ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「デカローグ Ⅳ ある父と娘に関する物語」

2024-05-05 15:56:22 | 芝居
前回の続き、新国立劇場小劇場で見た、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグ Ⅳ ある父と娘に関する物語」について。



快活で魅力的な演劇学校の生徒アンカは、父ミハウと二人暮らし。
母はアンカが生まれた時に亡くなった。
父娘は友達同士のように仲睦まじく生活していたが、ある日アンカは「死後開封のこと」と父の筆跡で書かれた封筒を見つける。
その中身を見たアンカがとった行動とは・・・。

父ミハウ(近藤芳正)が出張するので、娘アンカ(夏子)は空港まで見送りに来た。
親子はアツアツで、しばしの別れを惜しむ。
最後に父は「そうだ、電話代と部屋代を払っておいてくれ」
請求書は?
机の引き出しの中。
帰宅後、アンカは引き出しの中から大きな封筒を発見する。
父は、どうも、わざと彼女に発見させようとしたらしい。
だがアンカは目が悪いのか、よく読めない様子。

アンカは眼科医(近藤隼)のところに行き、視力検査を受ける。
医者は、彼女が20歳で〇〇大学の俳優コースに在学中と知って興味津々。
「息子の志望校だ」
どんな試験だった?
・・詩の朗読と・・・
何の詩?
T.S.エリオット。
エリオットかぁ、うちの息子にはやっぱり無理だな・・

検査表の下の方が F・A・T・H・E・R なので、アンカはファーザーと発音してみる。
じゃあ君は英語ができるの?
はい。
じゃあますますうちの息子じゃ無理だな。
でもどうしてファーザーと?
ちょっとした知能テストだよ。

アンカの部屋に恋人ヤレク(坂本慶介)が来るが、彼女はすげない。
オレ、何かした?
別に。・・・帰って。

父が帰る日、アンカは空港の寒い場所で父を待っている。
父が来ると、彼女はいきなり母の遺書を朗読し始める。
父はアンカの頬をはたく・・。

大学で、教授(近藤隼)がアンカとヤレクに演技指導中。
二人は王女とその恋人の役だが、アンカはなかなか役に入ることができない。

アンカは家で、机に向かい、何かの文字を何度も練習している。
その文字が奥のスクリーンに映し出される。

あの封筒の中には別の封筒が入っていて、そこには亡き母の筆跡で「私の死後開封のこと」「アンカへ」とかかれていた。

アンカ「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
父「お前が10歳になったら言おうと思っていた」
だけどお前はまだ幼過ぎた。
15歳になったら言おうと思い直した。
でもその時は遅過ぎた。お前は大きくなり過ぎていた。
 (ここで当然ながら客席から笑いが起こる)
アンカ「今までパパは嘘をついてた!」
父「(18歳の時)、お前に初めて恋人ができた時、俺は何日も家を空けた・・」
実は、彼は娘を女として愛していて、その気持ちを吹っ切ろうとしていた。
娘もまた・・・。
アンカは19歳の時、妊娠したことがある、と爆弾宣言。
これには父もさすがに驚く。

二人は母の遺品の詰まったトランクを開ける。
実はアンカは、母の遺書を読んではいなかった。
父に見せたのは、母の字を、何度も練習して真似て書いたものだった。
実はミハウも、妻の遺書をまだ読んではいなかった。
二人はキッチンに行き、母の遺書を封筒ごと燃やす。
焼け残った紙をつまみ上げてアンカは読む。
「実はミハウは・・・」
「あとは燃えちゃった」


だがどうしてこんな中途半端なことをする?
読みたければ読めばいいし、読まないつもりなら、完全に跡形もなく燃やせばいいんじゃないか?
まあ二人の揺れる気持ちが、こんなわけのわからない行動に現れているのだろう。
母の遺書のほんの一部ではあるが、その書き方から見て、ミハウがアンカと血がつながっていないことは明白なようだ。
これから二人はどうするのか。
名づけることの難しい関係かも知れないが、彼らの間には、ある強い感情が存在することは確かだ。
そしてそれは、他の誰にも否定したり責めたりすることはできないだろう。
周囲の人々からは奇異の目で見られるだろうが、彼らはお互いなしには生きられないようだ。

親子のこれまでの歩みが少しずつ明かされてゆく過程も面白い。
だがゴミ箱の蓋のところはくどかった。
ミハウがゴミ箱にゴミを入れて閉めるが、数秒たつと、なぜか蓋が自然と開いてしまう。
それが何度も繰り返される。
何度目かで、さすがに笑いが起きたけど、でもこれって面白いのか?
しつこくてくどい。私だったらカットする箇所です。

十戒の第4戒は、「あなたの父母を敬え」。
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「デカローグ Ⅱ ある選択に関する物語」

2024-05-02 21:16:02 | 芝居
4月22日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグ Ⅱ ある選択に関する物語」を見た(演出:上村聡史)。



交響楽団のバイオリニストである30代の女性ドロタと、彼女と同じアパートに住む老医師の二人。
ドロタは重い病を患って入院している夫アンジェイの余命を至急知りたいと尋ねる。
ドロタは愛人との間にできた子を妊娠していた・・・。

下手のベッドに男が寝ている。そばで女が見ている。

集合住宅の医師(益岡徹)の部屋を女(前田亜希)が訪問する。
「ドロタです。上の階に住んでいます。ご存じですか」
「ああもちろん。2年前、私の犬を轢いた」
「主人の容態を知りたいんです」
「水曜の3時から5時の間に来なさい」
「今日は月曜日、水曜まで待てません!」
医師が断ると、ドロタは「犬でなく、あんたを轢けばよかった」と捨てゼリフを残して去る。

医師の部屋に若い男(亀田佳明)が来る。
ベランダの鉢植えの世話をして、医師の話を聴く。
カウンセラーなのだろうか。
医師は昔の身の上話をする。男は終始セリフ無く、聴いている。

ドロタは病院に行き、医師と話す。
チェーンスモーカーで、タバコを吸いまくる。
彼女は米国のように「告知」をして欲しいと言う。
医師は「本に書いてあることから言えば死ぬことは確かだが、見込みのないはずの患者が助かった例を幾度も見て来た。
反対に、特に悪くなかったのに死んでいった人もたくさんいた。告知なんてできない」

ドロタはまた医師の家に行く。
またタバコ。
実は、私妊娠してるんです。
子供の父親は夫じゃなくて別の人です。
・・二人を愛することができるんですよ。
私たち、なかなか子供ができなくて。今、この子をおろしたら、年齢的に、もう子を持つことはできません。
でも夫が死ななかったら、子供を産むことはできません。
・・先生は神を信じますか。
神?・・・私は私の神を信じている。
じゃあそのあなたの神にひざまずけばいい、と言い放って女は去る。

医師の家では給湯器の具合が悪い。
そこで、会話の途中、彼は彼女に尋ねる。
お宅では風呂場のお湯は出ますか?
・・鍋で沸かしています。
彼女の部屋でもやはりお湯は出ないようだ。

ドロタは部屋に戻ると、机の上の鉢植えの葉をじっと見ていたかと思うと、全部むしり取る。
恋人ヤネク(近藤隼)が来る。
ドロタの夫アンジェイとは山岳クラブで仲間だったらしい。
「アンジェイのリュック持って来た」とリュックを置く。
もうお葬式の用意?!
持って帰って!

