ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「京時雨濡れ羽双鳥」/「花子」

2022-04-09 17:55:41 | 芝居
3月24日俳優座5F稽古場で、田中千禾夫作「京時雨濡れ羽双鳥」と「花子」を見た(演出:森一)。



「花子」は1950年に俳優座で初演の作品、「京時雨濡れ羽双鳥」(きょうしぐれぬれはふたどり)は1952年、新派に書き下ろされ、
俳優座では今回初めての上演の由。

「京時雨濡れ羽双鳥」
京都の鴨川にかかる、とある木橋の下に住む大久保ゆき。
  彼女はここを自らの居と定め住み着いている。
戦前はある身分にあったのか言葉にも態度にも矜持がある。
    若い巡査下山が訪れ、立ち退きを迫る。
しかし大久保ゆきの手にかかりしたたかに転がされてゆく。
 巡査が去ると、盲目の男が女の子に手を引かれて現れる
     日暮れにも関わらず釣りをするという。
二人の会話が川風に乗って、ゆきにも聞こえてくる・・・(チラシより)

ト書きのような情景説明が、男の声で響く。
ゆき(安藤みどり)は橋の下に一人で住み、廃品回収業で生計を立てている。
夫はガダルカナルで戦死したので戦争未亡人だが、まだ床入りも済ませていないので娘のままだと言う。
若い巡査「下山君」(辻井亮人)はハーモニカで荒城の月を吹く。
二人は、人間に自由はあるか、女とは・・など哲学的な会話を交わす。
橋の上で若い男女が諍いしたりするのを、下でゆきと下山君は聴いている。
その後通りかかった盲目の男・望月三蔵(河内浩)は、始め、ゆきに対して頑なな態度をとるが、話すうちに、次第に心を開いていく。
戦争が、二人の人生を大きく変えてしまったのだった・・・。

「花子」
   水田が広がる地方の農家。
日暮れ前に、母がニワトリの「花子」に餌をやろうと呼んでいる。
 自分の食事を削ってまで花子に与え、丹精込めて育てている。
  ようやく花子が現れ、餌を啄んで鶏舎に戻って行った。
 そこに娘の「花子」が畑仕事から帰って来、晩飯をねだる。
     今夜は村の若衆たちと映画に行くと言う。
     野良着から着替え、若さの弾ける娘が、
   自慢でもあり、また心配でもある母であった・・・(チラシより)

飼っているめんどりと自分の娘の名前が同じ!
そして母(安藤みどり)は、両方に対してまったく同じ言葉と表現を用いて、深い愛情と、それゆえの心配を語る。
曰く「うちの花子(ニワトリ)は村一番の器量良し。丸々と太って色つやもよく・・・なのに卵を生まない」
また曰く「うちの花子(娘)は村一番の器量良し。よく働くし、丸々と太って色つやもよく・・・なのに婿取りをしない・・」
実に奇妙で不思議な味わいのある作品だ。
ニワトリと同様、健康で、はち切れんばかりの若さに溢れる娘(佐藤礼奈)は、母の心配を聞いても豪快に笑い飛ばす。
見ていて楽しいやらおかしいやら。
配られたプリントに、劇中、現在では差別用語となり不適切な表現があるが、オリジナルのまま上演する旨、注意書きがあった。
それはたとえば、娘が今で言うLGBTではないかと案じる母に対して、娘が「私はかたわではないわ!」と言い放つ場面など。
ドキッとしたが、確かにかつてはそういう認識が一般的だった。

独特の抑揚をつけて語られるセリフが面白い。
両作品共、能を元に書かれているので、リアリズムでなく様式的。

役者陣がみなうまい。
今の俳優座のレベルは高い。
老男優の困った人たちがなかなか引退しない、某老舗劇団より上かも知れませんぞ。
今回特に、安藤みどりという役者の力量に驚いた。



コメント
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