孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

拘り執着未練なく死に至る…思い残しのない死は…幸せな死となります。

2017年10月10日 | Weblog
老後が人間人生の本番として書いています。

然るに裸で生まれ育ち老後となり死に至りますが、その成長期に肉体や感情体からして様々な体験経験を繰り返し味わうことからして…それが精神体の学びとなっています。

そして肉体的に衰退する老後でもって暇することになり・それまでの生き様を省みることが多くなります。

そして人様に言えないような・内に隠していた・愚かなことや破廉恥なことや隠れて悪さをしてきたことが…生まれながらにして持っている良心からして正直に蘇ってきます。

また拘り過ぎていたことや執着し過ぎて苦労苦悩していたことや中途半端に終わりやり遂げられなかった無念さ未練などの様々なことが蘇ってきます。

然るに…自分が正直になるのも…老後なのです。

また此れまで欲張り続けていたことのしっぺ返しが心身の体調不良となって現れてきます。

だから己の死に様や死後のことが気になるのも老後です。

ちなみに私の場合は…自己拡大している最中にふと気付き…このままに終わるかもしれない人生に違和感が出たことからして…現在に至っているのです。

然るに…気付くことは…己の中の精神体からの信号や己の意識が原因の宇宙・神・愛の仕組み・以心伝心・閃きだったりするのです。

また私の場合は…気付いたことを疎かにしないで…取りあえず気付いたことに取り組み始めることが多かったようです。

然るに前もっての先付けで欲張っているわけではなくて…どうなるか分からないけれども気付きに従っている…その成り行きからして成るようになっている後付けなのです。

然るに日々忙しいままに過ごしていると気付くことよりも欲張ることが多くなるのです。

だから肉体や感情体を酷使して忙しくしていても精神的な余裕が必要なのです。
またそうなれば・ふと気付き・大きなミスに至らなくて済むのです。

然るに老後は精神的余裕が出てくる年頃なのです。

だから人生の終わりに向けた活動「終活」が始まるのです。

そこで…この世人間関係に未練を残さない・思いを残さない死に様になれば…
それは…日々心穏やかな精神安定にして過ごしていた証しとなるのです。
そのためには…欲張ることをやめる…しかありません。

然るに…欲張るか否かで…人生が決まり、その老後や死に様が決まり、さらに死後の世界の有り様や来世までも影響するのです。

ちなみに不完全意識にして矛盾偽善でもって生きているからには…心に満ちた幸せは味わえません。

だから苦楽のない・ストレスから解放された・矛盾偽善のない・心穏やかな精神安定にして生きることが幸せなのです。