ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「リア王」

2024-03-21 11:09:51 | 芝居
3月14日東京芸術劇場プレイハウスで、シェイクスピア作「リア王」を見た(演出:ショーン・ホームズ)。



ブリテン王国の老王リア(段田安則)は、3人の娘たちに王国を譲り、隠退しようと考える。
彼は娘たちの誰が一番自分のことを愛しているか知りたいと言い出し、自分をどう思っているか皆の前で話すようにと告げる。
その内容に応じて王国の分け前を決めるというのだ。
長女ゴネリル(江口のりこ)と次女リーガン(田畑智子)は巧みな言葉で父の機嫌を取るが、三女コーディーリア(上白石萌歌)は
そんな姉たちの素顔を知っているため、反発し、何も言うことはありません、と答える。
それまで一番のお気に入りだった末娘のこの態度に激高したリアは、即座に彼女を勘当すると宣言。
幸いコーディーリアは、求婚に来ていたフランス王に王妃として迎えられるが、家族とも母国とも悲しい別れをする・・・。
この後、リアは2人の姉娘たちに粗略に扱われ、末娘を勘当したことを深く後悔する羽目になるが・・。

ネタバレあります注意!  

幕が開くと、現代服姿の数人がパイプ椅子に座ってこちらを見ている。
背後は白い壁、かと思ったら白いパネルだった。
3人の姫たちはピンクのワンピースにピンクの帽子と靴。
リア王はパリッとした明るい紺のダブルのスーツで元気そう。
80歳という設定を、もう少し考慮してもらいたい。
みな、真っ直ぐこちらを向いて会話する。まるでオペラのよう。
このように、演出は一貫してアンチリアリズム。

場所が変わるたびに、グロスター伯爵の次男で私生児のエドマンド役の玉置玲央が、背後のパネルに文字を書く。
Gonerill's とか Gloucester's とか。
この芝居には手紙がたびたび登場するが、それが独特。
ペラペラの透明なもので、プロジェクターで背後の幕に大写しにする仕掛け。
だが英文だし小さいし、客席から文面は読めない。
時代を現代に変えたからといって、なぜこんな小細工をする?

ケント伯爵(高橋克実)はコーディーリアの肩を持ったため王の逆鱗に触れ、追放されるが、それでもなおリアに仕えたいと考え、
身分を偽りケイアスとして王に直談判。そばで仕えることを許される。
ゴネリルの城で王に無礼な態度を取ったオズワルド(前原滉)を、ケイアス(=ケント)が足をすくって倒すと、他の騎士たちも
殴ったり蹴ったりするので、オズワルドは腕の骨を折り、顔から出血する!

リアはゴネリルに冷たくされ、怒りのあまり彼女の腹に手を当てて呪いの言葉を浴びせかけるので、ワンピースの腹のところが赤くなる。
リアは、わしにはもう一人娘がいる、と告げ、即、家来たちを連れてリーガンの城へと向かう。
リーガンはそれを察知し、夫コーンウォール公爵(入野自由)と共にグロスター伯爵(浅野和之)の城に急ぐ。
ケントが王の使いでリーガンへの手紙を届ける際、同じくリーガンに宛てたゴネリルの手紙を届けに来たオズワルドと再会して騒動を起こすと、
リーガンはケントの背中を足蹴にする!
父の使いより姉の使いの方を優先させたいリーガンと夫は、ケントの無礼な態度に腹を立て、彼に足枷をつけて外に放置する。
だが今回、足枷ではなくテープで胸と足をそれぞれ椅子に縛りつけていた。
なぜわざわざそんなことをする?
時代を現代に変えたから足枷をテープに変えたのだろうが、「戸外に放置」ということが大事なのに、椅子を使うのは困る。
一貫して、そこにいないはずの人たちが舞台上にいたりするのも嫌だ。気になって仕方がない。
奇をてらいたいのか。
<休憩>
舞台奥に枯れた大木が1本、吊られている。根も空中に浮いている。これが意味不明。
グロスター伯爵は、リア王への娘たちの残虐な振舞いに衝撃を受け、コーディーリアに事情を訴える手紙を出し、フランス側と連絡を取っている。
だが彼は、次男で私生児のエドマンドの本性を見抜くことができず、信頼してすべてを打ち明けていた。
エドマンドは出世のためにコーンウォール公爵に父の秘密をばらし、コーンウォールと妻リーガンは激怒。
グロスター伯爵を捕まえさせ、その片目をえぐり取る。
あまりの残虐さにコーンウォールの家来の一人が止めに入り、斬り合いとなる。
その家来はリーガンに背後から切られて死ぬが、倒れることなくスタスタと歩いて退場!
はあ?何ですか、これは?!
この無名だが勇敢な男が死んで倒れ、ゴミのように扱われることが、戯曲の構成上、深い意味を持つのに。

この後、オズワルドが盲目になったグロスター伯爵を賞金目当てに殺そうとして、反対に彼の長男エドガー(小池徹平)に殺されるが、
この時も、オズワルドは死んでその場に倒れる代わりにスタスタ歩いて退場!
こんな調子だから、エドガーと弟の決闘シーンの前にオールバニー公爵が「ラッパを鳴らせ」と命じても何も鳴らないが、もはや驚きもしない。

ラスト、リアは殺されたコーディーリアを抱いて登場するはずが一人で登場!
ハッ?コーディーリアはどこ??
彼女はその後、白い布に全身をくるまれ、縄で縛られて別の男が引きずって来た!
彼女の遺体は、そのまま舞台上を引きずられて横切る!
だから、リアの最後の重要なセリフは、驚くほど空虚なものになってしまった。
だって、「お前の」とか「これの」とか言うのに、そこに最愛の末娘はいないのだから。

訳は松岡訳を使っているが、かなりカットしているし、あちこち変えてある。

この芝居は、かつてケネス・ブラナー率いるルネサンス・シアター・カンパニーの来日公演で見て以来、何度も見て来たが、
今回のは最悪だった。
こういうものを「斬新」とか「独創的」とか呼ぶ人がいるが、筆者に言わせれば、ただ奇をてらっただけで、
観客のシェイクスピア理解を妨げる、軽薄な思いつきに過ぎない。
この演出家は、私家版「苦手な演出家」のリストに載せて、以後近づかないようにします(笑)

唯一の収穫は、舞台俳優・玉置玲央を発見したこと。
この人は現在、大河ドラマで父親役の段田安則と共に、大変な悪役を演じており、筆者もそんなイメージしかなかったが、
張りのある声がよく通り、演技にも切れがある。今後が楽しみな人だ。
リーガン役の田畑智子も好演。



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