ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「デカローグ Ⅰ ある運命に関する物語」

2024-04-22 22:34:33 | 芝居
4月15日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグⅠ・Ⅲ」を見た(上演台本:須貝英、演出:小川絵梨子)。



ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキの代表作「デカローグ」十篇の物語を、新国立劇場が完全舞台化。
旧約聖書の十戒(ポーランド語でデカローグ)をモチーフに、オムニバス形式で人間の脆さと普遍的な愛を描くものだという。
今後3ヶ月にわたって上演するという大型プロジェクトだ。
この日は、そのⅠとⅢが上演された。
長くなるので、2回に分けて書きます。

大学の言語学の教授で無神論者の父クシシュトフは、12歳になる息子パヴェウと二人暮らしをしており、信心深い伯母イレナが父子を
気にかけていた。パヴェウは父からの手ほどきでPCを使った数々のプログラム実験を重ねていたが・・・。

舞台は集合住宅。右寄りに狭い部屋と3階まで続く階段。奥に巨大なスクリーン。2階左側にもスクリーン。
2階右側は階段。中央の部屋の前に開口部。
朝、息子パヴェウ(石井舜)が「パパ、パパ」と呼び、牛乳とパンをテーブルに置く。
鳩の鳴き声がするので子供は庭に出てパンくずをまく。
教会の鐘が鳴る。
父(ノゾエ征爾)が来ると、鳩たちは飛んでゆく。
二人は庭に出て腕立て伏せ。10回。
そして息子はパソコンの前に座り、父が出す計算問題を解く。
一人が家を出て時速〇キロで歩き出し、3分後にもう一人が時速△キロで追いかけると、何分で追いつくか。
息子がパソコンに入力した計算式が奥のスクリーンに現れ、答えが出る。
正解。
これが二人の朝のルーティーンらしい。
朝食をとるが、牛乳が腐っている。匂いを嗅いで二人とも「オエッ」。
子供「ねえパパ、死ってどういうこと?」
父は医学的な知識を語る。脳の機能が止まり、心臓が止まり・・。
だが子供が聞きたいのはそういうことではなかった。
子供「お葬式で、魂が安らかならんことを、って言うけど、パパは魂のこと言わないよね。信じてないの?
伯母さんは、魂はあるって」「そうだな・・」
「さっき、犬が死んでた。いつもお腹をすかしてた。かわいそうだった」「そうか・・」
子供は学校へ。
夕方、伯母(高橋惠子)が来る。父の帰りが遅い時は、彼女が来て夕食を食べさせるらしい。
夕食後、子供「人って何のために生きてるの?」
皿を洗っていた伯母は驚いて彼のところに来て彼を抱きしめ、「何を感じる?」
「温かい」
「そうね、それが生きてるってこと。人のためになることをするのが生きること・・」
父が帰宅すると、彼女は彼に、パヴェウを教会に連れて行きたいと言う。すでに神父さんに話してある。
あなたにも来てほしい、と言うと、クシシュトフは承諾する。

父は階段を上がり、2階のスクリーンを上げて講義を始める。
コンピューターについて。
「翻訳は難しい。特に詩は翻訳不可能だと言われている。
だがいつの日か、コンピューターの翻訳した T.S.エリオットの詩に君たちが涙する日が来るだろう」
時間が来たので、学生たちに来週までの課題を与え、明るく如才なく講義を終える父。

パヴェウの母は別のところに住んでいるらしい。
彼は両親からのクリスマスプレゼントのスケート靴を、ソファの下に発見する。
「湖でスケートしていい?他の子はしてるよ」
父はパソコンで氷の厚さを計算する。
ここ3日間の気温を入力すると、湖の表面の氷は1㎠あたり200㎏以上の重さに耐えられる、と出る。
父は慎重に、この計算を3回も繰り返すが、同じ結果が出る。
それで彼は息子にOKを出す。
プレゼントの靴を履く許可も出す。
息子は大喜び。

その夜、父は湖に行って氷の厚さ・固さを自分の足で確認する。
見知らぬ男=天使(亀田佳明)に見られて「やあ」と照れ笑い。
息子がトランシーバーで「パパ、今どこ?」
「そこにいると思った」
父親の息子を思う熱い気持ち、心配する心がよくわかり、伝わってくるが・・・。

次の日、辺りが騒がしい。
この日、息子は放課後、英語教室に行く予定だったが、それにしても遅い。
夕方4時になっても帰らず、他の子の親から電話や訪問があり、湖の氷が割れたらしい、子供が二人溺れた、と言われる。
父は、そんなはずはない!と強く否定するが、なら、自分で見て来たらいい!と反発される。
父が英語教室の先生に電話すると、今日は風邪気味なので、生徒はすぐ帰した、と告げられる。
あわてて伯母に電話すると、伯母もすぐに駆けつける。
パソコンの前に行くと、触ってもいないのに画面に I am ready という文章が繰り返し何度も出る。
父、伯母、隣人たちがこちらを向いて見守っていると、もう一人の子供の母親が大声で叫び出し、次に伯母が叫び声を上げて泣き伏す。
子供たちの遺体がヘリで吊り上げられたらしい・・。

一人になると、父は鉄筋の柱に頭を何度も打ちつけて嘆く。
地面に泣き伏していると、伯母が来て背中をさすり、二人抱き合って泣く。
上方にイコンのような絵が現れ、聖母の目から涙のような白い雫が垂れる。幕。

十戒の第1戒は「私のほかに神があってはならない」。
この戯曲は、それをモチーフにしているという。
父親が無神論者で、コンピューターの力を過信してしまったことから、愛する大切な一人息子の命を失うことになったということか。
だが、それではあまりに可哀想だ。
賢くて心優しい少年、未来ある少年の命。
彼を愛し、宝物のように大事に育てている父親と伯母だったのに・・。
シェイクスピアの「冬物語」に登場する哀れなマミリアス王子を思い出した。
この利発な少年は、父である王が、アポロ神の神託をわざわざ伺いに行かせたのに、届いた神託を認めず、アポロ神を冒瀆した直後に
突然死したのだった。平たく言えば、バチが当たったのだと思う。

だがこの話は、それとは違う。
見終わって強く心に残るのは、人々の愛の強さ、過酷な運命、人間をふいに襲う、耐えられないほどの悲しみ。
タイトルが「ある運命に関する物語」だし。

途中から勝手に動き出すパソコンが怖い。
胸締めつけられる話だ。
だがこれは連作の第1作目だし、10篇の物語はすべて独立していながら、壮大な一つの物語でもあるという。
だから、今後の物語とのつながりに注目していこうと思う。



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「そして誰もいなくなった」

2024-04-16 23:49:31 | 芝居
4月7日江東区文化センターホールで、アガサ・クリスティ作「そして誰もいなくなった」を見た(演出:鈴木孝宏)。



イギリス、デヴォン州沖の孤島、ソルジャー島にあるオーウェン夫妻邸に8人の客人たちが招かれる。
邸では、使用人のロジャースとその妻が客人たちを迎え入れる準備に勤しんでいる。
最初の船で到着したのは、オーウェン夫妻に秘書として雇われたヴェラと元陸軍大尉ロンバード。
次の船で、青年マーストン、元刑事のブロア、マッケンジー将軍、老婦人ミス・ブレント、元判事のウォーグレイブ、アームストロング医師が到着。
その夜、一同が会し晩餐が始まると、突然、不穏な声が聞こえ、10人それぞれの過去の罪状が読み上げられる。
やがて、古くから伝わる童謡の歌詞通りにひとりずつ死んでいく・・・ひとりいなくなるたび、恐怖に慄き疑心暗鬼に陥る人々。
折しもマントルピースの上に置かれた10人の兵士の人形が1体ずつ消えていき・・・(チラシより)。

1939年に発表された同名の長編小説は、クリスティの最高傑作と言われている。
本作は、作者が自ら2年の歳月をかけて完成させた戯曲版であり、1943年に上演が始まると、大戦下にもかかわらず大ヒットし、
後にブロードウェイでも好評を博し、ロングランヒットとなった由。

ネタバレあります注意!!
ミステリーなので、当然ですが、犯人を知りたくない方は、ここから先は絶対に読まないでくださいね!

