これまでまるで神社のように真っ白な世界で知られた亀山市歴史博物館常設(企画)展示!
ナナナント、この度新装大改修オープンとなったらしい。
先頃,館長の亀山隆さんからメールを頂き、その変身ぶりにびっくり仰天。なんといってもこれまでの同博物館は「古文書館」。どうも近世史の古文書大好きオタクが学芸員でいると、古文書を並べまくりたがる。古文書もとても大事な文化財なのだから、それを展示するなとは言いませんよ。だけど古文書を市民のみなさんが全部読めるわけでもないのに、所狭しと並べまくる。読めて当たり前!!と言う姿勢なのだ。古文書がスラスラ読める人でも博物館の展示ケースの中の古文書を読むのは相当辛いはずだ。しかし、大体言っても聞かない!!のが一般的だ(亀山の方々が真面目であることはよく知ってますよ。とても熱心な研究者なんです。だけど、博物館は研究だけをするところではない。資料を一般の方々に公開し、その意義を知らせる義務もある。特に公共機関が建設した博物館はそれが不可欠だ。)
先頃朝日新聞が「ハコモノ列島限界」とデカデカと一面トップに記事を持ってきて博物館の現状と課題の特集記事を連載した。その主張の基本は無責任な自治体の箱を造って人を入れない姿勢の批判にあるのだが、一方で、博物館に所属する人々(学芸員だけではない)の経営意識の欠如も指摘している。
私はこの記事を読んで、直ぐに学生に配り、その感想を求めた。
もちろん興味を持って受講している学生だから、みなさん異口同音にその事態を嘆いた。
しかし私は敢えて一言追加した。
「その責任の一端は学芸員にもある!」と。
つまり、公共博物館であることにあぐらをかいて、学芸員が学芸員としての仕事を放棄するのだ。何もしないなら直ぐに飛ばされるのだが、そうでないところが悲劇なのだ。
たいていの学芸員は、自分の興味のある分野にのみ熱中し、それ以外のことをしなくなるのである。まるでそれが権利であるかの如く誤解して。もちろんそうした学芸員の興味を極一部で支える市民を巻き込んで。之も質が悪い。
「そんな展示、見に来るものおらへんがな!!」と言いたいのであるが、しかし、ほとんどのオタク学芸員はそんなこと聞く耳持たないのだ。
隅から隅までずずずいと・・・自分の好きなものを好きな者にしか判らない方法で並べまくるのである。だから「古文書館」には真っ白な紙の絨毯の世界ができあがるのである。さらにさらに、壁面にまれに解説がパネルにして置かれるのだが、これがまた文字だらけ。明らかに博物館の私物化である。そんなに古文書と戯れたかったら自分で博物館でも建てて古文書大好き人間と楽しめばいいのに。そこまでの度量はない!!
私の元所属していた資料館もこの古文書病に冒されて今はすっかり古文書講習会場に化している。
折角苦労して造った資料館だが、結局学芸員が学芸員として機能しなければ「無用のハコモノ」と化し、つぶされるのが落ちなのである。
(お断りしておきますが、古文書を展示するなとは言いませんよ。古文書だけでも工夫すればとても判りやすい地域の歴史を語る材料になることは25年も前にやった先の資料館での「よみがえる古代の文字展」(1986年)で実証済みなんです。要するにできるだけ多くの人に理解してもらうにはどの様な工夫が必要なのかを真剣に考えれば、「文字」だけでも十分伝えることができるのです。
ところでこの古文書病に勇敢にも断固立ち向かった??のが昨年から館長になられた名前まで市を背負っていらっしゃる亀山さんなのである(笑)。
その展示の様子は博物館のHP に詳しいが、許可をもらってここでも紹介しておこう。
常設展示にまで名前がついて・・・・
「胸が土器土器。」 ~考古学はおもしろい~
日本考古学の礎を築いた坪井正五郎は、『遺跡にて 良き物得んとあせるとき心は石器(急つき)胸は土器土器(ドキドキ)』と戯れ歌を詠んでいます。坪井さんはどうして胸がドキドキしたのでしょうか?土器や石器を見つけることがそんなに楽しいでしょうか?今回の展示は、土器や石器を観察する楽しさがテーマです。
なんと言っても本邦初公開!釣鐘山古墳の組み合わせ式石棺が見もの。
弥生時代の亀山は近江と伊勢湾岸との間にあってとても興味深い様相を呈していますよ。これは現在市史の関係で地蔵僧遺跡の土器を整理中。初源期の「s」字型甕が面白い様相を呈しています。
古墳時代ではこの木下古墳の埴輪群がよく知られています。我が大学に所蔵されているものが1年間里帰りです。亀山市に全部戻そうかしらと思っています。
そしてもちろん鈴鹿関の資料もしっかり展示されています。
近世亀山城関係の資料もばっちり。
正直言って土器ばかりで我々考古学のものでも少々疲れそうですが、ま、これまでの真っ白、2次元世界に比べればようやくまともな博物館として進み始めたかな、というところ(失礼!)。できれば少し他の資料、例えば鈴鹿関なら立体模型を一緒に並べるとか、3Dの画像を流すとか、もう一押し工夫が欲しいところではある。ま、これからボチボチ修正されて行かれることだと大いに期待している。
亀山市の博物館にようやく夜明けが近づいてきた!!
