yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

比較都城研-2  悲しくて、恥ずかしい日本の史蹟の条

2007-11-28 01:45:22 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
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近江路をご紹介する前に不愉快な話を先にしておこうと思う。
これをご覧下さい。



或いはもう慣れっこになっているかも知れませんね。それがまた恐ろしい!
これは国の史跡(他の文化財で言うなら重要文化財)近江国府跡に復原された施設内部のパネルの横の空間にされた落書きです。
なんの目的で、何が嬉しくてこんなことをするのか、私にはさっぱり理解できません。同じ施設の床には火を焚いた跡まであります。休みの日か夜にやってきてやるんでしょうね。
そんな子供の親は何をしてるんですかね。或いは塾にでも通っていると思っているんですかね。



夕闇迫る近江国庁を見学しました。なぜかいつも近江国庁に行くと暗くなってしまって、まともな写真が撮れないんです。悲しい!!



(これが落書きと焚き火の行われた復原施設です。まだ一年しか経っていないらしいんですよね。)

もちろん落書きする奴が悪いに決まっているんですが、この遺跡も何時行っても人がほとんどいない。せっかくのものが活かされていないような気がするんです。どこぞの大学で観光学部を設立すると言うんですが、観光が余りに商業ベースになってしまっていて、見に来る人の心もすさんでいるように思います。これでは観光が害になるとしか言いようがないんです。

本当の意味で観光学を教えるとするなら、こうした落書きや焚き火の横行する、ペンペン草が生えて人の来ない遺跡をいかに活用するかではないでしょうか。

私はその第一の原則は地元の方の関心だと思っています。

地域に根ざさない上からの史蹟指定(地域の要望を無視した史蹟指定も含む)は結局破綻します。近江国府跡は地方の遺跡が国史跡になった早い事例です。早くから公有化され、整備も行われました。言ってみれば文化財保護の模範例として私達にとってはとても有名な遺跡なんです。でもそれがこんな状態だというのはとても悲しい思いがします。

恐らく県の教育委員会の方もそれぞれの文化財担当者の方も苦慮されていると思います。軽々には言えないのですが、なんとか地元の協力を得る方法を考えていかないと駄目だと思います。しかし、それもこの遺跡単独では無理だと思います。次回ご紹介する関津遺跡・国分寺・尼寺・保良宮など広範囲なネットワーク化が必要ではないでしょうか。これらを遊歩道で繋ぎ、車に邪魔されず、ゆったりと歩ける道を整備すること、場所によっては動く歩道も装備すればいい。もちろん日陰のできる並木を道には植える。こんな史蹟整備でいつでも気楽に散歩できる史蹟コースこそ落書きや、焚き火をなくす基ではないかと思いますがいかがでしょうか。

(日の落ちた近江国府東区の木製基壇を撮ってみました。何処かうら悲しそうでした。)


ついさっきまで卒論に行き詰まった学生の指導をしていました。あと二ヶ月を切ったというのに、まだ資料も十分集められていずに・・・。
でもま、これが最近の国立大学の学生の現実です。ただ、昔と違うのは、やたらと人に頼ることです。自分で責任が取れないようです。そこがちょっと悲しい!!

学生よ、人生一度の大事業だと思って頑張れよ、と思ったらランキングよろしくお願いします。


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