(壬申の乱ウオークは年4回実施することにしました。春秋夏冬の各季節毎に原則第2土曜日に開催します。次回も決まりました。2006年2月12日(日)です。次回は前日の11日に第4回の久留倍遺跡シンポをやりますので連チャンです。歩くコースは朝明郡です。縄生廃寺から志で神社古墳くらいを考えています。岡田説の海蔵川にも行ってみたいですね。)
実は昨日の三大学研究会に間に合わなかった理由がもう一つあるのです。実は半年ほど前に亀山市(旧関町域)で発見された古墳を見に行っていたからなのです。その具体的場所はまだ言えません(既に破壊されている古墳ですが、世の中こんな話を聞くと直ぐ掘りに行くやからがいるから)が、余り期待せずに行ったのですが、行ってびっくり見てびっくり。ナナナント全長10m近くある横穴式石室を持つ円墳なのです。円墳の規模は測ってみないと分かりませんが、おそらく20mはあるでしょう。花崗岩の中型の石を小型の礫をハサミながら構築しているようで、天井石の一部が上端の石に掛かったまま折れている様子がうかがえますから、今見えているのが最上部だと思われます。おそらく石室の高さは3m近くになるのではないでしょうか。破壊されていますが、いつ中に土砂が入ったかによって、遺物の残存が期待されます。
石室は右肩袖で、袖石はかなりしっかりしています。物集女車塚と同じ程度の石室ではないかと思われますので、時期もその頃ではないでしょうか。ご存じのように亀山市には井田川茶臼山という伊勢最初の横穴式石室を持つMT15型式の須恵器の時期の古墳があります。今回の古墳はそれに続く時期の可能性のある古墳で、関地域最古の横穴式石室である可能性が大変高いと思われます。
それがしっかりした右肩袖の横穴式石室ですからさらに興味が湧きます。これまで、井田川に連続する古墳がよく分かっていなかったからです。私はこの古墳が伊勢と王権を直結したキーポイントの人物の墓だと思います。
私は今亀山市史の委員なので、同じく委員の菱田さんと一緒にまず測量しようと思います。来年辺りには発掘もしたいものです。きっと来年の今頃から後、関から目が離せませんよ。実はもう一つ、これは鈴鹿の関がらみで大発見があるのです。これはまだ現在資料を集めているところなので内緒!
やっとやっと鈴鹿関が姿を現しましたよ!もちろん、これも亀山市史で掘りますよ。
(早く掘りたいな!この古墳!!それも三大学のみんなで合宿しながら・・・)
今しばらくは亀山市史の活動から目が離せません。但しお願いがあるのです。鈴鹿関に興味がある方は是非分布調査に参加してほしいのです。余り大したお金は出せませんが、遺跡は一級品ですよ。興味のある学生さん大集合!僕の携帯に電話するか、三重大の電話に留守録しておいて下さい(059-231-9148)。
なお、古墳の方は三大学ジョイント調査にしたく思っています。もちろん他大学できちんと対応してくれるのなら参加は拒みません。この件についてはまたこのブログを通じてご連絡します。
それにしても、病み上がりの徹夜明けの山登りは堪えました。きっとこの疲れもああって、昨夜は酔ったのかも知れません。
あ、そうか、もう一つ要因がありました。実は昨夜懇親会の席で嬉しい学生に会いました。奈良女の院生で、木簡の製作技法をやっているというのです。それも中世の杮経の製作技法だというのです。
エッツ!杮経の製作技法?一瞬耳を疑いました。でも話を聞くとあの薄っぺらい板の製作技法に時期差があるというのです。すごい!!と思わず手を打ちました。早く論文にしなさい!と偉そうに言っておきました。何でも奈良大の東野さん所にいた学生らしく、大学院は奈良女にしたというのです。
奈良女の特に、外から来た学生は個性とパワーがありますね。羨ましい!!うちにレンタルしてくれればいいのに。彼女も『延喜式』に誘おうかな?早く論文になることを祈ってます。それこそ『木簡研究』に書けばいいのに。それでもって、この頃またまた木簡研究が文字に偏っているのを何とか是正しなければ!がんばれがんばれFRさん!
『木簡研究』だなんて、そんなことを言っていただけるようなものではないのですが、今は更に、卒論の後、少し行き詰っているところです。懇親会でお願いしましたように、もしご迷惑でなければ、卒業論文を送らせていただき、ご指導いただければと思っております。
木簡の製作技法が相変わらず大好きですので、修論もその方向で進めたいと思っております。ご迷惑とは存じますが、どうぞよろしくご指導のほど、お願い申し上げます。
奈良女 FR
もちろん私でよろしければ拝見させて頂きたく思います。指導なんてできませんが、若干のコメントくらいなら言えるかも知れません。
但し、私は11月27日から12月9日までヴェトナムに行きますので、直ぐには拝見できません。大学の方に送っておいて下さい。
〒514-8507 津市栗真町屋町1577 三重大学人文学部
です。