奥行きの狭い、横長の舞台。
椅子があちこちにあり、ソファが一つ、下手の壁際の棚に白い人形が10体。
奥に大きなガラス戸と2つの大きなガラス窓。
その向こうは海らしい。ガラス戸を出たところに海に降りる通路。

作者自身による戯曲は、原作の小説とはだいぶ違う。
着いた早々、ヴェラ(伶美うらら)とエミリー・ブレント(夏樹陽子)は服装のことで険悪な雰囲気に。
将軍役の石山雄大は老齢で危なっかしい。
まもなく将軍は錯乱状態に陥り、亡妻のことをしきりに口走る・・・。

この日のために原作の小説を読んだ。
作者の孫の男性が、10歳の時これを読んで怖くてたまらなかったと書いているが、私も怖かった。
途中から、これは夜寝る前に読むべきではないと思った。
だって「部屋に誰かいる・・」「でも、振り向けない・・」とか書いてあるし(笑)。

原作はもちろん素晴らしかったが、それを戯曲にするにあたっての作者の技巧がまたすごい。
小説では全員が次々に殺されてしまい、その後、警察が来て捜査するものの、誰がみんなを殺したのかまるで分らず、迷宮入りかと思われる。
と、その後に「真犯人」の手記が現れる!
それを読めば、すべての謎が解けてすっきりするというわけだ。
だが、芝居ではそんなことはできない。
犯人の手記を誰かが長々と読み上げるなんて面白くないし。
ではどうするか。
大胆に筋を変えたのだ。

大詰め、10人の客のうち8人までが殺され、ヴェラとロンバード(野村宏伸)の二人が残る。
二人とも、相手が殺人鬼だと思い、何とかしてやられる前に相手をやっつけようと考える。
結局、ヴェラがロンバードの隙をついて銃を奪って撃つが、その時突然、不気味な老人の笑い声が聞こえたかと思うと、
死んだはずの判事(側見民雄)が白い毛糸のカツラをかぶったまま部屋に飛び込んで来る。
そして、驚くヴェラを相手に、これまでの種明かし=自らの天才的な犯罪を、得々として語るのだ。
医師アームストロング(小野了)を味方に引き入れ、死んだふりをしたこと、その後、自由に動き回ったこと・・。
ヴェラが「私は無実よ!」と言うと、判事は「あんたが心神喪失ならそうだろう。だがあんたは健康だ。
狂っているのは私だ!」と笑いながら両手を振り回す。その様は、まさに狂人!
「さあ、首をくくれ」と言われてヴェラは催眠術をかけられた人のように椅子に上がり、縄に首をかける。
と、その時、死んだはずのロンバードがすばやく身を起こしてピストルで判事を撃ち殺し、ヴェラを縄から外して椅子から降ろす。
ヴェラ「私、あなたを殺したと思った」
ロンバード「素人は真っ直ぐ撃てないんだ。君の弾がどこに飛ぶか予想して反対側によけたんだ」
彼が原住民を20人も置き去りにして見殺しにしたという話は嘘だった。
話は逆で、彼の英雄的な行為が誤って広まったのだった。
ヴェラの方も、本当の人殺しはピーター(原作のシリル)の伯父ヒュー(原作のヒューゴー)だと言う。
ヴェラが岩に向かって泳ぎ出した子供の後を追おうとしたら、ヒューに止められた。
彼はヴェラの恋人だったが、強欲な人だった(ピーターがいなければ、ある人の遺産が手に入るのだ)。
実はその時、ピーターに「お前ならあの岩まで行ける」とそそのかした、と後で彼は告白したという。

ついに恐るべき犯人は死んだ。
生き延びることができた二人は抱き合う。
こうしてクリスティのエンディングにふさわしく、若い二人のカップルが誕生。
そこに迎えのボートが来る音が聞こえる。めでたしめでたし。

犯人は生来、生き物が死ぬのを見たり、殺したりして喜ぶ嗜虐趣味があった。
と同時に、全く正反対の、強い正義感も持っていた。
そのため彼は、法律を学び、判事になった。
年を取るにつれて、彼は人を殺したい、という気持ちを抑えることができなくなった。
だがそれはただの殺人ではいけない。
世の中には、人を殺しておいてまんまと法の裁きを逃れた奴らがいるという。
そういう奴らを見つけ出して、正当な裁きを下してやろうとしたのだった。

生き残った二人は無実だった。
でないと後味が悪くて観客に受け入れてもらえないだろう。
こうして、「誰もいなくならなかった」のだった(笑)。
タイトルとは違う結末だが、実に見応えのある芝居だった。
やはりクリスティはすごい、と改めて思った。






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「お目出たい人」

2024-04-04 22:51:27 | 芝居
3月27日下北沢 ザ・スズナリで、水谷龍二作「お目出たい人」を見た(演出:水谷龍二)。



地下室にひっそりと置かれた棺。
通夜に集まった今日が初対面の六人。
死んだ男の残したものとは何だったのか。
哀しみと笑いと怒りが交錯する中、帰るに帰れない六人の酒盛りはつづく(チラシより)。

ヨネダという男の通夜。場所は、なぜか或る小劇団の稽古場。
そこに、一人また一人と人が集まって来るが、みな、互いに知らない同士だ。
野口(川手淳平)は新宿の飲み屋で故人と飲み友達だった。
篠原(渋川清彦)はテレビ局のADでジャンパー姿。かつて故人と仕事仲間だったが、ヨネダは2年位で辞めたという。
小松(那須凛)は若い女性で、茶系のチェックのブレザーと白いパンツ姿。
編集者で、今日は校了の日なので忙しい。
ヨネダはテレビ局を辞めた後、ライターだった。
仕事熱心だったが、原稿はいつも締切りギリギリだった。
ヨネダは公園で、ホームレス同士の争いに巻き込まれ、殴られて死んだらしい。
八坂(渡辺哲)は「中央線断酒会世話人」という肩書をもつ老人。
彼は早速、酒好きの野口と酒をめぐって対立する。
金子(崔哲浩)は野口が一人でいる時に来て、線香をあげ、野口に「しばらく目を閉じていてください」と言う。
彼の迫力に押されて言われた通りにする野口。
すると金子は、そばの段ボールを開け、ヨネダの遺品を探って四角い箱を取り出し、自分のカバンにしまう。
こいつ、怪しい!
次に棺の蓋を開け、ヨネダの顔を見て、自分の顔をぐっと中に入れて一瞬泣き声を上げる!
この男と故人の関係って一体・・・。

この5人に連絡して来た中島という女性(李丹)がやっと現れ、ヨネダの死の経緯を説明する。
中国語訛り。
彼女はヨネダの行きつけの雀荘の経営者で、彼の財布に彼女の雀荘のカードが入っていたため、警察から連絡が来たのだった。
彼女は彼の部屋を引き払い、スマホにあった「友人」5人に連絡したという。
ヨネダはだいぶ前に妻と離婚しており、他に身寄りもない。
故郷に行けば身元引受人くらいいるだろうが、実家の住所など誰も知らない。
ヨネダが滞納していた部屋代3ヶ月分を彼女が払ったというので、5人は、それをみんなで出し合うことにする。
6人で通夜と葬儀の準備。
金子が実はヤクザだとわかり、みなビビる。
翌日の葬儀には坊さんは呼ばない。
みな、喪服に着替えて来る。
酒盛り、歌、そして中島による中国の踊り。
お開きの前に、彼女が言い出す。
実は、故人にお金を貸していました。百数十万。
それもみなさんで出していただけないでしょうか。
そのために我々を集めたんですか!?となじられるが、彼女も店の存続がかかっていて引き下がれない。
結局その金も、みなで出し合うことになる。
いろいろあったが、やっぱりヨネダは彼らに愛され、慕われていたようだ。

最後にみなで形見分けをする。古いレコードなど。
ルポライターだったヨネダは写真をたくさん撮っていた。
その中に、同じ少年が何枚も写っているのに誰かが気づく。
彼には別れた妻との間に、高校生になる息子が一人いた。
これがその息子なんじゃないか、その子のことをそっと追っていたんじゃないだろうか。
その息子を探してみることになる・・。

戯曲としては、一部冗長なところがあるのが残念だが、なかなか味のある芝居だった。
何より、役者の皆さんが実に生き生きと楽しそうに演じていたのが印象に残った。
那須凛は、例によってうまいし、李丹という人の中国の踊りが素敵だった。






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「マクベスの妻と呼ばれた女」

2024-04-01 22:15:31 | 芝居
3月26日青年劇場スタジオ結で、篠原久美子作「マクベスの妻と呼ばれた女」を見た(演出:五戸真理枝)。
青年劇場創立60周年、築地小劇場開場100周年記念公演第一弾とのこと。



名前を持たない「マクベス夫人」に、シェイクスピア作品の中から飛び出してきた女たちが問いかける。
「マクベス夫人、あなたのお名前は?」
父に従い、夫に尽くし、子に仕えることを美徳として生きてきた女の答えとは・・・(チラシより)。

時は戦争が起こりうるあらゆる時代。
舞台は戦争が起こりうるあらゆる場所に立つ、マクベスの城。
マクベス夫人と侍女たちは、フォレスの戦いで英雄となった夫からの手紙に浮き立つ。
そこに国王が今夜城にやってくるという知らせが入る。
城で働く女中たちは、王様ご一行をもてなすためにてんやわんや。
一行が到着し、無事に一夜明けるもつかの間、殺された国王が発見される。
女中たちは国王殺しの犯人を捜しはじめるが・・・(パンフレットより)。

