4月15日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグⅠ・Ⅲ」を見た(上演台本:須貝英、演出:小川絵梨子)。
ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキの代表作「デカローグ」十篇の物語を、新国立劇場が完全舞台化。
旧約聖書の十戒(ポーランド語でデカローグ)をモチーフに、オムニバス形式で人間の脆さと普遍的な愛を描くものだという。
今後3ヶ月にわたって上演するという大型プロジェクトだ。
この日は、そのⅠとⅢが上演された。
長くなるので、2回に分けて書きます。
大学の言語学の教授で無神論者の父クシシュトフは、12歳になる息子パヴェウと二人暮らしをしており、信心深い伯母イレナが父子を
気にかけていた。パヴェウは父からの手ほどきでPCを使った数々のプログラム実験を重ねていたが・・・。
舞台は集合住宅。右寄りに狭い部屋と3階まで続く階段。奥に巨大なスクリーン。2階左側にもスクリーン。
2階右側は階段。中央の部屋の前に開口部。
朝、息子パヴェウ(石井舜)が「パパ、パパ」と呼び、牛乳とパンをテーブルに置く。
鳩の鳴き声がするので子供は庭に出てパンくずをまく。
教会の鐘が鳴る。
父(ノゾエ征爾)が来ると、鳩たちは飛んでゆく。
二人は庭に出て腕立て伏せ。10回。
そして息子はパソコンの前に座り、父が出す計算問題を解く。
一人が家を出て時速〇キロで歩き出し、3分後にもう一人が時速△キロで追いかけると、何分で追いつくか。
息子がパソコンに入力した計算式が奥のスクリーンに現れ、答えが出る。
正解。
これが二人の朝のルーティーンらしい。
朝食をとるが、牛乳が腐っている。匂いを嗅いで二人とも「オエッ」。
子供「ねえパパ、死ってどういうこと?」
父は医学的な知識を語る。脳の機能が止まり、心臓が止まり・・。
だが子供が聞きたいのはそういうことではなかった。
子供「お葬式で、魂が安らかならんことを、って言うけど、パパは魂のこと言わないよね。信じてないの?
伯母さんは、魂はあるって」「そうだな・・」
「さっき、犬が死んでた。いつもお腹をすかしてた。かわいそうだった」「そうか・・」
子供は学校へ。
夕方、伯母(高橋惠子)が来る。父の帰りが遅い時は、彼女が来て夕食を食べさせるらしい。
夕食後、子供「人って何のために生きてるの?」
皿を洗っていた伯母は驚いて彼のところに来て彼を抱きしめ、「何を感じる?」
「温かい」
「そうね、それが生きてるってこと。人のためになることをするのが生きること・・」
父が帰宅すると、彼女は彼に、パヴェウを教会に連れて行きたいと言う。すでに神父さんに話してある。
あなたにも来てほしい、と言うと、クシシュトフは承諾する。
父は階段を上がり、2階のスクリーンを上げて講義を始める。
コンピューターについて。
「翻訳は難しい。特に詩は翻訳不可能だと言われている。
だがいつの日か、コンピューターの翻訳した T.S.エリオットの詩に君たちが涙する日が来るだろう」
時間が来たので、学生たちに来週までの課題を与え、明るく如才なく講義を終える父。
パヴェウの母は別のところに住んでいるらしい。
彼は両親からのクリスマスプレゼントのスケート靴を、ソファの下に発見する。
「湖でスケートしていい?他の子はしてるよ」
父はパソコンで氷の厚さを計算する。
ここ3日間の気温を入力すると、湖の表面の氷は1㎠あたり200㎏以上の重さに耐えられる、と出る。
父は慎重に、この計算を3回も繰り返すが、同じ結果が出る。
それで彼は息子にOKを出す。
プレゼントの靴を履く許可も出す。
息子は大喜び。
その夜、父は湖に行って氷の厚さ・固さを自分の足で確認する。
見知らぬ男=天使(亀田佳明)に見られて「やあ」と照れ笑い。
息子がトランシーバーで「パパ、今どこ?」
「そこにいると思った」
父親の息子を思う熱い気持ち、心配する心がよくわかり、伝わってくるが・・・。
次の日、辺りが騒がしい。
この日、息子は放課後、英語教室に行く予定だったが、それにしても遅い。