ヤネクから留守電。
だがドロタは出ない。

ドロタは別の若い医師(近藤隼)と面談する。
医師「順調ですよ」
ドロタ「私、堕ろさないといけないんです」
医師「・・順調なのに?」
「ええ」
明日の朝9時に、中絶手術をすると決まる。

ヤネクからの電話にようやく出る。
中絶のことを告げると、彼は驚いたらしく、しばし考えて「アンジェイが死んだら僕と別れるつもりだね」
ええ
僕は君と一緒にいたい!
だが彼女は電話を切る。

病院で、医師は病巣の変化に気づいて驚く。

ドロタはまた医師の部屋に行き、告げる。
いいお知らせです。明日の朝一番に子供を堕ろします。
やめなさい!絶対いけない!ご主人は死ぬ!
言い切れますか?
間違いない。転移していて・・

ところが、その後アンジェイは生き返った。
彼は、まだよろめきながら医師の前にやって来て言う。
妻と僕に子供が生まれるんです!二重の喜び!
・・・幕

妊婦がタバコを吸いまくる。
現代ではあり得ない光景だが、この作品が作られた1988年当時は、喫煙の害について、まだ認識されていなかったのだろう。
この医師には、かつて家族を一夜にして失ったという壮絶な過去がある。
戦争か災害、おそらく戦争でだろう。

十戒の第2戒は、カトリックでは「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」。
この話とどういう関連があるのかは、よくわからない。







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「デカローグ Ⅲ あるクリスマス・イブに関する物語」

2024-04-25 22:14:08 | 芝居
前回の続き、新国立劇場小劇場で見た、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグ」十篇の第3篇について。



 クリスマスイブ。妻子とともにイブを過ごすべく、タクシー運転手のヤヌシュが帰宅する。
 子供たちのためにサンタクロース役を演じたりと仲睦まじい家族の時間を過ごすが、その夜遅くヤヌシュの自宅に
 元恋人の女性エヴァが現れ、ヤヌシュに失踪した夫を一緒に探してほしいと訴える・・・。

サンタの恰好をした男が酔っぱらって登場。
「おれのうちはどこだ?」
もう一人、同じ恰好の男がすれ違う。
彼は家のブザーを鳴らし、子供たちが出ると「ホー、ホー、サンタクロースだよ」
彼(千葉哲也)はこの家の主、ヤヌシュだった。
居間にクリスマスツリー。
妻(浅野令子)が赤ん坊を抱いている。
子供二人と赤ん坊と妻に、それぞれプレゼントを渡し、子供たちに「パパのはないの?」と聞かれると、
「パパはいらない。パパのプレゼントは君たちだから」と二人を抱き上げる。
プレゼントをツリーの根元に置いて、子供たちは寝室へ。
夫は妻に、「二人で祝い直そう」と新しいワインのボトルを開けて、グラスに注ぐ。
飲もうとするとブザー。
ヤヌシュがインターホンに出ると、女(小島聖)「くるま」「車のとこにいるわ」
ヤヌシュは妻に、「何だかわけのわからないことを言ってる。ちょっと見て来る。さっきも変な奴に会ったよ」
とジャンパーを着て外へ。
女「〇〇がいなくなったの。探さなくちゃ」
男「・・俺には関係ない」
女「そう・・、お邪魔さま」と言って立ち去りかけるが、男は何を思ったか、「エヴァ」と呼び止める。
「一緒に探すよ」
「奥さんに何て言うの?」
「車が盗まれたって言うよ」
「そんなの信じるかしら」
男、家に戻って妻に「車が盗まれた、警察に盗難届けを出してくれ。探して来る」
「警察に任せておけば?」
「俺の商売道具だ、あれで食ってるんだ」
彼はタクシー運転手だった。
こうして男は元恋人と共に、失踪した彼女の夫を捜して夜の街を彷徨する。
クリスマスイブだというのに・・。
まず救急病院へ。
ある男が交通事故で両足を切断し、顔も血だらけで死んでいた。
だがそれは夫ではなかった。
エヴァはヤヌシュのことを憎んでいると言う。
死ねばいいと思う、とも・・。
それから酔っ払いを収容する所に行き、ひと騒動あり、その後エヴァの部屋へ。
彼女は外に彼を待たせ、部屋に入ると、男と住んでいたかのように、大急ぎで偽装する。
教会の鐘が鳴ると、エヴァは小鉢を出してきて二人で何かパンのようなものをそこに浸して口にする。
ポーランドのイブの夜の風習らしい。
3年前の話。二人が別れることになったきっかけについて。
再び車に乗るが、ヤヌシュの妻が盗難届けを出していたのでパトカーが追って来る。
ヤヌシュは猛スピードで逃げるが捕まってしまう。
車検を見せ、自分の車を自力で見つけて帰るところだ、と説明すると、警官たちは「イブだから」と許してくれる。
外が明るくなってきた。
二人は夜通しさまよっていたのだ。
エヴァは「今夜、いっぱい嘘をついた」と言って、一枚の写真を見せる。
これが〇〇。隣にいるのが彼の奥さん。そして二人の子供。3歳と、一人はまだ10ヶ月。
私はずっと一人なの。孤独だわ。こんな日にひとりでいるなんて耐えられない。
彼女は賭けをしたという。
朝の7時までヤヌシュと一緒にいられるかどうか。
もしいられなかったら、睡眠薬を飲んで死ぬつもりだったようだ。
その後またスピードを出して事故を起こし、車が壊れ、ヤヌシュの額から血が出る。
「あなたのイブも車もダメにしちゃったわね」
「いや、けっこう楽しかったよ」
やっとエヴァは帰っていった。
ヤヌシュが家に帰ると、妻はテーブルに突っ伏して寝ていた。
彼は妻の手をとり「車、見つかったよ」
「知ってるわ。警察から連絡があったの」
「・・」
「・・・エヴァ?」
「・・・エヴァ」
「そう・・・また夜に出かけたりするの?」
「いや、もう二度と出かけないよ」
見つめ合う二人。幕

第3戒は、カトリックでは「主の日を心にとどめ、これを聖とせよ」らしい。
プロテスタントと違うので、戸惑った。
孤独をひとり嚙みしめる女が、イブの夜に家族と過ごしている元カレを突然訪ねて来る。
男は良き家庭人のようだが、そんな女につき合って一晩中、女の「夫」をあちこち探し回る。
そんなの嘘だとわかっていたのだろうか。
二人の間に、かつてどんなことがあったのだろうか。
なぜ男は、この人騒がせで、はた迷惑な元カノを助けて、どこまでもつき合ってやるのだろう。
これは、ただのお人好しの男の話ではないだろう。
欠けの多い、弱さを抱えた人間たちの営みと、それぞれの思いが交錯する。
一方、男の妻には何もかもお見通しだった。
彼女は夫のことを深く理解しているようだ。
彼女の豊かな包容力、広い心と信頼が、強く印象に残る。








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「デカローグ Ⅰ ある運命に関する物語」

2024-04-22 22:34:33 | 芝居
4月15日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグⅠ・Ⅲ」を見た(上演台本:須貝英、演出:小川絵梨子)。



ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキの代表作「デカローグ」十篇の物語を、新国立劇場が完全舞台化。
旧約聖書の十戒(ポーランド語でデカローグ)をモチーフに、オムニバス形式で人間の脆さと普遍的な愛を描くものだという。
今後3ヶ月にわたって上演するという大型プロジェクトだ。
この日は、そのⅠとⅢが上演された。
長くなるので、2回に分けて書きます。

大学の言語学の教授で無神論者の父クシシュトフは、12歳になる息子パヴェウと二人暮らしをしており、信心深い伯母イレナが父子を
気にかけていた。パヴェウは父からの手ほどきでPCを使った数々のプログラム実験を重ねていたが・・・。