マクベス夫人(松永亜規子)のそばにはデスデモーナ(武田史江)とオフィーリア(竹森琴美)が仕えている。
城の台所をあずかるのは、女中頭へカティ(福原美佳)、女中ポーシャ(八代名菜子)、ケイト(江原朱美)、ロザライン(秋山亜紀子)、
クイックリー(蒔田祐子)、そして新入りのシーリア(広田明花里)だ。
門番の妻ジュリエット(島野仲代)は80歳で、仲間たちに、昔ロミオと駆け落ちした話ばかりする。
ケイトというのは「じゃじゃ馬慣らし」のヒロイン・カタリーナのことで、その言動は、いかにもはねっかえりの彼女らしくておかしい。

「奥様」(=マクベス夫人)はいつも下の者にやさしく、争い事が起こると「広い心で許しておあげなさい」とほほえみつつおっしゃるが、
それでムカつく女中もいる。
だってその結果、後始末をしなくちゃいけないのは、奥様じゃなくて私たちなんだから、等々。
奥様にはやはり、下々の気持ちが、あまりよくお分かりにならないようだ。

国王が殺され、部屋付きの番兵2人をマクベスが「王の仇!」と殺してしまう。
誰が王を殺したのか。
女中たちは推理する。
実は、ポーシャとシーリアが小さなことに気づいていた。
へカティ「お皿が割れたら、その破片を拾ってつなぎ合わせると、元のお皿の形になるように、各自の気づいたことをつなぎ合わせれば、
犯人がわかる」
上の人たち(=貴族たち)は国外逃亡した2人の王子たちが犯人だと言っている。
だから、それと違うことを言い出すものではない、下手すればこっちの首が危ない、と尻込みする者も出る。

シーリアが気づいたのは、床についた血の跡。
血のついた長い衣を引きずって歩いた者がいる。
ポーシャは、けさ、デスデモーナとオフィーリアが血のついた布を燃やしているのを目撃した。
この2点から、へカティは、犯人又は犯人を知っている者は女で、デスデモーナとオフィーリアは犯人を知っていてかばっている、と推理する。

ここでケイトが言い出す推理がおかしい。
犯人は(王の次男)ドナルベーンよ。前日、王が皆の前で、兄で長男のマルカムを王位継承者に宣言したので、恨みに思って父王を殺害したものの、
兄に告白、兄はそれを聞いて「そうか、俺の配慮が足りなかった、もう王位なんてどうでもいい、二人で出家して諸国修業の旅に出よう」と言って
逃げ出したのよ。
女中たちは呆れて、「想像力が豊かなのは認めるけど・・」と言って彼女の推理を却下。

へカティは、大胆にも奥様を罠にかけることを提案。
殺された国王の幽霊が出たという芝居をうつ。
その夜、オフィーリアはショックで倒れる。
マクベス夫人とデスデモーナは気丈に振舞う。
夫人は女中たちに「今見たことは他言無用」と告げる。ますます怪しい。

次の策は、城での宴会の際、血のついた布と短剣をマクベスの椅子の上に置いておき、彼の反応を見るというもの。
案の定、彼は取り乱し(と言っても彼は舞台には登場せず、夫人が一人芝居で表現する)、
マクベス夫人はお客たちの前で弁解する。

ある夜、オフィーリアがふらふらと歩き回り、手を洗う真似をし、「あんな老人にこんなに血があったなんて」と、本来マクベス夫人が言うはずのセリフを言う。
舞台両端の黒い紗幕の陰で見ていた女中たちは驚く。
これで犯人はマクベス夫妻とわかった。(のか?だけどなぜオフィーリアが夫人のセリフを?)

シーリアの姉は父親に売られそうになり、姉妹で家を逃げ出して数日間楽しく暮らしたが、見つかってしまい、姉は入水自殺したという。
(シーリアというのは「お気に召すまま」に出てくる女性で、従妹ロザリンドを姉のように慕い、彼女が追放されると
一緒にアーデンの森に逃げる)
女中たちは、それぞれ身の上話をする。
マクベス夫人が女中一人一人と対話する。黒衣をかぶった女たちは一人一人、夫人から道徳的な事柄について責められる。
例えばシーリアは、なぜ城に訪ねて来た父を追い出したのか、とか。他の一人は、なぜ親に逆らったのか、とか。
ポーシャは「学問をしたかったのに、女はしなくていい、と言われ、親の決めた相手と結婚させられそうになった」。
いかにも彼女が言いそうなことだ。
ポーシャは「ヴェニスの商人」に登場する高貴な女性だが、例の「箱選び」だって、たまたまラッキーなことに、好きな人が正しい箱を選んでくれたからいいものの、
彼女の人生がかかったイチかバチかの大博打だったのだから。
冗談じゃない!と言いたかっただろう。

へカティが、奥様に聞きたいことがあります、と言い出し、「奥様の名前は?」。
女中たち全員が、モップで床を叩きながらこの質問を繰り返して夫人に迫る。
夫人が困っていると、デスデモーナが澄まして「女に名前なんていりません・・」。
でも彼女にはデスデモーナというれっきとしたいい名前があるから、まるで説得力がない(笑)。

ラスト、マクベスは戦に負けて自害(?)
デスデモーナとマクベス夫人も短剣で自害しようとするが、へカティが何度も止める。
だが、まずデスデモーナ、次に夫人が死ぬ。
女中たちが集まって来ると、へカティは突然、言い出す。
「奥様は狂っていた。夫をそそのかして何人も殺させ・・。しかし特にマクダフの子供たちを殺したことではさすがに気が咎め、
自ら死を選び、デスデモーナも後を追った」と。
みな戸惑う。
シーリアが「なぜ奥様が気が狂ったと?」と尋ねると、へカティは言う、
「後の女たちのために、夫に従順だった妻でなく、悪女として後の世に語り伝えるのよ・・」

マクベス夫人にファーストネームがないことは、以前から多くの人が気がついていた。
作者はこの点に注目し、彼女を、夫に従順な妻として描こうとしたようだ。
その点は、ちょっと賛同し難いが、戯曲自体は、楽しく面白かった。

この作品を作者が執筆したのは1990年頃だというから、今から30年以上前のことだ。
筆者も、この国の女たちの置かれた理不尽な状況に憤りを抱えてきたので、作者の気持ちは痛いほどわかる。
だが、演出の五戸真理枝が書いているように、最近の社会の動きを見ていると、「ごく近い将来」何か大きな変化が起きるかも知れない
とも思われる。


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「アンドーラ 十二場からなる戯曲」

2024-03-28 15:44:19 | 芝居
3月21日文学座アトリエで、マックス・フリッシュ作「アンドーラ 十二場からなる戯曲」を見た(演出:西本由香)。



敬虔なキリスト教国であるアンドーラ。アンドリは隣国の「黒い国」でユダヤ人が虐殺されているさなか、ある教師に救い出され、
教師夫妻とその実の娘バブリーンのもと4人で親子同然に暮らしていた。
もとは平和な国であったアンドーラだが、近頃は黒い国からの侵略の噂が飛び交い、不穏な空気が漂っている。
ある日、アンドリとバブリーンは結婚したいと教師に切り出すが、教師は激昂して許さない。
自分がユダヤ人であるからだと悲嘆に暮れるアンドリのもとに、黒い国からある女性が訪れて・・・(チラシより)。

戦後スイスの代表的作家マックス・フリッシュがドイツ語で書き、ドイツ語圏の多くの国で教科書に掲載されている寓話劇の由。
今回の上演では、演出家も美術・照明・衣装の各担当者もドイツに派遣されて研鑽を積んだ人だという。

舞台は白壁が取り囲む空間。三角と四角の幾何学的な形。黒いテーブルといくつかの黒い椅子。
それが酒場になったりアンドリの家になったり。
バブリーン(渡邊真砂珠)が家の壁を白く塗っている。聖人のお祭りの日のため。
カーキ色の軍服を着た兵士パンター(采澤靖起)が彼女をじろじろ見て、嫌がる彼女にしつこくからんでくる。
バブリーン「私、婚約してるの」
パンター「誰?そんな奴、見たことないぞ」・・

酒場でアンドリの父(沢田冬樹)が家具屋の主人・親方(大原康裕)と交渉中。
家具職人見習いにしてもらう費用が50ポンド。どうしてもまけられないと突っぱねられ、父はさらに酒をあおる。

途中何度も照明が変わり、客席を向いた人が一人一人、「証言します」「アンドリがあんなことになったのは私のせいじゃありません」
などと言うので、破局が待っているのかと想像がつく。

