私が思うに大昔ほど精神世界を意識している度合いが多く、文化文明が進化発展するほどに精神世界が疎かになってきたと思い感じます。
しかしながら人間本来は精神体が主であって肉体や感情体はオマケなのです。
ちなみに衣食住に恵まれ贅沢三昧している現在では…肉体や感情体が主体になり精神体は付録が如くになっていると思います。
だから肉体に拘り執着しているし、好き嫌いの感情からして選り好みして自分に都合が良い・その良いとこ取りすることに精出しています。
ちなみに感情からして恋愛ごっこや夫婦関係になるも…その裏では肉体の快感快楽となるセックスに執着しているのは間違いありません。
何たって昔はセックスに関することを表に出して話すことを恥じていた時代でしたが、今やセックスに関わる情報や映像が解放され氾濫しています。
…と言うことは皆の集合意識が表に出ていることになります。
しかも自然界に元からしてなかった人為人工的な趣味嗜好娯楽が氾濫していますが、昔は娯楽などに興じることは道楽者と言われ恥となる時代でしたが、今や公然となり、変化刺激に富んでいて・より高度で高品質が問われる時代となり、昔の素朴さ謙虚さが見当たりません。
何はともあれ…不便で物不足の貧しい時代ほど苦労と苦悩が多くて神様仏様にすがりたくなるも…
今や快適便利で豊かな生活からして神様仏様に関係ないが如くにして・己の肉体と感情体の拘り執着や変化刺激快感快楽に惑わされているから・精神体を意識する生活とはかけ離れています。
そんな中にも巷の宗教や神仏霊魂の世界や宗教とは言わないスピ系に関わっている人もいますが、その多くは宇宙・神・愛意識の仕組みの精神世界と言うよりも、邪道となる・人集め金集め物売りとなる・その主催する人的能力に頼る他力依存からして肉体や感情体に関わる苦から解放して欲しいと願ってのことだと思います。
また信じる神の布教宣伝活動に熱心な人がいますが、それも本来の精神世界よりも、その神を信じる仲間が一人でも増えれば、それが生き甲斐となったり、また同じ仲間が一堂に集まることで信頼し合ったり親睦を深めることができる、その楽しさ生き甲斐を共に感じることができるから皆して集まっていると思われます。
ちなみに入信し出家するほどの納得や真剣さ本気がなく…単に共感しあえる仲間が集まりまた共に行動できる喜び感激やの感情体が主体となり…本来の精神世界とは異なっていると思います。
何はともあれ…老人が昔は良かったと懐かしむのも…現在のストレスまみれに心身が疲れているからです。
ところが昔は良かったと懐かしむどころか寝たきり老人となれば尚更に深刻な状況となります。
だからそうなる前に巷のストレスから解放されることが重要となるのです。
然るに…本音にして・真面目真剣にして・本気になって精神世界を意識し続けることで気付き続け省みることになり…そしていつの間にやら無理なくストレスから解放されます。
ちなみに不完全にして矛盾偽善に満ちているこの世人間界で本気になってやることが無くても、己の中の精神世界となればいつでも本気になれます。
だから他力に頼らずにして…自らの心意識精神を自らの自力と自信でもって磨き高めることにもなるのです。
そしてストレスのない心穏やかな精神安定にして過ごすことができるのです。
しかしながら人間本来は精神体が主であって肉体や感情体はオマケなのです。
ちなみに衣食住に恵まれ贅沢三昧している現在では…肉体や感情体が主体になり精神体は付録が如くになっていると思います。
だから肉体に拘り執着しているし、好き嫌いの感情からして選り好みして自分に都合が良い・その良いとこ取りすることに精出しています。
ちなみに感情からして恋愛ごっこや夫婦関係になるも…その裏では肉体の快感快楽となるセックスに執着しているのは間違いありません。
何たって昔はセックスに関することを表に出して話すことを恥じていた時代でしたが、今やセックスに関わる情報や映像が解放され氾濫しています。
…と言うことは皆の集合意識が表に出ていることになります。
しかも自然界に元からしてなかった人為人工的な趣味嗜好娯楽が氾濫していますが、昔は娯楽などに興じることは道楽者と言われ恥となる時代でしたが、今や公然となり、変化刺激に富んでいて・より高度で高品質が問われる時代となり、昔の素朴さ謙虚さが見当たりません。
何はともあれ…不便で物不足の貧しい時代ほど苦労と苦悩が多くて神様仏様にすがりたくなるも…
今や快適便利で豊かな生活からして神様仏様に関係ないが如くにして・己の肉体と感情体の拘り執着や変化刺激快感快楽に惑わされているから・精神体を意識する生活とはかけ離れています。
そんな中にも巷の宗教や神仏霊魂の世界や宗教とは言わないスピ系に関わっている人もいますが、その多くは宇宙・神・愛意識の仕組みの精神世界と言うよりも、邪道となる・人集め金集め物売りとなる・その主催する人的能力に頼る他力依存からして肉体や感情体に関わる苦から解放して欲しいと願ってのことだと思います。
また信じる神の布教宣伝活動に熱心な人がいますが、それも本来の精神世界よりも、その神を信じる仲間が一人でも増えれば、それが生き甲斐となったり、また同じ仲間が一堂に集まることで信頼し合ったり親睦を深めることができる、その楽しさ生き甲斐を共に感じることができるから皆して集まっていると思われます。
ちなみに入信し出家するほどの納得や真剣さ本気がなく…単に共感しあえる仲間が集まりまた共に行動できる喜び感激やの感情体が主体となり…本来の精神世界とは異なっていると思います。
何はともあれ…老人が昔は良かったと懐かしむのも…現在のストレスまみれに心身が疲れているからです。
ところが昔は良かったと懐かしむどころか寝たきり老人となれば尚更に深刻な状況となります。
だからそうなる前に巷のストレスから解放されることが重要となるのです。
然るに…本音にして・真面目真剣にして・本気になって精神世界を意識し続けることで気付き続け省みることになり…そしていつの間にやら無理なくストレスから解放されます。
ちなみに不完全にして矛盾偽善に満ちているこの世人間界で本気になってやることが無くても、己の中の精神世界となればいつでも本気になれます。
だから他力に頼らずにして…自らの心意識精神を自らの自力と自信でもって磨き高めることにもなるのです。
そしてストレスのない心穏やかな精神安定にして過ごすことができるのです。