孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私たちを牛耳るピラミッド型国家社会を支え犠牲となっている・その矛盾があります。

2017年10月30日 | Weblog
宇宙・神・愛の仕組みからして・人間は生まれながらにして…自己中心に思い考え行動する・自分さえ良ければの個人意識を持っています。

だから俗にいう薄情なのが当たり前なのです。

ところがそれではダメだとして人情・愛情・温情を説き、その自己犠牲でもって人間関係を築き、その絆を深めることが正しい人間関係だとしいて偽善を説く偉人賢人聖者がいたから…それらの人より劣ると思い込んでいた世間一般的な人たちがいつの間にやらそれが正しいと思い込むことにもなり洗脳されたのです。

然るに個人意識はダメだ、悪だ、罪だとばかりに暗示され・思い込む・洗脳されることにもなったのです。

また人間は苦よりも楽にしていたい思いがありますから、何か事を成すことは正直言って面倒くさいのです。

しかしそれが自分のために必要となると…その自分のために頑張り努力し熱心に集中できます。

然るにそれが個人意識の成せる業なのです。

ところが…自分のためよりも人のために苦労するとなると…先ほど書いたように…面倒くさくなる・薄情になるのが本性にあります。

なのに…それではダメだとばかりに…世のため人のために尽くしなさいと教えられ洗脳されました。

と言うことは…人の上に立つ一握りの特別人間に牛耳られ操られ洗脳されていることになります。

然るに…特別人間に支配されて…奴隷が如くに操られ…その特別人間に都合がいい世の中・人間関係となっているのです。

なのに…その特別人間を祀り上げ憧れ敬ったりしているのが…牛耳られているはずの世間一般的な人たちであり、またその特別人間を真似たりしているのです。

然るに…ピラミッド型国家社会となっているのです。
そして世間一般的な人たちがピラミッドの土台や支えとなって・犠牲となっているのです。

しかしそれも…己が欲張っていることが原因なのです。

然るに…これではダメだの不満と何とかしなければの欲や見栄や執着からして…自らが選んだ結果なのです。

だから原因と結果は同じなのです。

然るに…欲張ることから卒業しない限りダメなのです。

だから…どうしようもなく・どうすることもできない・不完全で矛盾偽善がある人間意識のままにして・その苦楽のある喜怒哀楽の人生を歩み終わることにもなっているのです。

となると…欲張らずにして心穏やかな精神安定にして生きていくしかないのです。