舞台は集合住宅。右寄りに狭い部屋と3階まで続く階段。奥に巨大なスクリーン。2階左側にもスクリーン。
2階右側は階段。中央の部屋の前に開口部。
朝、息子パヴェウ(石井舜)が「パパ、パパ」と呼び、牛乳とパンをテーブルに置く。
鳩の鳴き声がするので子供は庭に出てパンくずをまく。
教会の鐘が鳴る。
父(ノゾエ征爾)が来ると、鳩たちは飛んでゆく。
二人は庭に出て腕立て伏せ。10回。
そして息子はパソコンの前に座り、父が出す計算問題を解く。
一人が家を出て時速〇キロで歩き出し、3分後にもう一人が時速△キロで追いかけると、何分で追いつくか。
息子がパソコンに入力した計算式が奥のスクリーンに現れ、答えが出る。
正解。
これが二人の朝のルーティーンらしい。
朝食をとるが、牛乳が腐っている。匂いを嗅いで二人とも「オエッ」。
子供「ねえパパ、死ってどういうこと?」
父は医学的な知識を語る。脳の機能が止まり、心臓が止まり・・。
だが子供が聞きたいのはそういうことではなかった。
子供「お葬式で、魂が安らかならんことを、って言うけど、パパは魂のこと言わないよね。信じてないの?
伯母さんは、魂はあるって」「そうだな・・」
「さっき、犬が死んでた。いつもお腹をすかしてた。かわいそうだった」「そうか・・」
子供は学校へ。
夕方、伯母(高橋惠子)が来る。父の帰りが遅い時は、彼女が来て夕食を食べさせるらしい。
夕食後、子供「人って何のために生きてるの?」
皿を洗っていた伯母は驚いて彼のところに来て彼を抱きしめ、「何を感じる?」
「温かい」
「そうね、それが生きてるってこと。人のためになることをするのが生きること・・」
父が帰宅すると、彼女は彼に、パヴェウを教会に連れて行きたいと言う。すでに神父さんに話してある。
あなたにも来てほしい、と言うと、クシシュトフは承諾する。

父は階段を上がり、2階のスクリーンを上げて講義を始める。
コンピューターについて。
「翻訳は難しい。特に詩は翻訳不可能だと言われている。
だがいつの日か、コンピューターの翻訳した T.S.エリオットの詩に君たちが涙する日が来るだろう」
時間が来たので、学生たちに来週までの課題を与え、明るく如才なく講義を終える父。

パヴェウの母は別のところに住んでいるらしい。
彼は両親からのクリスマスプレゼントのスケート靴を、ソファの下に発見する。
「湖でスケートしていい?他の子はしてるよ」
父はパソコンで氷の厚さを計算する。
ここ3日間の気温を入力すると、湖の表面の氷は1㎠あたり200㎏以上の重さに耐えられる、と出る。
父は慎重に、この計算を3回も繰り返すが、同じ結果が出る。
それで彼は息子にOKを出す。
プレゼントの靴を履く許可も出す。
息子は大喜び。

その夜、父は湖に行って氷の厚さ・固さを自分の足で確認する。
見知らぬ男=天使(亀田佳明)に見られて「やあ」と照れ笑い。
息子がトランシーバーで「パパ、今どこ?」
「そこにいると思った」
父親の息子を思う熱い気持ち、心配する心がよくわかり、伝わってくるが・・・。

次の日、辺りが騒がしい。
この日、息子は放課後、英語教室に行く予定だったが、それにしても遅い。
夕方4時になっても帰らず、他の子の親から電話や訪問があり、湖の氷が割れたらしい、子供が二人溺れた、と言われる。
父は、そんなはずはない!と強く否定するが、なら、自分で見て来たらいい!と反発される。
父が英語教室の先生に電話すると、今日は風邪気味なので、生徒はすぐ帰した、と告げられる。
あわてて伯母に電話すると、伯母もすぐに駆けつける。
パソコンの前に行くと、触ってもいないのに画面に I am ready という文章が繰り返し何度も出る。
父、伯母、隣人たちがこちらを向いて見守っていると、もう一人の子供の母親が大声で叫び出し、次に伯母が叫び声を上げて泣き伏す。
子供たちの遺体がヘリで吊り上げられたらしい・・。

一人になると、父は鉄筋の柱に頭を何度も打ちつけて嘆く。
地面に泣き伏していると、伯母が来て背中をさすり、二人抱き合って泣く。
上方にイコンのような絵が現れ、聖母の目から涙のような白い雫が垂れる。幕。

十戒の第1戒は「私のほかに神があってはならない」。
この戯曲は、それをモチーフにしているという。
父親が無神論者で、コンピューターの力を過信してしまったことから、愛する大切な一人息子の命を失うことになったということか。
だが、それではあまりに可哀想だ。
賢くて心優しい少年、未来ある少年の命。
彼を愛し、宝物のように大事に育てている父親と伯母だったのに・・。
シェイクスピアの「冬物語」に登場する哀れなマミリアス王子を思い出した。
この利発な少年は、父である王が、アポロ神の神託をわざわざ伺いに行かせたのに、届いた神託を認めず、アポロ神を冒瀆した直後に
突然死したのだった。平たく言えば、バチが当たったのだと思う。

だがこの話は、それとは違う。
見終わって強く心に残るのは、人々の愛の強さ、過酷な運命、人間をふいに襲う、耐えられないほどの悲しみ。
タイトルが「ある運命に関する物語」だし。

途中から勝手に動き出すパソコンが怖い。
胸締めつけられる話だ。
だがこれは連作の第1作目だし、10篇の物語はすべて独立していながら、壮大な一つの物語でもあるという。
だから、今後の物語とのつながりに注目していこうと思う。



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「そして誰もいなくなった」

2024-04-16 23:49:31 | 芝居
4月7日江東区文化センターホールで、アガサ・クリスティ作「そして誰もいなくなった」を見た(演出:鈴木孝宏)。



イギリス、デヴォン州沖の孤島、ソルジャー島にあるオーウェン夫妻邸に8人の客人たちが招かれる。
邸では、使用人のロジャースとその妻が客人たちを迎え入れる準備に勤しんでいる。
最初の船で到着したのは、オーウェン夫妻に秘書として雇われたヴェラと元陸軍大尉ロンバード。
次の船で、青年マーストン、元刑事のブロア、マッケンジー将軍、老婦人ミス・ブレント、元判事のウォーグレイブ、アームストロング医師が到着。
その夜、一同が会し晩餐が始まると、突然、不穏な声が聞こえ、10人それぞれの過去の罪状が読み上げられる。
やがて、古くから伝わる童謡の歌詞通りにひとりずつ死んでいく・・・ひとりいなくなるたび、恐怖に慄き疑心暗鬼に陥る人々。
折しもマントルピースの上に置かれた10人の兵士の人形が1体ずつ消えていき・・・(チラシより)。

1939年に発表された同名の長編小説は、クリスティの最高傑作と言われている。
本作は、作者が自ら2年の歳月をかけて完成させた戯曲版であり、1943年に上演が始まると、大戦下にもかかわらず大ヒットし、
後にブロードウェイでも好評を博し、ロングランヒットとなった由。

ネタバレあります注意!!
ミステリーなので、当然ですが、犯人を知りたくない方は、ここから先は絶対に読まないでくださいね!

