yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

伊勢の古代遺跡と昼河古墳を訪ねて最終回報告の条

2010-05-05 08:00:00 | 三重大学考古学研究室情報
 伊勢の古代遺跡と昼河古墳を訪ねてもいよいよ最終回である。



 伊勢の家々にはこうした「蘇民将来札」があちこちに架かっている。伝統的祭祀行為は営々と続いている。

 外宮をさっと見学した後、市内バスで内宮に向かった。10分おきに運行されており、とても便利なのだが、とても高い。内宮までの10分足らずが410円だった。ついでに言うと、内宮から二見浦(御塩殿神社に近いバスセンター)までもバスに乗った。これも高くて580円。ちょっと学生には可愛そうだった。



 3月の末に、卒業生が結婚して台湾に行くというのでささやかなお別れの宴を1泊2日でやったときに行ったばかりだった伊勢神宮内宮、この日は前の天皇の誕生日ということもあるのか、奇妙な服装の老人達や新興宗教らしき集団がうようよしていた。
 もう一度戦争をして大儲けしようと企んでいる奴らの思惑に載せられて、それこそもっとじっくり神社を眺めればいいのに。
 もちろん我々は掛け替えられたばかりの橋をじっくり観察した。



 この日は前日の雨で五十鈴川は激しく流れていた。



 私は以前から橋と交通に関心があり、論文も何本か書いたことがある。その過程で、橋の構造についても興味を持つことになり、世界各地を訪ねても橋を見ると直ぐ下からのぞき込みたくなるのである。そして、今は式年遷宮に合わせて伊勢神宮関連の橋が次々と架け替えられている。こんなチャンスは滅多にない。もちろん、架橋技術が古代から続いているとは思えないのだが、少なくとも木造橋架橋の一側面を知ることができる。



 そして嬉しかったのはこの伊勢神宮内宮への宇治橋を守る神様として置かれている、内宮とは道を挟んで反対側に鎮座する饗土橋姫神社を訪ねることができたことである。ナナナント、この橋姫神社も「式年遷宮」していたのである!



 なぜ橋が女性の神様なのかも興味深いが、とても可愛らしい社殿にその意味が込められていた。但し興ざめなのは社殿のすぐ前がタクシーの待機場になっていて、肝心の橋がよく見えないのである。商売のことばっかり考えてんともっと本来の「聖なる地」としての空間を大事にせんとな・・・・。



 何とか見えるでしょう。向こうの方の人だかり。これが五十鈴川に架かる宇治橋。



 そしてなんといっても私にとって嬉しかったのは、風日祈宮(かぜひのみのみや)に渡る橋が改修工事真っ盛りだったことである。既に橋脚が建ってしまっており、その基礎構造がどうなっているかは判らなかったが、橋板はまだはめられておらずそこから全体像を見ることができた。ラッキー!!





 確かにこんな状態なら二十年に一度くらいは建て替えないと橋脚も痛むはな!(今の全国に架かっている高速道路の橋、50年後に建て替える予算を考えているのかしら??)



 なるほど!宇治橋の真ん中に同様の出っ張りがあるのは真ん中の橋脚を受けるためなのだ。納得。

 

 橋の周辺にはかつて架橋時にお祭りをしたときのものであろうか、須恵器の甕片や銭貨が落ちていた。



 風日祈宮の本殿の鰹木も綺麗になっていた。



 本殿は大変な人だかりなので適当に見て遷宮の地を横目に大急ぎで神楽の会場へ。





 残念ながら神楽は丁度終わったところだったが、出演者達が目の前を通って帰って行くところに出くわした。



 独立棟持ち柱建物があちこちに。これも参考になるのだが、学生達は素通り。「おい、ちょっとちょっと、ここの建物もちゃんとみとかんと!!君たち何しに来たん?」とつい愚痴も。



 海老錠。私はこうした由緒のある神社や寺院を訪ねるときは見るポイントを決めている。一つが建物の構造。基礎から床、梁、天井、そのそれぞれの組み物がとても興味深いからだ。そしてもう一つが錠前。かつて発掘したことのある様々なタイプの錠前。以後必ず正倉院展ではチェックするのだが、こうした古い建造物でも必ず注意をする。



 さて内宮での橋探検を終えて、ようやく最終目的地昼河古墳群へ。バスの都合で先に二見浦にある御塩殿神社へ。4年生で若狭の製塩土器をやる学生がいるから是非これも見ておこうということで寄ったのである。



 御塩殿神社の裏にある鹹水(濃縮した濃い海水)を溜めておく小屋。御塩殿神社の祭りは毎年10月5日に開催されるのでそれまでは入ることができない。



 バスを乗り継ぎ乗り継ぎ、やっとの思いでやってきた昼河古墳群。ところが・・・。な~んにもない!!看板すらない(そらそやろ、恥ずかしくて建てられんわな)。



 それにしても、この地にできている施設は高速道路といい、アリーナといい、そして目の前の広大な公園といい、みんな公共施設ばかり。どうしてそれなのに昼河古墳群は消されたの??信じられん!!
 これを目的にやってきた院生はがっくり!!

 昼河古墳群は伊勢市を代表する古墳群。それもそんじょそこらにあるものではなく、横穴式木室墓という、日本でも極めて珍しい葬法をとったお墓である。石で造るのがあたりまえの当時の遺体埋葬室を木を組んで作り、遺体を納めた後、火を付けて燃やしてしまうという非常に興味深い火葬の方法なのである。なぜ伊勢神宮のお膝元でこんな葬法が取り入れられたのか。そもそもこうした火葬の方法はどこから来たのか、どんな思想から来ているのか。課題とすべき事は山ほどあるのである。それをすっかり壊してしまって、有ったことすら伝えないというのはどういう事なのだろうか。訳のわからない公園を造るお金があるのなら、古墳を活かした公園造りをすればいいではないか。

 あまりの空しさに、折角の一日の充実した思いが一気に吹き飛んでしまい、疲れだけがどっと残った。帰りのバスではみんな声もなくただ眠った。

 伊勢の地は本当に奥深いのだが、どうもどこかボタンが掛け違われているように思えてならない。とても悲しい一日だった。

私も伊勢に!と思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。