アンドリ(小石川桃子)は20歳。酒場で手伝いをしているが、家具職人になりたがっている。
それはアンドーラの伝統的な職業だった。
妹バブリーンは19歳。二人は子供の頃から愛し合い、学校で「兄妹だから結婚できないよ」とからかわれた。
絶望して死のうとしたこともあった。
その時母(郡山冬果)に見つかり、実はアンドリは実の子ではなく、父が隣国から助け出した子だ、と知らされる。
その日以来、二人は同じ部屋で寝るのをやめた。
二人は将来結婚すると約束していた。

酒場でアンドリはパンターと言い争いになり、パンターは「ユダヤ!」と罵倒する。
アンドリは家具職人の親方の元、初めて自分で椅子を作った。立派な出来栄えだった。
だが親方は、別の椅子を点検して脚をはずし、これじゃあダメだ、などと言って、アンドリに「ユダヤ人は商売の方に向いているから
外回りして注文を取って来い」と言う。
親方の、あまりに露骨な態度に絶望するアンドリ。

両親の前で、アンドリとバブリーンは結婚の許可を求める。
母は「そうなると思ってた!」と大喜びで二人に駆け寄るが、父は愕然として手にした台拭きを落とす。
父「絶対ダメだ!」
アンドリは驚き、「僕がユダヤ人だから?」と尋ねるが、父は答えずに去る。

家に医者が来る。
外国から20年ぶりに帰国した彼は、アンドリがユダヤ人だという話を知らない。
アンドリを診察し、薬をやろうとするが、その時「すべてのユダヤ人は地に倒されよ」みたいな決まり文句を口にする。
聞きとがめたアンドリは「どうしてユダヤ人は・・?」と尋ねるが、医者ははっきり答えない。
アンドリは薬を受け取らず、ぷいと出てゆく。

神父とアンドリの会話。
ユダヤ人とアンドーラ人について。
神父「みんな君を愛している」「君は人より賢い・・」
話が嚙み合わない。
「どうして父は娘を僕にくれない?」

アンドリとバブリーンが、夜いつものようにバブリーンの部屋の前で語りながら眠ってしまうと、パンターがそっと入って来て
バブリーンの口をふさぎ、彼女の部屋に連れ込んで鍵をかけて乱暴する。
アンドリは気づかず、時々目を覚ましてバブリーンに話しかける・・。

隣国が攻めてくるという噂があり、みな不安がる。
だが医者は落ち着いている。
「だってその理由がない。アンドーラは世界一平和で自由な国だ。世界中から愛されている。
美しいが貧しい。オリーブが取れるが、特に上等というわけでもない。攻めたって仕方がない」と言ってみなを安心させる。
<休憩>
旅館に隣国の女性が一人で来るというので、町の人々はうろたえている。
パンターは、敵と見なしてやっつける、と息巻く始末。
その女性は来ると、宿の主人にメモを渡し、「学校教師のカンという人に渡して」。
そこにアンドリが来て、パンターを見ると彼の帽子を取って地面に投げ捨てる。
二度もそうするので、パンターは彼に殴りかかり、アンドリは血を流す。
女性が止めると、みな立ち去る。
彼女はアンドリを介抱し、「お父さんのところへ連れて行って」。

家で、女性はアンドリの父と対面。
かつて二人は隣国で付き合っていて、彼女はアンドリを出産したのだった。
だが、かの国で共に暮らすことは難しく、父は息子を連れて帰国。
その時彼は、ユダヤ人の子供を迫害から救い出した、という話をでっち上げた。
そのため彼の行為は美談として広まり、隣国にいる彼女の知るところとなった。
驚いた彼女は、彼に何度も手紙を書いて送ったが、返事はなかった。
彼女はついに、直接二人に会いに来たのだった。

アンドリと二人だけになると、彼女は自分の若かりし日のことを話す。
ある人と出会って恋に落ちて、でも一緒に暮らしていくのは難しくて・・。
「あなたに話したいこと、聞きたいことがたくさんあるわ。
でも、もう行かなきゃ」「行くように言われたの」
「また会いましょ!」と言って去る。
外は騒がしい。
敵対国の人間がこの家の中にいる、と町の人々が騒いでいるのだ。
父がアンドリに送らせようとするが、彼女は「一人で帰る」と言ったという。
父はあわてて彼女を追いかけ、広場を通らず裏道を行かせようとするが・・。
彼女は群衆が投げた石に当たって死ぬ・・。

またしても「証言」。
私じゃありません。そこにいなかったし。
誰が石を投げたか分かりません。

神父がアンドリと面談する。
父親は、真実を息子に告げることがどうしてもできず、神父に告白したらしい。
神父は父親の代わりに、アンドリに事実を話して聞かせる。
「君はユダヤ人じゃなかったんだよ」
だが話を聞いたアンドリは、バブリーンが血のつながった妹だったのか、だから父は結婚に反対したのか、と納得するかと思いきや、
自分がユダヤ人でなくアンドーラ人だったということに愕然とする。
彼は突然のことに混乱し、困惑して立ち去る。

アンドリの父の妻は、ようやく真実に気がつく。
「あの人はアンドリの母親なのね」
「そしてあなたが父親・・」

「ユダヤ人選別」が始まる。町の人々は黒布で頭をすっぽり覆い、兵士パンターに命令されている。
黒服の男が無言で査定する。
連れて来られた男の裸足の足をしげしげ観察し、頭、顔、体つき・・と丹念に調べていき、兵士に合図する。
アンドリも連れて来られる。
両親が来て、母が「この子はユダヤ人じゃありません、夫の子なんです!」と叫ぶが、今さら誰も信じない。
体を調べられた後、彼は連れ去られる。
実の母が別れる時、彼にくれた指輪も、無理やり取られてしまう。