奥行きの狭い、横長の舞台。
椅子があちこちにあり、ソファが一つ、下手の壁際の棚に白い人形が10体。
奥に大きなガラス戸と2つの大きなガラス窓。
その向こうは海らしい。ガラス戸を出たところに海に降りる通路。

作者自身による戯曲は、原作の小説とはだいぶ違う。
着いた早々、ヴェラ(伶美うらら)とエミリー・ブレント(夏樹陽子)は服装のことで険悪な雰囲気に。
将軍役の石山雄大は老齢で危なっかしい。
まもなく将軍は錯乱状態に陥り、亡妻のことをしきりに口走る・・・。

この日のために原作の小説を読んだ。
作者の孫の男性が、10歳の時これを読んで怖くてたまらなかったと書いているが、私も怖かった。
途中から、これは夜寝る前に読むべきではないと思った。
だって「部屋に誰かいる・・」「でも、振り向けない・・」とか書いてあるし(笑)。

原作はもちろん素晴らしかったが、それを戯曲にするにあたっての作者の技巧がまたすごい。
小説では全員が次々に殺されてしまい、その後、警察が来て捜査するものの、誰がみんなを殺したのかまるで分らず、迷宮入りかと思われる。
と、その後に「真犯人」の手記が現れる!
それを読めば、すべての謎が解けてすっきりするというわけだ。
だが、芝居ではそんなことはできない。
犯人の手記を誰かが長々と読み上げるなんて面白くないし。
ではどうするか。
大胆に筋を変えたのだ。

大詰め、10人の客のうち8人までが殺され、ヴェラとロンバード(野村宏伸)の二人が残る。
二人とも、相手が殺人鬼だと思い、何とかしてやられる前に相手をやっつけようと考える。
結局、ヴェラがロンバードの隙をついて銃を奪って撃つが、その時突然、不気味な老人の笑い声が聞こえたかと思うと、
死んだはずの判事(側見民雄)が白い毛糸のカツラをかぶったまま部屋に飛び込んで来る。
そして、驚くヴェラを相手に、これまでの種明かし=自らの天才的な犯罪を、得々として語るのだ。
医師アームストロング(小野了)を味方に引き入れ、死んだふりをしたこと、その後、自由に動き回ったこと・・。
ヴェラが「私は無実よ!」と言うと、判事は「あんたが心神喪失ならそうだろう。だがあんたは健康だ。
狂っているのは私だ!」と笑いながら両手を振り回す。その様は、まさに狂人!
「さあ、首をくくれ」と言われてヴェラは催眠術をかけられた人のように椅子に上がり、縄に首をかける。
と、その時、死んだはずのロンバードがすばやく身を起こしてピストルで判事を撃ち殺し、ヴェラを縄から外して椅子から降ろす。
ヴェラ「私、あなたを殺したと思った」
ロンバード「素人は真っ直ぐ撃てないんだ。君の弾がどこに飛ぶか予想して反対側によけたんだ」
彼が原住民を20人も置き去りにして見殺しにしたという話は嘘だった。
話は逆で、彼の英雄的な行為が誤って広まったのだった。
ヴェラの方も、本当の人殺しはピーター(原作のシリル)の伯父ヒュー(原作のヒューゴー)だと言う。
ヴェラが岩に向かって泳ぎ出した子供の後を追おうとしたら、ヒューに止められた。
彼はヴェラの恋人だったが、強欲な人だった(ピーターがいなければ、ある人の遺産が手に入るのだ)。
実はその時、ピーターに「お前ならあの岩まで行ける」とそそのかした、と後で彼は告白したという。

ついに恐るべき犯人は死んだ。
生き延びることができた二人は抱き合う。
こうしてクリスティのエンディングにふさわしく、若い二人のカップルが誕生。
そこに迎えのボートが来る音が聞こえる。めでたしめでたし。

犯人は生来、生き物が死ぬのを見たり、殺したりして喜ぶ嗜虐趣味があった。
と同時に、全く正反対の、強い正義感も持っていた。
そのため彼は、法律を学び、判事になった。
年を取るにつれて、彼は人を殺したい、という気持ちを抑えることができなくなった。
だがそれはただの殺人ではいけない。
世の中には、人を殺しておいてまんまと法の裁きを逃れた奴らがいるという。
そういう奴らを見つけ出して、正当な裁きを下してやろうとしたのだった。

生き残った二人は無実だった。
でないと後味が悪くて観客に受け入れてもらえないだろう。
こうして、「誰もいなくならなかった」のだった(笑)。
タイトルとは違う結末だが、実に見応えのある芝居だった。
やはりクリスティはすごい、と改めて思った。






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「お目出たい人」

2024-04-04 22:51:27 | 芝居
3月27日下北沢 ザ・スズナリで、水谷龍二作「お目出たい人」を見た(演出:水谷龍二)。



地下室にひっそりと置かれた棺。
通夜に集まった今日が初対面の六人。
死んだ男の残したものとは何だったのか。
哀しみと笑いと怒りが交錯する中、帰るに帰れない六人の酒盛りはつづく(チラシより)。

ヨネダという男の通夜。場所は、なぜか或る小劇団の稽古場。
そこに、一人また一人と人が集まって来るが、みな、互いに知らない同士だ。
野口(川手淳平)は新宿の飲み屋で故人と飲み友達だった。
篠原(渋川清彦)はテレビ局のADでジャンパー姿。かつて故人と仕事仲間だったが、ヨネダは2年位で辞めたという。
小松(那須凛)は若い女性で、茶系のチェックのブレザーと白いパンツ姿。
編集者で、今日は校了の日なので忙しい。
ヨネダはテレビ局を辞めた後、ライターだった。
仕事熱心だったが、原稿はいつも締切りギリギリだった。
ヨネダは公園で、ホームレス同士の争いに巻き込まれ、殴られて死んだらしい。
八坂(渡辺哲)は「中央線断酒会世話人」という肩書をもつ老人。
彼は早速、酒好きの野口と酒をめぐって対立する。
金子(崔哲浩)は野口が一人でいる時に来て、線香をあげ、野口に「しばらく目を閉じていてください」と言う。
彼の迫力に押されて言われた通りにする野口。
すると金子は、そばの段ボールを開け、ヨネダの遺品を探って四角い箱を取り出し、自分のカバンにしまう。
こいつ、怪しい!
次に棺の蓋を開け、ヨネダの顔を見て、自分の顔をぐっと中に入れて一瞬泣き声を上げる!
この男と故人の関係って一体・・・。

この5人に連絡して来た中島という女性(李丹)がやっと現れ、ヨネダの死の経緯を説明する。
中国語訛り。
彼女はヨネダの行きつけの雀荘の経営者で、彼の財布に彼女の雀荘のカードが入っていたため、警察から連絡が来たのだった。
彼女は彼の部屋を引き払い、スマホにあった「友人」5人に連絡したという。
ヨネダはだいぶ前に妻と離婚しており、他に身寄りもない。
故郷に行けば身元引受人くらいいるだろうが、実家の住所など誰も知らない。
ヨネダが滞納していた部屋代3ヶ月分を彼女が払ったというので、5人は、それをみんなで出し合うことにする。
6人で通夜と葬儀の準備。
金子が実はヤクザだとわかり、みなビビる。
翌日の葬儀には坊さんは呼ばない。
みな、喪服に着替えて来る。
酒盛り、歌、そして中島による中国の踊り。
お開きの前に、彼女が言い出す。
実は、故人にお金を貸していました。百数十万。
それもみなさんで出していただけないでしょうか。
そのために我々を集めたんですか!?となじられるが、彼女も店の存続がかかっていて引き下がれない。
結局その金も、みなで出し合うことになる。
いろいろあったが、やっぱりヨネダは彼らに愛され、慕われていたようだ。

最後にみなで形見分けをする。古いレコードなど。
ルポライターだったヨネダは写真をたくさん撮っていた。
その中に、同じ少年が何枚も写っているのに誰かが気づく。
彼には別れた妻との間に、高校生になる息子が一人いた。
これがその息子なんじゃないか、その子のことをそっと追っていたんじゃないだろうか。
その息子を探してみることになる・・。

戯曲としては、一部冗長なところがあるのが残念だが、なかなか味のある芝居だった。
何より、役者の皆さんが実に生き生きと楽しそうに演じていたのが印象に残った。
那須凛は、例によってうまいし、李丹という人の中国の踊りが素敵だった。