夕方4時になっても帰らず、他の子の親から電話や訪問があり、湖の氷が割れたらしい、子供が二人溺れた、と言われる。
父は、そんなはずはない!と強く否定するが、なら、自分で見て来たらいい!と反発される。
父が英語教室の先生に電話すると、今日は風邪気味なので、生徒はすぐ帰した、と告げられる。
あわてて伯母に電話すると、伯母もすぐに駆けつける。
パソコンの前に行くと、触ってもいないのに画面に I am ready という文章が繰り返し何度も出る。
父、伯母、隣人たちがこちらを向いて見守っていると、もう一人の子供の母親が大声で叫び出し、次に伯母が叫び声を上げて泣き伏す。
子供たちの遺体がヘリで吊り上げられたらしい・・。
一人になると、父は鉄筋の柱に頭を何度も打ちつけて嘆く。
地面に泣き伏していると、伯母が来て背中をさすり、二人抱き合って泣く。
上方にイコンのような絵が現れ、聖母の目から涙のような白い雫が垂れる。幕。
十戒の第1戒は「私のほかに神があってはならない」。
この戯曲は、それをモチーフにしているという。
父親が無神論者で、コンピューターの力を過信してしまったことから、愛する大切な一人息子の命を失うことになったということか。
だが、それではあまりに可哀想だ。
賢くて心優しい少年、未来ある少年の命。
彼を愛し、宝物のように大事に育てている父親と伯母だったのに・・。
シェイクスピアの「冬物語」に登場する哀れなマミリアス王子を思い出した。
この利発な少年は、父である王が、アポロ神の神託をわざわざ伺いに行かせたのに、届いた神託を認めず、アポロ神を冒瀆した直後に
突然死したのだった。平たく言えば、バチが当たったのだと思う。
だがこの話は、それとは違う。
見終わって強く心に残るのは、人々の愛の強さ、過酷な運命、人間をふいに襲う、耐えられないほどの悲しみ。
タイトルが「ある運命に関する物語」だし。
途中から勝手に動き出すパソコンが怖い。
胸締めつけられる話だ。
だがこれは連作の第1作目だし、10篇の物語はすべて独立していながら、壮大な一つの物語でもあるという。
だから、今後の物語とのつながりに注目していこうと思う。
ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキの代表作「デカローグ」十篇の物語を、新国立劇場が完全舞台化。
旧約聖書の十戒(ポーランド語でデカローグ)をモチーフに、オムニバス形式で人間の脆さと普遍的な愛を描くものだという。
今後3ヶ月にわたって上演するという大型プロジェクトだ。
この日は、そのⅠとⅢが上演された。
長くなるので、2回に分けて書きます。
大学の言語学の教授で無神論者の父クシシュトフは、12歳になる息子パヴェウと二人暮らしをしており、信心深い伯母イレナが父子を
気にかけていた。パヴェウは父からの手ほどきでPCを使った数々のプログラム実験を重ねていたが・・・。
舞台は集合住宅。右寄りに狭い部屋と3階まで続く階段。奥に巨大なスクリーン。2階左側にもスクリーン。
2階右側は階段。中央の部屋の前に開口部。
朝、息子パヴェウ(石井舜)が「パパ、パパ」と呼び、牛乳とパンをテーブルに置く。
鳩の鳴き声がするので子供は庭に出てパンくずをまく。
教会の鐘が鳴る。
父(ノゾエ征爾)が来ると、鳩たちは飛んでゆく。
二人は庭に出て腕立て伏せ。10回。
そして息子はパソコンの前に座り、父が出す計算問題を解く。
一人が家を出て時速〇キロで歩き出し、3分後にもう一人が時速△キロで追いかけると、何分で追いつくか。
息子がパソコンに入力した計算式が奥のスクリーンに現れ、答えが出る。
正解。
これが二人の朝のルーティーンらしい。
朝食をとるが、牛乳が腐っている。匂いを嗅いで二人とも「オエッ」。
子供「ねえパパ、死ってどういうこと?」
父は医学的な知識を語る。脳の機能が止まり、心臓が止まり・・。
だが子供が聞きたいのはそういうことではなかった。
子供「お葬式で、魂が安らかならんことを、って言うけど、パパは魂のこと言わないよね。信じてないの?