一連の騒動が終わり、町は平和を取り戻したかのようだ。
以前のように酒場にみなが集まり、酒を注文して飲もうとしているところにバブリーンが来る。
髪を極端に短く切っており、持参したバケツの中の白いペンキを床に塗りたくる。
みなが驚きあわてていると、神父がやって来て告げる。
この子の父親は教室で首をくくった・・。
この子はアンドリを探しているのです・・。
  ~~~~~
架空の国アンドーラが舞台の寓話劇だが、作者は敢えて「ユダヤ人」という名称を用いている。
これは決して遠い国の出来事ではない。
私たちが現在生きている、この日本という国と無縁の話ではない。

演出の西本由香がパンフレットに書いている。
「本当に自分たちが選択を迫られた時にどう行動できるのだろうか。
私たちは弱く、自らの生活を守ることと、正しくあり続けることを両立するのは難しい。
それでも、その時のために考え続けること。
遠くの不正を追及することよりも、身近な隣人に誠実であり続けることがずっと難しいと自覚すること。
自分の中にある恐れと弱さ、ずるさに自覚的になること。・・」
深い共感をもって、この文章を読みました。

主役の二人が素晴らしい。
アンドリ役を女性の小石川桃子が演じるが、まったく違和感がない!
この人は一体何者なのか・・。
バブリーン役の渡邊真砂珠は、昨年「夏の夜の夢」でヘレナを好演した人。
今回も熱演だった。
悪役パンターを、今やベテランと言っても過言ではない采澤靖起が飄々と演じる。





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「リア王」

2024-03-21 11:09:51 | 芝居
3月14日東京芸術劇場プレイハウスで、シェイクスピア作「リア王」を見た(演出:ショーン・ホームズ)。



ブリテン王国の老王リア(段田安則)は、3人の娘たちに王国を譲り、隠退しようと考える。
彼は娘たちの誰が一番自分のことを愛しているか知りたいと言い出し、自分をどう思っているか皆の前で話すようにと告げる。
その内容に応じて王国の分け前を決めるというのだ。
長女ゴネリル(江口のりこ)と次女リーガン(田畑智子)は巧みな言葉で父の機嫌を取るが、三女コーディーリア(上白石萌歌)は
そんな姉たちの素顔を知っているため、反発し、何も言うことはありません、と答える。
それまで一番のお気に入りだった末娘のこの態度に激高したリアは、即座に彼女を勘当すると宣言。
幸いコーディーリアは、求婚に来ていたフランス王に王妃として迎えられるが、家族とも母国とも悲しい別れをする・・・。
この後、リアは2人の姉娘たちに粗略に扱われ、末娘を勘当したことを深く後悔する羽目になるが・・。

ネタバレあります注意!  

幕が開くと、現代服姿の数人がパイプ椅子に座ってこちらを見ている。
背後は白い壁、かと思ったら白いパネルだった。
3人の姫たちはピンクのワンピースにピンクの帽子と靴。
リア王はパリッとした明るい紺のダブルのスーツで元気そう。
80歳という設定を、もう少し考慮してもらいたい。
みな、真っ直ぐこちらを向いて会話する。まるでオペラのよう。
このように、演出は一貫してアンチリアリズム。

場所が変わるたびに、グロスター伯爵の次男で私生児のエドマンド役の玉置玲央が、背後のパネルに文字を書く。
Gonerill's とか Gloucester's とか。
この芝居には手紙がたびたび登場するが、それが独特。
ペラペラの透明なもので、プロジェクターで背後の幕に大写しにする仕掛け。
だが英文だし小さいし、客席から文面は読めない。
時代を現代に変えたからといって、なぜこんな小細工をする?

ケント伯爵(高橋克実)はコーディーリアの肩を持ったため王の逆鱗に触れ、追放されるが、それでもなおリアに仕えたいと考え、
身分を偽りケイアスとして王に直談判。そばで仕えることを許される。
ゴネリルの城で王に無礼な態度を取ったオズワルド(前原滉)を、ケイアス(=ケント)が足をすくって倒すと、他の騎士たちも
殴ったり蹴ったりするので、オズワルドは腕の骨を折り、顔から出血する!

リアはゴネリルに冷たくされ、怒りのあまり彼女の腹に手を当てて呪いの言葉を浴びせかけるので、ワンピースの腹のところが赤くなる。
リアは、わしにはもう一人娘がいる、と告げ、即、家来たちを連れてリーガンの城へと向かう。
リーガンはそれを察知し、夫コーンウォール公爵(入野自由)と共にグロスター伯爵(浅野和之)の城に急ぐ。
ケントが王の使いでリーガンへの手紙を届ける際、同じくリーガンに宛てたゴネリルの手紙を届けに来たオズワルドと再会して騒動を起こすと、
リーガンはケントの背中を足蹴にする!
父の使いより姉の使いの方を優先させたいリーガンと夫は、ケントの無礼な態度に腹を立て、彼に足枷をつけて外に放置する。
だが今回、足枷ではなくテープで胸と足をそれぞれ椅子に縛りつけていた。
なぜわざわざそんなことをする?
時代を現代に変えたから足枷をテープに変えたのだろうが、「戸外に放置」ということが大事なのに、椅子を使うのは困る。
一貫して、そこにいないはずの人たちが舞台上にいたりするのも嫌だ。気になって仕方がない。
奇をてらいたいのか。
<休憩>
舞台奥に枯れた大木が1本、吊られている。根も空中に浮いている。これが意味不明。
グロスター伯爵は、リア王への娘たちの残虐な振舞いに衝撃を受け、コーディーリアに事情を訴える手紙を出し、フランス側と連絡を取っている。
だが彼は、次男で私生児のエドマンドの本性を見抜くことができず、信頼してすべてを打ち明けていた。
エドマンドは出世のためにコーンウォール公爵に父の秘密をばらし、コーンウォールと妻リーガンは激怒。
グロスター伯爵を捕まえさせ、その片目をえぐり取る。
あまりの残虐さにコーンウォールの家来の一人が止めに入り、斬り合いとなる。
その家来はリーガンに背後から切られて死ぬが、倒れることなくスタスタと歩いて退場!
はあ?何ですか、これは?!
この無名だが勇敢な男が死んで倒れ、ゴミのように扱われることが、戯曲の構成上、深い意味を持つのに。

この後、オズワルドが盲目になったグロスター伯爵を賞金目当てに殺そうとして、反対に彼の長男エドガー(小池徹平)に殺されるが、
この時も、オズワルドは死んでその場に倒れる代わりにスタスタ歩いて退場!
こんな調子だから、エドガーと弟の決闘シーンの前にオールバニー公爵が「ラッパを鳴らせ」と命じても何も鳴らないが、もはや驚きもしない。

ラスト、リアは殺されたコーディーリアを抱いて登場するはずが一人で登場!
ハッ?コーディーリアはどこ??
彼女はその後、白い布に全身をくるまれ、縄で縛られて別の男が引きずって来た!
彼女の遺体は、そのまま舞台上を引きずられて横切る!
だから、リアの最後の重要なセリフは、驚くほど空虚なものになってしまった。
だって、「お前の」とか「これの」とか言うのに、そこに最愛の末娘はいないのだから。

訳は松岡訳を使っているが、かなりカットしているし、あちこち変えてある。

この芝居は、かつてケネス・ブラナー率いるルネサンス・シアター・カンパニーの来日公演で見て以来、何度も見て来たが、
今回のは最悪だった。
こういうものを「斬新」とか「独創的」とか呼ぶ人がいるが、筆者に言わせれば、ただ奇をてらっただけで、
観客のシェイクスピア理解を妨げる、軽薄な思いつきに過ぎない。
この演出家は、私家版「苦手な演出家」のリストに載せて、以後近づかないようにします(笑)

唯一の収穫は、舞台俳優・玉置玲央を発見したこと。
この人は現在、大河ドラマで父親役の段田安則と共に、大変な悪役を演じており、筆者もそんなイメージしかなかったが、
張りのある声がよく通り、演技にも切れがある。今後が楽しみな人だ。
リーガン役の田畑智子も好演。


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「OH!マィママ」

2024-03-13 19:41:21 | 芝居
3月8日シアターサンモールで、ブリケール&ラセイグ作「OH!マィママ」を見た(劇団NLT公演、演出:釜紹人)。



     フランスの国会議員アルベールの妻マリィは、25年前に謎の失踪。
一人息子のルイは、アルベールとマリィの幼なじみのマチルドが面倒を見てきました。
     ルイの結婚も決まり、一家が幸せいっぱいのある日、
 国連の人権委員、アメリカの陸軍大佐フランクがアルベールを訪ねてきます。
ところがフランクの話題と視線はルイのことばかり。挙句に結婚にまで口を出す始末。
  一体フランクとは何者なのか?フランクにはとんでもない秘密があったのです!!
 それを知ったアルベールは大パニック。この秘密だけは決してルイに知られてはならない!
知られたら全ては破滅だ。七転八倒の大騒動!!こんなに笑えるのにどうしてこんなに切ないの?
       現代ブールヴァ―ルコメディの自信作です!(チラシより)

パリのアパルトマン。黒ワンピースに白いエプロンというメイド姿のジャサント(吉越千帆)が、家具にはたきをかけている。
彼女はスウェーデンから来た留学生で、家事をする代わりに部屋と食事をタダにしてもらっている。