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「マクベスの妻と呼ばれた女」

2024-04-01 22:15:31 | 芝居
3月26日青年劇場スタジオ結で、篠原久美子作「マクベスの妻と呼ばれた女」を見た(演出:五戸真理枝)。
青年劇場創立60周年、築地小劇場開場100周年記念公演第一弾とのこと。



名前を持たない「マクベス夫人」に、シェイクスピア作品の中から飛び出してきた女たちが問いかける。
「マクベス夫人、あなたのお名前は?」
父に従い、夫に尽くし、子に仕えることを美徳として生きてきた女の答えとは・・・(チラシより)。

時は戦争が起こりうるあらゆる時代。
舞台は戦争が起こりうるあらゆる場所に立つ、マクベスの城。
マクベス夫人と侍女たちは、フォレスの戦いで英雄となった夫からの手紙に浮き立つ。
そこに国王が今夜城にやってくるという知らせが入る。
城で働く女中たちは、王様ご一行をもてなすためにてんやわんや。
一行が到着し、無事に一夜明けるもつかの間、殺された国王が発見される。
女中たちは国王殺しの犯人を捜しはじめるが・・・(パンフレットより)。

マクベス夫人(松永亜規子)のそばにはデスデモーナ(武田史江)とオフィーリア(竹森琴美)が仕えている。
城の台所をあずかるのは、女中頭へカティ(福原美佳)、女中ポーシャ(八代名菜子)、ケイト(江原朱美)、ロザライン(秋山亜紀子)、
クイックリー(蒔田祐子)、そして新入りのシーリア(広田明花里)だ。
門番の妻ジュリエット(島野仲代)は80歳で、仲間たちに、昔ロミオと駆け落ちした話ばかりする。
ケイトというのは「じゃじゃ馬慣らし」のヒロイン・カタリーナのことで、その言動は、いかにもはねっかえりの彼女らしくておかしい。

「奥様」(=マクベス夫人)はいつも下の者にやさしく、争い事が起こると「広い心で許しておあげなさい」とほほえみつつおっしゃるが、
それでムカつく女中もいる。
だってその結果、後始末をしなくちゃいけないのは、奥様じゃなくて私たちなんだから、等々。
奥様にはやはり、下々の気持ちが、あまりよくお分かりにならないようだ。

国王が殺され、部屋付きの番兵2人をマクベスが「王の仇!」と殺してしまう。
誰が王を殺したのか。
女中たちは推理する。
実は、ポーシャとシーリアが小さなことに気づいていた。
へカティ「お皿が割れたら、その破片を拾ってつなぎ合わせると、元のお皿の形になるように、各自の気づいたことをつなぎ合わせれば、
犯人がわかる」
上の人たち(=貴族たち)は国外逃亡した2人の王子たちが犯人だと言っている。
だから、それと違うことを言い出すものではない、下手すればこっちの首が危ない、と尻込みする者も出る。

シーリアが気づいたのは、床についた血の跡。
血のついた長い衣を引きずって歩いた者がいる。
ポーシャは、けさ、デスデモーナとオフィーリアが血のついた布を燃やしているのを目撃した。
この2点から、へカティは、犯人又は犯人を知っている者は女で、デスデモーナとオフィーリアは犯人を知っていてかばっている、と推理する。

ここでケイトが言い出す推理がおかしい。
犯人は(王の次男)ドナルベーンよ。前日、王が皆の前で、兄で長男のマルカムを王位継承者に宣言したので、恨みに思って父王を殺害したものの、
兄に告白、兄はそれを聞いて「そうか、俺の配慮が足りなかった、もう王位なんてどうでもいい、二人で出家して諸国修業の旅に出よう」と言って
逃げ出したのよ。
女中たちは呆れて、「想像力が豊かなのは認めるけど・・」と言って彼女の推理を却下。

へカティは、大胆にも奥様を罠にかけることを提案。
殺された国王の幽霊が出たという芝居をうつ。
その夜、オフィーリアはショックで倒れる。
マクベス夫人とデスデモーナは気丈に振舞う。
夫人は女中たちに「今見たことは他言無用」と告げる。ますます怪しい。

次の策は、城での宴会の際、血のついた布と短剣をマクベスの椅子の上に置いておき、彼の反応を見るというもの。
案の定、彼は取り乱し(と言っても彼は舞台には登場せず、夫人が一人芝居で表現する)、
マクベス夫人はお客たちの前で弁解する。

ある夜、オフィーリアがふらふらと歩き回り、手を洗う真似をし、「あんな老人にこんなに血があったなんて」と、本来マクベス夫人が言うはずのセリフを言う。
舞台両端の黒い紗幕の陰で見ていた女中たちは驚く。
これで犯人はマクベス夫妻とわかった。(のか?だけどなぜオフィーリアが夫人のセリフを?)

シーリアの姉は父親に売られそうになり、姉妹で家を逃げ出して数日間楽しく暮らしたが、見つかってしまい、姉は入水自殺したという。
(シーリアというのは「お気に召すまま」に出てくる女性で、従妹ロザリンドを姉のように慕い、彼女が追放されると
一緒にアーデンの森に逃げる)
女中たちは、それぞれ身の上話をする。
マクベス夫人が女中一人一人と対話する。黒衣をかぶった女たちは一人一人、夫人から道徳的な事柄について責められる。
例えばシーリアは、なぜ城に訪ねて来た父を追い出したのか、とか。他の一人は、なぜ親に逆らったのか、とか。
ポーシャは「学問をしたかったのに、女はしなくていい、と言われ、親の決めた相手と結婚させられそうになった」。
いかにも彼女が言いそうなことだ。
ポーシャは「ヴェニスの商人」に登場する高貴な女性だが、例の「箱選び」だって、たまたまラッキーなことに、好きな人が正しい箱を選んでくれたからいいものの、
彼女の人生がかかったイチかバチかの大博打だったのだから。
冗談じゃない!と言いたかっただろう。

へカティが、奥様に聞きたいことがあります、と言い出し、「奥様の名前は?」。
女中たち全員が、モップで床を叩きながらこの質問を繰り返して夫人に迫る。
夫人が困っていると、デスデモーナが澄まして「女に名前なんていりません・・」。
でも彼女にはデスデモーナというれっきとしたいい名前があるから、まるで説得力がない(笑)。

ラスト、マクベスは戦に負けて自害(?)
デスデモーナとマクベス夫人も短剣で自害しようとするが、へカティが何度も止める。
だが、まずデスデモーナ、次に夫人が死ぬ。
女中たちが集まって来ると、へカティは突然、言い出す。
「奥様は狂っていた。夫をそそのかして何人も殺させ・・。しかし特にマクダフの子供たちを殺したことではさすがに気が咎め、
自ら死を選び、デスデモーナも後を追った」と。
みな戸惑う。
シーリアが「なぜ奥様が気が狂ったと?」と尋ねると、へカティは言う、
「後の女たちのために、夫に従順だった妻でなく、悪女として後の世に語り伝えるのよ・・」

マクベス夫人にファーストネームがないことは、以前から多くの人が気がついていた。
作者はこの点に注目し、彼女を、夫に従順な妻として描こうとしたようだ。
その点は、ちょっと賛同し難いが、戯曲自体は、楽しく面白かった。

この作品を作者が執筆したのは1990年頃だというから、今から30年以上前のことだ。
筆者も、この国の女たちの置かれた理不尽な状況に憤りを抱えてきたので、作者の気持ちは痛いほどわかる。
だが、演出の五戸真理枝が書いているように、最近の社会の動きを見ていると、「ごく近い将来」何か大きな変化が起きるかも知れない
とも思われる。


