がとても重い病気に罹られていて、人生の最期に自分のしたいことがあるので医院を閉められる。」
本当に悲しい、悲しい話しでした。その通り、その数日後には医院には閉鎖の張り紙がされていました。
もう二度とこんなお医者さんには会えないな、と諦めていましたが、今回、その期待を抱かせるとても素敵な先生にお会いすることができました。感謝!です。
病は気から、と言いますが、薬を出すだけのお医者さんの余りに増えた今日、もう少し人間らしい先生が増えて欲しいな、と思う人はこいつをポチッと押して下さいね→
大体1ヶ月に一回の間隔で薬の効き具合や病状の変化をチェックしてもらっています。
ま、直ぐに治るものでもなく、かといって直ぐに悪化してどうなるものでもなく、寿命が先か、病が先かという病気です。きっと前者でしょう。この病が原因で死ぬことは先ずありませんので。
でも病名が固定できるまではそれなりに不安でした。何せ病院を三軒ははしごしましたから。1軒目の先生は京都でもそれなりの権威のようですが、ほとんど何も説明してくれなくて、この薬を飲めばいい!とただそれだけでした。二軒目は専門医がいないところなので別の医院を紹介して頂くために行ったのですが、これが予想外に親切で、あらゆる可能性を検討してその結果、この病院がいいのではないかと言うことで紹介頂きました。
ただ、その病院は大病院で、先生がたくさんおられて、私の関係の免疫関係だけで15人くらいおられる。どの先生がいいのかはさっぱり判らない。そんな中で受診するのです.クジみたいなものですね。
先生曰く、
「あんたの病気の原因なんかわかるわけがない!!」世の中の病気なんて原因がはっきり判るものはないんだ」と断言する。
「そもそも病気のほとんどは原因なんかわからないから、いろいろ薬を試して手探りでやるんだ。」という。
それを聞いて、なんぼこの分野では最先端の病院と言ってもこの先生じゃダメだ!と思ってしまった。余り医者の梯子はしたくなかったので、最初から、以前免疫不全で罹った京都の病院を訪ねたのだが、どうも、最初からボタンの掛け違いだったようだ。少し分野が違うと医者も様々。その結果3軒も訪ねて、これで症状が出てから半年が経った。
「どうしよう?」と悩んでいる時、いつも行く病院に免疫の専門の先生が臨時できているという、ダメ元で一回行ってみようと言うことで伺った。
この先生がとっても変わった先生で、いろいろ話を聞いてこられるのです。
「なんでこんなに病院を代わったんや?」
「病院は代われば代わるほどそのデータが引き継がれないからまた一から検査することになり患者にとっては損なんじゃ。」
「だいたいなんでこの病院とこの病院へ行ったんじゃ?先生は誰じゃ?わしは関西のこの関係の医者なら全部しっとるから言うてみー。」
最初からこんな調子なのです。
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「あんなー、あんたインターネットするやろう?帰ったらな、わしの名前検索に打ってみ!直ぐに一杯記事が出てくるわ。それ見てから次来るかどうか決めや」
何とも変わった最後の言葉だった。
(決めた!!このお医者さんに賭けよう!)
内心ワクワクしながらネットの画面を眺めた。予想通り、とても素敵な気骨ものだった《失礼!!》
何でも勤務している大学の理事長と馬が合わないらしく、懲戒免職になり、その裁判中だというのである。何とマー予想以上の気骨ものですなー!(ウフッツ、ついほくそ笑んでしまった。)さらにいろいろ見ていくとこの先生を支援する患者さんやお医者さんの会があって、そのHPには山ほどの先生の患者さんに対する思いやりのある、そして治療効果のある診察の姿が紹介されていた。
大正解!!
以来3ヶ月、少しずつ症状が改善されてきている。
今日も、診察の合間に、
『あなたは考古学やっていると言うが、何時代の専門?』と聞かれる。
『奈良、平安時代の都で、平城、長岡、平安京の研究をしてます』と答えると
『長岡京なんてホンマにあるの?』という。
『23年間掘ってましたからありますよ』(何なら案内しましょうか?と言おうと思ったところで話題が変わった。残念)
こんなに医師と考古学の話しをするのは15年ぶりだった。
ちょうどその頃、私は以前から罹っていた職場に近いところにあった味田医院を家庭医としてお世話になっていた。家族中、いや、周辺の知り合いみんなが尊敬する先生だった。だから日頃から、診察の合間に、今何してる?この前のあれはどうだった?等とたわいのない世間話を一杯していたのです。そんなある日、ある遺跡の保存運動をやることになり、あちこちに署名をお願いしていた。「ひょっとして味田先生に頼んだら協力してくれるかも?」そんな期待の下、話題を振ってみると直ぐに快諾して頂き、署名用紙を手渡すと次週にはあっと言う間に数百名の署名を集めて下さった。それどころか、医院の受付に置いておいて。私が患者さんに署名を頼むから、と仰って下さったのです。次週にはまた数百名の署名を渡して下さいました。本当にあの時は嬉しかったのです。
そんなある日、噂で悲しい話を聞きました。
「先生がとても重い病気に罹られていて、人生の最期に自分のしたいことがあるので医院を閉められる。」
本当に悲しい、悲しい話しでした。その通り、その数日後には医院には閉鎖の張り紙がされていました。
もう二度とこんなお医者さんには会えないな、と諦めていましたが、今回、その期待を抱かせるとても素敵な先生にお会いすることができました。感謝!です。
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