この家の一人息子ルイ(小泉駿也)が来る。
彼は大学を出て建築家になったばかり。
最近、財閥令嬢イネスと結婚が決まったばかりだが、ジャサントとも深い仲だった。
父親のアルベール(渡辺力)も来る。
ルイが出て行くと、アルベールはジョサントを抱きしめる!
何と、ジョサントはアルベールとも深い仲だった!
そしてこのアルベールも、25年間家事をやってくれているマチルドと再婚することになっている。
去年ようやく元妻の死亡が認定され、晴れて独身に戻れたのだ。
この再婚は、親子同時に結婚したら支持率がアップするだろうという政治家らしい考えから思いついたのだ。

ここにアメリカ人のフランク(海宝弘之)がやって来る。
アルベールと仕事の話をするはずが、なんやかんやとプライベートなことを尋ねる。
(観劇前にチラシを読んだだけで、この男が何者なのか、敏感な人は気づいてしまうだろう)
彼こそは、かつてのマリー・ルイーズで、当時外務省に勤務しており、スパイ騒動に巻き込まれて米国に逃亡する羽目になった。
そこで別人になりすますしかなくなるが、どうせならと性別も変えることにし、顔も整形したのだった。
彼がようやく正体を告白すると、最近心臓が弱っているアルベールは倒れてしまい、薬を飲む。
フランクはジョサントともすぐに親しくなる。
マチルド(安奈ゆかり)が来る。黄金色の衣装に身を包んだ堂々たる体格のひとで、すこぶる女性的なタイプ。
フランクを見ると「何だか胸騒ぎがするの」と言い出す。
彼女は旧友マリー・ルイーズについて語る。
本当は女性が好きだったんじゃないかしら。
アルベールが本当に愛していたのは私なの。
アルベールは子供を欲しがっていたの。でもマリー・ルイーズはそうじゃなかった。
あの人の策略なの。私への当てつけで子供を産んだの・・・。
こんな話を聞くと、彼女とマリー・ルイーズは仲が悪かったのかと思うが、実はそうではなかった。
二人は学校時代から喧嘩ばかりしていたけど、実は密かに惹かれ合っていた・・。

ルイも、フランクに何やら不思議な感じを抱いており、家族がみんなして自分に何か隠していると感じる。
フランクを追及し、「秘密が分かった!」と大興奮するルイ。
突如流れるドラマチックな音楽を背景に「わかった!」と叫ぶので、観客は身構えるが。
彼はフランクを抱きしめて「パパ!」と叫ぶのだった(笑)。
フランクは困惑するが、すぐに心を決めて話を合わせることにし、実のパパのふりをする。

二人から話を聞いたアルベールは、自分がのけ者にされたため、当然ながら面白くない。
そこでマチルドが、実は私が・・・と言い出し、またまた話がややこしくなる。

こういう芝居の場合、最後にはルイが真実を知ることになると普通思うでしょう。
ところがどっこい、違うんですよ。
このマチルドという人が、意外な動きをするのです。
創造力が豊かな彼女は、ルイのためを思って、そしてアルベールのためにも、とんでもない話をでっち上げる。
実は私がルイの母親で、妊娠してしまったことを厳しい父親に知られたくなくて、吹雪の夜、山小屋で出産したの、と、必要以上にドラマチックな物語を語り出す。
ルイが、僕の誕生日は5月ですよ、と言っても聞かない(笑)
自分の捏造する物語にすっかり酔ってしまっている。
そして、実は父親がフランクなのかアルベールなのかわからない、とまで言い出すのだった(笑)
もちろんアルベールがのけ者にならないためだ。
こうして話はどんどん事実から逸れて行ってしまうが、ルイは単純に、そうだったのか!みたいに喜び、4人は盛り上がる。
が、ルイがふと「じゃあ、マリー・ルイーズって誰?」と(当然ながら)尋ねると、マチルド「あれは私のペンネームなの」。
4人はシャンパンで乾杯する。
そこにイネスから電話。
彼女の話を聞いたルイは呆然として電話を切り、「できちゃったって」。
みなは「おめでとう!」アルベール「お前もできちゃった婚か、さすが俺の息子だな」。
ルイ「僕はまだキスしかしてないんだよ!」
「僕の他に男がいたってこと・・」
これで彼の結婚の話はなしになりそうだ。・・・

途中ひょんなことから、ジョサントがルイとアルベールの両方と「ベッドを共にしていた」ことがバレる。
マチルドは「二股かけてたのね!」と驚き呆れ、彼女をクビにするが、ラストでは思い直して、今後もいて欲しいと告げる。

最後にジョサントとフランクが二人だけになると、ジョサントが何と2年前まで男だったと告白。
フランクは似た者同士として彼女を励ます。
だが、このエピソードはつけ足し感が強すぎて、むしろない方がよかった。

非常に面白い芝居だったが、ルイがだまされたまま、その場の思いつきで、皆が適当にお茶を濁して終わるのが残念だった。
いろいろすったもんだはあっても、結局最後には彼が真実を知ることになるだろうと思い込んでいた。
筆者は、"the truth ,the whole truth ,and nothing but the truth " (裁判所での宣誓の言葉)という言葉が好きなので。
それに、チラシに「この秘密だけは決してルイに知られてはならない!知られたら全ては破滅だ」とあるが、
どうしてそんな風に思うのかさっぱりわからない。

とは言え、演出もよく、音楽の使い方も楽しい。
「美しく青きドナウ」、フォーレのレクイエム、「ワルキューレ」「ツアラツストラはかく語りき」などが
要所要所に突然流れ、笑わせ、盛り上げてくれる。

役者は皆さん好演。
特にマチルド役の安奈ゆかりが素晴らしい。
ルイ役の小泉駿也も思いっきり楽しそうに演じている。
ジョサント役の吉越千帆もうまい。

フランス人は、しまいに真実が明らかになって「しみじみする」のが好きじゃないのかも知れない。
それくらいなら、最後まで真実が明らかにならずモヤモヤする方がましなのかも。
いや、そもそもそんなことでモヤモヤしたりしないのかも知れない。

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「夜は昼の母」

2024-03-05 10:54:46 | 芝居
2月27日風姿花伝で、ラーシュ・ノレーン作「夜は昼の母」を見た(演出:上村聡史)。



鳩が鳴く
ダヴィドは母のナイトガウンを着る
ここは父が経営する小さなホテル
今日はダヴィドの16歳の誕生日
兵役を経験した兄
咳が止まらない母
ひたすら喋り続けては空回りする父
家族が奏でる追憶の四重奏(チラシより)

スウェーデン人ラーシュ・ノレーンの代表作にして問題作とのこと。日本初演。

役者は4人。そのうち3人は岡本健一、山崎一、那須佐代子という、一人でも是非とも見に行きたい人だから、これはもう見逃す手はないでしょう。
作者の自伝的要素が強い作品らしい。



舞台は横長で狭い。小さなホテルの小さなキッチン。
壁の色がすごい。赤にくすんだ黒などの色が混ざっていて、不気味で不穏。とてもホテルとは思えない(美術:長田佳代子)。
ダヴィドが一人、母の赤いガウンをはおり、口紅を塗って鏡を見る。
兄イェオリが来て「気持ち悪い」とか言うと、彼はすぐにガウンを脱ぎ、口をぬぐって言う、
「何のことか意味わかんない」。
今日は彼の16歳の誕生日。
彼はゲイで本好きだが、学校にも行かず、たまに皿洗いをするくらいで働かず、一日中家にいて、鳩にえさをやったり、夜中にキッチンで勝手に肉を焼いて食べたり。
兄に言わせると「甘やかされている」。
この兄はサックスを吹く。
父が来る。
このホテルは客室が19室あるが、今、客はいない。
だがいつ来るか分からない客のために料理は用意しておかねばならない。
食材の代金の支払いを猶予してほしいと手紙を出したが、相手から冷淡な返事が来て頭を抱える。
母も来る。咳が止まらない。
父はかつてレストランに雇われていて、夜中まで働いていた。
どんなに貧しくても、あんな生活にはもう二度と戻りたくない、と言う。
妻の両親が金持ちなので、彼はお金の工面をしてもらえないかと聞くが、妻は親に電話したくない、と言う。
彼は金がなくて大変な状況だというのに、仕入れの電話で、いつも通り酒類をたくさん注文する。
もともと感覚がおかしいのか、それとも酒だけは特別で、(後から分かるように)理性がまったく効かないのか。
彼は子供の時、父親が逮捕され、それ以来働きづめだった。彼は妹を養わないといけなかった。

兄は両親がダヴィドを甘やかしていると言うが、母は母なりに次男の将来のことを心配していた。
ただ、彼女は息子をよく理解できていない。
ある日突然、彼女はダヴィドに、明日、船乗りになるための手続きに行くから早く寝るようにと言う。
ダヴィドはショックを受けて断固拒否。
「船なんて男の世界だよ!」とか叫んで床を転げ回る。
確かに、船乗りの男たちの中に入るなんて、彼にとっては恐怖以外の何物でもないだろう。

一人になると、父は流しの下の鍵のかかる戸棚の中から、隠しておいた酒を取り出して飲む。
その小瓶は元に戻すが、その後やって来た兄が父の様子に気づき、しばらく無言でにらみつけていて、突然襲いかかる。
「こいつ飲んでる!」
父は「一滴も飲んでない!」と否定し続けるが、母と弟はショックで愕然となる。
3人がかりで父を押さえつけ、ポケットというポケットを探って鍵を見つけて奪う。
その間、父はみんなを罵倒し続ける。

