孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「ノアの箱舟」(魂の救済)を超えた<アダムとイブ>(創世記)が仕組まれる。

2012年08月11日 | Weblog
無限の広がりを持つ宇宙の中に特別な神様はいません。
何故なら「すべて」が「ひとつの神」であり、その宇宙万物すべてがひとつになっているからこそ、それらの全知全能・宇宙万物のエネルギーが相互に寄り集まってる原因からして、その宇宙万物の「形」が創造されて生き長らえ、しかも時と共に変化し進化し拡大も出来るわけです。

だからその宇宙万物の中の一個も神となりますのでそれを一神とし、その宇宙万物のすべての一神が「ひとつ」となっていることからして「すべてが神」となり、それが一神にして多神の関係でありまた多神にして一神の切り離せない関係でもあるわけです。

その神は完全なままの不変の完全意識ですから、人類のように良い悪いで思い考え判断することは絶対にありません。
まして人間の言葉も知りませんから神が人間に話しかけてくるなんて絶対にありませんし、人間の思い願いを理解してその望みを叶えるなんて芸当なんかは絶対に出来ません。

だから当然ながら「飴とムチ」を使い分けるような面倒くさいこともしません。
だから過去の開祖教祖・宗教家が「天の声」「神の声」を聞いたと言うのは「嘘も方便」の類になります。

すなわち過去のイエスや釈迦も今のサイババや耕栄さんであっても同じですが、天から神の声が聞こえたのではなくして、自分の霊感・感性・感覚で感じ取り、その感じ取った感覚・イメージを自分の知っている言葉に置き換え変換・転換したことを語っていますから、当然ながら直接的な「宇宙・神」の思いでもなくして、すべてがひとつの宇宙万物・神のエネルギーを感じ取った人のその個人的な思い(精神・感情)が入って当然なのです。

だから宗教・真理・思想心理を説く中に不完全な人間の「思い」が入っても当然なのです。
だから巷にそれぞれに違った神を説く輩が竹の子の如くに存在しているのです。

だから釈迦やイエスや耕栄さんやサイババの説く神の話を丸ごと取り入れてそれを「信じる」なんてのは、自らの持っている信じられないその不信感を奥底に隠しておいて、自分に都合が良いときにだけその神を信じようとしているのです。
そして都合が悪い事(都合の悪い神)になれば隠していた不信感が出てくることからしてやがて離れていくのです。

それが幸いにも耕栄さんが説く完全真理は完全な宇宙・神・愛の意識(宇宙万物全知全能エネルギー)を説いていますから、その矛盾の無い完全な真実を学び知ることが出来ます。
しかし時として耕栄さん自身の思いが入った不完全な言葉が出ているときがありますから、それを見極めるだけの理解力が必要になりますし、その理解力が増すほどに信じる必要性がなくなります。

その個人の思い・個人意識からして自己拡大が始まりそれが地球人類の崩壊破壊になりつつありますから、今さら自己縮小が始まったところで「遅かりし内蔵助」になり「後悔先に立たず」の結果になることでしょう。

何故ならば、本命と思いつつもなかなか実践できないでいるその自己縮小さえも不完全なのだから、その矛盾・裏表もあるし妥協も含まれますから、どんなに自己縮小が進んでも結果的には中途半端なままに終わります。

その中途半端なままが人類史上いつまでも続けば、その人類の「魂・意識体」と言われるものの進化に支障がありますから、そこで一旦「リセット」して元に戻すことが仕組まれると(宇宙の流れを感じ取った者達から)言われています。

そうなると多分ですが、太古のおとぎ話・伝説の中にあるような「ノアの箱舟」(魂の救済)現象よりも古い「アダムとイブ」的な(創世記)現象・仕組みが起きて、純真無垢な自然体の人間的意識体が創造され、そこで過去にあった「良い悪い」で判断することになる矛盾意識のリンゴに惑わされること無く(同じ過ちを繰り返すことなく)生き続けることになりますから、そうなれば良い悪いで比較競争差別することも無く自由と平等の調和意識の中で共に「食って寝て糞をする」基本的な生き方の中の真価・価値・至福を見出す事になりますから、それが最高の贅沢にも地上の天国にも思える次元意識体として新たな地球で実在する事になり、そこでもって更に意識・命の進化に向けた必然ご縁の仕組みの中で生き続けていくことになると私は思っています。

と言うのも、過去に何度かあった「ノアの箱舟」的な「命・魂の救済」では事足りずに、それに懲りもせずに、また再び同じ不完全な中途半端なままが幾度となく繰り返されるばかりで、未だに完結していないからです。

その宇宙・神・愛意識のエネルギー(宇宙の流れ)を感じ取った山田耕栄さんがその良い悪いで判断しない完全意識の真理を説くことになったと思っています。

だからその完全真理をより深く理解していなければ自己縮小が進むはずもありませんし、まして完全真理を深く知らないままだと我が身がその苦楽の波の中でもがき苦しむ結果が永遠に続くかもしれません。