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「アンドーラ 十二場からなる戯曲」

2024-03-28 15:44:19 | 芝居
3月21日文学座アトリエで、マックス・フリッシュ作「アンドーラ 十二場からなる戯曲」を見た(演出:西本由香)。



敬虔なキリスト教国であるアンドーラ。アンドリは隣国の「黒い国」でユダヤ人が虐殺されているさなか、ある教師に救い出され、
教師夫妻とその実の娘バブリーンのもと4人で親子同然に暮らしていた。
もとは平和な国であったアンドーラだが、近頃は黒い国からの侵略の噂が飛び交い、不穏な空気が漂っている。
ある日、アンドリとバブリーンは結婚したいと教師に切り出すが、教師は激昂して許さない。
自分がユダヤ人であるからだと悲嘆に暮れるアンドリのもとに、黒い国からある女性が訪れて・・・(チラシより)。

戦後スイスの代表的作家マックス・フリッシュがドイツ語で書き、ドイツ語圏の多くの国で教科書に掲載されている寓話劇の由。
今回の上演では、演出家も美術・照明・衣装の各担当者もドイツに派遣されて研鑽を積んだ人だという。

舞台は白壁が取り囲む空間。三角と四角の幾何学的な形。黒いテーブルといくつかの黒い椅子。
それが酒場になったりアンドリの家になったり。
バブリーン(渡邊真砂珠)が家の壁を白く塗っている。聖人のお祭りの日のため。
カーキ色の軍服を着た兵士パンター(采澤靖起)が彼女をじろじろ見て、嫌がる彼女にしつこくからんでくる。
バブリーン「私、婚約してるの」
パンター「誰?そんな奴、見たことないぞ」・・

酒場でアンドリの父(沢田冬樹)が家具屋の主人・親方(大原康裕)と交渉中。
家具職人見習いにしてもらう費用が50ポンド。どうしてもまけられないと突っぱねられ、父はさらに酒をあおる。

途中何度も照明が変わり、客席を向いた人が一人一人、「証言します」「アンドリがあんなことになったのは私のせいじゃありません」
などと言うので、破局が待っているのかと想像がつく。

アンドリ(小石川桃子)は20歳。酒場で手伝いをしているが、家具職人になりたがっている。
それはアンドーラの伝統的な職業だった。
妹バブリーンは19歳。二人は子供の頃から愛し合い、学校で「兄妹だから結婚できないよ」とからかわれた。
絶望して死のうとしたこともあった。
その時母(郡山冬果)に見つかり、実はアンドリは実の子ではなく、父が隣国から助け出した子だ、と知らされる。
その日以来、二人は同じ部屋で寝るのをやめた。
二人は将来結婚すると約束していた。

酒場でアンドリはパンターと言い争いになり、パンターは「ユダヤ!」と罵倒する。
アンドリは家具職人の親方の元、初めて自分で椅子を作った。立派な出来栄えだった。
だが親方は、別の椅子を点検して脚をはずし、これじゃあダメだ、などと言って、アンドリに「ユダヤ人は商売の方に向いているから
外回りして注文を取って来い」と言う。
親方の、あまりに露骨な態度に絶望するアンドリ。

両親の前で、アンドリとバブリーンは結婚の許可を求める。
母は「そうなると思ってた!」と大喜びで二人に駆け寄るが、父は愕然として手にした台拭きを落とす。
父「絶対ダメだ!」
アンドリは驚き、「僕がユダヤ人だから?」と尋ねるが、父は答えずに去る。

家に医者が来る。
外国から20年ぶりに帰国した彼は、アンドリがユダヤ人だという話を知らない。
アンドリを診察し、薬をやろうとするが、その時「すべてのユダヤ人は地に倒されよ」みたいな決まり文句を口にする。
聞きとがめたアンドリは「どうしてユダヤ人は・・?」と尋ねるが、医者ははっきり答えない。
アンドリは薬を受け取らず、ぷいと出てゆく。

神父とアンドリの会話。
ユダヤ人とアンドーラ人について。
神父「みんな君を愛している」「君は人より賢い・・」
話が嚙み合わない。
「どうして父は娘を僕にくれない?」

アンドリとバブリーンが、夜いつものようにバブリーンの部屋の前で語りながら眠ってしまうと、パンターがそっと入って来て
バブリーンの口をふさぎ、彼女の部屋に連れ込んで鍵をかけて乱暴する。
アンドリは気づかず、時々目を覚ましてバブリーンに話しかける・・。

隣国が攻めてくるという噂があり、みな不安がる。
だが医者は落ち着いている。
「だってその理由がない。アンドーラは世界一平和で自由な国だ。世界中から愛されている。
美しいが貧しい。オリーブが取れるが、特に上等というわけでもない。攻めたって仕方がない」と言ってみなを安心させる。
<休憩>
旅館に隣国の女性が一人で来るというので、町の人々はうろたえている。
パンターは、敵と見なしてやっつける、と息巻く始末。
その女性は来ると、宿の主人にメモを渡し、「学校教師のカンという人に渡して」。
そこにアンドリが来て、パンターを見ると彼の帽子を取って地面に投げ捨てる。
二度もそうするので、パンターは彼に殴りかかり、アンドリは血を流す。
女性が止めると、みな立ち去る。
彼女はアンドリを介抱し、「お父さんのところへ連れて行って」。

家で、女性はアンドリの父と対面。
かつて二人は隣国で付き合っていて、彼女はアンドリを出産したのだった。
だが、かの国で共に暮らすことは難しく、父は息子を連れて帰国。
その時彼は、ユダヤ人の子供を迫害から救い出した、という話をでっち上げた。
そのため彼の行為は美談として広まり、隣国にいる彼女の知るところとなった。
驚いた彼女は、彼に何度も手紙を書いて送ったが、返事はなかった。
彼女はついに、直接二人に会いに来たのだった。

アンドリと二人だけになると、彼女は自分の若かりし日のことを話す。
ある人と出会って恋に落ちて、でも一緒に暮らしていくのは難しくて・・。
「あなたに話したいこと、聞きたいことがたくさんあるわ。
でも、もう行かなきゃ」「行くように言われたの」
「また会いましょ!」と言って去る。
外は騒がしい。
敵対国の人間がこの家の中にいる、と町の人々が騒いでいるのだ。
父がアンドリに送らせようとするが、彼女は「一人で帰る」と言ったという。
父はあわてて彼女を追いかけ、広場を通らず裏道を行かせようとするが・・。
彼女は群衆が投げた石に当たって死ぬ・・。

またしても「証言」。
私じゃありません。そこにいなかったし。
誰が石を投げたか分かりません。

神父がアンドリと面談する。
父親は、真実を息子に告げることがどうしてもできず、神父に告白したらしい。
神父は父親の代わりに、アンドリに事実を話して聞かせる。
「君はユダヤ人じゃなかったんだよ」
だが話を聞いたアンドリは、バブリーンが血のつながった妹だったのか、だから父は結婚に反対したのか、と納得するかと思いきや、
自分がユダヤ人でなくアンドーラ人だったということに愕然とする。
彼は突然のことに混乱し、困惑して立ち去る。

アンドリの父の妻は、ようやく真実に気がつく。
「あの人はアンドリの母親なのね」
「そしてあなたが父親・・」

「ユダヤ人選別」が始まる。町の人々は黒布で頭をすっぽり覆い、兵士パンターに命令されている。
黒服の男が無言で査定する。
連れて来られた男の裸足の足をしげしげ観察し、頭、顔、体つき・・と丹念に調べていき、兵士に合図する。
アンドリも連れて来られる。
両親が来て、母が「この子はユダヤ人じゃありません、夫の子なんです!」と叫ぶが、今さら誰も信じない。
体を調べられた後、彼は連れ去られる。
実の母が別れる時、彼にくれた指輪も、無理やり取られてしまう。