実は去年の夏、母と長男が留守中、父はへべれけになり、せん妄を起こし、ダヴィドがそれに付き合わされたことがあった。
従業員が救急車を呼んでくれ、父はそれからしばらく施設に入っていた。
3人は週に一度面会に行った。
医者は「もうちょっとで死ぬところだった」と言ったという。

母「お酒さえ飲まなきゃ、あなたほど優しくていい人はいないのに」
 「もう飲まない、と言うのを、そのたびに信じて来た」
母はついに別れる決心をし、カバンに荷物を詰め「両親のところに行くわ。ダヴィドも連れて行きます」。
必死に止める父。
「○○(という薬)を飲むから!あれを飲んだら酒が全然飲めなくなるから」と母の腰にしがみついて頼むので、母は結局思い直す。

母は明るい顔で厨房に入り、夕食を作る。
ダヴィドは(たぶん呆れて)そんな母のセリフをいちいち真似する。
父も明るく入って来る。
二人はすっかり仲直りしたのだ。
だが父は一人になると、今度は床の一段高くなったところの羽目板をはずし、中から別のジンの小瓶を出して何度も飲む。
「本当はジンなんて嫌いなんだ」と言いながら。
それをダヴィドが見ていた。
さらに父は、もっと驚くべき場所に3本目の小瓶を隠していた・・・。
ここは唯一、笑えるところ。
ダヴィドはそれも目撃し、母を呼ぼうとするので、父は必死で止め、金をやるから、と買収しようとする。
だがダヴィドが金額を吊り上げたため、断念する・・。

父はこうして何度も飲んだので、かなり酔いが回っているが、自分の妹に電話して金を借りようとする。
母と息子たちが邪魔するので父は別の部屋に立てこもる。
母たちは、何とかして部屋に突入し、睡眠薬を飲ませて寝かせてしまおうとする・・。

こういう騒ぎに至るまでに、二度ほどダヴィドの妄想のようなシーンが挿入される。
家族4人がいる時、ダヴィドが突然、母親ののど首をナイフで掻き切るシーン。
そして、ダヴィドが父をコートの上から刺し殺し、直後に父のナイフが彼の首に刺さるシーン。
いずれも観客はびっくりだが、暗転の後、何事もなかったかのように4人がそろっているのだった。

みんな、愛憎の振れ幅が大きい。
母が別れようとすると、父は母のことを悪く言い始めるが、それが聞くに耐えない罵詈雑言。
果ては「俺は女とやって楽しかったことなんか一度もない」などと口走る始末。
ダヴィドが時に口にする言葉もひどい。
「ママの股の間からは嫌な臭いがする・・」などと、リア王のようなことを言う。 

テネシー・ウィリアムズの「夜への長い旅路」を思い出した。
あれは、この作品以上に長くて重苦しい芝居だった。
精神を病んだ母、詩人肌の弟、ケチで愛情薄い父親・・。

男たちは時に小さなナイフをちらつかせる。
駄目男に愛想をつかしては、また性懲りもなく信じようとする女。
母はしょっちゅうタバコを吸う。ダヴィドの言うように、咳はそのせいだろう。
母の父への愛は痛いほど伝わってくる。
だが父の母に対する思いは、というと、難しい。
かつては好きだったようだが、性格があまりにも弱いため、アル中という自分の病気を客観的に見ることがどうしてもできない。
自分が家族を苦しめていることに気づいていないのか、それともそういう現実から目をそらしているのか。
始めは次男がゲイで引きこもりであることが、この家族の抱える一番の問題なのかと思ったが、そうではなかった。
だが、壁の色は、ちょっとやり過ぎではないだろうか。
それほど陰惨な話ではないのだから。
チラシにあるように、これは「追憶」の物語だし、この家族には愛と絆がまだ確かに残っているのだから。

4人の役者の火花散る演技がすごい。
まさに期待通り。
戯曲としては長すぎるし、ラストが弱いのが残念だが、この人たちの入魂の演技は一瞬たりとも目が離せないし、
その迫力と来たら凄すぎる。
父親役の山崎一の変幻自在、その声の微妙なニュアンスの変化の大きさ!その笑い声も然り。
母親役の那須佐代子の美しさと情愛と決然たる態度、そして変貌。
ダヴィド役の岡本健一は、確か50代のはずなのに16歳を軽々と演じてまったく何の違和感も感じさせない!
うまい人が演じると、こんなことが起こるのか。



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「スターリン」

2024-02-22 11:50:58 | 芝居
2月13日俳優座スタジオで、ガストン・サルヴァトーレ作「スターリン」を見た(演出:落合真奈美)。



一つの戯曲を3人の演出家が、それぞれ違う役者たちと上演するという変わった試み。
しかも今回、出演者の数も3人、7人、5人と、それぞれ違う!
その中の、7人のヴァージョンを見た。

1952年末から1953年初頭。
モスクワから32キロ離れた独裁者の別荘。
別荘は24時間1200人が警備にあたっている。
齢70を越える老スターリンはいまだ意気軒昂。権力の妄執に囚われている。
折しもモスクワで老ユダヤ人役者サーゲリがリア王を演じている。
リア王で自分を揶揄していると勘ぐったスターリンはサーゲリを別荘に呼びつける。

片やリア王を演じてサーゲリの真意を突き止めようとするスターリン。
片や道化となって逆にスターリンの虚像と実像を暴くサーゲリ。
独裁国家だったチリからドイツに亡命した作者が、独裁者とはなにかを問う渾身の劇が始まる(チラシより)。

開演前に用語解説の資料が配られた。まるで劇団チョコレートケーキ(笑)
スターリンというのが実は「鋼鉄の人」という意味の異名で、本名はヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリだというのでびっくり。
予備知識を頭に入れて、いざ観劇。
<1幕>
舞台には、黒っぽい硬い枠が高くそびえて斜めに並んでいる。
その奥に大きなひじ掛け椅子、その後ろには黒電話の載った机、その背後にさらに暖炉らしきもの。
下にチロチロ燃える火が見える。

「にがい道化」と、いきなりシェイクスピアの引用から始まる。
ユダヤ人の老俳優(巻島泰一)と独裁者スターリン(島英臣)が、「リア王」の中のセリフを次々と口にする。
この劇中劇のセリフが古めかしくて独特。私の知っている誰の訳とも違う。
たぶん今回の翻訳・ドラマトゥルク担当の酒寄進一氏がドイツ語の原作を訳したものだろう。

スターリン「リア王は政治劇だ」「シェイクスピアはリアの過去を書いていない。リアは権力を手にするために何をしてきたか。
      きっと・・・。グロスター家の話はリアのかつての姿だ」
サーゲリ「ではリアは(二人の兄弟の)どっちでしょう・・・エドマンドですね」
このように、スターリンは「リア王」の内容を熟知しており、彼の「リア王」論はちょっと変わっているが、なかなか興味深い。

夜中なのに、上で金づちの音がする。
スターリンは夜眠れず、「起きているのが自分だけでないと思いたいがために」こんな時間に改築の仕事をさせているのだった。

サーゲリの一人息子ユーリも劇団関係の仕事をしていて、一時逮捕されたが、釈放されたという。
スターリンには息子が2人と娘が1人いる。長男はドイツの強制収容所で死んだ。
サーゲリとスターリンには共通点が多い。
二人共、貧しい家に生まれ、神学校に入ったが途中で辞めた。
だがサーゲリはユダヤ人。そこが大きな違いだ。
彼はユダヤ人仲間の俳優が暗殺されたと聞いて驚く。
実は彼は、学校時代、迫害を恐れてキリスト教に改宗していた。
だがユダヤ教徒でなくなっても、ユダヤ人であることに変わりはない。
<2幕>
スターリンは疑心に駆られ、政敵ばかりか側近も次々と粛清して来た。
そのため晩年は怯える日々。眠れぬ夜が続く。
彼はソビエト国内の全ユダヤ人をロシア極東へ強制移住ないし虐殺する準備を始める。

暗転の後、サーゲリは縦縞の囚人服を着て手錠をかけられている。
スターリンが彼の姿を見て驚き、けしからん、と言って手錠の鍵を取って来ようとするが見つからず、済まない、と謝る。

「今世間で流行っているジョークを言ってくれ。私を一回笑わせるごとに、ユダヤ人を一人許すことにする」
こうしてサーゲリは懸命にジョークを言い、4回くらいうまくいくが、最後のジョークは笑えなかった。
それは「私についてのジョークを言ってくれ」とスターリンが言い出したからだ・・・。
スターリンは薄い笑みを浮かべて言う。
「君に悲しい知らせがある。君の息子は・・の監獄に移され、〇〇日、心不全で死んだ」
サーゲリ「噓だ!嘘だと言ってくれ!」
彼はショックのあまりよろめく。
そして「リア王」の最後のセリフを言い始める。
「・・・鏡をくれ。
息でおもてが曇るかかすむかすれば
ああ、そうなら、生きている。・・
羽根が震えた。生きている!もしそうなら、
今日までなめてきた辛い思いの数々が
すべて一度に償われる。・・・
可哀想に、俺の阿呆が絞め殺された!もう、もう、命は
ない!
犬にも、馬にも、ネズミにも命がある。それなのに
なぜお前は息をしない?、もう戻っては来ない、
二度と、二度と、二度と、二度と、二度と!
・・頼む、このボタンをはずしてくれ。ありがとう。
これが見えるか?見ろ、この顔、見ろ、この唇、・・・」(ここは正確ではなく、松岡訳からの引用)
こうして彼は倒れる。幕。