伯母さんは、魂はあるって」「そうだな・・」
「さっき、犬が死んでた。いつもお腹をすかしてた。かわいそうだった」「そうか・・」
子供は学校へ。
夕方、伯母(高橋惠子)が来る。父の帰りが遅い時は、彼女が来て夕食を食べさせるらしい。
夕食後、子供「人って何のために生きてるの?」
皿を洗っていた伯母は驚いて彼のところに来て彼を抱きしめ、「何を感じる?」
「温かい」
「そうね、それが生きてるってこと。人のためになることをするのが生きること・・」
父が帰宅すると、彼女は彼に、パヴェウを教会に連れて行きたいと言う。すでに神父さんに話してある。
あなたにも来てほしい、と言うと、クシシュトフは承諾する。
父は階段を上がり、2階のスクリーンを上げて講義を始める。
コンピューターについて。
「翻訳は難しい。特に詩は翻訳不可能だと言われている。
だがいつの日か、コンピューターの翻訳した T.S.エリオットの詩に君たちが涙する日が来るだろう」
時間が来たので、学生たちに来週までの課題を与え、明るく如才なく講義を終える父。
パヴェウの母は別のところに住んでいるらしい。
彼は両親からのクリスマスプレゼントのスケート靴を、ソファの下に発見する。
「湖でスケートしていい?他の子はしてるよ」
父はパソコンで氷の厚さを計算する。
ここ3日間の気温を入力すると、湖の表面の氷は1㎠あたり200㎏以上の重さに耐えられる、と出る。
父は慎重に、この計算を3回も繰り返すが、同じ結果が出る。
それで彼は息子にOKを出す。
プレゼントの靴を履く許可も出す。
息子は大喜び。
その夜、父は湖に行って氷の厚さ・固さを自分の足で確認する。
見知らぬ男=天使(亀田佳明)に見られて「やあ」と照れ笑い。
息子がトランシーバーで「パパ、今どこ?」
「そこにいると思った」
父親の息子を思う熱い気持ち、心配する心がよくわかり、伝わってくるが・・・。
次の日、辺りが騒がしい。
この日、息子は放課後、英語教室に行く予定だったが、それにしても遅い。
夕方4時になっても帰らず、他の子の親から電話や訪問があり、湖の氷が割れたらしい、子供が二人溺れた、と言われる。
父は、そんなはずはない!と強く否定するが、なら、自分で見て来たらいい!と反発される。
父が英語教室の先生に電話すると、今日は風邪気味なので、生徒はすぐ帰した、と告げられる。
あわてて伯母に電話すると、伯母もすぐに駆けつける。
パソコンの前に行くと、触ってもいないのに画面に I am ready という文章が繰り返し何度も出る。
父、伯母、隣人たちがこちらを向いて見守っていると、もう一人の子供の母親が大声で叫び出し、次に伯母が叫び声を上げて泣き伏す。
子供たちの遺体がヘリで吊り上げられたらしい・・。
一人になると、父は鉄筋の柱に頭を何度も打ちつけて嘆く。
地面に泣き伏していると、伯母が来て背中をさすり、二人抱き合って泣く。
上方にイコンのような絵が現れ、聖母の目から涙のような白い雫が垂れる。幕。
十戒の第1戒は「私のほかに神があってはならない」。
この戯曲は、それをモチーフにしているという。
父親が無神論者で、コンピューターの力を過信してしまったことから、愛する大切な一人息子の命を失うことになったということか。
だが、それではあまりに可哀想だ。
賢くて心優しい少年、未来ある少年の命。
彼を愛し、宝物のように大事に育てている父親と伯母だったのに・・。
シェイクスピアの「冬物語」に登場する哀れなマミリアス王子を思い出した。
この利発な少年は、父である王が、アポロ神の神託をわざわざ伺いに行かせたのに、届いた神託を認めず、アポロ神を冒瀆した直後に
突然死したのだった。平たく言えば、バチが当たったのだと思う。
だがこの話は、それとは違う。
見終わって強く心に残るのは、人々の愛の強さ、過酷な運命、人間をふいに襲う、耐えられないほどの悲しみ。
タイトルが「ある運命に関する物語」だし。
途中から勝手に動き出すパソコンが怖い。
胸締めつけられる話だ。
だがこれは連作の第1作目だし、10篇の物語はすべて独立していながら、壮大な一つの物語でもあるという。
だから、今後の物語とのつながりに注目していこうと思う。
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