一連の騒動が終わり、町は平和を取り戻したかのようだ。
以前のように酒場にみなが集まり、酒を注文して飲もうとしているところにバブリーンが来る。
髪を極端に短く切っており、持参したバケツの中の白いペンキを床に塗りたくる。
みなが驚きあわてていると、神父がやって来て告げる。
この子の父親は教室で首をくくった・・。
この子はアンドリを探しているのです・・。
  ~~~~~
架空の国アンドーラが舞台の寓話劇だが、作者は敢えて「ユダヤ人」という名称を用いている。
これは決して遠い国の出来事ではない。
私たちが現在生きている、この日本という国と無縁の話ではない。

演出の西本由香がパンフレットに書いている。
「本当に自分たちが選択を迫られた時にどう行動できるのだろうか。
私たちは弱く、自らの生活を守ることと、正しくあり続けることを両立するのは難しい。
それでも、その時のために考え続けること。
遠くの不正を追及することよりも、身近な隣人に誠実であり続けることがずっと難しいと自覚すること。
自分の中にある恐れと弱さ、ずるさに自覚的になること。・・」
深い共感をもって、この文章を読みました。

主役の二人が素晴らしい。
アンドリ役を女性の小石川桃子が演じるが、まったく違和感がない!
この人は一体何者なのか・・。
バブリーン役の渡邊真砂珠は、昨年「夏の夜の夢」でヘレナを好演した人。
今回も熱演だった。
悪役パンターを、今やベテランと言っても過言ではない采澤靖起が飄々と演じる。





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「リア王」

2024-03-21 11:09:51 | 芝居
3月14日東京芸術劇場プレイハウスで、シェイクスピア作「リア王」を見た(演出:ショーン・ホームズ)。



ブリテン王国の老王リア(段田安則)は、3人の娘たちに王国を譲り、隠退しようと考える。
彼は娘たちの誰が一番自分のことを愛しているか知りたいと言い出し、自分をどう思っているか皆の前で話すようにと告げる。
その内容に応じて王国の分け前を決めるというのだ。
長女ゴネリル(江口のりこ)と次女リーガン(田畑智子)は巧みな言葉で父の機嫌を取るが、三女コーディーリア(上白石萌歌)は
そんな姉たちの素顔を知っているため、反発し、何も言うことはありません、と答える。
それまで一番のお気に入りだった末娘のこの態度に激高したリアは、即座に彼女を勘当すると宣言。
幸いコーディーリアは、求婚に来ていたフランス王に王妃として迎えられるが、家族とも母国とも悲しい別れをする・・・。
この後、リアは2人の姉娘たちに粗略に扱われ、末娘を勘当したことを深く後悔する羽目になるが・・。

ネタバレあります注意!  

幕が開くと、現代服姿の数人がパイプ椅子に座ってこちらを見ている。
背後は白い壁、かと思ったら白いパネルだった。
3人の姫たちはピンクのワンピースにピンクの帽子と靴。
リア王はパリッとした明るい紺のダブルのスーツで元気そう。
80歳という設定を、もう少し考慮してもらいたい。
みな、真っ直ぐこちらを向いて会話する。まるでオペラのよう。
このように、演出は一貫してアンチリアリズム。

場所が変わるたびに、グロスター伯爵の次男で私生児のエドマンド役の玉置玲央が、背後のパネルに文字を書く。
Gonerill's とか Gloucester's とか。
この芝居には手紙がたびたび登場するが、それが独特。
ペラペラの透明なもので、プロジェクターで背後の幕に大写しにする仕掛け。
だが英文だし小さいし、客席から文面は読めない。
時代を現代に変えたからといって、なぜこんな小細工をする?

ケント伯爵(高橋克実)はコーディーリアの肩を持ったため王の逆鱗に触れ、追放されるが、それでもなおリアに仕えたいと考え、
身分を偽りケイアスとして王に直談判。そばで仕えることを許される。
ゴネリルの城で王に無礼な態度を取ったオズワルド(前原滉)を、ケイアス(=ケント)が足をすくって倒すと、他の騎士たちも
殴ったり蹴ったりするので、オズワルドは腕の骨を折り、顔から出血する!

リアはゴネリルに冷たくされ、怒りのあまり彼女の腹に手を当てて呪いの言葉を浴びせかけるので、ワンピースの腹のところが赤くなる。
リアは、わしにはもう一人娘がいる、と告げ、即、家来たちを連れてリーガンの城へと向かう。
リーガンはそれを察知し、夫コーンウォール公爵(入野自由)と共にグロスター伯爵(浅野和之)の城に急ぐ。
ケントが王の使いでリーガンへの手紙を届ける際、同じくリーガンに宛てたゴネリルの手紙を届けに来たオズワルドと再会して騒動を起こすと、
リーガンはケントの背中を足蹴にする!
父の使いより姉の使いの方を優先させたいリーガンと夫は、ケントの無礼な態度に腹を立て、彼に足枷をつけて外に放置する。
だが今回、足枷ではなくテープで胸と足をそれぞれ椅子に縛りつけていた。
なぜわざわざそんなことをする?
時代を現代に変えたから足枷をテープに変えたのだろうが、「戸外に放置」ということが大事なのに、椅子を使うのは困る。
一貫して、そこにいないはずの人たちが舞台上にいたりするのも嫌だ。気になって仕方がない。
奇をてらいたいのか。
<休憩>
舞台奥に枯れた大木が1本、吊られている。根も空中に浮いている。これが意味不明。
グロスター伯爵は、リア王への娘たちの残虐な振舞いに衝撃を受け、コーディーリアに事情を訴える手紙を出し、フランス側と連絡を取っている。
だが彼は、次男で私生児のエドマンドの本性を見抜くことができず、信頼してすべてを打ち明けていた。
エドマンドは出世のためにコーンウォール公爵に父の秘密をばらし、コーンウォールと妻リーガンは激怒。
グロスター伯爵を捕まえさせ、その片目をえぐり取る。
あまりの残虐さにコーンウォールの家来の一人が止めに入り、斬り合いとなる。
その家来はリーガンに背後から切られて死ぬが、倒れることなくスタスタと歩いて退場!
はあ?何ですか、これは?!
この無名だが勇敢な男が死んで倒れ、ゴミのように扱われることが、戯曲の構成上、深い意味を持つのに。

この後、オズワルドが盲目になったグロスター伯爵を賞金目当てに殺そうとして、反対に彼の長男エドガー(小池徹平)に殺されるが、
この時も、オズワルドは死んでその場に倒れる代わりにスタスタ歩いて退場!
こんな調子だから、エドガーと弟の決闘シーンの前にオールバニー公爵が「ラッパを鳴らせ」と命じても何も鳴らないが、もはや驚きもしない。

ラスト、リアは殺されたコーディーリアを抱いて登場するはずが一人で登場!
ハッ?コーディーリアはどこ??
彼女はその後、白い布に全身をくるまれ、縄で縛られて別の男が引きずって来た!
彼女の遺体は、そのまま舞台上を引きずられて横切る!
だから、リアの最後の重要なセリフは、驚くほど空虚なものになってしまった。
だって、「お前の」とか「これの」とか言うのに、そこに最愛の末娘はいないのだから。

訳は松岡訳を使っているが、かなりカットしているし、あちこち変えてある。

この芝居は、かつてケネス・ブラナー率いるルネサンス・シアター・カンパニーの来日公演で見て以来、何度も見て来たが、
今回のは最悪だった。
こういうものを「斬新」とか「独創的」とか呼ぶ人がいるが、筆者に言わせれば、ただ奇をてらっただけで、
観客のシェイクスピア理解を妨げる、軽薄な思いつきに過ぎない。
この演出家は、私家版「苦手な演出家」のリストに載せて、以後近づかないようにします(笑)

唯一の収穫は、舞台俳優・玉置玲央を発見したこと。