そうしたところを新一年生のオリエンテーションセミナー「博物館学芸員をめざそう!!」でしっかり見させ、批評させようと、7月10日には学生と訪れて博物館の評価と学芸員の仕事をチェックすることにしている。
どんな感想を出してくれるか大いに楽しみである。
みなさんも、是非、新装の亀山市歴史博物館へお立ち寄り下さい。
行ってみようかなと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→
ナナナント、この度新装大改修オープンとなったらしい。
先頃,館長の亀山隆さんからメールを頂き、その変身ぶりにびっくり仰天。なんといってもこれまでの同博物館は「古文書館」。どうも近世史の古文書大好きオタクが学芸員でいると、古文書を並べまくりたがる。古文書もとても大事な文化財なのだから、それを展示するなとは言いませんよ。だけど古文書を市民のみなさんが全部読めるわけでもないのに、所狭しと並べまくる。読めて当たり前!!と言う姿勢なのだ。古文書がスラスラ読める人でも博物館の展示ケースの中の古文書を読むのは相当辛いはずだ。しかし、大体言っても聞かない!!のが一般的だ(亀山の方々が真面目であることはよく知ってますよ。とても熱心な研究者なんです。だけど、博物館は研究だけをするところではない。資料を一般の方々に公開し、その意義を知らせる義務もある。特に公共機関が建設した博物館はそれが不可欠だ。)
先頃朝日新聞が「ハコモノ列島限界」とデカデカと一面トップに記事を持ってきて博物館の現状と課題の特集記事を連載した。その主張の基本は無責任な自治体の箱を造って人を入れない姿勢の批判にあるのだが、一方で、博物館に所属する人々(学芸員だけではない)の経営意識の欠如も指摘している。
私はこの記事を読んで、直ぐに学生に配り、その感想を求めた。
もちろん興味を持って受講している学生だから、みなさん異口同音にその事態を嘆いた。
しかし私は敢えて一言追加した。
「その責任の一端は学芸員にもある!」と。
つまり、公共博物館であることにあぐらをかいて、学芸員が学芸員としての仕事を放棄するのだ。何もしないなら直ぐに飛ばされるのだが、そうでないところが悲劇なのだ。
たいていの学芸員は、自分の興味のある分野にのみ熱中し、それ以外のことをしなくなるのである。まるでそれが権利であるかの如く誤解して。もちろんそうした学芸員の興味を極一部で支える市民を巻き込んで。之も質が悪い。
「そんな展示、見に来るものおらへんがな!!」と言いたいのであるが、しかし、ほとんどのオタク学芸員はそんなこと聞く耳持たないのだ。
隅から隅までずずずいと・・・自分の好きなものを好きな者にしか判らない方法で並べまくるのである。だから「古文書館」には真っ白な紙の絨毯の世界ができあがるのである。さらにさらに、壁面にまれに解説がパネルにして置かれるのだが、これがまた文字だらけ。明らかに博物館の私物化である。そんなに古文書と戯れたかったら自分で博物館でも建てて古文書大好き人間と楽しめばいいのに。そこまでの度量はない!!
私の元所属していた資料館もこの古文書病に冒されて今はすっかり古文書講習会場に化している。
折角苦労して造った資料館だが、結局学芸員が学芸員として機能しなければ「無用のハコモノ」と化し、つぶされるのが落ちなのである。
(お断りしておきますが、古文書を展示するなとは言いませんよ。古文書だけでも工夫すればとても判りやすい地域の歴史を語る材料になることは25年も前にやった先の資料館での「よみがえる古代の文字展」(1986年)で実証済みなんです。要するにできるだけ多くの人に理解してもらうにはどの様な工夫が必要なのかを真剣に考えれば、「文字」だけでも十分伝えることができるのです。
ところでこの古文書病に勇敢にも断固立ち向かった??のが昨年から館長になられた名前まで市を背負っていらっしゃる亀山さんなのである(笑)。
その展示の様子は博物館のHP に詳しいが、許可をもらってここでも紹介しておこう。
常設展示にまで名前がついて・・・・
「胸が土器土器。」 ~考古学はおもしろい~
日本考古学の礎を築いた坪井正五郎は、『遺跡にて 良き物得んとあせるとき心は石器(急つき)胸は土器土器(ドキドキ)』と戯れ歌を詠んでいます。坪井さんはどうして胸がドキドキしたのでしょうか?土器や石器を見つけることがそんなに楽しいでしょうか?今回の展示は、土器や石器を観察する楽しさがテーマです。
なんと言っても本邦初公開!釣鐘山古墳の組み合わせ式石棺が見もの。
弥生時代の亀山は近江と伊勢湾岸との間にあってとても興味深い様相を呈していますよ。これは現在市史の関係で地蔵僧遺跡の土器を整理中。初源期の「s」字型甕が面白い様相を呈しています。
古墳時代ではこの木下古墳の埴輪群がよく知られています。我が大学に所蔵されているものが1年間里帰りです。亀山市に全部戻そうかしらと思っています。
そしてもちろん鈴鹿関の資料もしっかり展示されています。
近世亀山城関係の資料もばっちり。
正直言って土器ばかりで我々考古学のものでも少々疲れそうですが、ま、これまでの真っ白、2次元世界に比べればようやくまともな博物館として進み始めたかな、というところ(失礼!)。できれば少し他の資料、例えば鈴鹿関なら立体模型を一緒に並べるとか、3Dの画像を流すとか、もう一押し工夫が欲しいところではある。ま、これからボチボチ修正されて行かれることだと大いに期待している。
亀山市の博物館にようやく夜明けが近づいてきた!!
そうしたところを新一年生のオリエンテーションセミナー「博物館学芸員をめざそう!!」でしっかり見させ、批評させようと、7月10日には学生と訪れて博物館の評価と学芸員の仕事をチェックすることにしている。
どんな感想を出してくれるか大いに楽しみである。
みなさんも、是非、新装の亀山市歴史博物館へお立ち寄り下さい。
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