いやあ驚きました。
途中までは面白かったのに、最後がいけない。
天才・沙翁の創作した、胸が締めつけられるようなセリフを使えば、観客の心をつかみ、泣かせることができると思ったのか。
これってまさに、「人のふんどしで相撲を取る」ってことじゃないですか!?
実にけしからん。
ずるいし、あまりにも虫が良すぎる。

役者では、何と言ってもスターリン役の島英臣の張りのある声が素晴らしい。
演出については、後ろにうごめく何人もの人たちは、むしろ邪魔だった。
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「兵卒タナカ」

2024-02-13 22:28:00 | 芝居
2月5日、吉祥寺シアターで、ゲオルク・カイザー作「兵卒タナカ」を見た(オフィスコット―ネ公演、演出:五戸真理枝)。





貧しい農家の出身である兵卒タナカは休暇をとり、戦友ワダとともに実家を訪れる。
軍人となった息子が帰ってくることを一家は喜び、贅の限りを尽くして迎え入れるが、村は不作が続き、大飢饉のまっただ中にあった。
自身の軍人という身分が、もっとも身近な存在の犠牲により成り立っている現実を突き付けられたとき、
タナカが信じて疑わなかった世界が音を立てて崩れていく・・・(チラシより)。
ネタバレあります注意!

舞台中央に、一段高くなった菱形の大きな台が設けてある。
白い簡素な服の人々が入って来る。
台の上で4人がゆっくり動くと雅楽が鳴り響くが、途中からグレゴリオ聖歌風の曲が混ざり、両者が渾然一体となって響く。
天井から濃い灰色の球が下がっていて、人々はそれに向かって手を伸ばす。

タナカの実家。
祖父、母、父、近所の人。
タナカがワダを連れて帰省する。
彼は新聞で、このあたりが大飢饉と知り、土産に焼酎と魚の干物を持参したが、両親は酒に白米、大きな魚まで出してもてなす。
「大飢饉なのに、どうしてこんな金がある?」と問うと、母は「へそくりだよ」などと言い、二人共、のらりくらりとごまかす。
そして、妹のヨシコがいない。
実は、ワダはタナカからヨシコの話を聞いて、彼女と結婚しようと思い、二人はそのこともあって帰省したのだった。
ヨシコは?と問うと、両親は「山の方に行った」「山をいくつも越えた所」「大百姓のところに働きに行ってる」と言う。
いつ戻る?と問うと、「何年たったら戻って来るって言ってたかなあ」と母。
父「おれはその時、金勘定してたからなあ」。

<2幕>
舞台奥に「妓楼」と大きく書かれた障子。
兵隊が6人やって来る。タナカとワダとその仲間たちだ。
射撃訓練で良い成績をあげた褒美に外出許可をもらったのだ。
まだ昼間なので女たちは寝ている。
だが兵隊とわかり、おかみは大喜び。
すぐに2階の女の子たちを起こすと言う。
まず一人が来て、歌と踊り。
白地にピンクの着物を羽織り、中は濃いピンクのベビードールのような丈の短いドレス。
6人の兵士はコインを投げて順番を決める。表が出た男が女と共に2階へ。
2人目、3人目、4人目と、それぞれ少し違う踊りをした後、兵士と消える。
最後にタナカが残る。
おかみ「最後にとっておきの子、一番若いコ、まだ歌と踊りはあまり・・」
観客の予想通り、6人目に来たのはタナカの妹ヨシコだった。
タナカ「お前をこんな目に合わせたのは誰だ」「山の大百姓の名は?」
ヨシコが答えないのでタナカはいろいろ想像する。
「男にだまされてここに逃げて来たのか」とか。
ずっと黙って聞いていたヨシコは「両親よ」
「借金の利子を返さないといけないの」
「女衒が私を見て・・・誰でもいいわけじゃないのよ」と、むしろ少し得意気。
タナカはショックのあまり呆然自失。
そこに新しい客が来る。
それは下士官ウメズで、タナカの上官だった。
他に女はおらず、タナカは自分の相手の女郎、つまりヨシコを、この上官に譲るよう店側から迫られる。
とっさに彼は妹を連れて隣室に逃げる。
逃げ回った挙句、もはや逃げられないと観念して妹を刺し殺す。
さらに彼は、驚く上官に向かって刃を突き立てるのだった・・。

<3幕>
軍事法廷。
裁判長は、この不可解な事件の真相に迫ろうとするが、被告であるタナカは黙秘し続ける。
仕方なく裁判長は、彼の凶行の動機をさまざまに想像する。
被害者である上官に対して、以前から何か恨みを抱いていたのではないか、その日、何かちょっとしたことでぶつかったのではないか、
同じく被害者である女郎は、実はお前がかつて付き合っていた女だったのではないか、等々。
だが、いずれもタナカが否定するので皆困惑する。
最後に彼は告白する。
あの女郎が自分の妹だと。
そして、実家の両親はご馳走で自分を歓待してくれたが、それは、妹を売って得た金で買ったものだったと、
それを知ってどれほどショックを受けたか、ということを。
すると裁判長始め、そこにいる弁護士も書記も全員が、うなだれ、黙ってしまう。
彼らは被告の凶行を、兄の心情からして仕方ないこと、同情すべきことと感じたらしい。
気を取り直した裁判長は言う。
女郎殺しの件はもはや問わないが、上官殺害の罪は重罪であり死刑に相当する。
ただし、お前が助かる道が一つだけある。
天皇陛下に願い出て、恩赦をしてもらうことだ、と。
だが、タナカは答える。
相変わらず真っ直ぐ前を向いて、清々しい態度で穏やかな笑みを浮かべつつ答える。
「陛下が謝るべきであります」と。
警護の者たちが慌てて銃を向ける。
こうして、危険思想の持ち主として、タナカは処刑されることになる。

不思議な味わいの空間だった。
舞台は日本のようだが、私たちの知っている日本とはいささか違う。
親が実の息子のことを「軍人さんのタナカ」と呼ぶ。
彼には下の名前がないらしい。
妹にはヨシコというちゃんとした名前があるのだが。

目の前にある一匹の魚のことを「この魚」とか「こんな大きな魚」などと、みなが何度も口にするのも奇妙だ。
日本では「こんな鯖」とか「鰤」とか、必ず魚の種類で呼ぶのだが。
だがこのことも、この芝居全体の寓話的な印象を強めている。

妹は死にたがってはいなかった。
兄が勝手に殺したのだ。
彼は、妹が女郎になるくらいなら死んだ方がましだ、と勝手に思ったのだ。
そのくせ自分は買春しようとしていた。
他の家の娘なら別にいいのか。
男は買春しても別に不名誉ではないが、女が売春するのは、死んだ方がましなくらい恥さらしなことらしい。
確かにこれは、つい数十年前まで日本社会にあった考え方だった。
だが今は違う。
買春する男も強く非難される時代になった。
だから、この芝居の、その点に違和感を覚えるのだ。
タナカは何の罪もない妹を殺し、同じく何の罪もない上官を殺した。
そして彼は、強い悲しみと怒りを抱いてはいるが、二人を殺したことについて後悔も反省もする気配がない。

オペラ「蝶々夫人」で蝶々さんは名誉のために死を選ぶが、当時の西洋における日本のイメージは、あれに大きく影響されているのだろう。
女性にとって、操は命より大切という考え。
だがそれが、かつての日本の現実だったのかも知れない。

上官殺害の罪は重罪で死刑に相当するが、妹を殺した罪は不問に付されるというのもすごい話だ。
タナカの供述を聞いて、そこにいる誰もが、そりゃ兄としては仕方ない、妹を殺すのも当然だよな、と思った。
実に不愉快だ。
妹に自殺願望はなかった。
女衒にじろじろ見られて高く買われたことを、むしろ誇りに思っているくらいだ。
もちろん彼女は今後、悪い病気にかかって苦しんだり死んだりするかも知れないが、逆に、金持ちに見初められて見受けされ、
子供をもうけて幸せな母親になることだって、ないとは言えまい。
そんな未来を、兄の一存で断ち切ってしまった。

とは言え作者はヨシコを、「苦界に身を沈めた」という風に描いてはいない。
作者はもっと客観的・俯瞰的に、主人公の行為を、或る種、寓意的に描いている。

軍事法廷の場面でタナカは激しい天皇批判を口にするので、1940年のチューリヒでの初演の際、日本公使館の抗議を受けて
この芝居が上演中止となったというのも、時代を考えれば当然だろう。
だが、天皇に職業選択の自由は(ほぼ)ない。特に当時の日本にはなかった。
戦争に突き進みたい政府が天皇制を利用したのだ。
天皇は神格化されていたとは言え、彼個人が謝ってくれたって状況は何も変わらない。

ここでは当時の日本と違って徴兵制が敷かれてはいないようだ。
だから、兵隊はみな職業軍人で誇り高い。
徴兵制度下ならば、村のどの家にも兵隊に取られた息子や父親がいて、タナカの帰省を村人総出で歓迎するような光景は
見られないはずだ。

多くのことを考えさせられたが、ドイツ人の作者が日本を舞台にこんな戯曲を書いていたというのが、実に興味深い。
作者はナチス政権に弾圧されて苦しい生活を強いられたという。
これは、そんな作者が日本という国に仮託して反戦を訴えた作品だというが、彼の分析力と洞察力には心底驚かされた。

役者はみな滑舌がよく、好演。
特に、裁判長役と下士官ウメズ役の土屋佑壱の過剰なまでの演技が、非常に面白い。
主人公タナカ役の平埜生成の清々しい演技も、この芝居にふさわしく、実に好ましい。






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