この人は現在、大河ドラマで父親役の段田安則と共に、大変な悪役を演じており、筆者もそんなイメージしかなかったが、
張りのある声がよく通り、演技にも切れがある。今後が楽しみな人だ。
リーガン役の田畑智子も好演。


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「OH!マィママ」

2024-03-13 19:41:21 | 芝居
3月8日シアターサンモールで、ブリケール&ラセイグ作「OH!マィママ」を見た(劇団NLT公演、演出:釜紹人)。



     フランスの国会議員アルベールの妻マリィは、25年前に謎の失踪。
一人息子のルイは、アルベールとマリィの幼なじみのマチルドが面倒を見てきました。
     ルイの結婚も決まり、一家が幸せいっぱいのある日、
 国連の人権委員、アメリカの陸軍大佐フランクがアルベールを訪ねてきます。
ところがフランクの話題と視線はルイのことばかり。挙句に結婚にまで口を出す始末。
  一体フランクとは何者なのか?フランクにはとんでもない秘密があったのです!!
 それを知ったアルベールは大パニック。この秘密だけは決してルイに知られてはならない!
知られたら全ては破滅だ。七転八倒の大騒動!!こんなに笑えるのにどうしてこんなに切ないの?
       現代ブールヴァ―ルコメディの自信作です!(チラシより)

パリのアパルトマン。黒ワンピースに白いエプロンというメイド姿のジャサント(吉越千帆)が、家具にはたきをかけている。
彼女はスウェーデンから来た留学生で、家事をする代わりに部屋と食事をタダにしてもらっている。
この家の一人息子ルイ(小泉駿也)が来る。
彼は大学を出て建築家になったばかり。
最近、財閥令嬢イネスと結婚が決まったばかりだが、ジャサントとも深い仲だった。
父親のアルベール(渡辺力)も来る。
ルイが出て行くと、アルベールはジョサントを抱きしめる!
何と、ジョサントはアルベールとも深い仲だった!
そしてこのアルベールも、25年間家事をやってくれているマチルドと再婚することになっている。
去年ようやく元妻の死亡が認定され、晴れて独身に戻れたのだ。
この再婚は、親子同時に結婚したら支持率がアップするだろうという政治家らしい考えから思いついたのだ。

ここにアメリカ人のフランク(海宝弘之)がやって来る。
アルベールと仕事の話をするはずが、なんやかんやとプライベートなことを尋ねる。
(観劇前にチラシを読んだだけで、この男が何者なのか、敏感な人は気づいてしまうだろう)
彼こそは、かつてのマリー・ルイーズで、当時外務省に勤務しており、スパイ騒動に巻き込まれて米国に逃亡する羽目になった。
そこで別人になりすますしかなくなるが、どうせならと性別も変えることにし、顔も整形したのだった。
彼がようやく正体を告白すると、最近心臓が弱っているアルベールは倒れてしまい、薬を飲む。
フランクはジョサントともすぐに親しくなる。
マチルド(安奈ゆかり)が来る。黄金色の衣装に身を包んだ堂々たる体格のひとで、すこぶる女性的なタイプ。
フランクを見ると「何だか胸騒ぎがするの」と言い出す。
彼女は旧友マリー・ルイーズについて語る。
本当は女性が好きだったんじゃないかしら。
アルベールが本当に愛していたのは私なの。
アルベールは子供を欲しがっていたの。でもマリー・ルイーズはそうじゃなかった。
あの人の策略なの。私への当てつけで子供を産んだの・・・。
こんな話を聞くと、彼女とマリー・ルイーズは仲が悪かったのかと思うが、実はそうではなかった。
二人は学校時代から喧嘩ばかりしていたけど、実は密かに惹かれ合っていた・・。

ルイも、フランクに何やら不思議な感じを抱いており、家族がみんなして自分に何か隠していると感じる。
フランクを追及し、「秘密が分かった!」と大興奮するルイ。
突如流れるドラマチックな音楽を背景に「わかった!」と叫ぶので、観客は身構えるが。
彼はフランクを抱きしめて「パパ!」と叫ぶのだった(笑)。
フランクは困惑するが、すぐに心を決めて話を合わせることにし、実のパパのふりをする。

二人から話を聞いたアルベールは、自分がのけ者にされたため、当然ながら面白くない。
そこでマチルドが、実は私が・・・と言い出し、またまた話がややこしくなる。

こういう芝居の場合、最後にはルイが真実を知ることになると普通思うでしょう。
ところがどっこい、違うんですよ。
このマチルドという人が、意外な動きをするのです。
創造力が豊かな彼女は、ルイのためを思って、そしてアルベールのためにも、とんでもない話をでっち上げる。
実は私がルイの母親で、妊娠してしまったことを厳しい父親に知られたくなくて、吹雪の夜、山小屋で出産したの、と、必要以上にドラマチックな物語を語り出す。
ルイが、僕の誕生日は5月ですよ、と言っても聞かない(笑)
自分の捏造する物語にすっかり酔ってしまっている。
そして、実は父親がフランクなのかアルベールなのかわからない、とまで言い出すのだった(笑)
もちろんアルベールがのけ者にならないためだ。
こうして話はどんどん事実から逸れて行ってしまうが、ルイは単純に、そうだったのか!みたいに喜び、4人は盛り上がる。
が、ルイがふと「じゃあ、マリー・ルイーズって誰?」と(当然ながら)尋ねると、マチルド「あれは私のペンネームなの」。
4人はシャンパンで乾杯する。
そこにイネスから電話。
彼女の話を聞いたルイは呆然として電話を切り、「できちゃったって」。
みなは「おめでとう!」アルベール「お前もできちゃった婚か、さすが俺の息子だな」。
ルイ「僕はまだキスしかしてないんだよ!」
「僕の他に男がいたってこと・・」
これで彼の結婚の話はなしになりそうだ。・・・

途中ひょんなことから、ジョサントがルイとアルベールの両方と「ベッドを共にしていた」ことがバレる。
マチルドは「二股かけてたのね!」と驚き呆れ、彼女をクビにするが、ラストでは思い直して、今後もいて欲しいと告げる。

最後にジョサントとフランクが二人だけになると、ジョサントが何と2年前まで男だったと告白。
フランクは似た者同士として彼女を励ます。
だが、このエピソードはつけ足し感が強すぎて、むしろない方がよかった。

非常に面白い芝居だったが、ルイがだまされたまま、その場の思いつきで、皆が適当にお茶を濁して終わるのが残念だった。
いろいろすったもんだはあっても、結局最後には彼が真実を知ることになるだろうと思い込んでいた。
筆者は、"the truth ,the whole truth ,and nothing but the truth " (裁判所での宣誓の言葉)という言葉が好きなので。
それに、チラシに「この秘密だけは決してルイに知られてはならない!知られたら全ては破滅だ」とあるが、
どうしてそんな風に思うのかさっぱりわからない。

とは言え、演出もよく、音楽の使い方も楽しい。
「美しく青きドナウ」、フォーレのレクイエム、「ワルキューレ」「ツアラツストラはかく語りき」などが
要所要所に突然流れ、笑わせ、盛り上げてくれる。

役者は皆さん好演。
特にマチルド役の安奈ゆかりが素晴らしい。
ルイ役の小泉駿也も思いっきり楽しそうに演じている。
ジョサント役の吉越千帆もうまい。

フランス人は、しまいに真実が明らかになって「しみじみする」のが好きじゃないのかも知れない。
それくらいなら、最後まで真実が明らかにならずモヤモヤする方がましなのかも。
いや、そもそもそんなことでモヤモヤしたりしないのかも知れない。

コメント
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